太陽は眩しい。
それは昔からの絶対の法則であり、変わる事の無い真理。
空に輝く彼の姿は、何者にも代え難く眩しい光であり、その明るさは世界を照らす。今もまた、その蒼空の青さすらも消し去るほどの強い黄金の光を放ち続け、比喩ですらないほどにその姿を瞳に焼き付けてしまうのだ。
十六夜咲夜は、そのように感じながら瞳を太陽の光から妨げるように手を天に掲げる。小さな、細い透き通るような手のひらでも、顔に直撃する太陽の光は簡単に防げてしまう。光とは、そのような物だ。全身に浴びる太陽自体に変わりはないのだけれど。
石の畳を、かつ、かつと音を立てながら歩く。皮靴の底にハッキリとぶつけるようにして歩を進めるからこそ、より大きく音をたてた。
紅魔館の庭は、思いのほか広い。庭のガーデニングの大半は、仕事の片手間に趣味でガーデニングを始めた門番の仕業だ。綺麗に彩られたそれらのガーデニングを見ると、仕事の片手間に始めたというその適当さも許せてしまいそうだった。そんなに適当であっても、こんなに綺麗な花々を咲かせているのだから。
そして咲夜は、門に向って歩いていく。一定のリズムを刻んだ歩み。それはとてもしなやかな動きで、なんとも言えないほど優雅な動きだった。歩く動きが、芸術。美麗な歩みが、何とも言えないほどだった。
硬く、閉ざされた門。は軽くスルーする。
門の塀のところに設置された内部の人間用の勝手口のドアノブに手をかける。外側から見ると一見して塀のようにしか見えないので、カモフラージュにはなっている。ドアを開けた先は、紅魔館の前に広がる木々の数々。
――咲夜は、門の塀の方に視線を向ける。しかしそこには誰もいない。
はぁ、と溜息を吐くと視線を下げた。
安らかな寝息と共に、門によっかかって眠る、紅い髪の女性の姿がそこにあった。壁に背を、足に地面を。腰のところで垂直になるようにして、睡眠をしていた。青天の霹靂。降り注ぐ陽光。
その下で、まるで楽しい夢でも見ているかのような安からか笑顔を浮かべながら、紅い髪の女性は眠っていた。
サクッ
綺麗な音が、聞こえた気がした。
ナイフがここまで綺麗に刺さる事など、滅多にあるまい。
紅髪の女性の額に、垂直に。一本の銀色に煌めくナイフが突き刺さった。
「さっさと起きなさい、役立たず門番」
「おわぁーー!」
痛覚が完全に目覚め切った時、女性も完全に目覚め切った。ナイフの突き刺さった額部分から、ホースで水を撒くかのように真っ赤な血が噴きでていた。
「ほ、包帯!包帯!」
「はい」
「ありがとうございます!」
咲夜が包帯を差し出すと、一礼をして紅髪の女性は包帯を受け取った。その時にばら撒かれた血の噴水が咲夜に向かって飛んでいくが、上半身だけの動きでどうにかかわす。包帯を受け取った女性は、自分の被っている帽子を外すと、器用に両手を使って包帯を額に巻き始める。最終的に鉢巻のように、ぎゅっと締めるとそこから血が噴きでるのが止んだ。
女性はホッ、と微笑みを浮かべてまま安堵の息を吐く。寧ろその程度で出血を防げるのかよ、と咲夜は驚きを隠せないでいたが。
「危ないところだったー……」
「……十分危ないわよ。ナイフ刺さった時点で」
「ま、私丈夫ですから」
えへへ、と笑う女性。その笑みを見ると、なんとも自分のした事に対して罪悪感を覚える。
いや、そもそも彼女が人を放棄して寝ていた事が全ての原因なのだが。
――紅美鈴。
紅魔館の門番である、この紅髪の女性はそう呼ばれている。特徴的な、五方星に『龍』という字の描かれたアクセサリーを帽子にくっつけている。中華風のチャイナドレスを身にまとい、深い、腰の奥までのスカートのスリットからは健康的な太股が覗きこむ。胸はしっかりはっきりと激しく自己主張をし、服の中からはちきれんばかりであった。
咲夜は、ある程度の胸を持っているがここまで大きいのはちょっぴり――いや、女性として考えると酷く羨ましかった。視線をそこに向けていると、美鈴が咲夜の顔を覗き込むように見る。
「それよりも咲夜さん、どうなさったんです?」
「ああ、そうそう」
咲夜は、ふと思い出す。
そもそも美鈴にナイフを刺すためにここにやってきた訳では無い。はっきり言うが、余りこういう事はしたくないのだ。この優しい微笑みにナイフを突き刺すのはいつだって罪悪感を覚える。
しかし、仕事をしない者に対して罰則を与えるのは紅魔館のメイド長の務めだ。実際、仕事という仕事をしているのが紅美鈴と十六夜咲夜の二人だけである以上、仕事をしていないとわかるのもこの二人だけなのだから。
咲夜は、いいながら少し溜息をついて、美鈴の目をしっかりと見て言う。
「お嬢様が、今夜部屋に来なさい、って」
「お嬢様が? またどうして」
「知らないわよ。私にも何も言わないんだもの」
ふぅ、と少し悔しさの混じった瞳を美鈴に向ける。
その瞳を受けて、あはは、と困惑したようにして笑う美鈴。間抜けな顔だ。咲夜はそう思う。
そんな間抜け面にしか見えないのに、どうしてこうもこの微笑みは綺麗なのだろう。わからない、けれども。
美鈴は、にっこりと微笑むと咲夜に軽く一礼をした。
「畏まりました。今夜お部屋に向かいますとお伝えください」
「私はいつ伝令役になったのかしら?」
「えっ!? ええっ、とっ、えっ」
唐突に慌て出す美鈴。あたふたと、手を上下左右に暴れ回るように高速で動かして、千手観音のようにも見えた。咲夜はそれが何となくおかしくなって、吹き出す。
そして、自分より身長の高い美鈴の頭に軽く拳骨をぶつける。
「あいたッ!?」
「別に、伝令役でいいわよ私は。貴女はちゃんと仕事をしなさい」
「はっ、はいっ!」
「寝たら、今度は後頭部に刺すわよ」
「か、勘弁を」
酷く困った、しかし笑みを浮かべる。
その柔らかな顔立ちから、笑みが消える事はない。紅美鈴は、常に微笑んでいる。
その姿が、咲夜にはおかしくて――羨ましかった。
「あ、咲夜さん」
「ん?」
「今、笑ってましたね。久し振りの気がします、咲夜さんの笑顔見るの」
「……からかってるの?」
「あ、いや、そういうわけではなく、ですね」
咲夜にもそんな事はわかっている。
紅美鈴は、優しい少女だ。人を苛めて笑うなんて事はしないから。
「咲夜さんが笑顔だと、私も嬉しくて」
「……そう」
「私も、一杯笑えます」
そう言って、綺麗な微笑みを浮かべた。
咲夜にはそれが、太陽よりも眩しく感じられた。
***
「レミィ」
「パチェか」
カーテンに封じられた窓。
紅く染まった壁。
大きな、薄紅色のシーツに包まれたベッド。
少女が、そこに座っていた。
「わざわざ咲夜を使いに行かせる必要があって?」
「他のメイドは役に立たないし、もし美鈴が休んでいた時に遠慮するからね。その点あの子は優秀だわ。私の命令をこなす為なら汚れ役も平然と引き受けるもの」
「あの程度、お互いに汚れ役とも思ってなさそうだけれどもね」
紫色の髪が、風が吹かずとも揺れた。
地面に付きそうなほどに伸び切ったその紫色の髪は、しかし汚れることなく純粋な綺麗さを保ち続けていた。全身を紫にくるみ、その腕に本を抱えて、その喋る口調よりも幼い身体をした少女が、ベッドの上の赤い少女に話しかける。
紅い悪魔、レミリア・スカーレット。
そしてその友人である紫の魔女、パチュリー・ノーレッジ。
パチュリーの言葉に対し、レミリアはくすくす、と笑う。
「なんだかんだ言って、仲が良いのよあの子達は」
「羨ましいの?」
「ちょっとね」
そう言って、カーテンを眺める。眺めたいのは、その向こう側なのに。
昼間に、レミリアが起きている事は珍しい。
紅い悪魔レミリア。その正体は吸血鬼だ。最大の弱点は太陽。太陽の光を浴びるだけで、彼女の姿は灰となって消える。故に、彼女は夜にしか行動を起こさない。それが紅魔館の主、レミリアだ。
パチュリーはごほ、ごほと少し咳き込んだ後に、レミリアに向かって一言、言う。
「こんな時間に起きてまで、わざわざ伝える事だったの?」
「伝えたい事、だったの」
「ふぅん」
パチュリーは、少し意味ありげに笑う。
レミリアもそれに対抗するように、微笑んだ。口元から覗く鋭い牙は、まさに彼女を彼女たらしめている。
吸血鬼の、証。鋭い牙と、肥大化した蝙蝠のような翼。
それをバサッ、と広げてパチュリーを流すような眼で見つめる。
「あの子と直接話したりするのも、久しぶりなのよ」
「だから、そんなに喜んでるの?」
「いいじゃない。たまには自分の部下と語らう時間を持つのも」
そういいながら楽しそうな、子供のような満面の笑みを浮かべるレミリア。
その、言う通りなのだ。レミリアの純粋な気持ち。美鈴と話したいという、純粋な気持ちの表れ。
パチュリーはその言葉を聞くと、ふぅ、と満足げな表情を浮かべたまま溜息を吐いた。
「あの子が」
「ん?」
「あの子が紅魔館に来てから、もう何十年になるのかしらね」
「……そうね」
しみじみと。
古き時を思い出す。
レミリアにとっては極僅かな、数十年であった。
それでも、彼女がいた紅魔館は違った。
「レミィ」
「何?」
「貴女、本当に良く笑うようになったわよね」
「……そうね」
その自分の微笑みを、素直に受け止められた気がした。
***
満月浮かぶ、夜。
今宵の月は、紅い血に染まっているようだった。暗き世界にたった一つ浮かぶ頼りになる月は、なんとも言えない程に畏怖の色に満ちている。
レミリアは、カーテンを開けたその窓の外を眺めていた。月が、見える。
けれど――自分が見たいものは、違う。
欲しいのは儚い煌めきなどでは無い。望むのは、もっと、別の光だった。
吸血鬼に生まれた以上、けして望む事のできない光を、望んでいる。無理だと、わかっていても。
「紅美鈴、入ります」
「いいわよ」
カチャ、というドアの開く音が背中から聞こえた。
部屋の中に、美鈴が入ってくる。帽子をとり、一礼をした。レミリアは振り向いて、美鈴を見る。
――頭に巻いている白い包帯に、少し驚いた。
「……どうしたの、その包帯」
「ああ、ちょっとありまして」
あはは、と言いながら美鈴は笑う。額に白い包帯、そして額部分は若干紅い色に滲んでいた。
はぁ、とレミリアは溜息をつく。
「咲夜ね?」
「え、あ、えっと」
困惑したような微笑みを僅かに浮かべながら、美鈴は視線を泳がせる。そして、少しそうやった後に、笑う。ちょっと軽く声を上げて。
レミリアはその態度に、少しばかり頬を膨らませる。
「嘘つくの、下手よ」
「ああー……はい」
「別に、咲夜を怒るわけじゃないわよ。そんな責任を自分で取ろうとか変に考えるのが駄目なのよ。私の事を誤魔化せると思って?」
「……はい、すいませんでした」
深く、礼をする。
相変わらず、礼儀正しいやつだと思う。必要も無いぐらいに、煩いぐらいに。
でもそれが――嬉しい。
「いいわ、顔をあげなさい」
「はっ」
「硬くなるな。別に何するわけでもない」
美鈴は頭を上げ、帽子をかぶる。
そしてその表情に、普段の笑みを浮かべた。
「それで、今宵は何用で?」
「……何か、用件が無いとお前をここに呼んではいけないのか?」
「え、いやそういうわけでは」
「……全く」
レミリアは、溜息をつく。
そして、少し戸惑っている美鈴を尻目に歩き出した。ドアの方角へと。
美鈴はそれを視線で追う。
「ど、どちらへ?」
「……月夜の散歩、よ」
「……あ」
「付いてらっしゃい」
「はい」
レミリアがドアを開け、外へと向かっていく。
美鈴も、それに慌てて付いて行った。
歩いて外に出ていくレミリアの表情は、どこか楽しそうであった。
***
月夜に照らされた、紅魔館の庭。
昼に見せる花とは別の、また違う美しさをその世界に見せる。
夜と昼は、別の世界なのだ。
レミリアが前を歩き、美鈴はそれの後ろを追うように付いて歩く。
「懐かしい、わね」
「はい」
「貴女が来た頃は、一輪の花も無かったわ」
「そう、でしたかね」
レミリアは楽しそうに、言葉を放っていく。
美鈴も、その言葉を一言一言しっかりと受け止めて、歩く。
その表情は、安らかな笑み。
「貴女が紅魔館を守ってくれることになってから、しばらくは平和でいたわ。少なくとも、咲夜が来るまでは」
「咲夜さんも、ここに来た頃に比べると大きくなりました。いまじゃ、私でも敵わないかもしれません」
「どうかしら。今でも貴方なら勝てると思うけれど」
「ふふ。咲夜さんも、強くなりましたから」
クスッ、と笑う。
月夜の下でも、その笑みは輝いていた。眩しい程に、綺麗だった。
紅美鈴の、微笑み。思い出せば思い出すほど、昔にさかのぼる。
『お前、笑えるのだな』
『勿論です。だって、笑うと楽しいじゃないですか?』
綺麗な、笑みだった。今と全く変わらない。
美しく、自分がこの世で唯一見た事のない――太陽の、ようだった。
無い物を、彼女に頼った。
『お前に新しい命令を与える』
『は、なんなりと』
『お前は、私の為に笑え』
『……え?』
あの日から彼女は、笑顔を絶やす事を無くなった。
悲しみの感情を浮かべても、その瞳に笑顔を持ち。怒りに身を任せることなく、微笑みで自制をして。
全ての楽しみの度に笑い、レミリアに対して笑顔を保ち続けた。
レミリアは――その笑みに、魅かれて。
『私は紅魔館の為に、笑顔でいます』
いつしか、頼るようになっていた。
その笑みに。その微笑みに。彼女の、底抜けの明るさからくるその優しい瞳に。
咲夜も。パチュリーも。
……そして、地下に閉じ込めたあの妹にすらも。その笑みを、通した。
彼女の微笑みが、自分の喜びになって。
――いつになってからかは覚えていないけれど。レミリアは心の底から楽しんで笑う事が出来た。
「美鈴」
「はい」
レミリアは、空を眺める。
夜に浮かぶ赤い月。それは自分に形容できる。月は自分で輝いているのではなく、太陽の光に当てられなければ輝く事が出来ないのだ。それでもその儚く美しきを持つ、独特の物。
「貴女は、私の為に笑い続けるのよ。いつも、いつまでも」
私が、太陽によって照らされる美しい月ならば。
「勿論でございます、レミリア様。貴女の為ならば、この命果てようと笑う事を忘れません」
貴女には、月を照らす太陽になって欲しい。
レミリアは、振り向かずしてその力強い笑みを感じ取る。
美鈴の表情に浮かんだ笑みは、消えない。心の底から嬉しそうに、彼女は笑っていた。
太陽が見れない私にとって、貴女が太陽だから。だから――美鈴?
――貴女は私の太陽でありなさい。吸血鬼を唯一照らす事の許された、輝かしき太陽に。
それは昔からの絶対の法則であり、変わる事の無い真理。
空に輝く彼の姿は、何者にも代え難く眩しい光であり、その明るさは世界を照らす。今もまた、その蒼空の青さすらも消し去るほどの強い黄金の光を放ち続け、比喩ですらないほどにその姿を瞳に焼き付けてしまうのだ。
十六夜咲夜は、そのように感じながら瞳を太陽の光から妨げるように手を天に掲げる。小さな、細い透き通るような手のひらでも、顔に直撃する太陽の光は簡単に防げてしまう。光とは、そのような物だ。全身に浴びる太陽自体に変わりはないのだけれど。
石の畳を、かつ、かつと音を立てながら歩く。皮靴の底にハッキリとぶつけるようにして歩を進めるからこそ、より大きく音をたてた。
紅魔館の庭は、思いのほか広い。庭のガーデニングの大半は、仕事の片手間に趣味でガーデニングを始めた門番の仕業だ。綺麗に彩られたそれらのガーデニングを見ると、仕事の片手間に始めたというその適当さも許せてしまいそうだった。そんなに適当であっても、こんなに綺麗な花々を咲かせているのだから。
そして咲夜は、門に向って歩いていく。一定のリズムを刻んだ歩み。それはとてもしなやかな動きで、なんとも言えないほど優雅な動きだった。歩く動きが、芸術。美麗な歩みが、何とも言えないほどだった。
硬く、閉ざされた門。は軽くスルーする。
門の塀のところに設置された内部の人間用の勝手口のドアノブに手をかける。外側から見ると一見して塀のようにしか見えないので、カモフラージュにはなっている。ドアを開けた先は、紅魔館の前に広がる木々の数々。
――咲夜は、門の塀の方に視線を向ける。しかしそこには誰もいない。
はぁ、と溜息を吐くと視線を下げた。
安らかな寝息と共に、門によっかかって眠る、紅い髪の女性の姿がそこにあった。壁に背を、足に地面を。腰のところで垂直になるようにして、睡眠をしていた。青天の霹靂。降り注ぐ陽光。
その下で、まるで楽しい夢でも見ているかのような安からか笑顔を浮かべながら、紅い髪の女性は眠っていた。
サクッ
綺麗な音が、聞こえた気がした。
ナイフがここまで綺麗に刺さる事など、滅多にあるまい。
紅髪の女性の額に、垂直に。一本の銀色に煌めくナイフが突き刺さった。
「さっさと起きなさい、役立たず門番」
「おわぁーー!」
痛覚が完全に目覚め切った時、女性も完全に目覚め切った。ナイフの突き刺さった額部分から、ホースで水を撒くかのように真っ赤な血が噴きでていた。
「ほ、包帯!包帯!」
「はい」
「ありがとうございます!」
咲夜が包帯を差し出すと、一礼をして紅髪の女性は包帯を受け取った。その時にばら撒かれた血の噴水が咲夜に向かって飛んでいくが、上半身だけの動きでどうにかかわす。包帯を受け取った女性は、自分の被っている帽子を外すと、器用に両手を使って包帯を額に巻き始める。最終的に鉢巻のように、ぎゅっと締めるとそこから血が噴きでるのが止んだ。
女性はホッ、と微笑みを浮かべてまま安堵の息を吐く。寧ろその程度で出血を防げるのかよ、と咲夜は驚きを隠せないでいたが。
「危ないところだったー……」
「……十分危ないわよ。ナイフ刺さった時点で」
「ま、私丈夫ですから」
えへへ、と笑う女性。その笑みを見ると、なんとも自分のした事に対して罪悪感を覚える。
いや、そもそも彼女が人を放棄して寝ていた事が全ての原因なのだが。
――紅美鈴。
紅魔館の門番である、この紅髪の女性はそう呼ばれている。特徴的な、五方星に『龍』という字の描かれたアクセサリーを帽子にくっつけている。中華風のチャイナドレスを身にまとい、深い、腰の奥までのスカートのスリットからは健康的な太股が覗きこむ。胸はしっかりはっきりと激しく自己主張をし、服の中からはちきれんばかりであった。
咲夜は、ある程度の胸を持っているがここまで大きいのはちょっぴり――いや、女性として考えると酷く羨ましかった。視線をそこに向けていると、美鈴が咲夜の顔を覗き込むように見る。
「それよりも咲夜さん、どうなさったんです?」
「ああ、そうそう」
咲夜は、ふと思い出す。
そもそも美鈴にナイフを刺すためにここにやってきた訳では無い。はっきり言うが、余りこういう事はしたくないのだ。この優しい微笑みにナイフを突き刺すのはいつだって罪悪感を覚える。
しかし、仕事をしない者に対して罰則を与えるのは紅魔館のメイド長の務めだ。実際、仕事という仕事をしているのが紅美鈴と十六夜咲夜の二人だけである以上、仕事をしていないとわかるのもこの二人だけなのだから。
咲夜は、いいながら少し溜息をついて、美鈴の目をしっかりと見て言う。
「お嬢様が、今夜部屋に来なさい、って」
「お嬢様が? またどうして」
「知らないわよ。私にも何も言わないんだもの」
ふぅ、と少し悔しさの混じった瞳を美鈴に向ける。
その瞳を受けて、あはは、と困惑したようにして笑う美鈴。間抜けな顔だ。咲夜はそう思う。
そんな間抜け面にしか見えないのに、どうしてこうもこの微笑みは綺麗なのだろう。わからない、けれども。
美鈴は、にっこりと微笑むと咲夜に軽く一礼をした。
「畏まりました。今夜お部屋に向かいますとお伝えください」
「私はいつ伝令役になったのかしら?」
「えっ!? ええっ、とっ、えっ」
唐突に慌て出す美鈴。あたふたと、手を上下左右に暴れ回るように高速で動かして、千手観音のようにも見えた。咲夜はそれが何となくおかしくなって、吹き出す。
そして、自分より身長の高い美鈴の頭に軽く拳骨をぶつける。
「あいたッ!?」
「別に、伝令役でいいわよ私は。貴女はちゃんと仕事をしなさい」
「はっ、はいっ!」
「寝たら、今度は後頭部に刺すわよ」
「か、勘弁を」
酷く困った、しかし笑みを浮かべる。
その柔らかな顔立ちから、笑みが消える事はない。紅美鈴は、常に微笑んでいる。
その姿が、咲夜にはおかしくて――羨ましかった。
「あ、咲夜さん」
「ん?」
「今、笑ってましたね。久し振りの気がします、咲夜さんの笑顔見るの」
「……からかってるの?」
「あ、いや、そういうわけではなく、ですね」
咲夜にもそんな事はわかっている。
紅美鈴は、優しい少女だ。人を苛めて笑うなんて事はしないから。
「咲夜さんが笑顔だと、私も嬉しくて」
「……そう」
「私も、一杯笑えます」
そう言って、綺麗な微笑みを浮かべた。
咲夜にはそれが、太陽よりも眩しく感じられた。
***
「レミィ」
「パチェか」
カーテンに封じられた窓。
紅く染まった壁。
大きな、薄紅色のシーツに包まれたベッド。
少女が、そこに座っていた。
「わざわざ咲夜を使いに行かせる必要があって?」
「他のメイドは役に立たないし、もし美鈴が休んでいた時に遠慮するからね。その点あの子は優秀だわ。私の命令をこなす為なら汚れ役も平然と引き受けるもの」
「あの程度、お互いに汚れ役とも思ってなさそうだけれどもね」
紫色の髪が、風が吹かずとも揺れた。
地面に付きそうなほどに伸び切ったその紫色の髪は、しかし汚れることなく純粋な綺麗さを保ち続けていた。全身を紫にくるみ、その腕に本を抱えて、その喋る口調よりも幼い身体をした少女が、ベッドの上の赤い少女に話しかける。
紅い悪魔、レミリア・スカーレット。
そしてその友人である紫の魔女、パチュリー・ノーレッジ。
パチュリーの言葉に対し、レミリアはくすくす、と笑う。
「なんだかんだ言って、仲が良いのよあの子達は」
「羨ましいの?」
「ちょっとね」
そう言って、カーテンを眺める。眺めたいのは、その向こう側なのに。
昼間に、レミリアが起きている事は珍しい。
紅い悪魔レミリア。その正体は吸血鬼だ。最大の弱点は太陽。太陽の光を浴びるだけで、彼女の姿は灰となって消える。故に、彼女は夜にしか行動を起こさない。それが紅魔館の主、レミリアだ。
パチュリーはごほ、ごほと少し咳き込んだ後に、レミリアに向かって一言、言う。
「こんな時間に起きてまで、わざわざ伝える事だったの?」
「伝えたい事、だったの」
「ふぅん」
パチュリーは、少し意味ありげに笑う。
レミリアもそれに対抗するように、微笑んだ。口元から覗く鋭い牙は、まさに彼女を彼女たらしめている。
吸血鬼の、証。鋭い牙と、肥大化した蝙蝠のような翼。
それをバサッ、と広げてパチュリーを流すような眼で見つめる。
「あの子と直接話したりするのも、久しぶりなのよ」
「だから、そんなに喜んでるの?」
「いいじゃない。たまには自分の部下と語らう時間を持つのも」
そういいながら楽しそうな、子供のような満面の笑みを浮かべるレミリア。
その、言う通りなのだ。レミリアの純粋な気持ち。美鈴と話したいという、純粋な気持ちの表れ。
パチュリーはその言葉を聞くと、ふぅ、と満足げな表情を浮かべたまま溜息を吐いた。
「あの子が」
「ん?」
「あの子が紅魔館に来てから、もう何十年になるのかしらね」
「……そうね」
しみじみと。
古き時を思い出す。
レミリアにとっては極僅かな、数十年であった。
それでも、彼女がいた紅魔館は違った。
「レミィ」
「何?」
「貴女、本当に良く笑うようになったわよね」
「……そうね」
その自分の微笑みを、素直に受け止められた気がした。
***
満月浮かぶ、夜。
今宵の月は、紅い血に染まっているようだった。暗き世界にたった一つ浮かぶ頼りになる月は、なんとも言えない程に畏怖の色に満ちている。
レミリアは、カーテンを開けたその窓の外を眺めていた。月が、見える。
けれど――自分が見たいものは、違う。
欲しいのは儚い煌めきなどでは無い。望むのは、もっと、別の光だった。
吸血鬼に生まれた以上、けして望む事のできない光を、望んでいる。無理だと、わかっていても。
「紅美鈴、入ります」
「いいわよ」
カチャ、というドアの開く音が背中から聞こえた。
部屋の中に、美鈴が入ってくる。帽子をとり、一礼をした。レミリアは振り向いて、美鈴を見る。
――頭に巻いている白い包帯に、少し驚いた。
「……どうしたの、その包帯」
「ああ、ちょっとありまして」
あはは、と言いながら美鈴は笑う。額に白い包帯、そして額部分は若干紅い色に滲んでいた。
はぁ、とレミリアは溜息をつく。
「咲夜ね?」
「え、あ、えっと」
困惑したような微笑みを僅かに浮かべながら、美鈴は視線を泳がせる。そして、少しそうやった後に、笑う。ちょっと軽く声を上げて。
レミリアはその態度に、少しばかり頬を膨らませる。
「嘘つくの、下手よ」
「ああー……はい」
「別に、咲夜を怒るわけじゃないわよ。そんな責任を自分で取ろうとか変に考えるのが駄目なのよ。私の事を誤魔化せると思って?」
「……はい、すいませんでした」
深く、礼をする。
相変わらず、礼儀正しいやつだと思う。必要も無いぐらいに、煩いぐらいに。
でもそれが――嬉しい。
「いいわ、顔をあげなさい」
「はっ」
「硬くなるな。別に何するわけでもない」
美鈴は頭を上げ、帽子をかぶる。
そしてその表情に、普段の笑みを浮かべた。
「それで、今宵は何用で?」
「……何か、用件が無いとお前をここに呼んではいけないのか?」
「え、いやそういうわけでは」
「……全く」
レミリアは、溜息をつく。
そして、少し戸惑っている美鈴を尻目に歩き出した。ドアの方角へと。
美鈴はそれを視線で追う。
「ど、どちらへ?」
「……月夜の散歩、よ」
「……あ」
「付いてらっしゃい」
「はい」
レミリアがドアを開け、外へと向かっていく。
美鈴も、それに慌てて付いて行った。
歩いて外に出ていくレミリアの表情は、どこか楽しそうであった。
***
月夜に照らされた、紅魔館の庭。
昼に見せる花とは別の、また違う美しさをその世界に見せる。
夜と昼は、別の世界なのだ。
レミリアが前を歩き、美鈴はそれの後ろを追うように付いて歩く。
「懐かしい、わね」
「はい」
「貴女が来た頃は、一輪の花も無かったわ」
「そう、でしたかね」
レミリアは楽しそうに、言葉を放っていく。
美鈴も、その言葉を一言一言しっかりと受け止めて、歩く。
その表情は、安らかな笑み。
「貴女が紅魔館を守ってくれることになってから、しばらくは平和でいたわ。少なくとも、咲夜が来るまでは」
「咲夜さんも、ここに来た頃に比べると大きくなりました。いまじゃ、私でも敵わないかもしれません」
「どうかしら。今でも貴方なら勝てると思うけれど」
「ふふ。咲夜さんも、強くなりましたから」
クスッ、と笑う。
月夜の下でも、その笑みは輝いていた。眩しい程に、綺麗だった。
紅美鈴の、微笑み。思い出せば思い出すほど、昔にさかのぼる。
『お前、笑えるのだな』
『勿論です。だって、笑うと楽しいじゃないですか?』
綺麗な、笑みだった。今と全く変わらない。
美しく、自分がこの世で唯一見た事のない――太陽の、ようだった。
無い物を、彼女に頼った。
『お前に新しい命令を与える』
『は、なんなりと』
『お前は、私の為に笑え』
『……え?』
あの日から彼女は、笑顔を絶やす事を無くなった。
悲しみの感情を浮かべても、その瞳に笑顔を持ち。怒りに身を任せることなく、微笑みで自制をして。
全ての楽しみの度に笑い、レミリアに対して笑顔を保ち続けた。
レミリアは――その笑みに、魅かれて。
『私は紅魔館の為に、笑顔でいます』
いつしか、頼るようになっていた。
その笑みに。その微笑みに。彼女の、底抜けの明るさからくるその優しい瞳に。
咲夜も。パチュリーも。
……そして、地下に閉じ込めたあの妹にすらも。その笑みを、通した。
彼女の微笑みが、自分の喜びになって。
――いつになってからかは覚えていないけれど。レミリアは心の底から楽しんで笑う事が出来た。
「美鈴」
「はい」
レミリアは、空を眺める。
夜に浮かぶ赤い月。それは自分に形容できる。月は自分で輝いているのではなく、太陽の光に当てられなければ輝く事が出来ないのだ。それでもその儚く美しきを持つ、独特の物。
「貴女は、私の為に笑い続けるのよ。いつも、いつまでも」
私が、太陽によって照らされる美しい月ならば。
「勿論でございます、レミリア様。貴女の為ならば、この命果てようと笑う事を忘れません」
貴女には、月を照らす太陽になって欲しい。
レミリアは、振り向かずしてその力強い笑みを感じ取る。
美鈴の表情に浮かんだ笑みは、消えない。心の底から嬉しそうに、彼女は笑っていた。
太陽が見れない私にとって、貴女が太陽だから。だから――美鈴?
――貴女は私の太陽でありなさい。吸血鬼を唯一照らす事の許された、輝かしき太陽に。
文章力があるのですね うらやましいです
東京で・・お仕事でしょうか・・頑張って下さい
とはいっても、帰ってからしか見れないでしょうけど
咲夜さんが罪悪感を覚えながらも職務だからナイフを刺すくだりとかの心情描写
が心地よかったです。
あと久しぶりにお嬢様のカリスマを拝見した気がします。
ごちそうさまでした。