それは月が笑い、星が鎮魂の歌をささやく夜のこと。
今日は博麗神社で化け物どもや人並外れたものたちが集う、楽しい楽しい宴会となるはずであった。
「霊夢…………ごめん。私が、私が悪かったよぅ………」
黒い魔女服の少女が地に手と膝をつき、己が過ちに涙していた。
周囲には彼女のすすり泣く声以外は何も聞こえない。ただ、無数の屍が転がっているだけだった。
それは幻想郷に住まう赤の悪魔やその従者であったり、冥界の主従であったり、または永遠に呪われた者たちなど、いずれも一癖ある実力者たちだった。
その誰もが立っていない。いや、すでに息をすることすら困難であった。
彼女らを知るものであれば誰もが驚愕したであろう。だが理由を聞いたとしても誰一人としてその問いに答えるものはいない。
唯一、その場で泣いている少女、霧雨魔理沙ならば答えたかもしれないがそれももうできなくなるであろう。
泣いている彼女に影が降りた。
「許さないわよ、魔理沙。あなたがしたことは許されざること。だから絶対に許してあげないんだから」
影の正体は少女。紅白の目出度い巫女服の博麗の姓を冠す少女が、全身に返り血を浴びて、狂気の場に似つかわしくない可憐な笑顔を見せた。
魔理沙は事の顛末を思い返した。
なぜ、なぜこうなったのだろうかと。
………………事の始まりは二日前のことだった。
「「ひな祭り?」」
「だぜ」
博麗霊夢とアリス・マーガトロイドが縁側でお茶を片手に談話していると、風のようにやってきた(突っ込んできた)魔理沙に聞き返した。
つい先刻、スペル解放したままで境内に飛び込んできたかと思うと砂煙を巻き上げながら霊夢とアリスの前で急停止。
そして魔理沙は、舞い上がった砂埃によって湯呑みに砂が入ったことに腹を立てた霊夢から素敵な鉄拳制裁を右頬にもらった。
それから霊夢の怒りが収まったところで魔理沙から改めて話を聞いてみると、彼女の口からひな祭りという単語が飛び出してきたのだ。
「確か桃の節句だったかしら。今日が三月の一日だから二日後、ちょうど宴会の日と重なるわね」
「だろ。これは祝うしかないぜ」
「あんたは騒ぎたいだけでしょうに。言っとくけどお酒以外は出さないわよ」
「霊夢が大盤振る舞いしてくれるなんて最初から期待してないぜ」
しかし宴会は二日後、料理の質や量を増やすだけならできるだろうが特別な催しをするには準備をするための時間が足りなさすぎる。
そんな霊夢の思惑を読み取ったのか、魔理沙は期待している相手のほうに顔を向ける。
「というわけで頼んだぜ、アリス」
「ちょっと待ちなさい。なんで私が大盤振る舞いしなきゃいけないのよ」
「さっき自分で桃の節句って言ってたじゃないか。つまり明後日がひな祭りだと知ってたわけだ。ということは当然なにかしらの用意がしてあるんだろ?」
魔理沙の追求にぐっと息を呑むアリス。そういえば、と霊夢も隣にいるアリスを見やる。
「そういえばアリス、あなたひな祭りが桃の節句だなんてよく知っていたわね」
「たっ、たまたま知っていただけよ。悪い?」
「いいや、悪くないぜ。さあ、おとなしく準備していたものを差し出せ!!」
「だから何も用意していないんだってば!! いい加減にしないと実力で黙らせるわよ」
「黙らされる前に黙らせられても吠え面かくなよ?」
ふわり、黒白の魔法使いと七色の人形遣いが空へと舞い上がる。弾幕ごっこ、合意の合図だ。
二人を地上から見上げる巫女は静かに茶を飲み干して。
「彼方飛ぶ、七色の秘境、絶景かな、と。さて、お茶の葉を代えてこようかしら」
空気から伝わる緊張感も何処吹く風か、霊夢はマイペースに台所に茶葉を取りに行く。
そんなことは露知らず、博麗神社上空ではアリスと魔理沙が対峙していた。
お互いに懐からスペルカードを取り出して魔力を高めていく。
先に動いたのは魔理沙だった。
せっかちな彼女は体中を巡る魔力が温まりきるのを待たずに牽制の弾幕を放った。大きな星弾を先頭に小さな星弾が後に続き、渦を巻きながら外に向かって広がっていく。
やはり魔力が温まりきっていないせいか、弾幕の密度がやや薄い。アリスは冷静に弾道を予測して弾幕をくぐりぬける。
「今だ! 魔符『ミルキーウェイ』!!」
さらに魔理沙が畳みかけるようにスペルカードを発動させる。すると左右から星弾が発生して瞬く間に弾幕の川が出来上がった。
しかし左右の動きを制限させただけに留まらず、魔理沙がさらなる弾幕の発射体勢に入る。これでミルキーウェイは完成する。
ところが魔理沙は発射する寸前で動きを止めて急に後ろへと飛んだ。直後、魔理沙がいた場所へ斜め前方からレーザーが奔った。
「おっと、それはちょっとズルイな。やり方がせこすぎる」
魔理沙が見やった方向には弾幕がわずかに届かない高度からレーザーの魔法陣を構えている上海人形がいた。
アリスは星弾が大きいことを利用して苦戦しているように見せかけ、弾幕のなかへと人形を飛ばしたのだ。
「いつも言っているじゃない、弾幕はブレインよ」
ようやく魔力が温まったのか、アリスが反撃の狼煙をあげた。
まずは仕返しの赤と青の大玉の乱舞。と、見せかけて大玉の陰には速度の違う通常弾を伏せていた。
しかしそこは弾幕少女の特有の勘か、魔理沙は即座に違う逃げ道へと移動して難を逃れた。
意表を突くと同時に相手の逃げ道も制限する計算された弾幕に、思わず魔理沙は口笛を吹いた。
「あいかわらず芸達者なやつだな、毎回そんな面倒なことをしていて肩が凝らないか?」
「お生憎さま、この程度の芸で凝るようなヤワな肩じゃないわ」
そうかい、と攻撃をかわしながら魔理沙は八卦炉を取り出した。
――――――――弾幕とは少女であり、少女は弾幕そのものである。
魔理沙の弾幕には破壊力がある。しかし、破壊力がある弾幕というのはそれに見合うだけのエネルギーの消費を伴う。
そこから考えうる戦術は一撃離脱、短期決戦。ゆえに魔理沙がここで選んだ手段はただひとつ。
恋符「マスタースパーク」。あとは隙を突いて接近し、近距離でぶっ放すだけだ。
(? なんだろうな、なんだか今日はやけにアリスの弾幕が薄いような……)
体調でも悪いのか。それとも誘っているのか。
なんにせよ好機であることには間違いないと一気に加速し、あっという間に魔理沙はアリスを射程圏内に捕らえた。
「もらった!! マスタぁぁぁ…………!!!」
スペルカードを構えた。これで魔理沙の勝ち。
そのとき、不意にアリスの体が傾いた。それから彼女は荒々しく息を吐きながら右手で心臓のあたりを強く押さえていた。
明らかに何かに苦しんでいる。それだけで魔理沙はこの瞬間が彼女を墜とすチャンスだとは考えることができなくなった。
「あ、アリス!? どうしたんだ、しっかりしろ!!」
急いでスペルの発動を中止してアリスに近寄る魔理沙は、おろおろと慌てながらアリスの背中をさすった。
一向にアリスの様子は良くならない。それどころか激しく咳き込み始め、ますます危機に近づいているように見られた。
「だ、だいじょうぶか? なあ、だいじょうぶだって言ってくれよ。あうう、ど、どうしたらいいんだ……? 一体どうすれば……」
そこで彼女は閃いた。さっきまで一緒に雑談を交わしていた、少なくとも自分は友人だと思っている巫女のことを。
「そうだ……。霊夢、霊夢―ッ!! アリスが……アリスが大変なんだ!!」
地上に向かって叫び、魔理沙は優しくアリスの肩を抱いて地上へ下ろそうとした。
しかし、その手は静かに払いのけられた。かわりにアリスは魔理沙の手に一体の人形を渡し、音もなく彼女を突き飛ばした。
「ありがとう、魔理沙」
「へ?」
訳も分からずうろたえる魔理沙の手の中で人形が不気味な光を放つ。
「魔符『アーティフルサクリファイス』」
宣言、そして爆発。
あまりにもあっけない結末に呼ばれて出てきた霊夢、空を見上げて一言。
「弾幕はブレイン、っていうか騙し討ちじゃない」
そして見事(?)勝利者となったアリスは黒焦げになった魔理沙を抱えて悠々と地上に降り立って反論。
「失礼ね、これは作戦勝ち。つまるところ頭脳プレイであることには変わらないでしょう?」
「一応言っておくけど他ではこんなことしないでよね。今回は魔理沙だったから良かったものの」
「大丈夫よ、これが最初で最後だから」
このときはまだ誰も知らなかった。この日が、二日後に災厄をもたらす悪夢の引き金となったことを。
………日は変わって後日、アリス邸。
「鍵を閉めて、侵入者避けの結界を張って………と。これで大丈夫かしらね」
この日、紅茶を買い足しに行くついでに外を出歩こうと思い立ったアリスは出かける仕度を整えていた。
「……そういえば、魔理沙がひな祭りのことで色々と疑っていたわね。もうひとつオ
マケに結界を張っておこうっと」
術式を組み立て、あらかじめ張っておいた結界のうえに被せる。これだけで結界はより強固なものとなっただけでなく、解除することも難しくなった。
「これで完璧ね。さあて、まずはどこから行こうかしらね、上海?」
「シャンハーイ」
上海人形を引き連れてアリスは空へと飛び立つ。
例え魔理沙が来たとしてもこれなら諦めて帰るに違いない。そう安心しきって彼女はこれからの予定に想像を膨らませていた。
それからしばらくして、アリスが見えなくなると周囲に人の気配がしなくなったアリス邸の陰から人影が出てきた。
そう、犯人は結界が張られる前に中にいた。
昨日の夜からずっとアリスを見張っていた超絶暇人、魔理沙である。
「ふふふふふ、甘いなアリス。私が近くにいたことに気づかないなんて」
普通は気づかないし、考えもしません。
「私の純情を踏みにじった罪、後悔するがいいぜ。さあ、お宝探しの始まりだ」
そう言って魔理沙が取り出したのはアリス邸の合鍵(魔理沙作)。鍵穴に差込み、くるりと回して開錠。
慎重にドアを開けていくとそこに広がるのはリビングとキッチン。窓際の棚には今まで作られた人形たちが並んでいる。
「さて、見たところひな祭りに関係ありそうなものはないな」
大雑把に周囲を見渡しながら家の奥へと踏み込んでいく魔理沙。実に堂々とした泥棒っぷりである。
しかし、そこまで横暴を許すほど家主は甘くなかった。
「ん? ……っと。危ない、危ない」
物音に反応した魔理沙が何かを避けた。それは本当に当たれば気絶する程度の威力が込められた弾だった。
弾が放たれた方向にはポツンと一体だけ置かれている人形が。
「射線に入ると自動で攻撃する人形か。アリスのやつ、なかなか面白いことをしてくれるじゃあないか」
だがここで退くのは流儀に反する。よって、探索続行。
今度は人形の射線に入らないように身を屈めて進み、それから階段を上って二階へ。
二階はアリスの工房と寝室。工房はそれこそ魔法使いにとって生命線であるため、とてつもない結界が張られている。よって探索の対象から除外する。
残るは寝室。ここになければアリスはひな祭りの準備をしていないことになるのだが。
「お。なんだ、ちゃんとあるじゃないか」
寝室に入ると正面に簡素な雛壇とそこに鎮座する人形たちがあった。
人形たちの服はどれも丁寧に細かく製作されており、ベッドの横にあるテーブルのうえには作業途中と思われる生地や裁縫道具が置いてあった。
それにしても芸が細かい。人形たちの服には刺繍があり、さらには服の裏にまで綺麗に仕上げてあった。
「これは借りていくにはいかないな。大きすぎて風呂敷には入らん」
魔理沙が想定していたのは甘い菓子や手作り人形だったのだが、ここまでスケールが大きいと全部持っていくわけにはいかない。
何より持っていけばすぐに自分が借りていったことが発覚するし、それでは騙し討ちされたことへの復讐にはならない。
では、どうすればアリスへの報復になるだろうか?
とりあえず魔理沙はベッドに寝転んで、うーんと腕を組みながら考える。
今ここで人形、もしくは雛壇を破壊してもアリスの腕を考えると直してしまうかもしれない。
最悪、直せなかったとしてもいつかは完成する。そうなるとアリスへのダメージはきわめて程度が低いものにしかならない。
もっと、もっとアリスが悔しがるような何かはないものか。そう思っていると魔理沙の視線が雛壇の最上段であるものを見つけた。
「ん? あれは」
ぴょんと勢いよくベッドから跳ね起きて雛壇の前に立つと一体の人形を手に取った。
魔理沙が手に取ったそれは非常に完成度の高い、霊夢に似せて作られたと思われる雛人形だった。
人工の髪を結わえているリボン、纏っている服の色彩、さらにはお祓い棒までそっくりな人形。
「うおー、すごく霊夢っぽいぜ。……でも、なんか、寒気がするくらい精巧だな?」
しかし魔理沙の目は最高のオモチャを見つけたときの子どものように輝いた。
これだ。いや、これしかないと思った。
「ふふふっ……いいことを思いついたぜ」
さっそく魔理沙は考えたことを実行に移した。部屋にあるものには一切手をつけず、その霊夢人形にだけ神経を集中させた。
そして霊夢人形を色々と細工をすること、一時間。
「できた!!」
魔理沙は霊夢人形を元あった場所へと戻す。見たところ、霊夢人形に変化はない。
しかし魔理沙はイタズラを仕掛け終わったらしく、清々しい表情で汗を掻いてもいない額を腕で拭った。
それからテーブルのうえを最初に見たとおりに直したり、自分に関する証拠を消したり丁寧に元通りに戻したりした。
最後に鍵を閉めて結界もアリスが張ったとおりに張りなおして作戦終了。
如何に複雑な結界であろうとも、張るところを見てしまえば張りなおすことなど造作もない。
「にひひひ、明日が楽しみだな~っ」
不気味な笑いを伴いながら魔理沙は家へと戻っていく。
その後、自宅に戻ったアリスは魔理沙が家に入ったことなど微塵も気がつかなかった。
………そして、宴会当日。
最初に博麗神社にやってきたのはアリスだった。
彼女は人形たちに雛壇を運ばせ、それを神社のなかに置いた。
「なんだ、結局作ってたんじゃない」
「いいでしょ、別に。当日まで秘密にしておきたかったのよ」
「まあ、いいけどね」
それから続々と人妖たちが集まり、本格的に宴会が始まりだした。
しかし魔理沙がやってこない。
宴会はだんだんと賑やかになる。酒が進み始めたところは賑やかさを増し、境内の様々なところから声が飛ぶ。
霊夢は無くなった酒を持っていってやったり、ツマミ係の手伝いをしてやったりと魔理沙が来ないことをあまり気にしなくなっていった。
そんなこんなで宴会がかなり賑やかになった頃、ようやく魔理沙が現れた。
彼女は境内に降り立ち、神社に飾られた雛壇とアリスを交互に見て。
「なんだ、やっぱり作ってたんだな」
「作ってたわよ」
「ふーん」
非常に薄い反応に、思わずアリスは首をかしげた。
普段の魔理沙だったなら雛壇にちょっかいをかけようとしたり、もしくは隠していたアリスに文句のひとつでも言うはず。
そんなアリスを他所に魔理沙は酒の席へと飛び込んでいく。
まあ、こんな日もあるだろうとアリスは特に気にした様子もなく自身も酒を楽しむ。
しばらくして、数多くの騒ぎの後に境内が落ち着きを取り戻し始めると霊夢が縁側で一人静かに酒を飲んでいたアリスの横に来た。
「ようやく落ち着いたわ」
「ご苦労様。はい、駆けつけ三杯」
「最初から神社にいたけどね」
笑顔を交わしながら二人は酒を呑む。
「ちゃんと呑んでる? アリス。あんまり赤くなっていないみたいだけど」
「そんなにたくさん呑む方じゃないもの。私の場合、酒は風情を楽しむためのおまけよ」
「本当に楽しむべきなのは宴会の浮ついた空気よ。風情は二の次」
「今からじゃ雰囲気に酔おうと思っても酔えないわよ。あ~あ、誰か一緒に風情に酔ってくれる人はいないかしら」
「仕方ないわねぇ、あんたで我慢してあげる」
言いながら、霊夢はアリスのお猪口に酒を注ぐ。
心地よい夜風に当たりながら二人は境内の酔っ払いたちを肴に二人だけの宴会を楽しむ。
神社を囲む木々が静かなハーモニーを奏で、月が仄かに神社を照らす。照明も音もそれだけで十分、アリスが求める風情はこれでもかというほど満ち足りていた。
「そういえばさ、さっきから気になっていたんだけどあの人形、私に似てない?」
「似せてあるのよ」
「似せてあるのね。ちょっと手にとって見てもいい?」
「いいわよ」
二人は揃って雛壇の前に立ち、霊夢が自分にそっくりな最上段の人形を手に取った。
非常に綺麗な出来上がりの人形に霊夢は思わず感嘆の息をもらした。
「さすがにこういうことだけは上手ね」
「一言余計。でも褒め言葉として受け取っておくわ」
霊夢が人形の出来に感心し、アリスが作ってよかったと思った。
そのとき、突然人形の頭がボキッという不気味な音をたてて根元から折れた。
「「え?」」
一瞬、二人には何が起こったかわからなかった。ただ、無情に折れた頭が足元で転がった。
「アリス、これって………」
「ち、違う。違うのよ霊夢、これはきっと何かの手違いで……!!」
どうすればいいのか。完全に固まってしまった二人の空気を、境内から発せられた魔理沙の声が動かした。
「はっはっはーっ!! ざまあみろだぜ!!!」
してやったり。彼女の満足そうな顔がそう告げていた。
「その霊夢人形には霊夢が触れると自動的に首が折れるように魔法を仕込んでおいたのさ!! どうだ、私を騙したことを後悔しただろー!!」
酒で酔っているせいもあるのだろう。興奮気味に魔理沙は自分がやったことを自慢げに叫んだ。
魔理沙が遅く来たのはわざとだ。早くに来てしまい、人形に仕掛けたことを自分が気にしてしまわないように盛り上がった頃を見計らってやってきたのだ。
自分が宴会に着く前に仕掛けが発動するのも良し、着いてから発動すれば尚良し。どちらにせよ、魔理沙の勝利は揺るぎなかったのだ。
すべてを聞いた霊夢はアリスへと振り返る。彼女は――――――――呆然とした表情で落涙していた。
そして彼女は霊夢に言うのだ。
「ごめんなさい………霊夢、ごめんなさい……」
魔理沙の悪戯に気づけなかった、自分を許して。そう言った。
アリスは悪くない、アリスが謝る理由などどこにもないというのにそれでも彼女はひたすら霊夢に詫びた。
そしてアリスを嘲笑うように酒を掲げる魔理沙はどこまでも不謹慎で。
瞬間、霊夢の世界から音が消えた。
声もなく泣いて謝るアリス。高らかに笑っている魔理沙。
バキ、と強く握り締められた拳が音を立てた。
これはまずい。いち早く霊夢の異変に気づいた紅魔の従者が止めに入った。
しかし霊夢は手を振り払っただけで吹き飛ばし、何事もなかったかのようにゆっくりと魔理沙に歩み寄る。
これに驚いたのは魔理沙。てっきりアリスが怒るものと思っていたが、まさか霊夢が介入してくるとは考えていなかった。
もちろん霊夢人形を仕掛けにつかうのだから霊夢が泣いているアリスを慰める、もしくはいつもの鉄拳制裁で済むだろう。そういう甘い考えが魔理沙のなかにあった。
しかし現実は違った。霊夢を止めようとした人妖たちが次々と跳ね除けられ、なお彼女の歩みは止まらない。
博麗霊夢が怒っている。その怒りには、殺意すら込められている。
途端、複数の方向から弾幕が飛んだ。避けることができない反則弾幕。こうでもしないと巫女は止まらない。誰もがそう考えたのだ。
「二重結界」
宣言ですらない小言。その小さな呟きが言霊となり、結界として霊夢の周囲に顕現される。
たったそれだけ。たったそれだけで幾千もの弾が結界に阻まれ、消滅した。
これは、本気だ。霊夢が魔理沙に明確な敵意をもっている。
誰かが霊夢に飛びかかった。お祓い棒で殴り飛ばされた。そして飛ばされた誰かは動かなくなった。
また誰かが霊夢に飛びかかったがやはり一人目と同じ末路を辿った。
また殴り飛ばされた、また飛んだ、また飛んだ、飛んだ、飛んだ、オモシロイヨウニヒトガトンデイク。
魔理沙は恐怖のあまりで誰が吹き飛ばされているのか正確に記憶することができない。彼女の目はただ、迫り来る死の権化しか捉えていない。
逃げても、ダメだ。背中を見せたら間違いなく●●される。
立ち向かうなんて、無理だ。今の彼女には何をしても自分の全てが通じない。ただ、己が無力を味合わされるだけ。
見たことがない。見たくなんてなかった。
怖い、怖い、自分がいつも見てきたはずの、あのハクレイレイムがどうしようもなく怖い――――――――――――――!!!!!
「どうしたの、魔理沙」
が、わらった。
「そんなに怯えた顔をして。何が怖いの」
あまりに自然な言葉には永久凍土のような冷たさと刃物の鋭利さが同居していた。
首に包丁が押しつけられているような感覚。否、これはギロチンだ。
ここは幾人もの首を喰らい続けた処刑台。数多の血を吸い続けたゴルゴダの丘。罪を拾い続けておかしくなった聖者の住処。
できることなら、今すぐこの場から消えてしまいたかった。
「霊夢…………ごめん。私が、私が悪かったよぅ………」
地に手と膝をつき、己が過ちに涙した。
「許さないわよ、魔理沙。あなたがしたことは許されざること。だから絶対に許してあげないんだから」
ごめんなさい。ごめんなさい。ひたすら、魔理沙は謝り続ける。
「ねえ、何か言うことがあるでしょ」
彼女の言うとおり、魔理沙は口にしなければならない言葉がある。
ある、のに、言葉にならないのは、ナゼ?
言えたとしても、巫女は、きっと、許してくれない。
「魔理沙。首を折られた人形の気持ち、あなたは分かっているのかしら」
淡々と告げられる呪詛。無機質な笑顔。
アア、ソレハマルデアヤツリニンギョウノヨウ。
「分からないのなら教えてあげる」
巫女の手が首に触れた。
冷たい、ひんやりとした、人のぬくもりを感じさせない巫女の手が魔理沙の首を抱きしめて。
「うわああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫しながら魔理沙は跳ね起きた。
「……え。夢、だったのか?」
ほっと安堵の息をもらす。
まさか霊夢に首を折られそうになるなんて、なんてたちの悪い夢なのだろうか。
「それにしてもリアルな感覚だったなぁ……」
「何がリアルなのよ」
「うわああああああっ、出たああああああ!!!!!!」
背後から霊夢の声がして全力で飛びのく。
予想通り、そこには霊夢がいつものぼけぼけとした顔で立っていた。
「人の神社でいつまで寝ているつもりよ。さっさと起きて、さっさと出て行きなさい」
「え、ここ、博麗神社か?」
「他にどこだっていうのよ」
まずい。これは非常にまずい。
これは夢オチではなく、実は現実にあったことでしたという二段オチかもしれない。
魔理沙は冷や汗を背に感じながらおそるおそる霊夢に尋ねる。
「なあ、その、もしかして私がひな人形の首を折ったりとかしてない、よな?」
「ひな人形? まだ寝ぼけているのかしら。どうでもいいけど朝ごはん、いるかいらないのかだけでもはっきりしてちょうだい」
ひな人形など知らない。霊夢はそう言っている。
よかった。やはり夢だったのだ。
「ありがたくいただくぜ。じゃ、顔洗ってくる」
「はいはい。アリスも待っているんだから早くしてよね」
「おう!」
元気よく魔理沙は顔を洗いに洗面所へと向かっていく。
その途中、食卓に座っているアリスを見つけた。
珍しくあいつも泊まりなんだな、と思いながら魔理沙はアリスに声をかけずに通り過ぎていった。
彼女が手に、首の折れた人形を持っているとは気づかずに。
今日は博麗神社で化け物どもや人並外れたものたちが集う、楽しい楽しい宴会となるはずであった。
「霊夢…………ごめん。私が、私が悪かったよぅ………」
黒い魔女服の少女が地に手と膝をつき、己が過ちに涙していた。
周囲には彼女のすすり泣く声以外は何も聞こえない。ただ、無数の屍が転がっているだけだった。
それは幻想郷に住まう赤の悪魔やその従者であったり、冥界の主従であったり、または永遠に呪われた者たちなど、いずれも一癖ある実力者たちだった。
その誰もが立っていない。いや、すでに息をすることすら困難であった。
彼女らを知るものであれば誰もが驚愕したであろう。だが理由を聞いたとしても誰一人としてその問いに答えるものはいない。
唯一、その場で泣いている少女、霧雨魔理沙ならば答えたかもしれないがそれももうできなくなるであろう。
泣いている彼女に影が降りた。
「許さないわよ、魔理沙。あなたがしたことは許されざること。だから絶対に許してあげないんだから」
影の正体は少女。紅白の目出度い巫女服の博麗の姓を冠す少女が、全身に返り血を浴びて、狂気の場に似つかわしくない可憐な笑顔を見せた。
魔理沙は事の顛末を思い返した。
なぜ、なぜこうなったのだろうかと。
………………事の始まりは二日前のことだった。
「「ひな祭り?」」
「だぜ」
博麗霊夢とアリス・マーガトロイドが縁側でお茶を片手に談話していると、風のようにやってきた(突っ込んできた)魔理沙に聞き返した。
つい先刻、スペル解放したままで境内に飛び込んできたかと思うと砂煙を巻き上げながら霊夢とアリスの前で急停止。
そして魔理沙は、舞い上がった砂埃によって湯呑みに砂が入ったことに腹を立てた霊夢から素敵な鉄拳制裁を右頬にもらった。
それから霊夢の怒りが収まったところで魔理沙から改めて話を聞いてみると、彼女の口からひな祭りという単語が飛び出してきたのだ。
「確か桃の節句だったかしら。今日が三月の一日だから二日後、ちょうど宴会の日と重なるわね」
「だろ。これは祝うしかないぜ」
「あんたは騒ぎたいだけでしょうに。言っとくけどお酒以外は出さないわよ」
「霊夢が大盤振る舞いしてくれるなんて最初から期待してないぜ」
しかし宴会は二日後、料理の質や量を増やすだけならできるだろうが特別な催しをするには準備をするための時間が足りなさすぎる。
そんな霊夢の思惑を読み取ったのか、魔理沙は期待している相手のほうに顔を向ける。
「というわけで頼んだぜ、アリス」
「ちょっと待ちなさい。なんで私が大盤振る舞いしなきゃいけないのよ」
「さっき自分で桃の節句って言ってたじゃないか。つまり明後日がひな祭りだと知ってたわけだ。ということは当然なにかしらの用意がしてあるんだろ?」
魔理沙の追求にぐっと息を呑むアリス。そういえば、と霊夢も隣にいるアリスを見やる。
「そういえばアリス、あなたひな祭りが桃の節句だなんてよく知っていたわね」
「たっ、たまたま知っていただけよ。悪い?」
「いいや、悪くないぜ。さあ、おとなしく準備していたものを差し出せ!!」
「だから何も用意していないんだってば!! いい加減にしないと実力で黙らせるわよ」
「黙らされる前に黙らせられても吠え面かくなよ?」
ふわり、黒白の魔法使いと七色の人形遣いが空へと舞い上がる。弾幕ごっこ、合意の合図だ。
二人を地上から見上げる巫女は静かに茶を飲み干して。
「彼方飛ぶ、七色の秘境、絶景かな、と。さて、お茶の葉を代えてこようかしら」
空気から伝わる緊張感も何処吹く風か、霊夢はマイペースに台所に茶葉を取りに行く。
そんなことは露知らず、博麗神社上空ではアリスと魔理沙が対峙していた。
お互いに懐からスペルカードを取り出して魔力を高めていく。
先に動いたのは魔理沙だった。
せっかちな彼女は体中を巡る魔力が温まりきるのを待たずに牽制の弾幕を放った。大きな星弾を先頭に小さな星弾が後に続き、渦を巻きながら外に向かって広がっていく。
やはり魔力が温まりきっていないせいか、弾幕の密度がやや薄い。アリスは冷静に弾道を予測して弾幕をくぐりぬける。
「今だ! 魔符『ミルキーウェイ』!!」
さらに魔理沙が畳みかけるようにスペルカードを発動させる。すると左右から星弾が発生して瞬く間に弾幕の川が出来上がった。
しかし左右の動きを制限させただけに留まらず、魔理沙がさらなる弾幕の発射体勢に入る。これでミルキーウェイは完成する。
ところが魔理沙は発射する寸前で動きを止めて急に後ろへと飛んだ。直後、魔理沙がいた場所へ斜め前方からレーザーが奔った。
「おっと、それはちょっとズルイな。やり方がせこすぎる」
魔理沙が見やった方向には弾幕がわずかに届かない高度からレーザーの魔法陣を構えている上海人形がいた。
アリスは星弾が大きいことを利用して苦戦しているように見せかけ、弾幕のなかへと人形を飛ばしたのだ。
「いつも言っているじゃない、弾幕はブレインよ」
ようやく魔力が温まったのか、アリスが反撃の狼煙をあげた。
まずは仕返しの赤と青の大玉の乱舞。と、見せかけて大玉の陰には速度の違う通常弾を伏せていた。
しかしそこは弾幕少女の特有の勘か、魔理沙は即座に違う逃げ道へと移動して難を逃れた。
意表を突くと同時に相手の逃げ道も制限する計算された弾幕に、思わず魔理沙は口笛を吹いた。
「あいかわらず芸達者なやつだな、毎回そんな面倒なことをしていて肩が凝らないか?」
「お生憎さま、この程度の芸で凝るようなヤワな肩じゃないわ」
そうかい、と攻撃をかわしながら魔理沙は八卦炉を取り出した。
――――――――弾幕とは少女であり、少女は弾幕そのものである。
魔理沙の弾幕には破壊力がある。しかし、破壊力がある弾幕というのはそれに見合うだけのエネルギーの消費を伴う。
そこから考えうる戦術は一撃離脱、短期決戦。ゆえに魔理沙がここで選んだ手段はただひとつ。
恋符「マスタースパーク」。あとは隙を突いて接近し、近距離でぶっ放すだけだ。
(? なんだろうな、なんだか今日はやけにアリスの弾幕が薄いような……)
体調でも悪いのか。それとも誘っているのか。
なんにせよ好機であることには間違いないと一気に加速し、あっという間に魔理沙はアリスを射程圏内に捕らえた。
「もらった!! マスタぁぁぁ…………!!!」
スペルカードを構えた。これで魔理沙の勝ち。
そのとき、不意にアリスの体が傾いた。それから彼女は荒々しく息を吐きながら右手で心臓のあたりを強く押さえていた。
明らかに何かに苦しんでいる。それだけで魔理沙はこの瞬間が彼女を墜とすチャンスだとは考えることができなくなった。
「あ、アリス!? どうしたんだ、しっかりしろ!!」
急いでスペルの発動を中止してアリスに近寄る魔理沙は、おろおろと慌てながらアリスの背中をさすった。
一向にアリスの様子は良くならない。それどころか激しく咳き込み始め、ますます危機に近づいているように見られた。
「だ、だいじょうぶか? なあ、だいじょうぶだって言ってくれよ。あうう、ど、どうしたらいいんだ……? 一体どうすれば……」
そこで彼女は閃いた。さっきまで一緒に雑談を交わしていた、少なくとも自分は友人だと思っている巫女のことを。
「そうだ……。霊夢、霊夢―ッ!! アリスが……アリスが大変なんだ!!」
地上に向かって叫び、魔理沙は優しくアリスの肩を抱いて地上へ下ろそうとした。
しかし、その手は静かに払いのけられた。かわりにアリスは魔理沙の手に一体の人形を渡し、音もなく彼女を突き飛ばした。
「ありがとう、魔理沙」
「へ?」
訳も分からずうろたえる魔理沙の手の中で人形が不気味な光を放つ。
「魔符『アーティフルサクリファイス』」
宣言、そして爆発。
あまりにもあっけない結末に呼ばれて出てきた霊夢、空を見上げて一言。
「弾幕はブレイン、っていうか騙し討ちじゃない」
そして見事(?)勝利者となったアリスは黒焦げになった魔理沙を抱えて悠々と地上に降り立って反論。
「失礼ね、これは作戦勝ち。つまるところ頭脳プレイであることには変わらないでしょう?」
「一応言っておくけど他ではこんなことしないでよね。今回は魔理沙だったから良かったものの」
「大丈夫よ、これが最初で最後だから」
このときはまだ誰も知らなかった。この日が、二日後に災厄をもたらす悪夢の引き金となったことを。
………日は変わって後日、アリス邸。
「鍵を閉めて、侵入者避けの結界を張って………と。これで大丈夫かしらね」
この日、紅茶を買い足しに行くついでに外を出歩こうと思い立ったアリスは出かける仕度を整えていた。
「……そういえば、魔理沙がひな祭りのことで色々と疑っていたわね。もうひとつオ
マケに結界を張っておこうっと」
術式を組み立て、あらかじめ張っておいた結界のうえに被せる。これだけで結界はより強固なものとなっただけでなく、解除することも難しくなった。
「これで完璧ね。さあて、まずはどこから行こうかしらね、上海?」
「シャンハーイ」
上海人形を引き連れてアリスは空へと飛び立つ。
例え魔理沙が来たとしてもこれなら諦めて帰るに違いない。そう安心しきって彼女はこれからの予定に想像を膨らませていた。
それからしばらくして、アリスが見えなくなると周囲に人の気配がしなくなったアリス邸の陰から人影が出てきた。
そう、犯人は結界が張られる前に中にいた。
昨日の夜からずっとアリスを見張っていた超絶暇人、魔理沙である。
「ふふふふふ、甘いなアリス。私が近くにいたことに気づかないなんて」
普通は気づかないし、考えもしません。
「私の純情を踏みにじった罪、後悔するがいいぜ。さあ、お宝探しの始まりだ」
そう言って魔理沙が取り出したのはアリス邸の合鍵(魔理沙作)。鍵穴に差込み、くるりと回して開錠。
慎重にドアを開けていくとそこに広がるのはリビングとキッチン。窓際の棚には今まで作られた人形たちが並んでいる。
「さて、見たところひな祭りに関係ありそうなものはないな」
大雑把に周囲を見渡しながら家の奥へと踏み込んでいく魔理沙。実に堂々とした泥棒っぷりである。
しかし、そこまで横暴を許すほど家主は甘くなかった。
「ん? ……っと。危ない、危ない」
物音に反応した魔理沙が何かを避けた。それは本当に当たれば気絶する程度の威力が込められた弾だった。
弾が放たれた方向にはポツンと一体だけ置かれている人形が。
「射線に入ると自動で攻撃する人形か。アリスのやつ、なかなか面白いことをしてくれるじゃあないか」
だがここで退くのは流儀に反する。よって、探索続行。
今度は人形の射線に入らないように身を屈めて進み、それから階段を上って二階へ。
二階はアリスの工房と寝室。工房はそれこそ魔法使いにとって生命線であるため、とてつもない結界が張られている。よって探索の対象から除外する。
残るは寝室。ここになければアリスはひな祭りの準備をしていないことになるのだが。
「お。なんだ、ちゃんとあるじゃないか」
寝室に入ると正面に簡素な雛壇とそこに鎮座する人形たちがあった。
人形たちの服はどれも丁寧に細かく製作されており、ベッドの横にあるテーブルのうえには作業途中と思われる生地や裁縫道具が置いてあった。
それにしても芸が細かい。人形たちの服には刺繍があり、さらには服の裏にまで綺麗に仕上げてあった。
「これは借りていくにはいかないな。大きすぎて風呂敷には入らん」
魔理沙が想定していたのは甘い菓子や手作り人形だったのだが、ここまでスケールが大きいと全部持っていくわけにはいかない。
何より持っていけばすぐに自分が借りていったことが発覚するし、それでは騙し討ちされたことへの復讐にはならない。
では、どうすればアリスへの報復になるだろうか?
とりあえず魔理沙はベッドに寝転んで、うーんと腕を組みながら考える。
今ここで人形、もしくは雛壇を破壊してもアリスの腕を考えると直してしまうかもしれない。
最悪、直せなかったとしてもいつかは完成する。そうなるとアリスへのダメージはきわめて程度が低いものにしかならない。
もっと、もっとアリスが悔しがるような何かはないものか。そう思っていると魔理沙の視線が雛壇の最上段であるものを見つけた。
「ん? あれは」
ぴょんと勢いよくベッドから跳ね起きて雛壇の前に立つと一体の人形を手に取った。
魔理沙が手に取ったそれは非常に完成度の高い、霊夢に似せて作られたと思われる雛人形だった。
人工の髪を結わえているリボン、纏っている服の色彩、さらにはお祓い棒までそっくりな人形。
「うおー、すごく霊夢っぽいぜ。……でも、なんか、寒気がするくらい精巧だな?」
しかし魔理沙の目は最高のオモチャを見つけたときの子どものように輝いた。
これだ。いや、これしかないと思った。
「ふふふっ……いいことを思いついたぜ」
さっそく魔理沙は考えたことを実行に移した。部屋にあるものには一切手をつけず、その霊夢人形にだけ神経を集中させた。
そして霊夢人形を色々と細工をすること、一時間。
「できた!!」
魔理沙は霊夢人形を元あった場所へと戻す。見たところ、霊夢人形に変化はない。
しかし魔理沙はイタズラを仕掛け終わったらしく、清々しい表情で汗を掻いてもいない額を腕で拭った。
それからテーブルのうえを最初に見たとおりに直したり、自分に関する証拠を消したり丁寧に元通りに戻したりした。
最後に鍵を閉めて結界もアリスが張ったとおりに張りなおして作戦終了。
如何に複雑な結界であろうとも、張るところを見てしまえば張りなおすことなど造作もない。
「にひひひ、明日が楽しみだな~っ」
不気味な笑いを伴いながら魔理沙は家へと戻っていく。
その後、自宅に戻ったアリスは魔理沙が家に入ったことなど微塵も気がつかなかった。
………そして、宴会当日。
最初に博麗神社にやってきたのはアリスだった。
彼女は人形たちに雛壇を運ばせ、それを神社のなかに置いた。
「なんだ、結局作ってたんじゃない」
「いいでしょ、別に。当日まで秘密にしておきたかったのよ」
「まあ、いいけどね」
それから続々と人妖たちが集まり、本格的に宴会が始まりだした。
しかし魔理沙がやってこない。
宴会はだんだんと賑やかになる。酒が進み始めたところは賑やかさを増し、境内の様々なところから声が飛ぶ。
霊夢は無くなった酒を持っていってやったり、ツマミ係の手伝いをしてやったりと魔理沙が来ないことをあまり気にしなくなっていった。
そんなこんなで宴会がかなり賑やかになった頃、ようやく魔理沙が現れた。
彼女は境内に降り立ち、神社に飾られた雛壇とアリスを交互に見て。
「なんだ、やっぱり作ってたんだな」
「作ってたわよ」
「ふーん」
非常に薄い反応に、思わずアリスは首をかしげた。
普段の魔理沙だったなら雛壇にちょっかいをかけようとしたり、もしくは隠していたアリスに文句のひとつでも言うはず。
そんなアリスを他所に魔理沙は酒の席へと飛び込んでいく。
まあ、こんな日もあるだろうとアリスは特に気にした様子もなく自身も酒を楽しむ。
しばらくして、数多くの騒ぎの後に境内が落ち着きを取り戻し始めると霊夢が縁側で一人静かに酒を飲んでいたアリスの横に来た。
「ようやく落ち着いたわ」
「ご苦労様。はい、駆けつけ三杯」
「最初から神社にいたけどね」
笑顔を交わしながら二人は酒を呑む。
「ちゃんと呑んでる? アリス。あんまり赤くなっていないみたいだけど」
「そんなにたくさん呑む方じゃないもの。私の場合、酒は風情を楽しむためのおまけよ」
「本当に楽しむべきなのは宴会の浮ついた空気よ。風情は二の次」
「今からじゃ雰囲気に酔おうと思っても酔えないわよ。あ~あ、誰か一緒に風情に酔ってくれる人はいないかしら」
「仕方ないわねぇ、あんたで我慢してあげる」
言いながら、霊夢はアリスのお猪口に酒を注ぐ。
心地よい夜風に当たりながら二人は境内の酔っ払いたちを肴に二人だけの宴会を楽しむ。
神社を囲む木々が静かなハーモニーを奏で、月が仄かに神社を照らす。照明も音もそれだけで十分、アリスが求める風情はこれでもかというほど満ち足りていた。
「そういえばさ、さっきから気になっていたんだけどあの人形、私に似てない?」
「似せてあるのよ」
「似せてあるのね。ちょっと手にとって見てもいい?」
「いいわよ」
二人は揃って雛壇の前に立ち、霊夢が自分にそっくりな最上段の人形を手に取った。
非常に綺麗な出来上がりの人形に霊夢は思わず感嘆の息をもらした。
「さすがにこういうことだけは上手ね」
「一言余計。でも褒め言葉として受け取っておくわ」
霊夢が人形の出来に感心し、アリスが作ってよかったと思った。
そのとき、突然人形の頭がボキッという不気味な音をたてて根元から折れた。
「「え?」」
一瞬、二人には何が起こったかわからなかった。ただ、無情に折れた頭が足元で転がった。
「アリス、これって………」
「ち、違う。違うのよ霊夢、これはきっと何かの手違いで……!!」
どうすればいいのか。完全に固まってしまった二人の空気を、境内から発せられた魔理沙の声が動かした。
「はっはっはーっ!! ざまあみろだぜ!!!」
してやったり。彼女の満足そうな顔がそう告げていた。
「その霊夢人形には霊夢が触れると自動的に首が折れるように魔法を仕込んでおいたのさ!! どうだ、私を騙したことを後悔しただろー!!」
酒で酔っているせいもあるのだろう。興奮気味に魔理沙は自分がやったことを自慢げに叫んだ。
魔理沙が遅く来たのはわざとだ。早くに来てしまい、人形に仕掛けたことを自分が気にしてしまわないように盛り上がった頃を見計らってやってきたのだ。
自分が宴会に着く前に仕掛けが発動するのも良し、着いてから発動すれば尚良し。どちらにせよ、魔理沙の勝利は揺るぎなかったのだ。
すべてを聞いた霊夢はアリスへと振り返る。彼女は――――――――呆然とした表情で落涙していた。
そして彼女は霊夢に言うのだ。
「ごめんなさい………霊夢、ごめんなさい……」
魔理沙の悪戯に気づけなかった、自分を許して。そう言った。
アリスは悪くない、アリスが謝る理由などどこにもないというのにそれでも彼女はひたすら霊夢に詫びた。
そしてアリスを嘲笑うように酒を掲げる魔理沙はどこまでも不謹慎で。
瞬間、霊夢の世界から音が消えた。
声もなく泣いて謝るアリス。高らかに笑っている魔理沙。
バキ、と強く握り締められた拳が音を立てた。
これはまずい。いち早く霊夢の異変に気づいた紅魔の従者が止めに入った。
しかし霊夢は手を振り払っただけで吹き飛ばし、何事もなかったかのようにゆっくりと魔理沙に歩み寄る。
これに驚いたのは魔理沙。てっきりアリスが怒るものと思っていたが、まさか霊夢が介入してくるとは考えていなかった。
もちろん霊夢人形を仕掛けにつかうのだから霊夢が泣いているアリスを慰める、もしくはいつもの鉄拳制裁で済むだろう。そういう甘い考えが魔理沙のなかにあった。
しかし現実は違った。霊夢を止めようとした人妖たちが次々と跳ね除けられ、なお彼女の歩みは止まらない。
博麗霊夢が怒っている。その怒りには、殺意すら込められている。
途端、複数の方向から弾幕が飛んだ。避けることができない反則弾幕。こうでもしないと巫女は止まらない。誰もがそう考えたのだ。
「二重結界」
宣言ですらない小言。その小さな呟きが言霊となり、結界として霊夢の周囲に顕現される。
たったそれだけ。たったそれだけで幾千もの弾が結界に阻まれ、消滅した。
これは、本気だ。霊夢が魔理沙に明確な敵意をもっている。
誰かが霊夢に飛びかかった。お祓い棒で殴り飛ばされた。そして飛ばされた誰かは動かなくなった。
また誰かが霊夢に飛びかかったがやはり一人目と同じ末路を辿った。
また殴り飛ばされた、また飛んだ、また飛んだ、飛んだ、飛んだ、オモシロイヨウニヒトガトンデイク。
魔理沙は恐怖のあまりで誰が吹き飛ばされているのか正確に記憶することができない。彼女の目はただ、迫り来る死の権化しか捉えていない。
逃げても、ダメだ。背中を見せたら間違いなく●●される。
立ち向かうなんて、無理だ。今の彼女には何をしても自分の全てが通じない。ただ、己が無力を味合わされるだけ。
見たことがない。見たくなんてなかった。
怖い、怖い、自分がいつも見てきたはずの、あのハクレイレイムがどうしようもなく怖い――――――――――――――!!!!!
「どうしたの、魔理沙」
が、わらった。
「そんなに怯えた顔をして。何が怖いの」
あまりに自然な言葉には永久凍土のような冷たさと刃物の鋭利さが同居していた。
首に包丁が押しつけられているような感覚。否、これはギロチンだ。
ここは幾人もの首を喰らい続けた処刑台。数多の血を吸い続けたゴルゴダの丘。罪を拾い続けておかしくなった聖者の住処。
できることなら、今すぐこの場から消えてしまいたかった。
「霊夢…………ごめん。私が、私が悪かったよぅ………」
地に手と膝をつき、己が過ちに涙した。
「許さないわよ、魔理沙。あなたがしたことは許されざること。だから絶対に許してあげないんだから」
ごめんなさい。ごめんなさい。ひたすら、魔理沙は謝り続ける。
「ねえ、何か言うことがあるでしょ」
彼女の言うとおり、魔理沙は口にしなければならない言葉がある。
ある、のに、言葉にならないのは、ナゼ?
言えたとしても、巫女は、きっと、許してくれない。
「魔理沙。首を折られた人形の気持ち、あなたは分かっているのかしら」
淡々と告げられる呪詛。無機質な笑顔。
アア、ソレハマルデアヤツリニンギョウノヨウ。
「分からないのなら教えてあげる」
巫女の手が首に触れた。
冷たい、ひんやりとした、人のぬくもりを感じさせない巫女の手が魔理沙の首を抱きしめて。
「うわああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫しながら魔理沙は跳ね起きた。
「……え。夢、だったのか?」
ほっと安堵の息をもらす。
まさか霊夢に首を折られそうになるなんて、なんてたちの悪い夢なのだろうか。
「それにしてもリアルな感覚だったなぁ……」
「何がリアルなのよ」
「うわああああああっ、出たああああああ!!!!!!」
背後から霊夢の声がして全力で飛びのく。
予想通り、そこには霊夢がいつものぼけぼけとした顔で立っていた。
「人の神社でいつまで寝ているつもりよ。さっさと起きて、さっさと出て行きなさい」
「え、ここ、博麗神社か?」
「他にどこだっていうのよ」
まずい。これは非常にまずい。
これは夢オチではなく、実は現実にあったことでしたという二段オチかもしれない。
魔理沙は冷や汗を背に感じながらおそるおそる霊夢に尋ねる。
「なあ、その、もしかして私がひな人形の首を折ったりとかしてない、よな?」
「ひな人形? まだ寝ぼけているのかしら。どうでもいいけど朝ごはん、いるかいらないのかだけでもはっきりしてちょうだい」
ひな人形など知らない。霊夢はそう言っている。
よかった。やはり夢だったのだ。
「ありがたくいただくぜ。じゃ、顔洗ってくる」
「はいはい。アリスも待っているんだから早くしてよね」
「おう!」
元気よく魔理沙は顔を洗いに洗面所へと向かっていく。
その途中、食卓に座っているアリスを見つけた。
珍しくあいつも泊まりなんだな、と思いながら魔理沙はアリスに声をかけずに通り過ぎていった。
彼女が手に、首の折れた人形を持っているとは気づかずに。
この二人の場合狂気や歪みといったエッセンスがある方が萌えるってことですね。わかりますとも!
これは…つまり…そういう事ですね!わかります霊夢さん!
ちょっとしたイタズラが思わぬ惨事を招く…よくあることです。魔理沙やりすぎた☆ZE
霊夢は同じ恐怖を魔理沙にループさせようとしているのでしょうか。首の折れた人形を持つアリスの様子が気になります。
その表情が虚ろで眼は光を失った状態であれば、完全にループフラグですね。
まぁ要するに何が言いたいかというと、ヤンデレイアリ最高!