その日、早苗は悩んでいた。
朝起きてから、ご飯を食べているときも、境内の掃除をしているときも。眉間にしわをよせて、そのときしていることは身に入らず上の空で。
そんな様子だから守矢神社の二柱も気になり、どうしたのかと聞いてみた。困ったことがあるのなら相談してみなさいと。
けれども返事は、なんでもないですよ、と慌てて笑顔を取り繕ったもの。
ますます気になる二柱。早苗が掃除に行ったあと、さっさっと箒が立てる音で早苗に聞かれていないことを確認して、お茶を飲みながら話し合う。
「早苗はどうしたんだろうねぇ」
手持ち無沙汰に湯のみを持ち神奈子は目の前に座る諏訪子に問いかける。
「ほんとにね。何かに悩んでいるのはわかりすぎるくらい、わかるんだけど」
諏訪子は熱いお茶に息を吹きかけ冷ましながら答えた。
「神とはいえ心の中まではさずがに読めないし。
かつて王国で民を束ねていた経験でなにかわからない?」
「集団心理と個人の考えって違いがありすぎるから無理。
それに集団を束ねてたのは神奈子も一緒でしょ、そっちはなにかわからない?」
「わかったら聞いてないわ」
「そうね。
あーうー……相談できないくらい個人的なことか、私たちが頼りなくて相談にのってもらうっていう選択肢がないか」
「後者だとしたらちょっと凹むわね」
そうかもしれないと想像するだけで気分が滅入る。
境内では早苗もいまだに悩み続けていて、三人そろって同時に溜息を吐くところなんかみると仲は良いとわかる。
「何かしたかねぇ私たち。それでその何かに早苗が困っていて、自分が信仰する神様だからなかなか言い出せない?」
「お酒の飲みすぎをやめてもらいたいとか?」
諏訪子は適当に思いついたことを言ってみる。
「特に飲んだ量を増やしたわけじゃないけどね」
「ずっと前から家計が限界だったっていう可能性があるじゃない」
「あーそれじゃあ禁酒したほうがいいか?」
「かもね。もしかしたらまったくの的外れかもしれないけど」
ほかにも友達のことか、幻想郷の環境があってないのではとか、昨日の夕飯で嫌いなものを出したことか、などと話していく。
すすんだように見えてまったくすすんでいない会話。
ノーヒントで話し合っているのだから当然といえば当然の会話だろう。
「どうにかして聞き出したくなってきた!」
「無理強いは駄目よ」
意地になって興奮しかけ立ち上がる諏訪子を見上げ神奈子は言った。
「誘導尋問ならOKってことね!」
「それもどうかと思うけど。
ちょっと思いついたことがあるから諏訪子も協力しなさい」
「なになに?」
テーブルに身を乗り出して話しを聞く体勢になる。
それを行儀悪いわよと押し返し話し始める。
「何か私たちにやってもらいたいことがあるなら、その機会を与えればいいと思うのよ。
私たちに関した悩みでなくとも、なにかしらのヒントになるだろうし」
「どういうこと?」
「早苗に日々の感謝って言ってね、三つの願いを叶えようって提案するの。
こっちからこう言い出せば、早苗だって遠慮しなくて言い出せると思うわ」
「ちょっと強引な気もするけど、たしかに巫女としてよくやってくれて感謝はしてるし……いいと思う」
「それじゃ早速行こうか」
「早苗~」
ぼーっと同じ箇所ばかり掃除している早苗に声がかかる。普段ならばこんな様子は見せないのに、行動にまで現れるほど悩んでいる子をほおっておけるものかと二柱は気合を入れる。
「あ、どうかしました? お昼にはまだ早いですよね?」
「昼ご飯のことじゃないよ。
早苗に日々の感謝を表そうと思ってね。私たちにできることならなんでも三つまで叶えようじゃないか」
「なんでも言ってよ」
「突然ですね」
あっけにとられた表情になる早苗。二柱も少し強引すぎたかと思っている。
早苗はすぐに笑顔になって二柱の気遣いに礼を言う。
「ありがとうございます。
でも叶えてもらいたいことなんて、なにもありませんよ。逆に私が感謝しなくちゃいけないくらいです」
「本当に何もないのかい?」
「なんでもいいんだよ? 今なら神奈子は禁酒だってするんだから!」
「禁酒ですか?」
「神奈子は飲みすぎでしょ? 少しくらいは控えたほうがいいと思ってないの?」
諏訪子が探りを入れる。
「そうですね……体を壊さない程度に飲んでもらいたいけど。今までと同じ程度なら控えなくても大丈夫じゃないんでしょうか?
ですよね神奈子様?」
「あ、ああ、あれでもきちんと体調管理に気をつけて飲んでるからね」
お酒のことではないのかと二柱は予想の一つが外れたことに気を落とす。それを表に出すようなことはしないが。
とそのとき早苗の表情に変化が起こる。何かを思いつき、悩んでいた表情から悩みがはれた表情へと。
急な変化にに二柱は戸惑う。可愛い我が子のような存在の悩みがはれるのは嬉しいけれど、その解決に協力できたのかわからないことが心にわずかなしこりとなっていた。
「願いは三つまででしたよね? 早速いいですか?」
「ああ」
「うん」
「では掃除を一緒にやりましょう」
どんな願いがくるのかと構えていた二柱はその願いに気が抜けた。
「そんなことでいいのかい?」
「はい」
「もっとすごいことでもいいんだよ?」
「いえ、これでいいんです。
ぼーっとしてましたから、ほとんど掃除できてないですね。はりきって掃除しましょう!」
急に元気になった早苗に引っ張られつつ二柱は一緒に掃除を始める。
掃除のどこか楽しいのかわからないけど、早苗が笑顔で楽しそうだから二柱はまあいいかと思い掃除に付き合う。
普段は早苗一人でする掃除も三人ですれば終わりも早く、お昼を少しだけ過ぎた頃に終ることができた。
「お疲れ様でした。二人とも休んでてください、急いでお昼作りますから」
「急がなくていいよ」
一声かけて神奈子たちは居間へと向かう。
「早苗元気になったのはいいけど、何に悩んでいたのかさっぱりだよ。
神奈子はわかった?」
「いや、私もさっぱりだ」
願いを聞けばなんらかのヒントが得られると思った二柱だが、ただ掃除しただけでは何かがわかるということはなかった。
もっと家事を手伝えという意思表示なのかと首を傾げるが、普段から手伝っていて早苗からそんなにしなくていいと止められているので、それはないと首を振る。
結局は次の願いに期待しようと早苗を待つことになった。
昼食を終え、のんびりと食休みをする三人。開け放した障子から入ってくる緩やかな風が三人を撫でる。
朝の悩みはなんだったのかと思えるほど早苗の機嫌はいい。逆に神奈子と諏訪子が悩みつつある。
ある程度和んだところで、神奈子がきりだす。
「次の願いはなんだい?」
「そうですね……今はいいです。夕方頃頼むことになります」
「もう決めてあるの?」
「はい。二つとも決めてます。
食器洗ってきますね」
そう言って早苗は立って炊事場に向かった。食器を洗う水音に混じって鼻歌が聞こえてくる。
「決めてあるんだって」
「そう言ってたね」
「なんだろ?」
「ちょっと予想つかないな」
夕方まで何事もなく時間は過ぎていった。三人とも思い思いに過ごし普段と何か違うということはなかった。
夕飯の買い物に出かけた早苗が帰ってきて、二柱を呼ぶ。
いよいよ来たかと二人が気合を入れて、早苗のもとへ。
早苗は炊事場にいて、夕飯の材料を並べていた。そのときテーブルを見ていれば気付いていただろう。夕飯の材料が神奈子と諏訪子の得意料理の材料だということに。
「では二つ目の願いです」
何がくるのかと待ち受ける二柱。
ごくりと喉の鳴る音が聞こえてくる。ほどよい緊張感が周囲を満たす。でも緊張で汗が滴るほどではない。
そんな中、早苗は気負うことなく口を開いた。
「一緒に料理をしましょう。
二人の得意料理も教えてください」
また拍子抜けする二柱。そして気付いた、テーブルの上にある材料に。
「いいけど……まあいいか、始めよう」
「はい、お願いしますね」
それでいいのかと聞こうとした神奈子は聞かずに材料を手に取る。早苗が笑顔だったからだ。教えてもらうこと、一緒に料理することを楽しみにしている笑顔だったから、その笑顔を曇らせるようなことはしないでおこうと思った。
それに神奈子も楽しみなのだ。料理を教え、一緒に料理するということが。
諏訪子も同じ気持ちで、何かを問うということはしなかった。
楽しい準備段階からの夕食を終え、食器の片付けも終え、風呂も沸かし終わって、早苗が三つの目の願いを口にした。
今度は二柱は気負うことなく待ち受けていた。気負うことはないと前二つの願いで予想できていたからだ。
なぜ願うまでもないことを早苗が願うのか、それはいまだにわかっていない。しかし早苗が楽しんでいるのはわかった。だから次もきっと似たような願いだろうと思っていた。
そしてそれは当たっていた。
けっして広いとはいえない風呂に三人で入っている。早苗が二柱の背を洗い、二柱が早苗の成長具合を確かめる。のんびりと入るのもいいけれど、たまにはこんな笑いや悲鳴の上がる賑やかな入浴もいいと二柱は思う。
早苗が願ったのは一緒に風呂に入ろうというもの。二柱はそれを断ることなく受け入れた。
実は一緒に入るのは初めてだった。早苗がもっと小さければ一人で入れるのは不安だと思い二柱が入れていただろうが、すでに成人しているといっていい早苗を心配することはなく、それぞれ別々に入っていた。
楽しい一日が終ろうとしている。早苗にとって楽しい一日だったし、二柱にとっても同じ。
あとは寝るだけというときに早苗が遠慮しつつ口を開いた。
「三つの願いは使い切ってしまいましたけど、もう一つお願いよろしいですか?」
それに二柱は顔を見合わせる。けれど断ることはない。
「ああ、いいよ。願いっていったってたいした願いは言ってないんだ。それくらいはかまわないさ」
「それで願いってなに?」
「え~えっとですね」
顔をわずかに赤らめ恥ずかしそうにしている早苗。視線はあちこちに向けられ、指はもじもじと動かしている。
「三人で一緒に寝ませんか!?」
思い切って言ったという様子な早苗に、少し驚いた様子を見せる二柱。すぐに微笑ましいといった表情になるが、目を瞑っていた早苗にはその表情は見えない。
その場を無言で立つ二柱に不安げな表情になる早苗。二柱の会話でその表情は笑んだものになる。
「布団はどこに敷いたほうがいいと思う?」
「ここでいいんじゃない? テーブル端にやったら三人くらい余裕で寝れるよ」
「ん、そうだね。そういうことだから早苗も布団をここに持ってきなさい」
「はい!」
走って居間を出て行く早苗を笑みを浮かべて二柱は見ていた。
居間に布団が三つ並ぶ。明かりは消されていて、閉じた障子を透ける月明かりが光源だ。
三人は仰向けのまま話している。
「今日はありがとうございました」
「別にいいさ。私たちも楽しんだからね」
「でも聞きたいことがある。何を考えて願いを言ったのか、それがわからないんだよ。ついでに言えば朝悩んでいたことも」
「その答えは同じものですよ。
お二人は今日がなんの日がご存知ですか?」
二柱とも首を傾げる。
「今日は母の日なんですよ」
自分たちには馴染み無い日で記憶になかった二柱が、今日という日を思い至ることはなくても仕方ないだろう。
早苗も毎年、生みの親にだけ感謝を伝えていたのだから。
今年になって急に二柱に感謝を伝えようとしたのか、それはこちらの来て二柱がさらに身近になったからだ。特別ではなく普通の人として生きていくことになった自分を、励ましときに叱って支えてくれたからだ。幻想郷に来る前は母ではなく姉二人と捉えていたことも原因だろう。
「私も昨日知ったんですけどね。
それで日々の感謝を伝えるには何をしたらいいか悩んでいたんです」
何をしようか悩んでいた早苗にとって、二柱が言い出した願いを叶えようということは渡りに船というものだった。
二柱に頼みごとをするようにみせて、喜んでもらおうと考えたのだ。
ただ掃除についてはそうではなかった。急いで掃除を終らせるために協力してもらった。掃除に時間をかけては、ほかの願いに使う時間が足りなくなるかもと思ったのだ。
料理は母親に料理を習ったときに、教える母親が嬉しそうで楽しそうだったのを覚えていたし、お風呂も親の背を洗ったとき嬉しそうだったのを覚えていた。
そう言ったことを二柱に話していく。
「お二人は私を生んだわけではないですけど、両親と一緒に育ててくれました。私にとって親同然です。
そんなお二人にわずかながらも何かしたかったんです。満足していただけたか自信はありませんが」
「「早苗、ありがとう」」
潤み震えた声に聞こえたのは早苗の気のせいだろうか?
満足だという想いの篭った礼に早苗は満面の今日一番の笑みを浮かべた。
二柱は自分たちを想ってくれる優しい我が子に、心から湧く温かな気持ちを少しでもわけようと両側から手を握る。
その夜三人はぐっすりと、悪夢など見るはずもなく眠る。
早苗は夜が明けるのを楽しみしていた。寝る前に仕掛けたことに二柱がどんな反応をするか想像して。
月明かりだけの神奈子と諏訪子のそれぞれの部屋の中、机の上に花瓶とカーネーションと「これからもよろしくお願いします、お母さん」と書かれたカードがある。
買い物に行ったときに買って秘密にしていたものだ。
それらが神奈子と諏訪子にみつかるのを、いまかいまかと待ちわびているように見えた。
ここの守谷神社温かいよ!
優しい早苗と暮してる神奈子様と諏訪子様は幻想郷一幸せな神様ですね
とってもあったかいナリ・・・