「おにいちゃーん」
里人が近づくことを禁じている森に、兄を呼ぶ妹の泣き声が響く。
駄目といわれれば行きたくなるのが人の性。子供ならなおさらだ。この子もそんな好奇心に負けて森に遊びにきた一人なのだろう。
里から離れた森の中、妖怪がいるここで大声をだすのは獲物がここにいると示すようなもの。
けれども妖怪たちが女の子の目の前に現れることなかった。
女の子はそのまま泣いて歩き続ける。
そんなとき森の近くに男の子がやってきた。女の子に年齢が近く、おそらく呼んでいる兄なのか。
男の子は泣き声を聞くと笑顔になり、声にむかって歩き出した。
森に入ってしばらくすると男の子を闇が襲う。咀嚼音が辺りに響く。女の子の泣き声はまだ響いていた。
新月の晩、明かりは星明かりのみ。
ルーミアが今いる森の中は暗い。昼でさえ光は木の葉に遮られ暗くなりがちな森の中、明かりの少ない今のような夜は真っ暗といっていい。
そんななかをルーミアは上機嫌に散歩している。
人にとって闇は怖いものだ。しかし妖怪にとってはそうではない。さらにルーミアは宵闇の名を持つ妖怪だ。闇は己自身ともいえる。恐怖など感じるはずがない。
人が陽光の下を健やかに歩くように、ルーミアは闇の中を軽やかに飛ぶ。
ご飯を食べることができたルーミアは機嫌がいい。食べたのは七歳くらいの男の子。夕方になり日が届かない森の中をふらふらと歩いていたところを捕まえ食べた。かじられても悲鳴を上げることがなく、ぶつぶつとうわごとを言っていたというおかしな点はあったものの、そんなことはルーミアには関係なかった。ルーミアにとっては食べられるか食べられないかが重要で、少しくらいおかしくても関心を引くようなことではなかった。
真っ暗な森を飛ぶルーミアの耳に泣き声が聞こえてくる。それはまだ幼い女の子の泣き声。
機嫌のいいルーミアはそちらへと進路をかえ、関わることにした。
「どうしたの~?」
泣く子の目の前に下りて話しかける。
四歳ほどの女の子はルーミアに気付かず泣き続ける。そのまま歩いてぽふんとぶつかり、ルーミアにようやく気付いた女の子は顔を上げルーミアを見る。
「ひっくぐしゅ、おねえちゃんだれぇ?」
「私はルーミア。
あなたはこんなところでなにしてるの?」
もう一度聞く。
「おうちにかえれないのぅ」
「迷子か~」
「うん~」
女の子は再び泣き出す。
「里近くまで送ろうか?」
泣く女の子に普段は思いつきもしない提案をする。
「ほんとうぅ?」
「うん」
「ありがとう」
帰ることができるとわかって女の子は泣き止んだ。
ルーミアは泣く女の子に同情したわけではない。ただの気まぐれだ。
己自身たる闇が濃く、女の子に会う前に人間を食べることができたので上機嫌だったのだ。それゆえにこんな提案をした。いつもならば泣き声が聞こえても気にせず、空腹を満たすことを優先する。
ルーミアは女の子を背に乗せ森の中を飛ぶ。
女の子は妖怪の怖さを知らないのか、空中に浮かぶという未知の体験を楽しんでいる。
そんな楽しげな雰囲気のまま二人の会話も進む。
「そっか~お兄ちゃんとかくれんぼしてたのか~」
「うん。
でもおにいちゃんどこにもいなかった」
「あなたをおいて帰ったのかな?」
「わかんないぃ」
「そっか~」
話していると森を抜け、視界がやや明るくなる。遠目に里の明かりが見える。
ルーミアは言ったとおり、里の近くまでくると女の子を下ろす。
「ここまでくれば帰れるよね」
「うん。おねえちゃんありがとう」
「ばいばい」
笑顔を見せてお礼を言う女の子が、次第にその姿を薄くしていく。
三分も経たずに女の子は消えてしまった。その場から立ち去ったのではなく、文字通り消えたのだ。見る人が見ればわかっただろう、成仏したのだと。
ルーミアは女の子が消えたことに首を傾げ不思議そうにしていたが、すぐに興味をなくし森へと帰っていった。いつもどおりの夜にちょっと変わったことが起きただけ。ルーミアの認識はそんなものだった。
夜が明けて日が昇り、明るくなった森に里人が十人ほどやってきた。
何かを探す彼らは一時間ほどで目的を達した。みつけたものは昨日ルーミアが食べた人間の残り。つまり男の子の服と骨と肉片。
里人の二人が泣き崩れた。男の子の親だったらしい。
里人は二人を慰め、男の子だったものを拾い集めて里へと帰っていった。
この親は一年前にも森で娘をなくしていた。その子は地面にあいた穴に落ち首の骨を折った。
一緒に森で遊んでいた兄は、いなくなった妹が先に帰ったものだと思って一人で家に帰った。
そして次の日、里人が森を探したが女の子をみつけることはできなかった。そして妖怪に食べられたのだということになった。
まだ幼く死というものを理解できない男の子は妹がどこかへといなくなったのだと思い、幾度も森へと行こうとした。もしかしたら森に妹がいるのではないかと思って。だが行くことはできなかった。親や友達に止められたからだ。それでも諦めなかった男の子はついに森に行くことに成功する。それが昨日のこと。そしてルーミアに食べられた。
話はかわるが、あの森に一年前から女の子の亡霊がでると妖怪たちの間で噂されていた。
その女の子はいつも泣いて森の中を彷徨っている。話しかけてもたいていは気づかず泣いたまま通り過ぎる。
見た目はただの人間とかわらないので亡霊と気づかず食べようとした妖怪がいた。食べようとしても傷つかず、食べることすらできない。以前亡霊を見たことのある妖怪がその女の子も亡霊だと気付いて、妖怪たちは女の子に対する興味を失った。見かけても無視するようになった。女の子の亡霊が帰りたいと泣いても妖怪には関係のないことだから。
そのまま女の子は森を彷徨い続けた。
突然死んだがゆえに死んだと気付かず、供養されないことで三途の河の存在を知らず、森で迷って死んだがゆえに森からでられないと思い込んで迷い続ける。家に帰りたいと泣き、兄はどこだと泣きながら。
男の子は森で女の子の泣き声を聞いた。亡霊の声は人間には悪いもの。その声に惹かれて歩くうちに、脆弱な精神は壊れていった。それでも声に向かって歩き続けたのは家族愛だろうか。
再開の前にその命をなくしたのは悲劇。されど兄の命がなくなった原因は妹にある。その妹が帰りたいという願いを達し成仏したのは皮肉なこと。
きちんと供養される兄は迷うことなく彼岸へと行く。もしかすると彼岸で兄妹は再会できるかもしれない。
群れることがなく亡霊の噂を知らなかったルーミアにとっては、ただ女の子に出会い気まぐれを起こしただけの日。自分の食べた人間が、里近くまで連れて行ったおかげで成仏した妹と再会しようが関係のない話。
暗い森の中であった少しだけ複雑なそんな話。
里人が近づくことを禁じている森に、兄を呼ぶ妹の泣き声が響く。
駄目といわれれば行きたくなるのが人の性。子供ならなおさらだ。この子もそんな好奇心に負けて森に遊びにきた一人なのだろう。
里から離れた森の中、妖怪がいるここで大声をだすのは獲物がここにいると示すようなもの。
けれども妖怪たちが女の子の目の前に現れることなかった。
女の子はそのまま泣いて歩き続ける。
そんなとき森の近くに男の子がやってきた。女の子に年齢が近く、おそらく呼んでいる兄なのか。
男の子は泣き声を聞くと笑顔になり、声にむかって歩き出した。
森に入ってしばらくすると男の子を闇が襲う。咀嚼音が辺りに響く。女の子の泣き声はまだ響いていた。
新月の晩、明かりは星明かりのみ。
ルーミアが今いる森の中は暗い。昼でさえ光は木の葉に遮られ暗くなりがちな森の中、明かりの少ない今のような夜は真っ暗といっていい。
そんななかをルーミアは上機嫌に散歩している。
人にとって闇は怖いものだ。しかし妖怪にとってはそうではない。さらにルーミアは宵闇の名を持つ妖怪だ。闇は己自身ともいえる。恐怖など感じるはずがない。
人が陽光の下を健やかに歩くように、ルーミアは闇の中を軽やかに飛ぶ。
ご飯を食べることができたルーミアは機嫌がいい。食べたのは七歳くらいの男の子。夕方になり日が届かない森の中をふらふらと歩いていたところを捕まえ食べた。かじられても悲鳴を上げることがなく、ぶつぶつとうわごとを言っていたというおかしな点はあったものの、そんなことはルーミアには関係なかった。ルーミアにとっては食べられるか食べられないかが重要で、少しくらいおかしくても関心を引くようなことではなかった。
真っ暗な森を飛ぶルーミアの耳に泣き声が聞こえてくる。それはまだ幼い女の子の泣き声。
機嫌のいいルーミアはそちらへと進路をかえ、関わることにした。
「どうしたの~?」
泣く子の目の前に下りて話しかける。
四歳ほどの女の子はルーミアに気付かず泣き続ける。そのまま歩いてぽふんとぶつかり、ルーミアにようやく気付いた女の子は顔を上げルーミアを見る。
「ひっくぐしゅ、おねえちゃんだれぇ?」
「私はルーミア。
あなたはこんなところでなにしてるの?」
もう一度聞く。
「おうちにかえれないのぅ」
「迷子か~」
「うん~」
女の子は再び泣き出す。
「里近くまで送ろうか?」
泣く女の子に普段は思いつきもしない提案をする。
「ほんとうぅ?」
「うん」
「ありがとう」
帰ることができるとわかって女の子は泣き止んだ。
ルーミアは泣く女の子に同情したわけではない。ただの気まぐれだ。
己自身たる闇が濃く、女の子に会う前に人間を食べることができたので上機嫌だったのだ。それゆえにこんな提案をした。いつもならば泣き声が聞こえても気にせず、空腹を満たすことを優先する。
ルーミアは女の子を背に乗せ森の中を飛ぶ。
女の子は妖怪の怖さを知らないのか、空中に浮かぶという未知の体験を楽しんでいる。
そんな楽しげな雰囲気のまま二人の会話も進む。
「そっか~お兄ちゃんとかくれんぼしてたのか~」
「うん。
でもおにいちゃんどこにもいなかった」
「あなたをおいて帰ったのかな?」
「わかんないぃ」
「そっか~」
話していると森を抜け、視界がやや明るくなる。遠目に里の明かりが見える。
ルーミアは言ったとおり、里の近くまでくると女の子を下ろす。
「ここまでくれば帰れるよね」
「うん。おねえちゃんありがとう」
「ばいばい」
笑顔を見せてお礼を言う女の子が、次第にその姿を薄くしていく。
三分も経たずに女の子は消えてしまった。その場から立ち去ったのではなく、文字通り消えたのだ。見る人が見ればわかっただろう、成仏したのだと。
ルーミアは女の子が消えたことに首を傾げ不思議そうにしていたが、すぐに興味をなくし森へと帰っていった。いつもどおりの夜にちょっと変わったことが起きただけ。ルーミアの認識はそんなものだった。
夜が明けて日が昇り、明るくなった森に里人が十人ほどやってきた。
何かを探す彼らは一時間ほどで目的を達した。みつけたものは昨日ルーミアが食べた人間の残り。つまり男の子の服と骨と肉片。
里人の二人が泣き崩れた。男の子の親だったらしい。
里人は二人を慰め、男の子だったものを拾い集めて里へと帰っていった。
この親は一年前にも森で娘をなくしていた。その子は地面にあいた穴に落ち首の骨を折った。
一緒に森で遊んでいた兄は、いなくなった妹が先に帰ったものだと思って一人で家に帰った。
そして次の日、里人が森を探したが女の子をみつけることはできなかった。そして妖怪に食べられたのだということになった。
まだ幼く死というものを理解できない男の子は妹がどこかへといなくなったのだと思い、幾度も森へと行こうとした。もしかしたら森に妹がいるのではないかと思って。だが行くことはできなかった。親や友達に止められたからだ。それでも諦めなかった男の子はついに森に行くことに成功する。それが昨日のこと。そしてルーミアに食べられた。
話はかわるが、あの森に一年前から女の子の亡霊がでると妖怪たちの間で噂されていた。
その女の子はいつも泣いて森の中を彷徨っている。話しかけてもたいていは気づかず泣いたまま通り過ぎる。
見た目はただの人間とかわらないので亡霊と気づかず食べようとした妖怪がいた。食べようとしても傷つかず、食べることすらできない。以前亡霊を見たことのある妖怪がその女の子も亡霊だと気付いて、妖怪たちは女の子に対する興味を失った。見かけても無視するようになった。女の子の亡霊が帰りたいと泣いても妖怪には関係のないことだから。
そのまま女の子は森を彷徨い続けた。
突然死んだがゆえに死んだと気付かず、供養されないことで三途の河の存在を知らず、森で迷って死んだがゆえに森からでられないと思い込んで迷い続ける。家に帰りたいと泣き、兄はどこだと泣きながら。
男の子は森で女の子の泣き声を聞いた。亡霊の声は人間には悪いもの。その声に惹かれて歩くうちに、脆弱な精神は壊れていった。それでも声に向かって歩き続けたのは家族愛だろうか。
再開の前にその命をなくしたのは悲劇。されど兄の命がなくなった原因は妹にある。その妹が帰りたいという願いを達し成仏したのは皮肉なこと。
きちんと供養される兄は迷うことなく彼岸へと行く。もしかすると彼岸で兄妹は再会できるかもしれない。
群れることがなく亡霊の噂を知らなかったルーミアにとっては、ただ女の子に出会い気まぐれを起こしただけの日。自分の食べた人間が、里近くまで連れて行ったおかげで成仏した妹と再会しようが関係のない話。
暗い森の中であった少しだけ複雑なそんな話。