空を駆ける。
紺色に沈み込んだ夜闇に散りばめられた、幾千の星を眺めながら。魔理沙は無いとわかっていながらその姿を探した。本来なら星々の中心に鎮座しているべき夜の象徴、月。それが成りを潜めた夜空では、星の瞬きもどこか寂しげに映える。
(王様を失った迷子たち、か。こういう景色は嫌いじゃないんだけどな……)
両足を揃えて箒に座ったまま、魔理沙はぼんやりと上を見上げる。どれだけ速く飛んでも、頭上の星たちはその位置を変えることはない。決して届かない輝き。その貴さに憧れた事もあった。今はどうだろう?幼い頃流星を見た時、高揚感に胸を高鳴らせた私。魔法という手段でそれを模倣した、私。かつて持ち合わせた純粋さを、今の私はまだ失っていないだろうか?
(自問したって、わからないさ。自分は自分に平気で嘘をつくから)
胸中で呟いた皮肉に、魔理沙はふっと口の端を歪ませる。
「……何を感慨に浸ってんのよ」
併走して空を飛ぶアリスに横槍を入れられ、魔理沙は口をすぼめた。
彼女は箒などの類は用いず、両脚をぴんと張ってうつ伏せの体勢で飛行している。いつも持ち歩いているらしい魔導書を両手で抱えるその肩には、小さな人形がちょこんと座っていた。二人ともかなりの速度で飛んでいる為、浮かせていてはついて来れないのだろう。
仕舞えばいいのにとも思ったが、そもそもアリスがいつも何処から人形を取り出すのか、魔理沙は知らない。絶えず吹きつける風圧に飛ばされないよう三角帽子を押さえながら、魔理沙は前方を見据えた。並んで疾駆する二人の魔法使い、その遥か先でもまた一人の少女が飛んでいる。
声を張り上げて、魔理沙は叫んだ。
「妹紅っ」
淡い白色の長髪と、その至るところに巻かれたリボン(か、札なのか何なのか)を大いに翻らせながら飛行する少女―――妹紅に声が届いているかはわからない。それでも魔理沙は構わず、
「スピード出し過ぎだ!免停くらうぜ!?」
「……いつから免許制になったのよ」
「突っ込み拒否!いちいちケチつけるな!」
半眼で指摘するアリスに、声量を変えないまま魔理沙は怒鳴る。アリスもまたむっと眉間に皺を寄せ、
「喋るたびに無駄に行すり減らすあんたが悪いんでしょ!?この妄言メーカー!」
「お前こそ語尾に『なんでやねん』ってつける地方でツッコミの特訓して来い!切れが無いんだよ!もっと脇を締めろ!」
「だからそうやって話の腰を粉砕骨折させるなって言ってるのよ!ここで言うのもなんだけど巨大化はやり過ぎでしょ!」
「そういう関係の無い話を持ち出すお前もお前だ!魔界に帰ってちっちゃくなってろ!」
「はぁ!?あんた何言ってんの、意味わかんない事言わないでくれる!?」
「あぁ!?文句があるなら言ってみろよ!?ただし縦読み三行までだ!」
「はぁ!?」
「あぁ!?」
「―――うるっさいっ!黙ってついて来てよ!」
顔を近づけてにらみ合う魔理沙とアリス(とついでに人形)に向けて、先頭を進む妹紅から怒声が放たれる。こちらの声がいつから聞こえていたのかは定かではないが、あるいは聞いてはいても構っていられなかったのかも知れない。切迫した様子の妹紅は首だけをわずかにこちらへと向け、口早にまくしたてた。
「急がないと、取り返しのつかない事になりそうなの!」
「取り返しのつかない事……?」
彼女の言葉をオウム返ししながら、魔理沙は下へと目を向けた。遥か下方に見える幻想郷の大地、人里へと続く雑然とした山道に沿って彼女たちは飛んでいる。このスピードでいけば、もう間もなく人里の灯火が見える距離にまで差し掛かるだろう。
むすっとした表情ではあるもの、アリスは黙って前方を見据え飛んでいる。魔理沙もまた前へと向き直り、背中を向けたままの妹紅の次の言葉が紡がれるのを待った。
「……慧音が、」
ためらうように一瞬息を呑んだ妹紅の表情は覗えなかったが、口調から彼女の心境は容易く察する事が出来た。
「人の里が、おかしくなっちゃったのよ!」
新月の晩の事だった。
その光は、月のない星空が霞んでしまうほどの眩さで地上に君臨していた。
山々に囲まれた広大な地平のほぼ中央に、幾本もの巨大な石柱で構成された遺跡が聳え立っている。石柱はそのほとんどが四角形の直方体で、表面には規則的な窪みがあり中から明光が洩れている。ただしその装飾は所々が尖っていたり全面が鏡張りになっていたりと様々である。石柱の四隅やそこから生える細長い角の先端は、何かの合図のように赤く点滅していた。
その巨石群の隙間を縫うように、同じく石で出来ていると思われる橋が掛けられている。複雑な曲線を描きながら遺跡全体に張り巡らされた橋の左右のには、やはり規則的に棒状の何かが連立していた。提灯でも吊るしているのか、その先端には灯火が照っている。
石橋の上を通っているのは人ではなく、両目に猛烈な光を湛えた謎の怪物たち。頑丈そうで、そのうえ個体色にまったく統一性のない平坦なその怪物は列を成し、魔理沙ですらおよばないほどの猛スピードで石橋を滑るように走っている。
怪生物たちの楽園、と思えばそうではない。石柱が生えている地面には草木がなく、無機質に舗装された道の至るところに人間達が異常なほど溢れている。その服装は幻想郷では見た事のない奇抜なものだった。
その遺跡を象徴するのは、光だけではない。人々の笑い声、怪生物の咆哮、誰が奏でているのか定かでない賑やかな音楽、それら全てが混ざり合って耳に痛い盛大な不協和音を鳴り響かせている。
音と光の墓場。山道の終わりにある丘の上から遠巻きにそれを眺めながら、魔理沙とアリスは口をあんぐりと開けて立ち尽くした。
「な―――」
何でもいいからとにかく何か言わなければと、魔理沙は喉の奥に詰まった言葉を引っ張り出す。が、
「なんじゃあ、ありゃあ……?」
出てきたのは感想とは程遠い呻き声だった。隣に立つアリスが受けたショックは更に重傷なようで、魔力の供給が途切れた人形が足元に転がっている。魔理沙たちの後ろに立ち腕を組む妹紅は初見ではないのだろうが、それでもあまり近づきたくないようでその場から進もうとしない。確かにあの遺跡の光を間近で浴びたいとは思えなかった。あの場所にいる人間達は平気なのだろうか。
魔理沙は遺跡の方を指差し、妹紅に問いかけた。
「あれが、人間の里だって言うのか?」
「……二度も道を間違えるほど馬鹿じゃないわ。確かにあそこは、人の里があった筈の場所よ」
「そりゃ、人はいるみたいだけどなぁ……」
あの巨大遺跡に関して、まったく見当がつかないわけではない。香霖堂に置いてあった外の世界の書籍を立ち読みした事があるが、そこに写っていた人間の住処の風景と、遠方に見える遺跡は似通っているように見える。若干こちらの方がより豪奢にも見えるが、間違いない。あれは人間の里―――否、街と呼ばれるものだった。
落ちていた人形が、ぴくりと動く。ようやく事態を受け止めたらしいアリスが、しかし上擦った声を上げて妹紅へと振り返る。
「ど、どうなってんのよ?あんな物、いつどうやって現れたっていうの!?」
「……今日よ」
言い寄られた妹紅はアリスよりは冷静であったものの、自身も困惑を拭いきれないのだろう、神妙な面持ちでそれに応じた。
「昨日里に来たときは、確かにいつもの人の里だった。慧音の塾に遊びに行って、子供を泣かして、親に謝って、慧音の家でご飯を食べて……」
「とことん迷惑な不老不死だな」
「うっさいな……おかしいとは思ったのよ。いつもみたいに泊まっていこうとしたら、何か変な理由つけて人の事帰らせるし、それに……」
ぶつぶつと愚痴をこぼすように妹紅は呟く。
「……明日は、里には来るなって」
「あのワーハクタクがそう言ったのか?」
魔理沙は眉をひそめた。まるで親代わりのように妹紅を溺愛していた慧音が、里への立ち入りを禁止したというのが気にかかる。人間の里に何かしらの異変―――というか、目の前の惨状―――が起こる事を、彼女は知っていたとでも言うのか。そして妹紅以外へは何の警告も出さなかったわけとは?そもそも……
肩に担いだ箒をぽんぽんと叩きながら魔理沙が思案している間に、隣にいたアリスは再び魔力を通わせた人形を横に浮遊させる。辺りを見渡しながら、彼女は誰にともなく呟いた。
「そもそも、そのワーハクタクは何処にいるのよ?あれに聞けば事の発端はわかると思うんだけど。貴女、既に会ってるんでしょう?」
「そうなんだけど……」
話を振られた妹紅は、バツが悪そうに顔を俯かせる。
すると。
彼女の代わりとでもいうように、三人の少女のものではない声がその場に響いた。
「―――私はここだ、魔法使いたち!」
「!?」
魔理沙達ははっと顔を上げて、振り返る。といっても咄嗟の事で声の聞こえた方向など見当がつかず、適当に向き直っただけだたが。幸い勘は的中してくれた。
相変わらず音と光の氾濫する巨石群に背後から照らされながら、そのシルエットは悠然と丘を登ってきた。見覚えのない姿ではない―――どころか、現れる事を期待していた相手の筈だった。だというのに、その人影が間近にまで迫り立ち止まるまで、魔理沙たちは硬直し言葉を発することすら出来なかった。
「一体何のようだ?お前たち異能の者に来られると、里の人間たちがおびえてしまう」
敵意というほどでもない、怪訝な眼差しを向けて慧音は言う。
その口調からして、彼女は確かに慧音だった。ただし、普段の紺色でもなければ満月の時に着ていた緑の柄とも異なる、その両眼と同じ鮮やかな赤い服装に身を包んでいる。
絶句した理由はそこではない。魔理沙はほんのわずかに一歩後ずさり、それを見上げた。
慧音の頭から生える、トナカイとも葉の落ちた巨木の枝ともたとえられるような、壮大かつ複雑に捻じ曲がった二本のツノ。それが本人の身長をおよそ倍にまで助長して、まるで威嚇するかのように魔理沙たちの前に聳えている。
慧音(と呼ぶべきかどうか躊躇われるが)は魔理沙とアリスの間に立つ(やはり少しひき気味の)妹紅を見据え、
「妹紅……どうしてなんだ?来てはいけないと言っただろう……」
やれやれとかぶりを振る。それと同時に、二本のツノもまた彼女の首の向きに追随して彼女達の間の空間を抉った。風圧に負けて魔理沙の帽子が吹き飛び、アリスの人形は主人の肩に捕まりそれに耐える。
ひとまず帽子はおいておき、魔理沙はようやく発するべき第一声を見出した。
「うざっ!」
「うざいわ……!」
アリスもやはり同じ境地に達したのか、同様の感想を呟く。慧音は半眼で魔法使い二人をにらみつけ、
「お前ら……先制で毒吐くとは教育がなってないな」
「あの成りで常識を語っている……!ますますうざいぜ」
「ウザけーね、ね」
「誰がウザけーねだっ!?」
ワーハクタクは激昂し、自分の頭に生えた巨大なツノを指差す。
「この優雅なツノの魅力がわから……ではなくて。今日だけはお前らを里に入れるわけにはいかないんだ。何も聞かず見なかった事にして、さっさと帰ってもらおうか」
見れば見るほど、首が疲れたりはしないものかと心配になってくるが、身体の一部と化して重さを感じていないのかも知れない。ツノの方が本体、というのは考えない事にして、魔理沙は素直な疑問を口にすることにした。
「里……やっぱりあれは、人間の里が変化したものなのか?」
「聞くなと言っただろう。好奇心は私に殺されるぞ」
「慧音……」
会話に割って入ったのは、妹紅だった。眉尻を下げた不安げな表情で、慧音の方へと歩み寄る。ワーハクタクが首を振れば間違いなくツノが刺さる距離ではあったが、魔理沙はひとまず空気を読む事を優先して黙っておく。
慧音もまた妹紅の表情に気を引かれ、わずかにたじろぐような仕草を見せた。
「妹紅、そもそもお前が……」
「私、思ってもみなかったんだ。慧音が私に隠し事するなんて」
「それは……」
「そりゃそうだよね、慧音にだって事情はあるし」
乾いた自嘲を浮かべる、妹紅。里の喧騒がそこにだけは届いていないかのように、彼女の背中は寂しげに映えた。
「でもね。私、慧音とは本当の友達でいたいって思ってる。長い間生きてきたけど、私そういうのいないから。だから……慧音に隠し事があるなら、慧音が安心して話せるような友達に私、なるよ」
たどたどしい口調で妹紅はそこまで言い切り、沈黙する慧音をじっと見据えた。すぅっと一呼吸おき、
「だからお願い……いつものキモけーねに戻って!」
「うわ台無しにしやがったこいつ!」
目にうっすらと涙さえ浮かべて叫んだ妹紅に、魔理沙は指摘の悲鳴をあげる。
「わ、私は平素からキモいのか……!?」
妹紅の言葉を受けて―――最後の一言がよほど効果的だったのだろう―――、慧音はがくりと膝を折りその場にへたり込む。俯いたせいでツノがより邪魔になったが、幸い正面の妹紅にはぶつからなかった。掛けるべき言葉(とついでに抱くべき感慨)が浮かばず、魔理沙は立ち尽くしたまま頭を掻く。今のうちに帽子を取りに行こうか、そう思った矢先。
じっと二人を傍観していたアリスが、慧音の方に歩み寄った。彼女の代わりに人形が、ワーハクタクの肩をぽんと叩く。
「妹紅はね、里と貴女の事が心配で私たちの処に来たのよ。肝試しで知り合ってしかも敵対した筈の私たちに、息を切らしながら助けを求めたの」
「…………」
「友達なんでしょ?貴女たち」
慧音がゆっくりと頭を上げる。彼女は三人の少女を見回し、躊躇いながらも口を開いた。
「……わかった。お前たちには、全て話してやろう」
里から響くけたたましげな騒音が、先ほどに比べてわずかなりとも和らいだように思えた。
「歴史を捏造する程度の能力?」
手に持った帽子をくるくると弄びながら、魔理沙は首を傾げた。
豹変した人間の里、その光も喧騒も聞こえなくなる程度にまで山道を引き返した辺りにある木陰に、四人は集まっていた。相変わらず巨大で邪魔なツノを頭に生やしたまま立つ慧音と、彼女と向かい合って草地に座る少女三人。まるで青空教室だ、と思い魔理沙は手をぴっと上げて、
「先生ー、意味がわからないぜ」
「うむ」
何がうむなのかはわからないが、持ってもいない教鞭を振るような仕草で、慧音は上空―――月のない星空を指差した。
「今夜は新月だ」
「はぁ」
「私が満月の夜にワーハクタクの真の力を解放出来るようになるのは知っているな?」
「キモけーねだな」
緑色の衣装を着て頭からバナナのような角を二本生やした赤い目の怪物を連想して神妙に頷く魔理沙の顔面に、隣のアリスが振りかざした魔導書の表紙が叩き込まれる。人形遣いは喉を重々しく喉を震わせた。
「な、ん、で、や、ね、ん」
「……使い方は間違ってるが、まぁ及第点だな」
「なんで嬉しそうなのよ……」
盛大に鼻血を溢しながらも凛と微笑む魔理沙に、妹紅が冷たい視線を向ける。と、慧音がわざとらしく咳をし、
「私語は慎め。あと喧嘩は教室の外でやれ」
「いや止めてよ。外だしここ」
「満月というのは、異能者や妖怪に力を与えてくれる。歴史を創る程度の能力という途方もない力、これは満月から供給される魔力で補う事により初めて制御する事が出来るんだ」
それを聞いていたアリスが、興味深げに思案する。
「魔力の増幅器と制御装置……その二つを兼ね備えてるってわけ?あの満月が」
「その通りだ。人形遣いに10ポイント」
「いらないから」
「そして、その満月と対極にある新月の晩。月の助力を失った私の中に眠るワーハクタクの血は、暴走してしまう……」
自身の胸に手を当て言い淀む慧音に、鼻血を拭き終えた魔理沙が問いかける。
「暴走って、どうなるんだ?」
「私の周囲にある人、物、あらゆる事象。その歴史が無差別に改竄されてしまうんだ。そう、あの人間の里のように」
「……つまり、人の里の歴史が塗り替えられたせいで、あんな変な文明を築いちゃったっていう事?それも一晩で?」
「一晩ではない。何百年もかけてあの超高層都市を形成した事になっている、歴史の上ではな……まぁ、今日一晩だけというのは間違いではないが」
「…………?」
ワーハクタクの言っている意味がわからず、魔理沙は眉をひそめた。アリスと妹紅も同じだったらしく、揃って首を傾げている。その反応は予想していたのだろう、慧音はすかさず後を続けた。
「月が顔を出せば……つまり新月の晩が終われば、私は元通り歴史を操る能力を制御できるようになる。改竄された歴史は全て修正され、人間の里も本来の姿を取り戻すだろう」
言いながら、慧音は里のある方角へ振り返った。木々に遮られて変貌した里の光は見えず、喧騒も届いてこない。近づかなければ、人間の里があんな事になっているなんて誰も気付かないだろう。
「あとは人間達……そして気まぐれで山を降りてきた妖怪たちから、豹変した里に訪れたという歴史を食べてしまえば万事解決、というわけだ」
「まさか……」
「あぁ、もう何度もこれを繰り返している。新月の晩に、誰にも気付かれないよう」
言いながら、慧音は再び三人に向き直った。それと同時に妹紅が立ち上がり、魔理沙とアリスが見上げるなかでワーハクタクと不死の少女は、躊躇うことなく視線を交わす。
「妹紅にはバレてしまったが、仕方が無い……もう友人に隠し事はしたくないしな」
「慧音……」
照れ臭そうにはにかむ慧音の元にゆっくりと寄り添って、妹紅はその胸に顔をうずめた。見ているこちらの顔が火照ってきそうで、魔理沙は手に持っていた三角帽子を目深に被る。アリスもまた恥ずかしそうに口をすぼめ、俯きながら人形の手足をいじっていた。
星空の下、一生抱き合っているつもりかといぶかしんだものの、慧音はあっさりと妹紅を横へと立たせて魔理沙たちを見下ろした。何とはなしに、魔法使い二人も立ち上がる。
「お前たちの今夜の歴史も、とりあえずは食べない事にしておく。ただし、これは忠告と受け取ってもらいたい」
「は?どういう事だ?」
妹紅の扱いに比べて妙に辛辣な言葉遣いに多少苛立ちつつ、魔理沙は疑問符を浮かべる。
「お前たち魔法使いや妖怪、果ては幽霊までもが闊歩するこの幻想郷に住む、ごく普通の人間達。平穏に暮らしているようにみえて、彼らが無意識に抱えている畏怖は深刻なものだ」
「……まぁ、たまに山奥で爆発とか起こしてるのは認めるが」
「そういったストレスを解消させる為、私はこの歴史を捏造する程度の能力を里に使って、人間達に一晩だけの娯楽を与えている。起きた途端に忘れてしまう、けれど確かに楽しかった事だけは覚えている、そんな夢のようなものだ」
「…………」
「これからは、もう少し人間の事を考えて暴れてもらいたいな」
言いたい事はあったものの、魔理沙は黙って忠告とやらを受け取っておく事にした。人間達の抱く恐怖、それがわからないほど人外の領域に踏み込んだ覚えはない。それでも恐怖を克服する魔法という力を持つ彼女と、日々を懸命に過ごしながらもいつ気まぐれな妖怪に取って食われるかもわからない世界で暮らす人々。その恐怖の質は天と地ほどに差のあるものだろう。
けれど、それはあくまで質の違いに過ぎない。脅威を前に逃げ惑うがゆえの恐怖と、それに立ち向かうがゆえの恐怖。
(私は抗った。無力ではなかったからこそ、ちっぽけなそれを育む事が出来た。それが私の魔法―――星の輝きだ)
魔理沙はちらりと妹紅の方を見た。不死の少女。彼女もまた永劫の孤独に抗い、かけがえのない友を得るに至ったのだから。
里の民とて、決して無力ではない筈だ。しかし脅威に立ち向かおうとはせず、慧音という保護者に頼り、群れ、怯えてばかりいる。月がなければろくに輝けない星々と同じだ。
隣に立ち、同じく沈黙するアリスの気配を肌で感じる。こちら側の人間でいる事に後悔はないと、彼女の存在が確信を与えてくれる。その事実に安堵すら覚えて、魔理沙は嘆息した。
「……じゃあ、今日のところは大人しく森に引っ込むか。なぁ、アリス」
「……うん」
振り返り、慧音たちに別れを告げ飛び立とうとする。相変わらずツノの馬鹿でかいワーハクタクは、自身の口調が辛辣であった事に多少の後悔を覚えているようではあった。その心境を代弁するように、妹紅から声を掛けられる。
「今度は、歩いて里までいきましょう?」
「あぁ。またな」
背中を向けたまま、魔理沙は微笑む。空を仰ぐその視線が―――
こちらへ向かって降りた立とうとする、少女の姿を捉えた。
(…………?)
夜闇の中、目を凝らしてその正体を確かめようとする。他の三人も同様に、いぶかしみながらその少女が着地するのを待った。
「…………誰だ?」
慧音がぽつりと呟くが、それに応える者は誰もいない。
四人の前に舞い降りた、魔理沙よりもずっと幼い、くせのある金髪の少女。その顔立ちには若干の見覚えがあったものの、それが誰なのかが喉の奥い引っ掛かって出てこない。その手には、竹箒のような長い棒の先端に大麻のような装飾がついた奇妙な道具を持っている。
その服装は、赤、白、黒でおよそ均一に彩られた布の多い衣装だった。傍目から見れば巫女のようにも、あるいは魔女のようにも見える―――
そこまで目の前の少女を観察してから、魔理沙の脳裏に悪寒にも似た何かが走った。
(…………まさか)
魔理沙の危惧を知ってか知らずか、アリスは少女のすぐ傍へと歩み寄り、目線が同じになるようにしゃがみ込む。人形を自分の肩に載せて、アリスは子供をあやすように微笑んだ。
「お嬢ちゃん、どこから来たの?飛んできたって事は、妖怪?お名前は?」
「……きりさめ、せいむ」
「きり?」
笑顔を保ったまま、アリスが硬直する。同時に軋みを上げそうなほど空気が張り詰めたような気がしたが、それを他所にせいむと名乗った少女は一歩前に進み出て、小さな手をピンと張って一点を指差した。
正面―――すなわち魔理沙を。
「まりさママにあいにきたの」
「……なぁぁぁっ!?」
稚拙な言葉遣いのせいだけではなく少女の発言が理解できず、反応を一瞬遅らせて魔理沙は驚愕の悲鳴を上げた。
ゆっくりと立ち上がり、その震える肩から人形が転げ落としたアリスを背後に、少女はゆくりと魔理沙へと近づいてくる。顔面蒼白になった黒白魔女の袖口を引っ張り、せいむは無垢な眼差しで見上げてきた。
「れいむママがまってるよ?」
「――――――っ!」
ゴムか何かが弾けるような、鈍い音が響く。あるいは、魔理沙にしか聞こえなかったのかも知れない。全身をわななかせるアリスの表情は、前髪の影に隠れて良く見えない。それは彼女の血管が切れる音だ、魔理沙の内にわずかに残った理性が囁き教えてくれた。ありがたみの欠片もなかったが。
空いている方の腕をバタバタと振り上げ、魔理沙は慌てて少女に弁明する。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったぁ!?何か勘違いしてないかお嬢ちゃん?めしべとめしべからじゃコウノトリからの贈り物は来ないんだぜ!?」
「めしべってなぁに?」
「え、えぇっと、お医者さんゴッコ風に言うとだな……」
「―――まぁりぃさぁぁぁっ!?」
「す、すみませんでしたぁっ!?」
反射的に謝罪の言葉を叫ぶ魔理沙の元に、怒髪天をつくと言わんばかりに髪を振り上げ、赤いオーラをほとばしらせたアリスがずかずかと歩み寄ってきた。少女に袖を掴まれたままの魔理沙の襟を掴み上げ、その首をぶんぶんと前後に振り回す。
「これはっ、一体っ、どぉいう事なのよっ!?」」
「やめっ、てっ、アリスさん!?脳が、パン生地に、なっちまうっ!!」
少女とアリスの二人に拘束されながら、魔理沙はわめいた。アリスの吊り上がりきった両眼を見るに、一向に解放されそうにはなかったが。
離れた場所からその修羅場を傍観していた二人のうち、妹紅が冷や汗をたらしながら慧音の顔を見る。
「こ、これは……どういう事?」
「うむ。歴史を捏造する程度の能力が、あの魔法使いにまで影響を与えてしまったようだ。だがまぁ、夜が終わればあの少女の存在も修正されるさ……」
うんうんと頷き(ついでにツノがぶんぶんと振り下ろされ)、慧音は腕を組んだまま不敵に笑ってみせた。
「まさに、一夜の過ち……」
「うまい事言ったつもりかぁぁぁぁぁぁっ!?」
頭蓋を揺さぶられ、堪えることなく涙を振りまく魔理沙の絶叫は、里の喧騒に劣らないくらいに幻想郷の星空に轟いた。
通常はめしべとめしべは無理、でも幻想郷でならなんとかなっちまいそうだ
アリマリかつレイマリとは離れ技だな!