≪ 16:24 ≫
つい数時間前まで、そこにあったはずの場所。
500年間を過ごしたはずの、吸血鬼の館。我が家。
(それもあなたには、邪魔なだけだったんでしょうね)
胸中でのみ呟きながら、レミリアは空を見上げた。時間さえ忘れさせるような、真紅の空模様。笑い声と、羽の擦れる音と、炸裂音とがノイズの雨となって大地に降り注ぐ。声に出しても聞こえないだろう、それでもレミリアはその名を呼んだ。
(フラン……)
そこは、紅魔館があったはずの湖畔だった。地面は抉られ、湖の一部をこそぎとったおかげで水が流れてきている。壁や家財の破片は残らず水底に沈んでしまい、もはやここに再び屋敷を建てるのは不可能だろう。地下図書館には防水の魔法が施されているという話だが、書庫全体が水没してしまっても効果はあるのかは定かではない。
ここはもう我が家ではない。ここにはもう誰も集まらない。
誰が?決まっている、家族だ。
(私は、弱い生物だわ)
一人では生きていけない、脆弱な生物。孤独を愛し、恐怖を尊び、闇と共に生きる吸血鬼、その末裔。それが、こんな我侭で稚拙で寂しがりな小娘風情に成り下がってしまった。
(出会ってしまったから)
孤独の寂しさを教えてくれる、友に。何も語らずとも、わずかに触れ合うだけでそれを指し示してくれた。
(教えてもらったから)
傍にいてくれる事で生まれる、安らぎを。顔を見る事が出来ないだけで、心がきつく締めつけられる。
(パチェ、咲夜、皆。貴女たちがいなければ、私は500年も生きてなんていられなかった)
ふと、近くに降り積もった土砂の小山が目に留まる。
気になったのは、土の中に埋もれたわずかな煌めきだった。赤い光、そう見えたのは単にそれが景色を反射しているだけのようだ。
銀細工だった。滅茶苦茶にひしゃげて融解してはいるものの、それが元は鎖の一部分であった事が見て取れる。
(貴女にはわからないわよね、フラン)
レミリアに対して憤怒の情を隠すことなくぶつけてきた、月のお姫様。彼女の怒りはもっともだろう。遠い異国から逃亡しようやく見つけた楽園が、たった一匹の少女によって失われようとしているのだから。
誰にせよ、同じ事だろう。
夜の森で戯れる無邪気な妖怪。
里の古木を知る呑気な幽霊。
弱々しく、愚かで、健気な人間。
外の世界から訪れた者たち。
魔法使い。巫女。
気まぐれで不遜な神隠しでさえ。誰もがこの世界を想い、守ろうとしている。
(そう、私も……ここに住む誰もが、幻想郷を愛している)
たった一人。495年という月日を薄暗い地下に閉じ込められて過ごし、向ける相手の無い感情を持て余したまま育った、彼女の妹を除いて。
愛を知らないフランドール。彼女は、幻想郷が失われる事に何の感慨も抱かないだろう。
(私が奪った)
土砂の中から、歪んだ銀細工を取り出す。魔除けの刻印は潰れて読む事が出来ず、その効果も失われている。こびりついた土を指で拭い、レミリアはそこに映り込む自分自身と対峙した。
(私が奪ってしまったのね。貴女にも与えられるはずの愛を……)
自分の分身としか触れ合う事が出来ず、壊す事しか知らずに生きてきたフランドール=スカーレット。
姉としての役目を放棄し、父に言われるがまま実の妹に手を差し伸べる事もしなかったレミリア=スカーレット。
(返してあげる……貴女から奪った時間を。貴女に注ぐ筈だった、私の愛を)
銀細工を握り潰し、おおげさな身振りでそれを水面に投げ捨てる。
空を覆う禍々しいオーラに劣らないほどの緋色を湛えた両翼を大きく羽ばたかせて、レミリアは大地を蹴った。
≪ 16:30 ≫
笑っている。
「「「「やっと来てくれたんだね、お姉さま」」」」
「遅くなってごめんなさい……なんていうと思った?」
笑っている。
「「「「どういうこと?フランわかんないな」」」」
「ようするに、待っていたんでしょう?私が自分からここに来るのを」
笑っている。
「皆を怖がらせておいて、初めから地上を攻撃するつもりなんてなかったのね」
笑っている。その声は一際大きくなる。
「悪い子」
「「「「フラン、叱られちゃう?お尻ぺんぺんってされちゃう?」」」」
「……許してあげる」
「「「「え?」」」」
「今日は特別、貴女に付き合ってあげるわ」
笑い声が止む。
「お姉さま……」
「遊びましょう、フラン」
そして。
弾幕ごっこが始まった。
≪ 16:42分 ≫
「姉君、右上前方に直進!妹君三十七人を薙ぎ払いました!」
「七時の方向より妹君195名、姉君の左下後方より接近中!」
「姉君のスペルカード宣言を確認!スカーレットシュート発動しました!」
望遠鏡を覗いたまま、白狼天狗たちは口早にまくし立てる。
守矢神社の舞台に設置された天狗たちの観測台に、少女達は集まっていた。
その誰もが、上空で繰り広げられているレミリアとフランドールの弾幕勝負を目を凝らして眺めている。
その中の一人、眉をひそめながら輝夜は口をすぼめる。弾幕による衝撃波が髪と服を凪ぐせいで、その場にいるのすら億劫そうだが。
「……勝てるわけ?」
「違う」
パチュリーは小さく囁いた。輝夜には聞こえていないようだったが、彼女は構わず唇を動かす。
「勝ち負けじゃないのよね、レミィ……?」
両手を胸の前で祈るように掲げて告げるその言葉は、空の彼方で飛び交う親友に向けたものだった。
天狗たちの白熱した実況は、未だ冷めることなく続いている。
「レーヴァテイン照射、サーヴァントフライヤーβ、大破!」
「姉君、ラストスペルの発動に成功!妹君637人、消滅しました!」
「妹君908人のスペルカード宣言を確認!そして誰もいなくなるか、発動―――」
≪ 17:21 ≫
うっすらと目を開ける。混濁した視界の中には、わずかな光さえない。
(これは、夢……)
浮いている。そう思えるほど、全身から力が抜けている。神経の芯にまで火を通されて、四肢は指の先まで伸びきったまま動かない。不細工なマネキンのように仰向けのまま倒れている。
(私は温かいベッドの上にいて……咲夜が優しく起こしてくれる。リビングではもうパチェが紅茶を飲んでて、私の寝坊すけを笑うのよ)
あるいは、もう身体も無くなってしまったのかも知れない。何処かに飛んでいったのか、消し炭になってしまったのか。なるほど通りで軽いわけだ。肉体から解放された魂、肉のゆりかご。全てを委ねてしまえばどんなに心地良いだろう。
(そして私よりも遅く、貴女は起きてくる。開口一番、貴女はこう言うんだわ)
耳をつんざく甲高い笑い声。煌びやかな七色の星々。茫洋とした赤い空にひしめき合う少女たちの輪郭が、徐々にはっきりとしくる。
(おはよう、お姉さま。今日は何して遊ぶ?――――――)
意識の浮上と同時に、泣きたくなるほどの激痛が全身を駆け巡った。歯を喰いしばって涙を堰きとめ、レミリアは首だけをわずかにもたげて自分の身体を見下ろす。手も足もある。靴も履いている。スカートはぐしゃぐしゃにしぼんでいたが。
地面にめり込まされ大の字に寝転がった身体の、腹に全ての力を集中させて上半身のひっこ抜く。瓦礫に引っかかっていた帽子が破れて脱げてしまったが、仕方ない。服についた埃を払いつつ痛む箇所を調べようとするが、
(首が痛い、肘が曲がらない、羽が破けてる、下がゴツゴツしててお尻がもう最悪……)
泣き言ではない、断じて。己を奮い立たしているだけだ。
腕と翼を器用に使い、レミリアは瓦礫の上に立ち上がる。見上げる先は、どこでもいい。頭上いっぱいに広がるフランドール達と睨みあう。
「「「「よかった、もうおしまいかと思った」」」」
「五歳も年上の姉をあなどるのはおよしなさい、フラン」
腕を組み、出来うる限りの不敵さを醸し出しにやりと笑う。
が、威厳をひけらかしてはみたものの、とうに心身ともに限界を迎えているのはレミリア自身痛感していた。大股で立っているのはそうやって足を棒にして突っ張っていないと倒れそうなだけだし、威嚇のため広げた翼はボロボロであと二、三度羽ばたけるかも怪しいものだ。
対して、未だその数を減らすことなく悠然と見下ろしてくる無数のフランドール達。白狼天狗でさえもう数えるのを放棄している事だろう。いびつな形状槍を掲げて、さぞ楽しそうに笑っている。
もうすぐ日も暮れる。そうなれば、この嬌声は外の世界にまで轟く事になる。
(反撃のアイデアは、浮かばない。仲間が助けには、来ない)
待ちくたびれたのだろう。レミリアの真上に浮かぶ少女たちおよそ数百人が、レーヴァテインをゆっくりと振りかぶる。
眼は閉じるな。覚悟を決めろ。立ち向かうのでも逃げるのでもいい。飛び立つ覚悟を。
(現実は、非情―――)
振り絞った力は……
『 まーちーやーがーREぇぇぇぇぇぇっ!! 』
突如として背後から轟いた怒声によって、容易くすっぽ抜けた。
同時に、地面が謎の震動に襲われる。弾幕によるものではない、大地を踏みしめるような一定の速度で、足元が盛大に揺れ動く。
そのせいというわけではないにせよ。レミリアはその場にへたり込んだ。
『 だあぁぁぁぁぁぁZEぇぇぇぇぇぇっ!! 』
遠くに見える森の奥から現れたのは、全長300メートルはあろうかという巨大な霧雨 魔理沙だった。
妙に面長な顔立ちで、切れ長の眼に傍目からでもわかるほどの闘気を湛えている。同じく馬鹿でかい黒白の衣装、その半袖の下から覗く異常なほどに筋肉質な腕を大きく掲げ、魔理沙は絶叫した。
『 絶好調だZEぇぇぇぇぇぇっ!! 』
「魔理沙、駄目よーっ!」
開いた口を塞ぐのも忘れその黒白の巨体を見上げていると、背後から足音と共に聞こえてくる声があった。
アリスだ。彼女もまた森の方から走ってきたらしい。彼女が普通のサイズである事に、多少―――いや、大いに―――安堵する。
レミリアのすぐ近くで立ち止まりやはり巨大魔理沙を見上げる人形遣いは、どうやら泣いているようだった。
涙の理由にはさして興味はなかったものの、レミリアは震える指で魔理沙を指差し、問いかけた。
「……なに、あれ」
「……魔理沙はフランちゃんを止める為に、禁忌の森に足を踏み入れある物を手に入れたの」
「そんな場所、幻想郷にあったかしら……」
冷や汗をたらしつつ指摘するレミリアを無視して、アリスはまくしたてる。悦に入ったように握り拳をかざし、
「禁忌の森に生息する禁断の秘宝。食した者に巨大な力を授けるという珍味―――八頭身キノコを!」
「はっとう……?」
「だから、だから駄目だって言ったのに、魔理沙―――」
よよよ、と泣き崩れるアリス。
「そんなモノ使ったら、シリアス展開が台無しになるに決まってるじゃない!」
「……えぇー」
ただひたすらにどうでもいい心境で、レミリアは呻いた。妙に演技臭くすすり泣くアリスはとりあえずほおっておき、魔理沙と―――やはり槍をぶら下げて呆然としているフランドール達へと目をやる。
『 フラぁぁぁン!ちょっとおいたが過ぎたようだNAぁぁぁ!?私が懲らしめてやるZEぇぇぇぇぇぇっ!! 』
「「「「―――遊んでくれるの、魔理沙っ!?」」」」
魔理沙の言葉に、フランドールは急に目を輝かせる。初めて動物園に来た子供が象か何かを見れば、こんな反応をしそうではあった。
幻想郷中に漂うフランドール達が、徐々に集まってくる。巨大な魔理沙に対して、量で勝負とでも言うように少女たちは密集し赤い壁を築き上げていく。
対する魔理沙は指をポキポキと鳴らし(異常にでかい掌から響く骨の鳴る音はやはり異常に気味が悪い)、フランドール達に向けて来いよ、と手振りをする。
フランドール達のほとんどが、その興味を魔理沙に向けている。互いの出方を覗っているのか、臨戦態勢のまま動かない。
巨大魔理沙が、一瞬だけ下へ―――レミリアの方へ視線を向けたような気がした。
(まさか、魔理沙……)
そこから全てを察する。魔理沙は―――信じられない事に―――ふざけてなどいない。
息を呑みながらも、レミリアは己の翼に全神経を集中させた。
(……ありがとっ)
羽ばたき、飛び立つ。それを合図に均衡は崩れ去った。
『 ファイナぁぁぁル!マスタぁぁぁぁぁぁスパぁぁぁぁぁぁクっ!! 』
「「「「「「「「「「「「「「「「495年の波紋!」」」」」」」」」」」」」」」」
光が放たれ、また消える。
星の光弾を撒き散らしながら天を貫く光の柱と、幾重にも折り重なった弾幕の波紋がぶつかり合い、弾の破片と衝撃波が真紅の空をズタズタに切り裂いていく。
どちらが優勢かなど考えている余裕はなかった。四方八方から不規則に襲い来る弾幕の嵐をすり抜けながら、レミリアはフランドールの大群の中へとその身を躍らせる。光熱が髪を灼き、振りかざされた槍の先がスカートの裾を掠める。襲い来る少女達の軍勢、その大半は巨大魔理沙に興味を向けているようだが、その隙間を縫って飛ぶのには相当の精神力を必要とした。
それでもレミリアは、視界に映る無数の妹たち全てに意識を集中する。
(これも、これも、これも。全部分身だわ)
彼女達は人形だ。本体から魔力の供給を受け続ける限り、永久に動作する人形。
(この中のどこかに、本物のフランがいるはず……)
どれも一様に、気の触れた笑顔を浮かべるフランドール達。その数は何百万か、何千万か。
(わかるわよ……私は貴女のお姉さまなんだもの!)
銀の鎖に阻まれた扉の奥で、495年の孤独に晒されたフランドール。きっと耐えられなかったのだろう。狂気という仮初の自己を築かなければならないほど、辛かったのだろう。
ぴんと、手を差し伸べる。
彼女は、まるで子宮で眠る胎児のように浮かんでいた。けたけたと笑う分身に囲まれながら、膝を抱え、窮屈そうに翼を垂れ下げて。泣きながら、名前を呼んでいた。
レミリアお姉さま。
「――――――フラン!」
≪ 19:01 ≫
その日の夜、あいにく月は影を潜めていた。
細く長く漂う雲によって星々も覗えない、底知れない不安を煽る暗闇の夜空。
いつまでも見ているにはあまりに退屈で、咲夜はさっさと夜空から視線を下ろした。何よりコルセットが窮屈で、首を動かす事だけでも苦痛を伴う。
被害は甚大だ。巨大な魔法使いと悪魔の大群が撒き散らしたという弾幕のこぼれ弾は里のいたるところを抉り、妖怪や人間達による復興作業は朝まで続きそうだった。分身の残骸は全て消滅した為、今は穴だらけの地面を元通りにするのが当面の目標だ。
死者が出なかったのは、奇跡に近い。幻想郷で死傷沙汰など、それこそ天地がひっくり返りでもしない限り起こりえないのではないか。冥界のお気楽姫はさぞ退屈な事だろう。
が、重傷者が多数出たのも事実だ。自分自身、頭は包帯と湿布にまみれ、左腕は未だ包帯が取れず吊り下げられている。右足もハムか何かのように包帯で太巻きにされ、こうして立っているだけでも松葉杖頼りの有様だ。永遠亭からここまで来るのには相当の苦労を要した。
紅魔館のあった場所。今は完治した門番やメイド妖精達(流石に人間の咲夜より治りは早いらしい)によって爆発跡から水を吸い出すべく働いている。
指揮をしているのはパチュリーだ。彼女的には一刻も早く水没した図書館の無事を確かめたいらしいが、果たして本一冊だって残っているかどうか。魔法による防護もどこまでもつのか、怪しいものである。
(……まぁ、いいか)
結局のところ、何がなくたっていいのだ。再び彼女たちはこの場所に集まった。屋敷なんてまた適当な場所に建てればいい。家族の証明に必要なものは、決して雨風を凌ぐ為の屋根などではない。
博麗大結界はところどころに亀裂を生じさせたものの、どうにか無事に済んだらしい。少し休んだらスキマ妖怪と徹夜で修復しなければ、と疲弊した霊夢が愚痴をこぼしていた。
改めて、謝罪に行かなければならない。神社、永遠亭、マヨイガ、人里。幻想郷の全土を巡る事になりそうだが、仕方あるまい。
(主人の尻拭いも、従者の務めか―――)
咲夜は下を向いた。一向に首は楽にならないが、それには構わず。
瓦礫のベッドに仰向けに寝転がり、遊び疲れたかのように浅く静かな寝息をたてて、二人の少女は眠っている。
風邪を引くとも思ったがとても起こす気にはなれず、咲夜はその姉妹を見つめた。寝かせたまま運ぼうにも、二人同時というわけにはいくまい。
強く握り合った少女達の小さな手は、銀の鎖ほど容易くは外せそうになかった。
ただ、確かにシリアスなのかギャグなのか、確かにわかりにくい。
くだけた描写があるかと思えば、一転して真面目になったり、
読んでいて尻の居心地の悪さを感じてしまった。
どちらかに特化して書けば、どちらのスタンスを取るにしろ良作になりえたんじゃないかという気がする。
なんというか『惜しい!』という感じ。
八頭身でシリアス壊れてそのままだと思ってたのに、シリアスに修正されたのはすごいわ