「……ふぅ…」
霖之助は、諦めたかのようにため息を吐いた。普段彼が自分の店でそのような行動をしたところで、誰も文句は言わない。
だが、彼と対面するように座っている少女は違う。この場所も、彼の自慢の店ではない。
「ため息は幸せが逃げるよ」
「君が呼んでくれるんじゃないのか?」
「呼んだ所で、長持ちしそうにないもん」
「それもそうか…」
その意見には大いに賛成だ…と、霖之助は内心思った。
ゆっくりと空を見上げる。そこに見えるのは漆黒の空と少しだけ欠けた月と……それらを丸く囲む、土だった。
視線を元に戻せば、二本の白い耳を立てた少女がこちらを見ている。
「何とかならないものかな…」
「それ、十三回目だよ?」
「なら、どうしてこんな事をしたんだい?」
「それを聞くのも四回目」
「じゃあ…」
「『君だけなら脱出出来ないか?』。ちなみにこっちは七回目ね」
「……」
ぐぅの音も出なかった。というか、自分の言葉のボキャブラリーの少なさに霖之助は若干落ち込んだ。それを見て、少女――てゐは満足げに微笑んだ。
深い穴の底で、二人はのんびりと助けを待っていた。
そもそもこんな状況になったのは、てゐの悪戯が原因だった。
暇潰しにと作った『超・落とし穴』。他のウサギ達の手を借りて掘ったその深さは優に十メートル以上。穴を隠すカモフラージュも完璧で、他の場所と全く見分けが付かないように作られている。
作ったてゐ本人も、作り終えてしまった後はその存在自体を忘れてしまっていたらしい。
だが、残念な事に、この罠に引っかかってしまった人物が居た。
森近霖之助である。
永遠亭に注文されていた薬草を届けた帰り、無縁塚に寄っていこうとした矢先に落ちてしまったのである。
いかんせん穴の深さが深さであるため、霖之助は落ちた際に足の骨を折ってしまった。勿論、そんな状態で登ることなど出来る訳がなく、霖之助は一人、深い穴の底で途方に暮れていた。
そして数時間後。空の色が赤く染まりかけてくると、一人の少女がひょっこりと穴のふちから覗き込んできた。
「……あっ…人がかかってる…」
「怪我人を見つけた第一声がそれかい…。それと、訂正させてもらえれば僕は半妖だよ」
その黒く、艶やかな髪から突き出た白い耳には霖之助も見覚えがあった。香霖堂によくお使いに来る、永遠亭の少女もよく似たものを持っていたからだ。
自然と彼女の仲間かと思い、助けを求める。
「出来れば助けてくれるかい?」
「半妖が落とし穴にかかるなんて……珍しい…」
聞いちゃいなかった。
霖之助は、内心そっと涙した。てゐはといえば、物珍しそうに穴に落ちた霖之助を眺めている……遠くから。
「あっ…!」
「ん?」
身を乗り出しすぎたのが悪かったのだろう、てゐの胸ポケットから光る物が落ちた。
思わずそれに手を伸ばすてゐ。
だが、伸ばした手は空を掴み……。
「きゃあああああぁぁぁぁぁ……」
「なっ! ……くぅ…!!」
重力の法則に従って、霖之助が待つ穴の底へと落ちていったのであった。
ちなみにこの時、てゐは骨折した上に丁度落ちてきたため、霖之助の耳が嫌な音を捕らえたのは余談である。
「……足…大丈夫…?」
「……どうだろう…。君の所の名医なら、多分治せると思うけどね」
てゐの問い掛けに、自分の足を布で固定しながら答える霖之助。半妖の彼でもやはり痛むのか、時折眉がピクリと動く。怪我をした時に叫ばなかっただけでも、霖之助の精神力は賞賛に値するだろう。
本来ならば、添え木となる物があれば良かったのだが、穴の中にそんな物が落ちている訳がない。仕方なしに、添え木抜きで自分の足を固定しているという訳である。
「手際いいね~…」
「まぁね。よく商品を風呂敷で包んだりするし…」
てゐが関心してその様を見るように、霖之助の手つきは慣れたもので、瞬く間に足をしっかりと固定した。
霖之助の作業が終わり、手持ちぶたさとなったてゐは、何となしに上を見上げた。
「………登るのは……無理かなぁ…」
「相当高いからね。大人しく助けを待った方がいいよ」
「助けが来なかったら?」
「犬に噛みつかれたと思って諦める。元より、現状が生き埋めの一歩手前って感じだしね」
「……身も蓋もない意見をありがと…」
直球過ぎる霖之助の意見に、てゐは呆れた。それと同時に、目の前のこの男は随分達観している……と感心させられる。
確かに、その身に纏う雰囲気からして、死んだとしても『まぁ仕様がないよね』ぐらいはのたまいそうだ。主に白玉楼の縁側辺りで。
「そういえば、君は何を落としたんだい?」
「え…?」
唐突な霖之助の質問に、てゐは面食らった。
霖之助はそれに構わず話を続ける。
「君がこの穴に落ちたのは、どうもそれが原因みたいだしね。何か大切な物だったんじゃないかな?」
「……あははは…」
その言葉に乾いた笑いを浮かべるてゐ。
実を言うと、てゐは落し物を既に見つけていた。だがそれは、ものの見事に壊れてしまっていたのである。恐らく、着地した際に運悪く踏んでしまったのだろう。
てゐはポケットに入れていたそれを取り出し、霖之助に掲げて見せた。
「ふむ……これか…」
霖之助は、しげしげとそれを眺めた。
てゐが取り出したのは、ペンダントだった。細い銀の鎖で出来たそれは無残にも千切れ、二匹のウサギを模した飾りはぐにゃりと歪んでいる。
そのペンダントに、霖之助は見覚えがあった。何時ぞやの少女が買って行った物だからだ。その時『プレゼントかい?』と聞くと、頬を朱に染め、はにかみながらも肯定したのを覚えている。
一体どういった経路でこの子に渡ったかは、予想する必要もないし、霖之助自身も興味がない。過ぎたるは猶及ばざるが如し……余り深くまで詮索してはいけないのだ。
「家に来れば、直せない事はないな…」
だからだろう、自然とそんな事を口にしてしまった。
霖之助の言葉に、てゐは驚いた表情を浮かべた。
「本当!?」
「ああ、こう見えても古道具屋を営んでるからね。こういった装飾品の修理も、たまにやるんだ」
自分が作った…とは口にしない。言った所で何の意味もない。
この商品が少女の手に渡った時点で、それは霖之助の物ではない。そして少女からてゐの手に渡された時、制作者という存在は何の意味も持たなくなる。
誰が作ったかではなく、誰に贈られたか。重要なのは、その事実だけである。
「まぁ……当面の問題は、どうやってここから出るかだけどね…」
喜んでいるてゐに聞こえぬよう呟き、霖之助は空を仰いだ。
こうして冒頭に至る訳なのだが……月が出ても、助けは来なかった。
次第に冷えてくる外気に、霖之助は少しだけ身震いした。
「……雨でなくて良かった…」
「そう? 雨だったら穴の中に水が溜まって、外に出れたかもよ?」
「その発想はなかった」
てゐの呑気な言葉に、霖之助はちょっぴり呆れた。
だが、かく言うてゐも、若干寒そうにしている。本人なりの冗談だとすぐに理解した。
穴の中というのは、ただ外に居るよりも風が当たらない分暖かい。しかし、それでも全体的に気温が下がってくれば、おのずと穴の中も冷えてくる。
霖之助一人だけだったならば一晩ぐらい我慢出来たのだが、てゐが居てはそういう訳にはいかない。まだ成長期のてゐは、大人の霖之助よりも体温が奪われやすいのだ。
「……くちっ…」
小さな音が聞こえた。てゐがくしゃみをしたのだと、霖之助は何となく分かった。
「寒いかい?」
「んー……ちょっと冷えるかも…」
少し鼻を啜るてゐ。それを眺め、霖之助は自分の上着に手を掛けた。
「僕の上着を貸してあげよう」
「…でもそれだと、今度は貴方が冷えるでしょ?」
「僕は大丈夫さ」
「でも………んー…」
霖之助の意見に、てゐは乗り気ではなかった。しばらく腕を組んで考える。
二人の間に数秒だけ沈黙が流れた。
「ほら、子供が遠慮しな…」
「そうだっ!」
てゐは何か思いついたのか、霖之助の言葉を遮って顔を上げた。
そして、何やらおもむろに霖之助に近付く。
「えー…っと………半妖さん」
「……森近霖之助だよ。魔法の森で『香霖堂』という古道具屋を営んでる…」
「じゃあ香霖。一晩だけお邪魔しまーす」
何が『じゃあ』なのかは分からないが、一言目に比べてやけに砕けた懇請だった。
まさか魔理沙以外に『香霖』と呼ばれるとは思っていなかった霖之助は、てゐの言葉に困惑する。
軽くフリーズ状態の霖之助を無視し、その狭い懐に入り込むてゐ。なすがままの霖之助。
「あ、意外と入れるね」
「ちょっ…! 痛たたたたたっ!」
「ゴメンゴメン。でももうちょっと我慢してー」
「………あー、出来ればもう少し足を折り曲げてくれないか?」
「りょーかーい」
四苦八苦しながらも、てゐは霖之助の懐に入り込むことに成功した。
「おー、あったかい…」
「……それはどうも…」
そう言い、パンパンに膨れ上がった懐からひょっこり顔を出す。
霖之助としては少々息苦しさを感じざるを得ないのだが、そこは我慢だ。
「うん…! これなら一晩中暖かいね」
「それもそうだね」
しかし、よくよく考えてみればこの行動はとてもいい案だった。こうして身体を重ね合わせれば、体温を奪われてもそう簡単に寒くなる事はない。
霖之助は何となしに、目の前にある黒髪に手を置いた。その際、特徴的な耳には触れないように注意する。誰だって何の断りもなく耳に触られるのは嫌だろう。
「……どしたの…?」
「ん…ただ何となくね…」
湯たんぽのような少女を抱きしめ、ゆっくりと空を仰ぐ霖之助。
そこには先程と全く変わらない光景が広がっていた。
雲一つ無い漆黒の空。やや欠けた月と、それを補うかの様に散らばる星々。それらを取り囲むのは、土と……。
そこで目が合った。
「……何してるんですか…?」
「…………やぁ…」
地獄の果てから聞こえてくるかのような、底冷えするような声。月のウサギが、文字通り血走った目をして二人を覗き込んでいた。
正体不明のプレッシャーに、流石の霖之助も冷や汗をかく。
「あ、鈴仙ちゃん♪」
だが霖之助の懐から出た声は、何の緊張感も含まれていないような、呑気な声だった。
「こんばんは、てゐ。夕飯に来なくて心配して探しに来たんだけど、何してるの?」
一層気温が低くなった気がした。懐に入り込んでいる少女から伝わる温もりがなければ、凍死してしまっていたかもしれない。
思考回路はショート寸前。今直ぐにでもブチ切れそうな少女を前にし、てゐは悪戯が成功したかのような笑みを浮かべた。
「あったかいよ?」
永遠亭付近の竹林にて戦っていた二人の少女達さえも、その轟音には動きを止めざるを得なかったという。
ちょwwwてゐ千歳以上だから霖之助の十倍以上(霖之助は60~120歳らしい)なのにwwww
じゃあてゐは?
>>名無し妖怪様
いえ、いつか必ずナイスバディ(死語)になる日が来るんです(願望)
>>名無し妖怪様
ヒント「確信犯」
そして、てゐは『飛ぶ』というより『跳ぶ』な気がします。
>>名無し妖怪様
映姫にとって、胸の事は死亡フラグです。