永琳が倒れた。
こけたわけじゃなく、死病に侵されたわけでもない。
里で少しやっかいな伝染病が流行り、その治療に寝る間もおしんで働き続けたからだ。
いかに不老不死とはいえ、疲労は溜まる。治療が一段落ついてほっとしたとき、溜まっていた疲労がどっと押し寄せて、限界がきて倒れたというわけだ。
ウドンゲの見立てでは一日安静にしていれば回復するといった感じだ。
一日永琳の治療についていようとしたウドンゲだが、治療の予約が入っていることに気づきどうするべきか迷う。
「永琳には私がついてくるから、イナバは永琳の代わりとして医局にいなさい。
ここにいても特にやることはないでしょう?」
「でも私が師匠の代わりなんて」
「長く永琳に師事してきたのでしょう? 少しくらいはできるはずよ。
緊急の患者なら私もやれとは言わないわ。素早く正確な判断があなたに、まだできるとは思ってないもの。
でも来るのは予約客。やることは薬を渡すことと病状を見るだけくらいよ。
自分の手に負えなさそうな客が来たら、永琳を呼びに来るといいわ。
そのときまで休むだけでも疲れのとれぐあいは違うでしょ?」
輝夜の言うとおり永琳は疲れをとってもらいたい。ここ十数日の頑張りを見ていたからなおさらだ。
いざとなれば永琳を頼ることができる。それに安堵したウドンゲは頷いた。
「がんばりなさいな」
輝夜から声援を得てウドンゲは医局に向かう。
始めにやることはこれからくる患者のカルテを見て、事前に病状を確認しておくこと。
カルテを探し読んでいるうちに時間は過ぎて、早速一人目の予約客がやってきた。
永琳ではなくウドンゲが椅子に座って待っていたことを驚いた目で見ている。
「おや、永琳はどうしたんだ?」
「いらっしゃいませ藍さん。師匠は疲れが溜まって倒れてしまったんです」
「医者の不養生か?」
「違いますよ。里の伝染病で忙しくて休む暇がなかったせいです」
「ああ、里がいつもより静かだったのはそのせいか」
うんうんと頷き納得した様子を藍は見せる。
「それで今日は薬を受け取りにきただけですか?
それとも何かほかに悪いところでも?」
「いや薬だけでいい」
「それじゃあ鎮静剤だけですね」
事前に確認していたとおりなので落ち着いて対応する。
棚から鎮静剤を取り出そうとして止まる。
「いつも師匠は何日分だしていました?」
「二週間分だ」
「わかかりました」
それを聞いてウドンゲは再び棚をあさる。
そのウドンゲに藍が話しかける。
「いつも永琳は違う場所から薬を出していたぞ?」
「え? でも鎮静剤ですよね? 鎮静剤はここに入っているんですけど」
「私のは特製品だからな」
「……どこから取り出していたか教えてもらっていいですか?」
既製品でないのならばどこにあるかわからないので聞いてみた。
幸い藍は正確な場所を覚えていた。
「ああ。そこからだと右に五つ、そしてその一番下だ」
藍の指示通り動いて棚を開けると確かに薬が入っていた。
それを取り出し藍に確認してもらう。
「これだ。これを十四粒くれないか」
「はい」
指定されたぶんだけ取り出して紙袋に入れ、藍に渡す。
ウドンゲは普通の鎮静剤とどこが違うのか、後学のために聞いてみる。
「これは心を落ち着かせるためではなく、とある衝動を抑えるためのものだ。
私に脱ぎ癖があったのは知っているか?」
「話には聞いたことはあります」
「うん。その脱ぎ癖を抑えるための薬なんだ。
私自身は別にその癖に困っているわけではない、むしろ解放感が味わえて好きだ。紫様も面白がってくださるしな。
だが橙には受け入れられるものではないらしいのだ。
このまま脱いでいると橙に嫌われる。それは嫌だと思って永琳に相談したら、脱ぎたいという衝動を抑える薬を作ってくれたのだ」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
薬を受け取った藍は代金を置いて帰っていった。
あんな薬を作ることができるなんて師匠はやっぱりすごい、と思いながらカルテに今日のことを書き込んでいく。
ちょうどカルテを書き終わった頃、次の予約客がやってきた。
定期健診に来た美鈴だ。門番という仕事をつつがなくこなせるように、ときどき診察を受けに来ていた。
なにげに永遠亭が開いたときから来ている常連だ。
「こんにちわ~ってあれ? 永琳さんじゃないんですね?」
「いらっしゃいませ美鈴さん」
藍にした説明を美鈴にもする。
「なるほど、じゃあ今日は鈴仙さんが診察するんですね」
「はい」
「ではさっそくお願いします」
そう言って美鈴は服を脱いで診察台に寝そべる。
見えた大きな胸を羨む気持ちが湧いてくるが、今はそんなこと考える場合じゃないと押さえ込む。
「いつも触診の終わりにしてもらう整体マッサージが楽しみなんですよー」
「診察はなんとかできると思うんですけど、整体マッサージはできるかわかりませんよ?
下手に触ると筋とか痛めるかもしれませんし」
「それは残念です」
本当に残念そうに言うので何かできないか聞いてみる。
「……せっかくですから肩揉みくらいはしましょうか?」
「そうですね。それでお願いします」
美鈴に問いかけながら体中を触っていく。
特にどこかおかしいところはなく、湿布薬を出すくらいですんだ。
触診が終わり服を着込んだ美鈴に、椅子に座ってもらう。その背後にウドンゲが立って肩に手を当てた。
「うわっけっこうこってますねぇ」
「そうなんですよ。この胸のせいで肩こりに悩まされてます」
美鈴は少し敵意を込めた目で自分の胸を睨む。
ウドンゲやほかのものたちから見れば羨ましい胸なのに、それを持つものは邪魔だと言っている。そのことにウドンゲはなんとも複雑な気持ちになる。
持ったら持ったで大変なんだなと思うことにした。そうでもしないと、贅沢言うなと自分勝手な意見が飛び出しそうだった。
「はあぁぁ~気持ちいいですぅ」
「肩こりが辛いなら鍼灸とか受けてみたらどうです? 効くらしいですよ。たしか里に鍼灸師がいたはずです」
「へー里にそんな人がいたんですね。一度行ってみようかな」
そんな雑談をしながら20分ほど肩を揉んでもらった美鈴はすっきりとした顔で帰っていった。
藍のときと同じようにカルテに書き込み、次の客を待つ。
次にやってきたのは予約客ではなかった。イナバの一人が捻挫して運ばれてきた。
予定にない患者に一瞬焦るウドンゲだったが捻挫と知って落ち着きを取り戻した。軍隊にいるとき捻挫の治療は叩き込まれたからだ。
骨に異常がないか診察した後、記憶に従い湿布を貼ってテーピングを施していく。あまり思い出していい気分な記憶ではないが、今は必要なことだと
自らに言い聞かせた。
その後も順調に仕事をこなしていく。わからないところは藍のときのように、患者がフォローしてくれたので失敗はなかった。
そのまま順調に今日の業務が終ろうとしたとき緊急の患者がやってくる。
頭部を怪我した里人で、血が顔を赤く染めていた。意識はなく、血が今も流れ出している。
今までと違いフォローしてくれる人もいない、どう治療すればいいのか検討もつかない状況で、ウドンゲは頭の中がごちゃごちゃになり動けない。
付き添ってきた里人に助けてくれと懇願されても、どうしようと考えるだけ。永琳を呼ぶことすら思いつかない。
何もできない状態で時間だけが過ぎていく。
「ウドンゲ!」
そんなとき厳しさを含んだ声がウドンゲを呼ぶ。
声のした方向を見ると輝夜に支えられた永琳が立っていた。
「何しているのウドンゲ! 治療をしなさい!」
「で、でも何をしたらいいのか」
「わからなくても傷口を洗い、消毒くらいはできるはずよ。
それくらいはできるように私はあなたに教えてきたわ」
「す、すみません」
「謝っている暇があるなら動きなさい!」
「は、はい!」
永琳の指示に従ってウドンゲは動いていく。
傷は酷いものではなかった。血が流れすぎて酷く見えていただけだ。冷静に診察すれば、ウドンゲにも完全とはいえないが治療可能な怪我だった。
治療を終えた里人はウドンゲに頭を下げて帰っていく。念のため明日も治療に来るように言っておく。
里人を見送ったウドンゲはびくびくとしながら永琳の前に立つ。目も伏せていて永琳の顔を見ることもできていない。
「お疲れ様、ウドンゲ」
かけられた言葉は治療できなかったことを責めるものではなかった。
労わりの込められた優しいものだ。
そのことに驚いて思わず顔を上げる。
「怒って……ないんですか?」
「治療が遅れたことはもちろん説教するわよ。
でもきちんと治療できていたじゃない。それに今日一日私に代わって立派に働いてくれたでしょう?
それをないがしろにはしないわ」
「し、師匠」
「それにいい経験になったでしょ? 次からはちゃんと動くことができるわね?」
「は、はいっ」
力強く返事するウドンゲに、満足そうな微笑みを浮かべる永琳。
「今日はよくやったわ鈴仙。腕をふるってご馳走を作ってあげる。
だから料理ができるまで休んでなさい」
「姫様」
永琳を支える輝夜も微笑みを浮かべウドンゲを労う。
永遠亭の中からてゐの輝夜を呼ぶ声が聞こえてくる。夕食の材料を出し終わったので呼んだのだろう。
永琳をウドンゲに託して輝夜は永遠亭に入っていく。
料理ができるまでの間、ウドンゲは永琳に説教を受けていたが、両者の顔には笑みのみが浮かんでいた。
実際に鈴仙はどの程度の診察、治療ができるんでしょうねえ。
血だって見慣れてそうだし
心が落ち着かないしパニックになるのはよく分かります。
でも、近い将来師匠と肩を並べて患者を見守る事ができますよ。
鈴仙が愛されてるSSは大好物です。