なぁー、と鳴き声。
稗田家の庭に面した一室で、機嫌良さそうに尻尾を振る三毛猫を膝に乗せた阿求と、寝転びながら何やら読んでいる魔理沙が居た。
夕刻に近く、涼しい風が部屋の中に入り込み、文鎮で押さえた紙の類や重なった書物がばさばさと音を立てる。
「なぁー」
猫の鳴き声ではなく、魔理沙が阿求に呼びかけた声である。
「なんですか」
柔らかく温かい猫の背を気持ち良さそうに、しかしあまり顔には出さず撫でながら、阿求は返した。
んしょ、と魔理沙が起き上がり、阿求の肩に顎を乗せて先ほどまで読んでいた物……文々。新聞を阿求にも見えるようにばさりと広げ、
「これ、お前さんが生まれた時の記事なんだがな」
「そうですね」
「少し気になった事があるんだ」
「なんですか」
阿求は肩に顎を乗せてきた魔理沙を非難するでもなく、猫の尻尾をついついと突付きながらこの真っ黒くろすけまた面倒な事言うんだろうなぁ的なニュアンスを含めながら返した。
しかし魔理沙の問いはなかなか来ず、阿求はお盆の上に置いていた緑茶の入った湯のみを手に取り、口に運ぶ。
魔理沙もそれに倣うように自分の分を飲み干した。
「お前、男だった事があるのか」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「そうですね」
「おおおおお冷静なふりしてなに乙女の繊細な髪の毛思いっきり引っ張っているんだいボブ」
「ボブじゃないですっ!」
魔理沙が指差し、あまつさえ赤線まで引いている『阿礼男』の文字。
実際阿求は過去の転生時に男だった事がある。あるからこそ新聞にも書かれる。
が、しかしである。今はちょっと腹黒くても肩口で切り揃えた短い髪と花のついた髪飾りが似合う年頃の乙女なのだ。
男性に対して淡い感情を抱くこともあるし、セクハラしてきた豆腐屋の息子を詐欺兎に教わったトラップワーク(初級編)でこらしめるくらいに乙女なのだ。
故に、こんな質問をされて平然としていられるわけもなかった。
「だいたいなんですか、なんでそんな質問するんですか。セクハラで訴えて私のファン倶楽部の人たちに袋叩きにさせますよ」
「……そんなのあったのか……」
「ないですけどっ!」
「……えぇ……ないんだ……」
「え、いや、ちょ、なんでそんな21世紀になったのにアトム作れなかったよみたいな残念そうな顔をするのか全く理解出来ないんですけど」
「いやさ、男ってどんなもんなんだろうなぁとか思ってな。こう男に聞くよりも、男になった経験のある女に聞く方がいい感じの意見が聞けそうだろ?」
「モロッコかタイにでも行って聞いて来るといいですよ……だいいち、私、幻想郷縁起に関する記憶がほんの一部残ってるだけですし」
「詰まらないなぁ」
「面白くても役に立ちません」
ぷい、と頬を膨らめて阿求はそっぽを向いてしまう。
むぅ、と魔理沙が唸り、どうしたものかと思案する。
「つぅかさ、記録を見る限りでは阿一さんは女だったんだろ?」
「ええ」
「で、記録を見る限り阿悟さんと阿七さんは男だったと」
「らしいですね」
「数は女7に男2、かなり少ないよな。んで、転生体を用意するのは閻魔。なんで2人、男である必要があったんだ?」
「……実は私も気になった事がありまして、調べた事はあります。閻魔様が言うには御阿礼として少しでも見識を広めるため。ですが、他から伝え聞く話では」
「うん」
「少なくとも阿余、阿夢は巨乳だったそうです」
某閻魔の身体的特徴を思い出し、魔理沙は目を閉じてあー、と間抜けな音を発しながら納得した。
「……それだけの理由かよ……」
「いやまぁ紫さまに聞いた事なので嘘かも知れないですが」
魔理沙は阿求の肩から離れると、とてとてと歩いてきた黒猫を頭の上に乗せた。
そしてまたうーん、とひとしきり唸り、先ほど阿求が使っていた湯飲みに急須から茶を注ぎ、口にする。
ぷはぁ、と息を吐いて弱くなってきた陽射しに目を細め、
「身体的特徴はどうだったんだろう」
「いい加減怒りますよ?」
「生えてはいたんだろうが」
「そりゃまあそうでしょうね」
「筋肉ごつごつ?」
「伝え聞く話では2人とも相当ひょろかったそうです」
「ああ、まぁ、今も貧相だしなぁ色々と」
「ワンスモアプリーズ」
「将来有望そうな胸であります! 阿余さん阿夢さんもかないませんよきっと!」
「おーけー」
なんだか不毛である。
最近大きくなったとか言っていた霊夢が聞いていたらきっと鼻で笑って蔑んだであろうくらいには。
「しかしなんだか面白味がないなぁ」
「資料にあるのはこのくらいですしね。御阿礼ゾーンとか御阿礼ファントムとか使えてたのなら少しは面白味もあるんでしょうけど」
「ところでひとりあs」
「うりゃっ」
むんず、と目に入った何かを掴み、魔理沙に投げつけた。
「うにゃああああああ! 毛虫! 毛虫! 髪の毛にもさもさと毛虫が! とって! とってよあっきゅん!」
「……あなたこの前、腕いっぱいに毛玉抱えてたじゃないですか。うりゃっ」
またいたので今度は二の腕のあたりに乗せてやった。
「ちょ、やめっ」
「あ、あそこの木の辺りに毛虫がわんさかと。とってこよう」
「やめてって言ってるじゃないですかあああああああああああ!!!!!」
敬語になっていた。
「そもそもですね、なんでいきなり男の事なんか研究し始める勢いなんですか魔理沙さん」
ひょひょひょいと2本の棒切れを駆使して魔理沙のほうに毛虫を放り投げる。
「魔法の研究でですね、色々と! 被弾したぁぁああぁぁ」
ピチューン、と言う音が聞こえてもおかしくなさそうな様子だ。
黒い衣服や金の髪にはところどころ、緑色が斑のように散らばっていた。
が、当たったとは言え魔理沙も随分と上手く避けてもいた。流石と言うべきか。
「香霖堂の人に聞けばいいじゃないですかもう。男であった過去のある女の意見が欲しいだなんて意味わかりません。男性の事は男性に聞いてくださいよ」
「いや……だって……聞きにくいじゃん……」
顔を真っ赤にして俯いてしまう魔理沙である。
そんな可愛らしい魔理沙を見て阿求は一言。
「魔理沙さんも一端の乙女だったんですね…………」
「うるせぇだまれなぐんぞこんにゃろう」
「そんな事言うから意外に思われるって気付きましょうよ……」
「でもさー」
魔法で毛虫を追い払い、こてん、と縁側に仰向けに寝転がると、魔理沙が続ける。
戻り、座った阿求と目があう。
「なんか、つらくないか?」
「なにが?」
「まぁあれだよ、女でも一緒なんだけどさ。転生ごとに性別が変わる可能性があるってのは……同じ魂なのに、同じ事をするために生まれてくるのに……全部、別々の個だって事を如実に示してるじゃないか」
「……ですね」
「中には書き始めた初代のように意欲的に書いた奴も居るだろうけど……でも、本当は幻想郷縁起なんて書きたくなかった奴が居るかも知れない」
「大丈夫ですよ。少なくともわたしは、やりたくてやっていますから。最低限の距離とルールは守りつつ……だと言うのにこんなにも妖怪と人が触れ合う時代は、初めてのはずですから」
「私は、嫌だな」
「…………」
「私は、私であり続けるぜ。人間の魔法使いのまま死ぬか、種としての魔法使いになるかは、まだ決めてないけど」
決めたところでなれるかどうかもわからないけどな、などと続け苦笑した。
その声を聞きながら、なんとなく青い空を見上げ阿求は口を開く。
「……きっと、出会いたかったんですよ」
「んー?」
禁術だろうがなんだろうが、当時でも寿命を延ばす程度の方法はいくらでもあったはずだ。
否、今は消えてしまった類のものが、1000年前には溢れていた可能性だってある。
けれど。
「生きつづける中で新しい、それまでと違う人妖や幻想郷と出会うのではなく……違う自分で、違う人妖たちと、違う幻想郷で会いたかったから……だから、阿一さんは転生する事にしたんじゃないでしょうか」
もしそれが、後に続く自分にとって憎むべき事になろうとも。自分自身に憎まれる事になろうとも。
単なる妖怪への対抗手段としてあるだけではなく。その日その時の幻想郷を新たな視点で書くために。違う幻想郷を描くには、違う自分こそが相応しいと。
生きつづける中でみる景色は、どんなに変わっても繋がっている。変化はしても、全く違うものとして見る事は不可能だ。
けれど、100年の空白を置く転生なら新しい景色でしかない。そして何よりそこにいる御阿礼は、時代を書き記すものでありながらその時代だけを生きる、その時代だけしか生きられない者でもある。
妖怪に比して短すぎる寿命は、妖怪を恐れる存在、人間だと言うこれ以上ない証。幻想郷縁起の本質。
そんな当然である事も、きっと大切なのだ。
「ま、本当のところはわかりませんけどね。……今の平和な幻想郷を生きる阿礼乙女の戯言だと思っていて下さい」
「んあ、そうさせてもらうぜ」
「なぞだらけ、なんですよ、御阿礼は」
「いまさらだなぁ」
「そうですね」
魔理沙の前髪あたりを撫でながら、阿求はくすくすと楽しそうに笑う。
その隣でなーご、と猫が鳴いた。
ふと、阿求は思う。魔理沙は気付かないだろうけれど。
こうやっていられるのも、時折宴会で楽しめるのも。
自身が阿礼乙女だけではない、ただのひとりの阿求で、ただひとりの人間の女の子であるからなのだ。
きっと彼女たちよりは早く逝くのだろうけど。
もしかしたら、彼女たちと次の生でまた出会うかもしれないけれど。
「これからも、幻想郷縁起に書けるような面白おかしい行動を期待してますよ、魔理沙さん」
「なんだか鼻につく言い方だぜ……」
「そんな事無いですよ」
今の自分と出会えるあなたたちは、今だけだから。
友達でいられる阿求は、自分だけだから。
「ま、とりあえずお茶のおかわりよろしく」
「はいはい」
細かいことは考えずのんびりと行こうか。
男に転生の理由、ありえそうだw
幻想郷が好きで見続けたい、でも同じ視点から見続けるのは駄目だと思うから転生する。ついでに新鮮さも味わえる。ってことなのかな。
あっきゅんのアイデンティティって考えれば考えるほど不安定だなぁ……がんばれあっきゅん
ボブで噴いたよw
魔理沙かわいいよ魔理沙