「「みょん!」」
静かな朝空の下、白玉楼の庭に掛け声のようなものが響く。
声はどっしりと落ち着いたものと幼く軽いものの二つ。
「まだまだしなやかさが足りぬ!
もう一度だ妖夢」
「はい、お師匠様!」
「「みょん!」」
「今度は艶やかさが足らぬ!」
「はい!」
「「みょん!」」
こういったやり取りを何度か繰り返し、妖忌と妖夢は掛け声をやめた。
毎朝同じ時間に繰り返されるこの掛け声のときは、妖忌はいつもの硬く厳しい表情を幾分か和らげる。
そして上手く声を出せた妖夢の頭を一撫でするのだ。
褒められて妖夢は喜ぶ。なぜ褒められたのか、どうしてこの掛け声なのか、それはわからないが褒められれば嬉しいのだ。
「今日もいいみょんだった」
そう言って妖忌はいつものように妖夢の頭を撫でる。
妖夢も花がほころぶような笑顔を見せる。
「俺は朝餉の支度をする。
妖夢は幽々子様を起こしてくるのだ」
「わかりました」
妖忌は幽々子の寝室へと駆けて行く妖夢を見送り、台所へと向かう。
すでに表情は硬く鋭いものとなっており、さっきまでの表情が嘘のようだ。
朝食を食べ終わり、腹ごなしにお茶を飲みながら幽々子は口を開く。
「今日もやっていたわね~」
「魂魄家に代々伝わる毎日の日課ですので、かかすことはできませぬ」
「ええ、それはわかっているわ。妖夢が生まれる前からやっていたことだしね」
「いつもの用件でしたら、お断りします」
「ええ~いいじゃないの~。私もやってみたいわ」
魂魄家の者が毎朝みょんと言うのを見て、幽々子は楽しそうだと感じたのだろう。
何ヶ月かに一度は一緒に加わりたいと言っている。
しかし妖忌はそれを毎度断る。
最初、主の言うことを断る妖忌を見て妖夢は驚いたものだ。どんなことでも主に従う、それが従者だと幼い妖夢は思っていたからだ。
それは従者ではなく奴隷だと妖忌に教えられ、一応の納得をした妖夢。当時は理解それを理解できなかったが、今ではきちんと理解している。
それ故、このやりとりを気にすることなく食器を洗い続ける。ただこのやりとりに慣れただけでもあるが。
「あれは魂魄家の秘伝とも言えるもの。いかに主人の頼みといえど聞くことはできませぬ」
いつもならば、このあと幽々子が断られたことに不貞腐れるのだが、今日は違った。
「それならばこれだけ教えてちょうだい」
「なにをですか?」
「みょんとはなんなのか」
妖忌の動きが止まる。
硬い表情も相まって、修羅を模した彫像のようだ。
みょんとは何か? それが気になる妖夢も洗う手を止めて会話に耳を傾ける。
うめくように言葉を吐き出すことで、妖忌は動きを取り戻す。
「みょんとは何か。それは難しい問いです。
この年になりようやく私もわかりかけたものなのです。
上手く言葉にできるかどうか」
「それでもいいから」
妖忌は考える。言葉としてあらわすのに丁度いい表現を自分の中から探し出すために。
やがて閉じていた瞼を開き、
「……繋がり……これが一番しっくりとくる言葉です。
これ以外にはなんとも」
「……繋がりね。よくわからないわ。妖夢はどう?」
「わたしも幽々子様と同じです」
「無理もない。妖夢はまだみょん道を踏み出したばかりだからな」
妖忌が長年かけて得かけた答えを、妖夢に理解できるはずもない。
いつしかその手に子供を抱く頃か弟子をとったとき、わかるのだろうと妖忌は心の中で呟く。
そのあとは幽々子の食事作法に説教をし、みょんの話はそれまでとなった。
その会話からずいぶんと時が過ぎ、妖忌は白玉楼から姿を消していた。
幼かった妖夢も成長して、そろそろ半人前という看板を下ろしてもいい頃だ。
それでも妖夢は残された二刀を腰に下げ、毎朝同じ時間にみょんと声を出す。
そのたびに、堅いが暖かった妖忌の手の感触を思い出す。
今はそばにいないがきっと同じ空の下、妖忌もみょんと言っているだろうと妖夢は確信している。
それがわかったとき、妖夢は妖忌の言った「繋がり」という言葉の意味をほんの少しだけわかったような気がした。
だから今日も、
「みょん!」
と言う。どこかにいる妖忌が感じられる気がするから。
代々魂魄家のものには共通する特徴があった。
それは子や孫に厳しく接してしまうというもの。
褒めてあげたくとも、なぜかできない。いざ声に出そうとしても、別のことを言ってしまう。
そんな特徴はいらぬと思えど、なくすことはできなかった。
そこで何代目かの魂魄家当主は考えた。なんとかわが子を褒めてあげられないかと。
考えて考えて考えて、いい感じに脳が煮詰まって閃いた。
みょんでいこう! と。
なぜそうなのか聞いてはいけない。考え付いた本人も後日こんなこと思いついたことに悶えたのだから。
いい考えと思い込んだ者の行動力は素晴らしく。
次の日の朝には、親子二人でみょんと叫んでいた。
子は親の行動に間違いはないのだと思いそれに従う。そして、いいみょんだと褒められた。
嬉しかったのだ。とても嬉しいものだった。
だから子が親となり、わが子を褒めてあげたくなったときこれを思い出した。
そして伝統が始まった。
あの作品は個人的に結構好きだ。