花畑の月下美人が咲いたのは、本当につい最近のことだった。
夜、私の寝ている間花畑を任せている夜勤の部下が、その日の朝に眠い目を擦りながら言ったのだ。
―昨日あの花が開いていたんです。月明かりに照らされて…とっても綺麗でしたよ。
その花は最近苗を手にれたもので、図書館で調べてみたもののそれに関する記述は全くと言っていい程見当たらず。
わざわざ太陽の畑まで出向いて風見幽香に教えを乞うた程のものだった。
曰く、夜にしか咲かない花だとか、一年にたった数回程しか咲かない花だとか。
手入れ方法は至極丁寧に教えてもらったので、それなりにしっかりと手入れをしているつもりである。
私は門番の仕事のほかに、庭の花畑の管理も任されている。
単に屋外勤務の最高責任者だからという理由で命を受けたのだが、意外とこれが難しい仕事であったことを、私ははっきりと覚えていた。
しかし、その管理ももう何百年と続けてきたのだから、恐らくこの幻想郷の中で花の扱いが一番うまいのは(勿論フラワーマスターを除いては)自分だと確信している。
どの花にも言えることだが、あまり花には水や肥料をやりすぎてはいけない。根腐れを起こしたりするからだ。
特にこの花にはそのことが言えた。あまり世話を焼きすぎると蕾をつけないらしい。
ついでに風見幽香に聞いたところによると、どうやらサボテンの仲間なのだそうだ。
サボテンと言うと、真っ先にあのトゲトゲを思い出してしまうが仲間だというだけで、そういうのは一切無い。
ある日のことだった。
珍しくお嬢様が昼間に起床し、私のところまでいらした。
以前はよく神社に赴く為に、お嬢様がこんな時間に起きているといったことは珍しくなかったが、今となってはもう大分久しい。
「ねえ美鈴、あなたは月下美人という花を知っているかしら?」
何かを企んでいるかのような、そういう笑みを浮かべてお嬢様はおっしゃる。
「ええ、ありますよ。つい先日です。花を咲かせたようですよ」
でも、何故それを今お嬢様が。
「さっきパチェに会った時聞いたの。美鈴が珍しい花を世話しているって。それで少し見てみたかったのだけれど」
お嬢様はもう無理かしら、と少し不安げになっていた。
手入れはきちんとしている筈だから、うまくいけばもう一回だけは咲くかも知れない。
そういう旨を告げると、お嬢様は以前に比べると成長なさった体に、その頃と同じ笑顔を浮かべた。
その日から、お嬢様は毎晩起床なさると花畑に足を向けるようになった。
『前までは』、気まぐれにふらりと現れて従者と何か話して、またふらりと去っていく。そういう風だったのに。
私も夜勤の部下に何か変化があったら必ず教えるようにと告げ、花たちの世話をする度にその花をじっと観察する様になった。
幾つもの夜と昼を迎えた。辛抱して待った。
中々開こうとしないその花を苛立たしく思い、根っこから引き抜いてしまおうかと思った日もあった。
しかし時間は無限にあるのだ。
ついにその日はやってきた。
一日の仕事を終え、最後に花畑を見回る。
そして出口あたりに植えられたそれは蕾を膨らませていて、私は急いでお嬢様の部屋へ向かった。
お嬢様はずっとその花の前にしゃがんで、何もすることなく蕾が開くのを待ち続けた。
夜が深まるにつれ、次第に少しずつ花が開いていく。
私は遠くからその様を眺めていた。
そして私は気付く。
その花の姿に、お嬢様は今は居ない彼女を透かしていた。
そうでなければ、お嬢様があの花を―、月下美人を、求めたりなんかしない。そんな気がした。
もう何時間か経ったころだろうか、花は開ききった。
「ね、私もあの頃に比べるともう大分成長したよ。思い出すよ。
お前がまだこーんな小さい頃にここにやってきて、それから成長していったこと。
ひょろひょろもやしみたく背丈と手足がぐんぐん伸びてってさ。来た時は私と同じぐらいの身長だったくせに。
それからは…いろんなことしたね。懐かしいわ。もうどれだけ前の話かしら…。
あなたは長い間かけて私の心にあなたを刻み付けていったわ。
…その癖、あっと言う間に居なくなりやがって。
あなた程の主人不孝な従者は、あなたきり見たこと無いわよ。
ああ、私相当ボケてきたようね。生きてない花に向かってこんな話するなんて―。
ただ…あなたに会えるようなそんな気がしたのよ」
私は聞こえない振りをした。
開ききった花は、後はもう萎むだけである。
「ばか咲夜! 咲夜のばか!!」
咆哮も、嗚咽さえも。
もう数十年振りに見るお嬢様の泣き顔も見なかったことにした。
奇しくもその夜の月は十六夜で、まるで誰かが取り計らった様だった。
世話を焼こうとすると何かと恥ずかしがったり照れたりしてその手を跳ね除ける様も。
誰にも依らず自分で立って生きていたその精神も。
月夜に一人佇んで月の光を受けるその儚い姿も。
夜に咲く花も―。
―そうそう、最後に思い出したわ。
―その花、確かコウモリが寄ってきて蜜を舐めていくのよ。
―コウモリが受粉をさせて、ようやく花を咲かせる。
―ふふ、どこかの誰かさん達みたいね。
―もうずっと前の話だけれどね
…………
十六夜月の元、たった一夜限りの命を咲かす、それはまるで人のそれであるかの如く、人の夢であるかの如く、ただ儚げに。
GJ!