Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

死して屍拾うもの在り

2008/01/02 23:40:44
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 基本的に、幻想郷へ赴くには何処でも構わない。空間の綻びを見つけ、その中に入ればいいだけである。幻想郷の所
在地は問題ではないのだ。考えられる限りでは、幻想郷は日本と地続きの場所にあることはあるが、結界影響の強いそ
の場所に本当に綻びがあるかどうかは怪しいのである。それに、確実な証拠もない。山村であるということから、明治
以降確認されていない村辺りの資料を探れば出てきはしそうだが……少なくとも、インターネットを駆使した限りでは
見当たらない。様々な分野の変人が集う場所で検索ワード一つにも引っかからないのである。有象無象蠢くネット世界
で発見出来ないとするならば、実際大きな図書館の資料を漁ったところで、見当たるとは思えず、そして何より見つけ
たとしても、その場所から幻想郷へ転位出来るとも限らないのである。

 だったら最初から他の可能性にかけるべきだ。此方もかなり稀な確率であるが……ほぼ無いと証明されている資料を
探って難しい確率にかけるよりはよっぽど有意義である。

 現在、日本の一年の失踪者数は十万。内八割方が発見されているが、残り二割は確実に居なくなっている。此方に明
確な資料がある訳ではないが、二割の内の更に99・9%は、殺害されているか、本当の失踪者と見て良いだろう。こ
こからが問題だ。それ以外の、残り0・1%。例えば……私の友人。何を血迷ったか、彼は幻想郷に赴いて、しかし帰
ってきたのである。理解に苦しむ、頭に来る、なんて羨ましい奴だ。

 彼という人物は何でも無い、普通の、極一般的な小市民である。酔っ払って道端で眠ったらしいが、目覚めた先は森
の中であったという。私はその話を事細かに聞きだそうと尽力したが、どうも記憶がボケていて今一手にとれぬ情報ば
かりであった。ただし、そこが間違いなく幻想郷であり、神隠しはありえるのだ、という事実は得ることが出来た。

 都市伝説の類。信じるだけ阿呆を見るような、幻想も幻想。蓬莱国、シャンバラ、妖精郷、マヨイガ。人間が夢の中
で見たことを口にしている、理想を文字にして書き残しただけ、そのように蔑まれる理想郷や楽園を、私はずっとずっ
と信じて来た。世間一般で言うオカルトマニアとはまた別の位置にあると自負はしているのだが、周りは皆一緒くたに
しているのだろう。それ自体は別に、どうでも良い。私は実際に小さな頃、それを見たし、住人に会ったし、会話も交
わしたし、数日住んだ事がある。私という人間は、あの時帰ることを願わなかったのに、帰されてしまった。無念でな
らない。あれは夢だったのかと悩みに悩み、こんな歳まで来てしまったが……やはり、あったのだ。

 私の幼少時代、昭和の終り頃である。次々と建物が潰され新しい建物と道が作られる区画整理が激しい、都心から外
れた郊外に住んでいた。私は母の心配を蹴飛ばし、面白いものがあると皆が噂するビルの建設予定地で遊ぶ事を心に決
め、様々な資材が溢れかえったその場所に子供が遊ぶには危険である事も知らず、独り遊びを講じていた。拾った鉄パ
イプで戦隊モノの真似事をしていたその時、頭上から鉄骨が降り注いだのである。どうやら何かしらの所為で足を取ら
れた私が振るった”武器”が、固定してあった鉄骨のロープに引っかかってしまったらしい。今考えれば、あれは建設
会社のミスであるようにも思えたが、そんなものはどうでもいい。兎に角、その瞬間私は確実に死んだと思った。十年
にも満たない人生の走馬灯が脳裏を支配し、ゆっくりと落ちてくる鉄骨を見上げると、私はゆっくり目を瞑った。

 死ぬ瞬間とは、痛くないものだと諦め、目を開いた次の映像は、まるで見覚えの無い場所であった。木々生い茂る場
所に立ちすくみ、真っ青な空を見上げていたのだ。私は暫く、動けずに居た。何をするでもなく、辺りを見回しては首
を捻り、良くテレビが言っている”天国”であるのだと判断した頃には、もう足が震えていた。どうする事も出来ず、
その場にしゃがみこみ、泣きじゃくる。無力な子供などこんなものだろう。それが自分であると思うと恥かしくてなら
ないが、仕方ない。

 だが、そんな不安も束の間であった。目の前の空間がパックリと割れたのだ。私を目を見開き、声をあげることも忘
れ、目玉だらけの気持ちが悪い”隙間”を覗き込んだ。何せ驚いていたし、変化のない森とは時間が止まったようにす
ら感じられる場所である。そこに現れた多大な変化があれば、興味を抱く事これ致し方なき事。私はその中から伸びて
きた手に掴まれ、そのまま隙間へと落ちていった。

 度重なる状況の変化に小さく皺の足らない脳みそが状況を意味不明と捉え、その意味不明さ故に考える事を放棄させ
られる。そんな空っぽになった脳みそに飛び込んでくる映像が、心に残らない訳がない。私が目にしたものは、恐らく
は人。モブキャップとでも言うのだろうか、不思議な帽子を被る、金髪の女性である。優しくニッコリと微笑むその姿
は、当時気にしていたクラスの女の子なぞとは比べ物にならない程、美しかった。いや、その時はそう思ったものだが、
今となると仕方ないとは思う。あれは妖怪、人と比べて良いものではない。

 兎も角、その人外の女性に見惚れたまま、そして為されるがまま、私は女性に手を引かれて行くのである。それから
約一週間程度は、その女性と暮らしていた。何故自分を保護してくれたのかなど、私は質問したのではあるが、女性は
全く答えてはくれず終い。真相を究明して答えが出るとも思えないのではあるが。

 暮らした、と言っても、正しくはないだろう。どちらかといえば飼育された感じがある。妖怪は人を食うと言うが、
またそれとも違う気がした。犬やネコ、だろう。愛玩動物的立場であった。私は父や母が居ないこの場所が不安でなら
なかった事は確かだが、恥ずかしながら、幼い私はその女性に恋をしていた。完全に現世と切り離され、右も左も解ら
ぬ状況に、この女性しか居なかったから、という理由もあげられるではあろうが、しかし。優しく接してくれるこの人
には、只ならぬ感情を抱いていた事だけは間違いがない。

 このままココで暮らして行けるのならば、と何度も考えた。母や父ほど小難しい事を言わぬし、宿題をしろと怒った
りもしない。心が溶けてしまいかねない笑顔に抱かれたまま、腐れ落ちても構わない気持ちであった。

 そこは間違いなく楽園ではあったが……現実の延長でもあった。ある日目を醒ました時にはもう、その楽園は泡と消
えていたのである。落ちた鉄骨の上に、私は居た。直ぐに近所の人がそれを通報。捜索願いも出されていたらしく、私
は速やかに保護され、両親のもとへと帰された。その時の両親の顔と言ったらない。泣き喚きながら怒るのである。私
もつられて泣いてしまった。一生忘れられない記憶が、刻まれたのだ。

 ……考えれば不謹慎な話だ。両親の心配そっちのけで、私は美しい女性に飼われていた。確かに両親の気持ちは嬉し
くあったが、それ以上に、どうしても、以来十数年、片時もあの女性を、忘れられない人間となってしまった。その場
所が、その人物が何で誰なのか、知ったのは失踪から実に五年後である。

 パソコン通信創世記。IT革命を経て全世界インターネットの時代へと突入した情報化社会だからこそ、ある程度、
真偽は定かでなくとも、情報は得る事が出来た。文献も漁り、考え悩み、学生から社会人になったもまだ、私と言う人
間はあの理想郷を、あの女性”八雲紫”を追い求めている。

 そんな中、友人が幻想郷へ行って帰ってきたという知らせは、その場所が存在しているという確証を私に齎し、そし
て八雲紫も確実に存在していると、証明してくれるものである。心踊り、興奮のあまり涙が出る。追い求め追い求め己
を疑いながら進んできた、空虚な人生の穴を埋めてくれる事実。

 私はその日に会社を辞め、幻想郷を探す旅に出た。

 自分探し、とは、この世で最も蔑むべき最低の思想である。生んでくれた親が、綿密に連なる家系が、血が、情報が
歴史が紡ぎ出した一点である己を、よもや探す事になるとは、過去の人々も考え及ばなかったであろう。自分はここに
居るべき人間ではなく、もっと正しい場所にあるべきだ、という腐れた選民思想である。現実を見ろ、お前の居場所は
そこにかないのだ。

 ……と、何度も言われてきた。お前は宙に浮いている、現実から目を背けている、そう仕事も出来ない上司に罵られ
ては嫌な気分になった。別に、自分を探している訳ではない。自分は自分であるし、理想も現実もココしかない。そし
てだ。そして、私は理想と現実の境界線を知っていて、尚且つ理想郷そのもので暮らした事もある。私は知っているの
だ。現実とは隔離された現実があることを。そしてその場所には、心奪われるような、女性が居る事も。

 ――全く愚かしい。愚か過ぎて反吐が出る。私は、私の人生は全て、何もかも、八雲紫への恋心のみで、造られてい
たのだ。究極的なマゾヒストである。私は、彼女に飼われる事を望んでいる。もう少年ではない。こんな、モテない男
の鏡のような存在だ。可愛がってくれるなどとは考えていない。だったのなら、そう。私のように狂ってしまった、い
や、狂わされた人間の責任を取って欲しい。

 ――是非是非、その美しい手で、私を殺して欲しいのだ。一度逢えたならそれで良い。私の人生は満足感と共に消え
て失せる。数多の塵芥の如く消え失せる人間と比べたら、なんと羨ましいものだろう。想いつづけて来た人外の妖にサ
ックリ殺されるなど、考えただけでも嬉しさに身震いする。故に私は探すのだ。友人が幻想郷へ赴いたと記憶している
その場所に。

 彼の地元は東北にある地方都市である。しかもそこから離れた、小さな工場で仕事をしていた。仕事帰りに仲間と飲
んでその後、車も走らないような農道でぶっ倒れたらしい。目を醒ますとそこは森の中で、目の前には紅白の少女が居
たと聞く。名前はハクレイレイムと言ったか。ネットにある情報とも合致する。彼は珍しくインターネットなどには疎
い人間で、自宅にも実家にもネット環境が無いそうだ。仲間から友人から、聞いたという可能性もあったが、状況を鑑
みるに幻想郷へ行ったのが現実であった、と取る方がまだ現実的である。何せ、私のオカルト癖を蔑んでいた類の人間
である。それ以外は良い人間なのだが。いや、世の中解らないものだ。

 ハクレイレイム。漢字は無い。皆耳にした音だけで名前を知っているからだ。一説には”博麗である”との話もある。
それは都市伝説の一つで、別世界に繋がるとされる寂れた神社の噂だ。鳥居には”博麗”と在るらしい。かなり、関連
付けするにも情報が揃っているので、間違いないだろう。博麗レイムである。

 聞く限りでは、これまた美しい少女であるらしい。理想とは何でもかんでも装飾して、醜いものも美しくしてしまう
特性はあるのだが、恐らく私は美しいのだろうと思う。幻想郷は幻想を敷き詰めて出来上がっている場所。皆が想い描
く少女が居てもサッパリ可笑しくはない。

 確か一度、私が常駐していた掲示板に、携帯電話で取られた写真が一枚アップロードされていた事があった。頭にリ
ボンを結んだ黒髪の少女の写真である。無愛想そうで不器用そうな顔つきではあったが、目を見張るほどに可愛らしか
った。勿論、そんなものはコスプレだろ、と一蹴されて終りなのだが。しかし、その少女がバックにしていた森は、ど
こか懐かしい雰囲気があった。強ち、嘘でもないのだろう。

 ……。

 友人は駅の前で私に手を振っていた。近寄るとすぐさま握手を求められる。大学の頃に知り合い、現在は電話でのや
り取りが多く、実際会うのは数年ぶりである。携帯ぐらい持てと言うのだが、機械は嫌いで、ネットは信用していない
らしい。だったら携帯電話の部品工場で働くなというのだ。実家は農家なのだから。

 何も無い道を、彼のトラックに積載されてゆらゆらと行く。彼は幻想郷へ赴いた時の話を電話で話した事も交えて事
細かに説明してくれた。部分部分曖昧ではあるが、その一つ一つが私の記憶と知識に合致する為、今からその場所へ行
くという期待に胸が膨らむのである。

 疑っていて悪かった。お前はただのデンパ野郎じゃなかったんだな。等々、かなり酷い物言いをされるが、これは彼
なりの謝罪なのだろう。自分が目にし耳にした事は偽らない、それがこの男の良い所だった。これだけのリアリストが
言うのだ。森に落ちたら巫女がおり、その巫女に連れて行かれる先は神社であり、空を飛ぶ魔法使いがおり、羽の生え
た幼女がおり、胡散臭い笑顔をした金髪の女性が居たと。

 ああ間違いない。間違いない。私の経験と情報の全てが合致する。それこそが幻想郷。それこそが向こう側の博麗神
社、そしてその胡散臭い笑みこそが、私の愛しい八雲紫だ。

 トラックが止まり、彼が消えた場所へと案内される。見渡す限りの青い田園風景。何故こんな所で酔いつぶれていた
のかと聞いたら、送り届けられる際に車の中で暴れて、放りだされたのだと言う。酷い話だ。

 農道を進み、足をとめる。友人が指を刺した足元こそ、その場所。何もない。単なる農道である。突如この場から消
え失せる事が頻繁にあったのなら、きっと心霊スポット扱いだろうが、そんな話は聞かない。というか一々消えていた
ら、この田圃を所有する人物は何度となく消えているはずだ。そう、突如消えるはずもない。期待しすぎの自分が悪い
のだが、やはりやりきれない気持ちがある。ここには何も無い。皆の口に入る米しかない。

 友人の手が肩に掛かる。何故お前じゃあなく俺が向こう側にいっちまったのかな、なんて事を言うのだ。幻想郷が存
在する可能性を常々話していただけに、彼も私の気持ちを汲み取ってくれたらしい。そんな自分に付き合ってくれただ
けで、私は嬉しいのだ。そこまで心配してもらう事はない。

 私はここに残ると告げると、友人はそうかと行ってトラックで帰っていった。幸い駅までそう遠くはない。帰ろうと
思えば歩いて帰れる距離だ。だから私は、もう少しここにいたかった。

 鞄を下ろし、草の生い茂った農道に寝転がる。天高く空は青い。私が幻想郷へ言った頃も、丁度こんな空が広がって
いた。様々、思い返す事がある。変人扱いされ、馬鹿にされ、現実を見ろと怒られ蔑まれ、それでもムキになって探し
求めた理想郷。それは山奥にあり、大結界と呼ばれるものによって隔離されているらしい。日本とは地続きの場所で、
物理的には接触しているが”現実と幻想の境界”によって概念が切り離されている。つまり……私自身が幻想になれば、
自ずと幻想郷の住人になれるのである。

 とはいえ、忘れ去られる事は難しい。父も母も私を覚えているし、今の今まで友人が傍にいた。誰かの目に入ればそ
れは記憶になるし、もし私が死んだとしても、死んだと記憶され、そして記録も何処かに残る。生きながらにして消え
る事は、果てしなく難しい。だからこそ、私は神隠しの可能性を探す。

 失踪者十万の内の、数人。その一人に、私はなりたい。

 ……。

 帰る頃にはもう日が暮れていた。駅の前には友人がおり、来た時のように手を振ってくれている。私もそれに答え、
別れを告げ、また自分の居場所へと帰る。もどかしい。今日はこのまま帰ってしまうには、あまりにも勿体無い気分で
一杯だった。電車を乗り継ぎ、雑多なもので溢れかえる街中に放り出されて、酷く寂しい気持ちにかられる。追い求め
追い求めされど届かず。興味なき友人はたどり着き、興味だけが溢れかえる私はたどり着かない。

 欲求が拒んでいるのか。だとしたら、一度忘れてみるのも手か。
 ……しかし、許されない。そう思うたびに、八雲紫の笑顔が胸を打つ。私は、どうあっても、何が何でも、あの女性
に会いたい。飼われたい。ダメなら殺されたい。

 自然と足が向いたのは、昔自分が住んでいたあの場所であった。今は、バブル崩壊の煽りを受けて、建設途中のまま
放棄されたビル群が立ち並ぶ、寂しい通りに。私が失踪したあの場所も今は廃ビルが建っていた。板が打ち付けてはあ
ったが、扉は半開きになっており、恐らくは、不良の溜まり場か何かになっているのだろう。

 まるで思い出を汚されるような気持ちになる。私は胸を抑え、しかし中へと入っていった。薄暗く、落書きだらけで、
残骸があちこちに散らばり、汚い。奥の暗がりから何者かが歩いて来るのが解り、私はびくついたが、どうやら浮浪者
であるらしい。荒らすつもりで来たのではないと告げると、気力の無い返事が返ってきた。

 ビルの奥の奥。その辺りが丁度、鉄骨が落ちてきた場所に当たる。細い廊下で、何も無い。こんな場所に来て、何か
良い事があるだろうか。いや、無い、無いのだ。私は諦め、帰ろうとした所で、入り口から野太い悲鳴が聞こえ来た。

 ガツンという鈍い音。転がる金属の音。踏み込む数人の足音。奇声を上げる現代の獣。まずった。私はキョロキョロ
と辺りを見回し、出口を探すが全て板で目張りされていて出口がない。

 ……やがて現れる人達。彼等は言うのだ。このビルを立てた当初、お前の足元には井戸があって、と。ああなるほど。
それは幼い頃皆が噂していた。だからこそ、皆あの場所を面白がって遊び場にしていたのだ。

 ……財布を抜かれる。身ぐるみを剥がされる。大きく構えて、振りぬかれる。

 二十数年ほどの人生が走馬灯のようになって甦り、その光景がゆっくりと見えた。暗がりに光る金属バット。やがて
それは、私の頭を打ち抜き、そして、私は井戸にうち捨てられ、見つかる事も、ないのだ。









 押し潰れた顔面の痛覚が無くなる。遠退く意識に、誰かに持ち上げられる感覚。引き摺られ、床下にある井戸に放り
こまれ、乾いた音が響く。手抜き工事はひどいものだ。ちゃんと、埋め立てればいいものを。これも大量建設の名残か
と考えた頃には、もう意識は殆どない。こうして考えている事すら不思議であるとは思ったのだが、実際、私自身は死
んでいた。何せ、私は私を上から見ているのである。

 顔は潰れ、真っ裸で、なんと哀れな事か。哀れだ。あまりにも、あまりにも哀れだ。

 だが、そこまで悲観する事も、無いんじゃないかと、思うのである。私の目の前には自分が居るが、もう一人居る。
彼女はニッコリと笑って、私を撫でてくれるのだ。やめてください、私みたいな愚か者。撫でられるまでも、ありませ
ん。お手が、汚れます。

 そう制止するにも関わらず、彼女は哀れな私に声をかけてくれる。探しましたかと。
 ええ、探しましたとも。探しましたとも。貴女に会う為に。貴女の居る場所に赴く為に。愛しい恋しい貴女を一目見
たくて、何もかも投げやって、そしてこの様です。酷いでしょう。馬鹿でしょう。でも、そんなに後悔はしていない。
寧ろ、嬉しくあります。私は会えた。貴女に会えた。死して屍になってその後に会えるなら、もっと早く死ぬべきでし
た。貴女は変わらず、お美しいままなのですね。

 ――突然で申し訳ありませんが、愛しています。この世の何よりも、貴女を愛しています。飼われる事を望みました
が、もう死んでしまいました。なのでもう何も望みません。そして、私は想いの丈を貴女に告白出来ました。もう、後
悔もありません。

 そんな私の言葉に、彼女は動じる事もない。恥らう顔など見てみたくはあったけれど、きっともう長いこと生きてい
るに違いない。そしてもしかすれば、私のような人間は、私一人では、ないのかもしれない。

 彼女は少し間を置いて、ゆっくりと口を開く。

 ――有難う。この”肉体の貴方”持ち帰っても良いかしら。

 ――どうぞ。どうぞ。汚らわしいでしょうが、そうしていただけると幸いです。

 ――とんでもない。私は妖怪ですもの。死肉を喰らうのは、趣味趣向の一部ですわ。

 妖怪は人を食うという。生きている内に掻っ捌く方が新鮮でよかろうに。私のような死肉を喰らってくれるとあらば、
これを拒む理由がない。

 ――有難う御座います。私は、貴女の血肉として、生きられるのですね。

 ――そう。嬉しい?

 ――生きていて、良かったと、望んで良かったと、ここに来て良かったと、心から、魂から、そう思います。

 あの頃と変わらない、見目麗しい笑顔と共に彼女は私の肉体を持ち去った。
 なんと言う事か。
 信じられない。私は飼われるでなく、殺されるでなく――八雲紫の一部として、生きられるという。



 こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも、嬉しい事が、在る筈がない。
 私は薄暗い空間で一人、声無き声にて、有難う御座いましたと呟いた。
 私は、世界一の幸せものなのだ。



 end


 

「紫様、なんです、それ」
「見て解らないかしら」
「解りますが。死んでいるじゃありませんか。わざわざ死肉を食らう事もないでしょう」
「藍には分けてあげないわ」
「……おなか壊しますよ」
「いいのよ。壊しても」
「ふぅむ。でも一人で食べられますか。大人一人は多いでしょう。処理にも困るし」
「ダメ」
「……そう、ですか。紫様がそう仰るなら。なるべく早く片付けてくださいね。臭うと困りますから」
「いいわよ。調理も全部私がするから」
「珍しい。その人間、何か因果が?」
「私を愛していると言ってくれた、大切な人よ」
俄雨
[email protected]
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コメント



1.名無し妖怪削除
“罔両は状は三歳の小児の如し、色は赤黒し、目は赤く耳は長く、美しい髪をもつ”

ロリゆかりん! ロリゆかりん!
2.名無し妖怪削除
ゾクゾク来た、こういうの大好きだわー
3.名無し妖怪削除
作中の男性の胸中が察せられて、胸が痛くなりました。
素敵なお話を読ませさせていただき感謝。
4.名無し妖怪削除
ハッピーエンド……なのでしょうね。でもとても辛いです。
私達ももしこんなことがあったら……どうなるんでしょうかね。
いいお話をありがとうございました。
5.名無し妖怪削除
間違っているけど正しい、正しいけど間違っている愛の形でしょうか。
非常にいいお話です
6.名無し妖怪削除
これはいい
読んでる内に目頭が熱くなってきました。

アレ・・・点数欄がない・・・
7.名無し妖怪削除
ハッピーエンドなのかどうなのかー
ゆかりんの不思議な魅力に引き込まれました。
8.名無し妖怪削除
文字通り、男を食い物にする―――――まさに。
ただ、世の凡百の悪女と違うのは、文字通りに「すべていただく」ことであろう。
既に心は頂かれた。そしてこれから、きっと腸も骨も、髄に至るまで、すべてを平らげて貰えることだろう。羨ましいことだ。

故に、彼女はきっと言う。「いただきます」と。
9.名無し妖怪削除
人を狂わせるほどの魅力、まさに幻想。
というわけで、男はゆかりんにおいしく頂かれましたとさ。丸。
10.堰碎-鋼霧蒼削除
前の話とは打って変わって今度はこういう話か・・・
一見東方とは無縁そうな話かと思いけば、外の世界の視点から幻想郷を見る話はこの創想話の部類の中でもとても珍しい。そしてすっきりと残り物が残らない様に終わらせている。点数欄が有れば間違いなく高評価だろう話を有難うございます。
11.名前が削除
彼の言動に一字一句共感した私も死んだほうがいいような気が。
12.削除
純愛、って言っていいよね?
ゆかりんかわいいよゆかりん。この言葉に今日ほど意味をこめたのは初めてかもしれない。
13.名無し妖怪削除
狂気、の作品ですなあ。
こういう雰囲気好きです。文章もとても読みやすくて書き慣れてらっしゃる。
14.名無し妖怪削除
真の狩人は獲物を探して歩き回ったりなどしない。
獲物の方から歩み寄ってくるからである。
そう、ゆかりんの狩りはこうやって行われるのだ…!
ってテロップを幻視した。
15.名無し妖怪削除
グロテスクで美しい純愛ですね。物語と語り口のマッチングがちょうどよい感じ。