永遠亭を取り囲む竹林は、イナバ達が最も得意とする戦場ではないだろうか。
竹林に関しての知識がなければ、余程の勘や運でも持っていない限り、迷ったまま時間を浪費してしまうだろう。
そうでなくとも、視界が悪いのだから相手との位置関係を気付かれにくい。
「……ああ、もう」
つまるところ、逃げ出したイナバが向かう先はこの竹林しかない。
そもそも永遠亭の立地条件的に、外に出ようとするならば竹林を通らざるを得ないのだが。
標的を見失い、肩を落とした鈴仙はじっと耳を澄ませる。
葉擦れの音は絶えることなく、察知出来るかどうかは自信がなかったが、やらないよりはマシだった。
意外にも風通しのよい竹林には、少し冷たい風が吹いている。
夏場は日もあまり射さず、涼しくてよいのだが、それ以外の時期にはやや寒い。
目を閉じて集中すると、世界には自分しかいないような感じさえするくらいだ。
(……見つけたわよ)
それでも、月と地上の産まれの差はあれど、兎の聴力は伊達ではない。
解るのは方向と、断続的な音。足音だろう。
その音は徐々に遠ざかっていくが、相手の歩幅を考えれば、そう速くはない。
鈴仙なら、走ればすぐに追い付けるだろう。
(よし、覚悟しなさい)
意気込み、一歩踏み出したその瞬間、
「!?」
地面を踏んだ爪先が柔らかく沈む。
幸いにも踵で踏んだ部分は固いままだった。
咄嗟に跳び、空中で構えると柔らかい感触があった辺りへ弾を放つ。
(――やっぱり、トラップ!)
地面に空いた穴は予想以上に大きく、下にクッション代わりの葉っぱを敷き詰めた落とし穴がそこにあった。
鈴仙が着地すると、一瞬遅れて上から籠が落下する。
落とし穴に連動した仕掛けなのだろう。はまった相手が出られないように、上からの追い打ちをかけるのだ。
これでは走って追い掛けるのはかえって危険である。
鈴仙は飛び上がると、竹の間をすり抜けるようにして追跡を再開した。
短い手足を賢明に動かして、小さな妖怪兎は竹林を駆けていく。
その目尻には涙の跡。兎特有の赤い眼は、更に涙で赤くなっていた。
「――ひぃっ!?」
――突如響く銃声。足元の地面が弾け、彼女は足を止めざるを得なかった。
振り返れば、上空で指を構えている鈴仙の姿が。
「れ……鈴仙ちゃん」
「そこまでよ、てゐ。今ここで神妙にお縄につくならよし、抵抗するのならそれなりにやらせてもらうけど……どうしよっか」
「あ、あのね鈴仙ちゃん。親から貰った大事な身体に穴とか空けちゃいけないと思うの。だからね、だから……」
必死で言葉を紡ぎ、説得しようとするてゐ。だがその言葉は、小さなため息に遮られた。
「――残念ね。なら私も言わせてもらうわ」
その指に輝きが灯り、竹林を切り裂く赤い光芒が放たれる。
わざと外したのだろう、それはてゐの近くの竹に命中し、焦げ臭い匂いを漂わせた。
「ここで諦めてくれないなら、実力行使でてゐを捕まえて、私じゃなくて師匠に処置してもらうわ。
大人しくしてくれるのなら、今ここで私が処置してあげるけどね。小さい子達の前じゃ、てゐも泣いたり出来ないでしょ?」
竹林に空気を震わせる低い音が響く。
竹はてゐとは反対方向へ倒れていったが、その気になれば直撃させることくらい、鈴仙なら造作もないだろう。
「な、なら……鈴仙ちゃんはどうなの? 私達だけなのは不公平じゃないの?」
「あのねぇ、私はもう師匠にやってもらったの。ちょーっと量間違えられて、高熱出したけどね。さ、どうする?」
にこやかに、穏やかに。確かな威圧感を添えて鈴仙は問う。
それはてゐにとって、よき友人であり、師匠に困らされている鈴仙ではなかった。
永遠亭の狂気と荒事を任された月の兎。鈴仙・優曇華院・イナバだった。
「うぅ……」
じり、と半歩下がるてゐ。鈴仙はというと、指を構えたまま微動だにしない。
「――や、やっぱり痛いの怖いもん~~っ!」
「!?」
突然てゐは予想だにしなかった行動を取る。近くの竹を蹴りつけ、そのまま逃走を図ったのだ。
「このっ、待ちなさ……!」
後を追おうとした鈴仙。だが、それを阻むかのように飛来した物を見て、回避行動をとらざるを得なかった。
泥で固められた竹槍の数々。言うなれば、手作りスパイクボール。
それが縄で吊されており、さながら振り子のように彼女へと向かって来ていたのだ。
「このくらいっ……!」
大きく横に身を投げ出す鈴仙。
だが、いくつかの竹に絡んだそれは軌道を変え、尚も彼女へと向かっていく。
――いや、今やその数は1つではない。
(え、ちょ、ちょっとっ!)
いくつもの方向から多数無数。その数は一瞬では把握仕切れない。
速度が乗ったそれは、一撃でも十分な威力を有しているに違いない。
鈴仙は腹を括った。
「な、何とか……逃げ切れたかな?」
息を切らして走っていたてゐは、ややあってから立ち止まり、振り返った。
あの場に仕掛けてあったトラップを一気に発動させ、その隙を突いて逃げたのだが、やはりやりすぎたという実感はあるのだろうか。
上がった息を落ち着け、深く息をはいて深呼吸。
音で鈴仙の位置を探ろうとしたが、自らの鼓動が邪魔をして探れなかった。
だが、それを押さえようとしてもかえって緊張してしまい、鼓動は早く強くなるばかり。
――彼女の横を無数の『赤』が飛んでいく。
それに気付いて踵を返すてゐ。だがしかし、駆け出すことは出来なかった。
「……!?」
何故なら、目の前の空間が倒れていく竹で遮られていたから。
今の射撃はてゐを狙ったものではなく、その後ろの竹を狙っていたのだ。
さらには背後の地面が抉られていた。地面を狙う威嚇射撃は間違いなく鈴仙のもの。
退路を塞がれたてゐの首筋を、白い指が捉える。
背後から首根っこを捕まれたてゐは、その身長差の前に猫よろしく掴み上げられた。
「てゐもやるじゃない。かーなーり冷や汗かいたわよ」
「あ、あれ全部避けたのっ!?」
「思い切って気合い避けよ!
……って言いたい所だけどね、一か八か下に避けたのよ。
落とし穴を沢山仕掛けてたのは、地面を警戒させて私を飛ばせるためだったんじゃないの?」
びくり、とその身体が反応する。それで鈴仙には十分だった。
「じゃ、さっき言った通り師匠にお願いするからね」
「れっ、鈴仙ちゃんの意地悪~っっ!!」
泣き叫ぶてゐを掴んだまま帰路に着く鈴仙。
永遠亭の因幡のリーダーとしての貫禄はそこにはなく、はた目にはさぞかしお転婆な妹に手を焼く姉に見えただろう。
「お疲れ様、よくやってくれたわね」
「いえ。ちょっとてこずりましたけど……こうして大人しくなってくれましたし」
捕まえられたてゐは初めこそやかましかったが、永遠亭に着く頃にはすっかり耳もたれ、しゅんとなっていた。
因幡達のリーダーとして、見苦しくないようにその時を迎えようとしたのだろう。
「……お師匠様、鈴仙ちゃん。もし私に何かあったら、みんなに『てゐは最期まで立派だった』……って」
「あのねぇ……」
「何言ってるのよあんたは。
じゃあ、てゐをお願いします。他の子達は私が何とかしておきますので」
永琳に手渡され、抱き上げられるてゐ。微笑ましくはあるものの、その拘束力は先程までの鈴仙に劣らない。
「ふふ、弟子が育つっていいものね、本当に」
「……えっと。てゐは小柄ですから、私の時みたいに量を間違えないで下さいね」
「はいはい。頼もしくなったわね」
長い髪を揺らし大広間に向かう鈴仙の後ろ姿を、永琳は微笑んで、てゐはやや複雑な表情で見送った。
「――さてっ。健康に気を遣うのなら、予防接種は大事よね?」
「や……優しくお願いします」
殺伐だなぁ