レクイエムを奏でる騒霊の前に座っているのは、物寂しい雰囲気を漂わせている紅葉の神様だけだった。観客というには散り行くカエデやイチョウの葉に視線が飛び、演奏に集中しているようには到底見えない。だが奏者も観客の態度にいちいち神経を尖らせることもなく、淡々と、死者のための歌を紡ぐ。
墓石も墓標も何もない無縁塚に、死の影を見つけ出すことは難しい。けれども、ルナサは知っている。過去、此処に無数の死が横たわっていたことを。だからこそ、鎮魂歌を紡ぎ出すルナサの周囲に、成仏することも裁きを受けることも忘れた霊が群がっているのだ。ひとり、ただ降り注ぐ紅葉の雨に、気も漫ろとなっている静葉を除いて。
くしゃくしゃと、地面を埋め尽くす紅葉の残骸に素足を浸す。楽しそうに、けれども何処か寂しそうに歩き回る静葉の姿は、レクイエムに心を奪われていた幽霊の一部を、紅葉の絨毯にふらふらと引き寄せた。どちらが上、という問題ではない。幽霊は虚空に浮かぶ風船のようなもので、ひとところに定まることのない存在である。何処にでも居て、その寄る辺は何処にもない。彼らを永遠に繋ぎ止めることが出来るのは、冥界に居を構える亡霊くらいなものであるという話だが、真相は定かでない。
だから、幽霊はその気質に従い、好きな方に吸い寄せられる。
物静かな鎮魂歌が好きな者、暮れ行く秋の美空の下で、紅葉を踏み鳴らす音が好きな者、両方が好きな者はその中間に、いつのまにか、無縁塚には無数の霊が集っていた。
ふと、ルナサと静葉の視線が絡む。
「――」
「……」
ふ、と、お互いの表情が緩む。
楽しそうね、とも、寂しそうね、とも取れた。だが真相は解らない。真剣なのか面白半分なのか、仕事にしてもお遊びにしても、その価値は本人しか測れない。だから、お互いに下手な干渉はしない。
対岸の火事を眺めるように、自分の成すべきこと、やりたいことをやりながら、隣の青い芝生を覗き込む。
静葉の身体に、幽霊が絡みつく。その冷たさに背筋が震え、それでも無下に突き放しはしない。足のない幽霊の代わりに、静葉が紅と黄に染まった葉を踏む。くしゃくしゃと、かさかさと、乾いたようでいて、確かな生を感じさせる音色を響かせる。
暮れなずむ黄昏の空を振り仰ぎ、金色の髪が風に弾けた。
静葉が原っぱの外縁を歩き始めると、幽霊も彼女に付き従う。対して、演奏を続けているルナサの周りにたゆたう幽霊は、ふらふらと、ふわふわと漂っているだけで、何の動きも見せない。それぞれ似たような静けさでも、何処か違う。
ざわ、と一際強い風が吹いた。
「あ」
紅葉が、一斉に空に還る。
ばらばらに、紅と黄の葉が、紅い空に打ち上げられる。
「……あ」
不意に、ルナサも呟いていた。
何らかの結界に阻まれるように、ルナサの周りに葉っぱが舞い込んでくることはない。レクイエムも紅葉も一種終わりの象徴であるならば、融合する要素もあるように思えるのだけれど、あくまで似て非なるものである以上、それぞれの領域を侵すことは容易ではない。
だが、レクイエムを奏でる手は止めずとも、つむじ風に巻き上げられ、紅い空に吸い込まれる紅葉を美しいと思う心は、確かに繋がっていた。
乱れた髪を直すことも忘れ、静葉も、ルナサも、レクイエムに彩られながら、昇天する紅葉の行く末を想う。無機物の死、人の死、幽霊の死、神の死、あるいは死の死を想うことは、決して陰鬱なことではない。
始まりがあれば、終わりは訪れる。
花が咲けば花は散り、葉が広がれば葉は散る。それでもまたいずれ花は咲くだろうし、葉も青く広がるだろう。だからこそ生を賛美する歌があり、死を悼む音楽がある。
繋がっている。
その場に佇み、大地から虚空に還る葉に見惚れていた静葉は、頭に付けていたカエデを外し、風に身を任せるようにそれを大きく放り投げた。
瞬く間にカエデは他の葉と混じり合って見えなくなり、共に、紅い美空に溶けて消える。
その光景を、誰もが見ていた。
丁度、レクイエムが終わりを告げた。
残響音が空に漂い、螺旋を描き続けていた風がやみ、ふ、と空気が緩む。
再び、視線が絡んだふたりは、先程と同じように、ふ、と頬を緩ませた。