(お読みになる前に、東方花映塚製品版をプレイすることをお勧めします。
きっと面白すぎて、こんな小片のことなど、記憶から消えてしまうことでしょう。
そんな些細な意味をこめて、花映塚ネタバレの注意を喚起します。お気を付けて。筆者)
『人の生は擦りガラスのように、見えるのか、見えぬのか判然とせぬ。
目の前にあるなにやらの、黒白の分別すらつかぬ。
その拵え、その檻、その虚ろを、叩き割って瞼拓かせるが、この身の務めよ。 ―― 裁判長』
『悔いるにははやし、革むるには遅し。
もはや手遅れとはいえ、自暴自棄になってはならない。
今やっていることをこれからも続けていくこと。それが貴方の積める善行です。 ―― 四季 映姫(許)』
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川辺。
船の縁に腰掛けた死神は、水を掻く為の櫂を川面に刺したままで、一向に渡しを始めない。
何故かと問えば、
「今日のお役目は終ェだ」
こんな野郎がきちゃあねぇと、ニヤニヤ目を細め、人の悪そうな顔で笑う。
丈のある上背を猫のように丸め、
「さぁさ、あたいと話をしよう。お上の罰が、下る前に。
他愛も無い世間話、憂き世離れた裏通り、井戸は無くとも流れがあらぁね」
なおも笑って、私を見る。
私などと話したところで、幾千幾万、それ以上の死を見てきた神懸りは何も面白くなかろうに。
現世を離れるのは確かに――確かに、未練だったが。
こうした偏屈と出会えるのなら、そうそう死を嫌うでもなかったのかもしれない、と思う。
「あんたの人生を、あんた以外の誰が笑う。ただあたいはちょっとばかり、好奇心が強すぎるって評判」
女の案内人は言う。聞かせなよ悪党。
目に痛い赤一色の髪が、肩にかけられた大鎌の重みを受けて揺れた。
「あたいの残業時間を六万五千五百三十五秒も増やした、その仕事振りをさ」
良く見れば、瞳の輝きが笑っていなかった。
なるほど、これは彼女の恨み言である。彼岸の路に着くより先に、死神自身の憂いを払うというわけか。
少し長くなるけれど構わないかと問うと、構うもんかねと余計に笑んでみせた死神。
「あんたの三途は三歩で届く、あんたの道は地獄で決まり。門前小僧にだって今日(きょう)は読めらぁ」
正真正銘の笑顔であった。
困った予言だなと、頬を掻こうとして気付いた。
嗚呼、この私には躰が無い。
話し終えてしまえば、やることは限られている。
「うわぁ思ったより狭いな。これなら飛び越えられるんじゃない?」
見れば川は道端の用水路よりも細い。
私は流しそうめんを思い出す。二歳の時に一度だけやったが、箸は不便な武器だと思っていた頃の話。
それでも、足が無い上は船を経由するよりない。
船を出してくれないかと問うと、渡し賃を請求された。
それは法外な額のように思えたが、どういうわけか、持ち合わせの袋からは銭が湯水の如く沸いた。
次第に袋が重くなり、面倒だからとそれごと渡すと、三途の渡しは満足そうに笑い、
「釣りはいらない、盗っとくよ」
と言って受け取った。
大金をせしめた死神は暴れる金袋の口を、赤髪の片房を纏めていた質素な髪留めで結び綴じる。
すると袋は鎮まり返り、鎌の柄にひっかけられた。先ほどの重みが嘘のようだった。
「銭の泡を吹くのは、瘧の証拠。
随分な生き様だし、十分な逝き様だ。その位ェの物憑きになってんのよ、こいつぁ」
物知りなのかなんなのか、それとも死神は、生き神と比べれば元より多弁な性分なのかもしれない。
出す襤褸も無いという。
赤髪をアンバランスに垂らし艶めく死神はしかし、「上司の興(きょう)も詠むようになろうさね」とのこと。
「あたいにゃぁ、ホラ。この、死神の。千里の瞳があるけど」
これだってあの方の手習いに学んだのだもの。
言って自慢気に咲く、笑顔の葬送花。
私の形無い背を見送りつづけている彼女の気配。
それは、今に始まるものでなく。
そうだった。私は今まで――ずっと、彼女に見られていたのだ。
不特定多数内の一個として。
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そして。
「敢えて儀の用向きをさて置き、私の名の下に、貴方の人生を裁き、判を押しましょう」
この人物は、私をずっと聞いていた。
あなたがなかなか来ないせいで、傍聴人は待ち草臥れていますよ。
慇懃に怒る少女の姿は只管に正しく、私は柄にも無く敬語で謝ってしまう。
だが傍聴席などどこにあるのか、そこには淑やかにまします緑と青の姿しか見えない。
あおの髪を、あおの服飾で挟み込む二柱の一翼は、けれど実の所、私の遅刻など物の問いにしていないようだった。
愈々年貢の納め時かとありもしない身を固くする私に、小さな唇が口早に親しげに走る。
「貴方がここに、今日に至るまで、辿り着かなかったのは。
紛れなく偽りなく、貴方が貴方にとっての正道を歩んだからです。
貴方には赦しはいらず、免れるべき罪もまたありません。
裁判に於いて、貴方は無罪の二字を持って法廷を駆けずることができるでしょうね」
ときに優しげな声音は却って不気味さを表現するもので、私は言い知れぬ不安に駆られる。
問う。
確かに許しなどいらない。
が、私は多くの罪を負ってきたはず。それは何ぞかで清算されねばならない重みではないのか。
その薄紫の口がゆったりと動く。
「複雑です。あなたは処罰されたがっているのね。
過去を綺麗にしてもらわねばならないのは凡人の性。
それを勧めるのが私たち閻魔、けど閻魔の裁きでは、貴方を帖に留め置く事が出来ない」
だって貴方は、罪よりも前に、何も得ていないのだから。
小さな口元から零れた言の葉はどうにも優しすぎて、私はその根元から強く揺さぶられる。
説法は清水のように冷たく芳醇であるのに、我が身に染み入ると激痛を伴った。
暖かな笑いに融かされてしまいそうになるのを堪える。
追い討ちとばかりにあおは言う、本当に貴方は罪を負ってきたの?
「違いますね?
もし本気でそう言うのなら。罪を負ってきたというのなら。
貴方は、大きな勘違いをしているのです。
貴方は、沢山の貴方以外を背負ってきた癖に、誰にも己の荷を頼めなかったのですよ。
信に心を以って返せない貴方は、どうしようもない大馬鹿者なの。酷い有り様で、とても見られたものではない」
それを英雄だと囃す者の十二倍ほど馬鹿です、と続ける。
「この紫の桜をご覧なさい。また周期が来ている。
彼らはその罪を、花たちに肩代わりしてもらっているのです。
罪は持ちつ持たれつが正道。人間はいい目ばかり見ていると、却って不安になるのです。分かるでしょう?」
今正に実感していると言うと、大きく頭を縦にするあお。
「曲がった事が大嫌いな人間が、捻くれた人生を歩んではいけません。
名を馳せるつもりも無いのに顔ばかり売っていては、表も裏も、まともに歩けなくなるだけです。
貴方は己の場所を知らない。他の場所を、多の遍在をのみ知る。
そう――貴方は我が道を行き過ぎる。
ここに、幻想の閻魔としてでなく私個人として、貴方の百余年の生涯に裁きを言い渡す」
本当の説教を聞かされているのだと思う。
父母より遂に賜る事の無かった教えを、今この多忙の貴人が下さるのだと。
聞けば聞くほど反発したくなる説教ほど、気持ちの悪いものは無く。
「外の世界で何が起きたかなど知らない。この縁故亡き幽霊たちより由来など知れない。
それが一人の男の激情による悲劇だったとして、一体そこに、何の得があったでしょう。
私たちはあなたの罪を認めない。
貴方がその罪を証拠材料として提出しても、私には他人から奪った罪科に、財貨にしか見えない。
途轍も無い徳と、途轍も無い業が、翻って対消滅している。あなた自身が生み出した膿など、そこには残らない」
反動すら包み込む慈愛の教示ほど、薄ら寒い事も無い。
けれども、その粟立つ感覚が。怖れに涙すら浮かぶ思いが。
本当は、身をよじる程の喜びから生まれたものであったのだとすれば。
「とむろう霊位無くば、替えてここに据えるところの幻位、ビトゥハイズ・パンデモニアム、もとの俗名尾燈敗治」
病一つ持たずして何の思いやりか。
臥せった事の無い私には、その心づくしが理解できなかったのだ。
こうして、躰を失ってみるまでは。
死して後、私は、とうとう人間になれた。
失うことの哀しみと、また得ることの歓びを、知った。
「あなたは蝕まれたのでなく、また蝕んだのでもなく。
ただ壊れていただけです。
よって判決は無罪。この裁判所を離れた後、どこへなりとどうぞ――はい、裁判はここまでよ。
さぁ、まず貴方は、自分が百二十年間違え続けていた道を遡る必要がある。
冥界に住み、そこで暮らしなさい。
必ずそこの姫に挨拶をすること。そしてできるだけ多くの霊と関わりを持つこと。
そして裁きを受けず、地獄で悔いる事も、天国で汚れる事も能わぬ己が身の不仕合せを知るがいい!」
**
長らくの逗留者がまた増えたのですね。
庭掃除の手を止めず、白髪の少女が呟いた。
あら久々のことよ、多分。
桜餅を食む口のまま、桜色の少女がもがもが言った。
不粋者ですがどうかよろしく。
無い頭を深く垂れて、無色の私が拙く頼んだ。
いえこちらこそ。まぁ末永く。
挨拶はそれで済んだ。
私は広い庭、桜の苑を歩き、道すがらの同類になるたけ声をかける。
以後お見知りおきを。
新顔の、そうは言っても、俺も君も綿のようなもの。
確かに。でも、あなたは私を新顔と見分けている。
む、そうかそうだな。まぁ、暫くはかかるだろう。君が俺を覚えていられるといいな。
はい。では。
この調子だった。
気負うことはないが、逸る気は抑えられない。
今は春。
これからの道行きを思えば、次の次の次の季節が来るまでなど、すぐだ。
その時が来て、彼女が寂しくならぬように。
また、その時が去って、私が寂しくならぬように。
私はここで、百鬼夜行と、千妖役者と、万魔殿と知り合おう。
足りない季節を埋めるために。
人恋しさを、知るために。
友達になろう。
そうして知るのだ。
あのあおの言い渡した通り、ここにいて、得、失い続けることの不幸を。
過去を捨てられない宿命と、未来の為の罪を取捨できない運命を。
けれどそれでいい。
それでいい。
私の最初の友達に、「馬鹿ね」と笑われるとしても。
続きの続きでいい。
私は続いていればいい。
そうして続いてさえいれば。
年にひとたび甦る。
凍った私が、溶け消える。
――が甦る。
**
馬鹿ね。
うん。でもほら、この山を見て。
真っ白。
そう、この白が君なんだから。
へぇ? ああ、そうかもね。
それでね、白の下には。
言わなくてもいいわ。判るから。
え、ホント?
ええ、冬が消えた後に残るもの。簡単じゃない?
うん、僕だ。
何も得るものがなければ、世界を滅ぼそうとも罪はないのか。
俺には判らない。判らないから閻魔が裁くのだろう。
閻魔は行為(法に触れるか否か)でなく生き様(胸を張って生きれるか)で裁く。
行為なら俺に咎はない。ならば生き様なら?
まだ死にたくないなぁ……
罪によって罰せられるものが、罰によって己の罪のかさを計る事が無ければそれは罪でも罰でもなく、ただの見せしめであり排除に他ならない。
血の池に逆落としされた男は、初めてそこで己の罪の愚かしさと呪わしさに気が付いただろう。 そして、その男は初めて自分で己の罪を咎めただろう。
罪は、罪を犯したものがその裁量を決めてはいけない。
罪は、罰する者が他者の観点から自戒をする事をして、始めて本当のかさが決まるのだ。
死を、永劫の苦痛を自ら望む者に、それを科したところで自己満足の殻の中に閉じこもる事を許すだけで、そんなものは罰にはならない。
もちろん、人が人を裁く以上見せしめや排除、さらには憤怒の矛先を突き刺す事のみを目的に刑があっても、それは当然の事であり、それ以上を人の意に求める事は過酷でありまた僭越である。
なぜなら、人間が負って生まれた原罪の重さを、人間如きが理解しえる筈も無いのだから。
罪を罪と断定することは、決して優しい事ではない。
が、説教による断罪は、求道の助けになりこそすれ、見せしめや排除とは一線を隠すものでなければならない。
問いによって己の意を引き出され、愚かにも自らが勝ってにはじき出したその解に永らく煩わされる。 そんな話が好きです。
相変わらず見事な洒脱と、韻と陰の取り回し。 筆主様の一字一句に、一喜一憂させられる、そんな読書が好きです。
何故、罪を感じぬ者に罰が下されるのか。
何故、罪を感じる者に罰が下されぬのか。
罪と罰とは表裏一体であり、どちらかが欠けただけでも、
それは酷く不細工なものに成り下がってしまう。
罪の無い罰とは、単なる暴力に過ぎない。
罰の無い罪とは、単なる苦厄に過ぎない。
理不尽だ。理不尽ではないか。これでは誰も報われまい。
……それとも、理不尽で然るべきなのであろうか。
巧みな言葉回しに、ただただ息を漏らすばかりで、
切れの良い言の葉を飲み込むたびに、あれやこれやと色々考えさせられました。
願わくば、かの世の彼に幸多からんことを。
おおおなだけど、shinsokkuさん大好きなんだぜ。