『嗚呼、嗚呼。啼きて呼べども答えはあらず。泣きて叫べど応えはあらず。
世の寒きは我が所作にあらねど、世の美しきは吾が所為にあらねど、この静けさは。 ―― 残り香の冬』
『廻り巡って、そうね。私は冬しか知らないけど。
好きじゃないものだって、もう来なくなるかもしれないと思うと・・・、
困らないし、むしろ有り難い事だって判っていても。勿体無いじゃないの。 ―― レティ・ホワイトロック(旬)』
*
君には、夢とか、希望とかって、無いの?
――勿論、あるわ。だから、私が此処に居るようなもんだしね。
彼女は、ありとあらゆる全てを知らなかった。
ただ一つ、
「どれだけ永続するかに思えても、呆気無く、
小指をぶつけるような、ひたすらにどうでも良く思える形で」、
必ず、終わりというものが訪れるということを除き。
そういうことじゃなくって、ほら、例えば、やりたいこととかさ。
――? 分からない、というか、知らないわ。
不幸は二階から落ちてくるし、幸せは地面から沸き立つ。
突発的である、ということが、彼女にとっての全てだったのだろう。
私と彼女との出会いが正にそれであったのだから、
真実、根底世界には突拍子なんて打たれていないものだと、
私も彼女も思い込んでしまったのだろう。
ん・・・そうだね。君って、何か好きなもの、ある?
――好きなもの。
本気に、そう思っていたからこそ、こんな今になってしまった。
本当に、その通りだったからこそ、こんな今を創ってしまった。
けれど、後悔なんて生まれた時に全部予約済みなのだ。
訊ねるべきではなかったなんて、さらさらだ。
――・・・ゆが。
え? えーっと、湯葉? それは・・・無い、なぁ。残念、他には?
――違うわ。食用の膜なんかどうでも良いし、終末時代もどうでもいい。
でも、心残りのようなものは確かにある。
些細なことで、これこそどうでも良いことなんだけれど。
――私は・・・冬が好きよ。
あの少女は、私が一目で心奪われたあの少女は――
*
灰色の地。
天高く、雲の上にも吹き荒れる擦れた白色が、夜の闇に混ざり、濁っていく。
「汚い季節ね」
粉塵の空に支え無く腰掛ける少女が、誰かに問い掛ける。
その返事を待たず、声音は分厚い霧氷にかき消された。
空間を切り裂きびゅうごうと喚く風の只中で、少女は、煤一つ付かぬ純白の帽子を軽く抑えながら、少し目を潜める。
何を考えているのだろうか。
不意に彼女を見た者に、そう思わせる表情。
それは童話の妖精のように神秘的な洋装と相まって、彼女の持つ儚げな雰囲気を一層引き立てた。
少女が目を閉じ、頤を上げて、薄紫の唇を開いて言う。
「こんなに寒いなんて」
爆音が彼女の言葉をこそぐ。
「こんなに暗いなんて」
圧搾された空間に絶え間無い破裂音が響く。
「こんなに永いなんて」
雑多な粒子の乱気流が夥しい数の爆発と爆縮を生む。
*
本当? じゃあ、冬がずっと続けばいいんだね。
――そうね・・・そろそろ雲が晴れるわ。
帰るなら今の内だけれど、どうする?
あなたのお父さんもお母さんも、一緒にいた誰も彼も、
皆、私よりも冷たくなってしまっているけれど。
そんな風に、私に優しく問い掛けてきた彼女は、一体、何者だったのだろう?
冬の雪山、それも時ならぬ豪雪に見舞われ、熟練の登山隊が全滅するという惨事の中で、
何故私だけが助かることが出来たのかと言えば、凡そ間違い無く、彼女の導きによるものであろう。
もういいよ、そんなの。一緒に帰っても、すぐ二人とも仕事に行ってしまうんだから。
――そう、あなたはもっと冷たいのね。
気に入ったから、助けてあげる。私についておいでなさい。
一緒に帰ると答えれば、今の私は無かった、のか?
あれはただの質問で、両親とその仲間たちはとっくに事切れていたのではないか、と思う。
では何故彼女がそんな意地悪で悪戯な事を言ったのだろうかと考えると、
推測になるが、それは恐らく償いの心だったのではないだろうか。
彼女の発生により歓喜した冬山の呼応が、吹雪と雪崩を伴ったのでは、ないか。
うん。・・・ね、あのさぁ。
――?
無邪気な、詰まる所残酷な問いを、何も考えずにした私。
また会えるかな。えと、ここに来れば、また君に会える?
――会えるかもしれないけれど、無駄だと思うわ。
次に会ったときには、別の冬でしょう。私は多分、あなたを覚えていない。
それでもいいのなら、来ればいいわ。
良くわからない。会えなくなっちゃうってこと?
――会える。けど、私は冬が終わると消える。
一度無くなって、次の冬にまた同じ私が作られる。
私は死なないし、あなたが死ぬ迄いつでも会えるけれど、
いつまでも私はあなたのことを覚えられない、ということ。
・・・なんだ! じゃあ、丁度いいよ! だって、冬が終わらなければ、いいんだから!
――あなたは頭が良いみたいね。
確かにあなたになら、冬がいつまでも続く方法を見つけられるかもしれない。
けど、それはね・・・あら。
ねえ。あれって、ヘリコプターという奴じゃない?
旧いよ。パラオーニソプターっていうんだ、あれは。迎えだよ。
――ふぅん? でも、何故私、ヘリコプターとかいうのを知っているのかしらね。
もしかすると。
もしかすると?
――私と冬が、ずれてきているのかもね。
つまり・・・もう、全てが置き去りになることは、ないのかもしれない。
つまり、と彼女が再解釈を試みたところで、自家用の環状可変翼機が私をそのアームで捉え、
言葉の続きを聞くことは叶わなかった。
しかしそれは契機だった。これ以上なく切欠だった。
継続を意味するならば、その先は自ずと知れる――もしかすると、あるいは、かもしれない、と。
それからの私は何でもやった。
出来るだけの何もかもをやり尽くした。
冬だけの国へ移り住み、周囲の人々の心に寒風を吹き流しているうちはまだ良かったのだろう。
悪戯心の範疇だ。
だが私の心身は他の誰よりも早くに凍てついていて、他の誰もを薄氷の如く扱いせせら笑うようになっていた。
割れてしまえばいいのだ、壊れてしまえばいいのだという衝動すら、とうに失っていて。
求めるべき他を、自分が作る氷のマジックミラーによって遮断するまま、ただ冬を探した。
長かった一生ではある、が、割れる時は一瞬である。水面であれば泡も凍土も変わらない。
そうして百度目だかの経済の冬を引き起こし、世紀の悪人と知れ渡るほどになった頃、私は己の生の冬を得ていた。
そのままで終わるつもりだったのだ。
けれど。
私が終わる、割れる、そのインパクトの寸前、私のインジケータが振り切れる瞬間が存在した。
その刹那を、清浄を縫って、私の素直な心が、冷静な狂気に犯される前の率直な激情が、私を支配し。
それを、押してしまった。
全てを終わらせるスイッチ。最低の世界の始まりの鐘。
それでも、私は終わりなど望んでいなかった。
それだけは信じてもらいたかった。
だが誰にだろう?
彼女でも私でもないことだけは、確かだ。
望みは一つ。
この世に永久の冬を。
私と彼女の世界に、常末まで銀幕を。
彼女が、
冬よりも春を見てみたいと言い出すまで、
私よりも
呆れるほどに、永い冬を。
*
「冬より静かだなんて。
夏なんて、起きているもんじゃないわね」
言うが早いか。
少女の視界を数百倍上回る範囲に渡り広がっていた破滅の嵐は、一切の痕跡を残さずに止む。
それでもまだ世界は闇に包まれたままだったが、少女は暗闇を意に介さず、遥かな高みから地に降り立ち、
朽ち果てた鉄塔、その残骸に堆く降り積もった粉塵に片手を差し入れ、そっと掬い上げた。
「人間が莫迦なのは知っていたつもりだったけれど。
寒ければ冬ってわけでもないのに、こんな事をして」
「嬉しいけれど、けれど、けれど駄目。
私が好きなのは冬。
終わる、冬。
永眠なんて面白くないし、まして、寒くて終わらない夏なんて」
目を閉じたまま言う少女の掌、指の間から、砂のような何かが零れ落ちていった。
「同じ冬は、要らなかったの。
坊や。お爺さんかな。
というか、誰だったかしらね」
さら、とも立てずに埃を舞わせ、塵は塵と同化し、どこにあったものかも、もう分からなくなってしまう。
「それじゃあさようなら。ああいや、違うか」
ことばひとひら投げ捨てて、
ふわり、宙にその身を預けると、
彼女は風景の白に、塵だけの世に、
まるで降り来る白銀の雪のように、
「また、会えるわね。あなたは晩春を越えただけだもの」
冬のように、溶けてなくなった。
~
やがて、季節が訪れ、去りゆく頃、年一番の苗が芽吹いた。
ビトゥハイズ=サー=スプリング・パンデモニアム、
“春(デッドマジック)”と呼ばれ数世紀に渡り星を凍らせた史上稀に見るその超犯罪家の死後、
人工による植生を除いた初めての新緑であった。
芽は、
かつて彼女が彼を救い、
いつか彼女が彼を掬い、
やがて二人が立ち消え、
そして二人が過ぎ去った、
あの冬の、足元に。
サブキャラからこういう話を作るセンスに脱帽。
人それぞれということか。
大人になりたくなかったが、子供のままでは居られなかった。
ああ、私もどこかで……。
雪解け水は冷たいな。 今、ここにもう一度かの名句を借りて緑の前に供える。
>後悔なんて生まれた時に全部予約済みなのだ
と自覚し、それでも実行した彼は、実はとんでもなく純粋だったのかも、と思いました。
冬の妖怪と、その妖怪よりも冷たい人間。
彼らが出会うのは遭難した冬山や、核の冬の中でもなくて、幻想郷の冬で出会って欲しいなあ、と祈ります。
読み返す度に発見のあるSSでした。多謝。