「ねえ、咲夜、私も時を越えて、違う時代を冒険してみたいの。」
何をおっしゃるかと思えば、いつものわがまま、でもそこが可愛らしい、私の主。しかし・・・。
と、紅魔館の主、レミリア=スカーレットに仕えるメイド長、十六夜咲夜は悩んでいた。霊夢、魔理沙たちが時を越えた旅行をしてきたのだと本人達から聞かされた時、主人、お嬢様は目を輝かせながら「いいなあ、私も行ってみたかったのになあ。ねえ咲夜」と彼女に話していた。そのとき、彼女は『できるといいですね』とお茶を濁すだけにとどめてしまっていた、今思えば、スキマ妖怪に交渉でもして、それが実現できるような手を打っておくべきだった。完璧で瀟洒な従者の名がこれでは泣いてしまう。
正直、「そんな非科学的なこと出来るわけ無いですよ」と、言いたい衝動が無かったと言えば嘘になる。でも、それでは可愛い私の、いや、私達のお嬢様を失望させてしまう。そう彼女は思った。だいいち、それを言うなら彼女自身の能力だって十分非現実的である。しかし、いくら自分自身のの力をもってしてでも、過去、現在、未来を自由に行き来することは不可能だ。一方通行のみ。
「正直、あの胡散臭いスキマ妖怪にお願いするのもなんだし。」
「失礼ね、私がそんなに胡散臭いかしら。」
「げっ!あなたは!」
振り返ると八雲紫が空間のスキマを広げて、ではなしに、自室のドアを開けて入ってきた。レミリアも一緒である。
「咲夜、私達も時代を超えさせてもらえるようになったわ。私の無理難題で悩んでいたみたいだけど、すまなかったわね、もう解決よ。」
「とんでもないです、確かに難しい内容ですが、お嬢様が謝るほどのことじゃございません。」
「いいのよ、私も悪かったわ、言いたいときは言ってもいいのよ。それは無茶ですって。」
「いえ・・・、はい、確かに難しいお願いですね。お心遣い感謝しますわ。」
咲夜は少し涙が出た。あのわがままいっぱいのお嬢様が、自分の言動を反省しているなんて。これで自分が彼女のわがままに振り回されずに済むだろう、ということではなくて、精神的に成長したことを喜んだのだった。
「ちょっと、そんなに私に困らされたのが嫌?」 レミリアがとまどう。後で誤解を解くのに咲夜は苦労した。
そんなこんなで、紫のスキマ空間を通り、とある時代に到着。
「じゃあ、この辺を探検し終えるころにまた来るわ。私も忙しいのよ。」 といって紫はまた、どことも知れない時間と空間の中へ消えていった。いったい何が忙しいのだろう。
見渡すと、目の前に海が見え、視線をずらすと大きな河口が見えた。河口の両端には背の低い草が生えている。気温は少し蒸し暑い、いつの時代のどの場所なのだろうか、特に気合の入った肉食獣や妖怪のたぐいはいないようだが、と咲夜は考えていた。
「ねえ咲夜、なんて大きい湖。」 レミリアの黄色い声で咲夜は我に帰る。
「お嬢様、これは海と言います、湖とは比べ物にならないほどの大きさです。」
「うみ、これが咲夜が読んでくれた本にあった海ね。」
「咲夜、お散歩してくるね。」
「あっ、お嬢様、どんな危険があるかまだ分かりませんわ。」
「大丈夫よ。」
レミリアは早速翼を広げ、大空を飛翔する。太陽光線に弱い吸血鬼なので日傘を差しているが、角度によって時々光が当たりそうになる。咲夜はすぐ飛んで駆けつけようとしたが、思い直し、はらはらしながらも見守ることにする。お嬢様もああ見えて、500年以上を生きるヴァンパイアの長にして淑女。無謀なことはしないだろう。それに、たまには威厳も建前も捨てて、のびやかに青空の下を飛んだっていいではないか。お嬢様が家の面子といった重責に悩まされる姿は、見ているこちらも辛い。
「咲夜も一緒に飛ぼうよ。」 上空から声がする。
よし、と咲夜は吹っ切れた表情になって、思い切り飛び上がる、すぐレミリアに追いつく、レミリアもスピードを上げる。
なんの目的もなく、人の目を気にすることもなく、ただ思いのままに飛ぶ。こんなことはめったに無い。
レミリアは思う、こんな姿を見られれば私の地位はがた落ちだろうと。彼女は幻想郷でも畏怖される吸血鬼の長である。自分にとってその地位を否定したり、否定されたりすることなど考えられない。しかし、時にはこの立場を捨ててしまえたら、と思うことが無いわけではない。
咲夜は思う、幻想郷でさえ、これほどのびのびと体を動かしたことがあっただろうかと。彼女はその特異な能力ゆえに苦しみ。居場所を求めさまよった末に、この幻想郷にたどり着いた。ここでの暮らしは幸せそのものだし、人妖の知り合いも出来た。しかし、彼女の仕えている存在ゆえ、なじみの少ない者たちからの冷たい視線に傷つくこともある。
「お嬢様、さわやかなお顔ですね。」
「咲夜もね、咲夜のこんな笑顔、初めて見たわ。」
ここでは誰も、彼女たちを悪魔扱いして忌み嫌う者はいない。その異能を自らの欲望のために利用しようとする者もいない。蔑みもせず、媚もせず、ただ大地と海と空は彼女達を受け入れる。
「どちらが高く飛べるか競争しよ。」
「ええ、負けませんよ、お嬢様。」
ひとしきり飛んだ後、川のほとりに座って休むことにした。レミリアは、そろそろお昼の時間だなと思った。おなかがぐう、と鳴った。
「咲夜、お昼ご飯・・・。」 とそこでレミリアの言葉が途切れる。咲夜はレミリアに肩を寄せて、小さな寝息を立てていた。飛び回って疲れた上に、普段の職務による緊張から解かれたためだろう。彼女はこの忠実な従者の体をそっと横たえ、持って来た毛布をかけると、食べられそうなものを探して歩き始めた。たまにはこの子の手を煩わせることのないようにしたいと思った。
「とは言え、お店どころか、人も動物もいやしないわ。」 どうも植物以外、昆虫ぐらいしか見かけない、空を見上げても、鳥一匹飛んでいない。気候は温暖で、緑も豊かなのに、なぜか生き物が少ないような感じがする。大地にも海にも、空席が多すぎる。ふと目を地上に戻すと、何かが川岸でうごめいているのが目に入った。どうやら魚のようだ。
「あっ、お魚発見!、でも様子が変ね、川から出てきているわ、妖怪でもなさそう。」
その地に這い出た魚は、魚の特徴を備えてはいたが、普通の魚と違って、頑丈そうな四本のひれを供えている、まるで、手足の原型のようだ。何かの間違いで、岸に上がってしまい、弱弱しく体をくねらせている。
「ひょっとして、これがこの辺の最も高等な生物かしら。」 だとしたら自分と咲夜はものすごい大昔にきてしまったのかも知れない。遠い昔、生き物はもっと単純な形態をしており、それが気の遠くなるような年月をかけて今の姿になった。そうパチュリーが言っていたのを思い出す。
「でも、まずそうね、まあ、食事は館へ戻って摂ればいいか。」
そろそろ咲夜のところへ戻ろう。紫も待っているかもしれない。そう思い、翼を羽ばたかせようとした。
「じゃあね。」 と魚に声をかける。聞こえるはずもないが。
しかし、彼女は飛ばなかった。どうしても死にかけの魚が気になってしまう。
「悪魔ともあろうこの私が、たかが一匹の下等動物を見捨てられないなんてね。」 自嘲気味に笑う。
その魚は全身傷だらけで、干からびつつあった。別にこの個体が死んだところで、種全体が滅びるわけではない。自然界にはよくあることなのだろう。しかし、レミリアはこの魚を無視できない理由が見えてきたような気がした。
「まるで、仲間達からいじめられて、必死で逃げてきたみたい。」そう、咲夜のように。
初めて幻想郷にたどり着いたときの咲夜と、この安住の地を見出せずに朽ち果てつつある魚が、なぜか重なって見えた。
「運がいいな、お前を助けてあげる。」
そう言うと、レミリアは牙で自分の指を傷つけ、血をこの魚に与えた。血を浴びた魚は、見る見るうちに力を取り戻し、活発に動き回るようになる。
「良かったな、全く、魚の分際で地上に上がろうとはな。馬鹿なのか、それとも勇敢なのか。まあ、お前のようなとんでもないことをやってのける者が、案外歴史を切り開くのかも知れないわね。後の運命はおまえ自身で切り開きなさい。」
そう威厳を込めて言うと、魚は礼を言うかのように勢いよく飛び跳ね、水中に戻っていった。
咲夜のところへ戻ると、すでに彼女は起きていて、紫と一緒に待っていた。レミリアは心配させたことを咲夜にわび、スキマ空間を通って、もといた時代へと帰る。紅魔館へ戻ると、霊夢や魔理沙の姿があった。
「なあ、レミリア、どこの時代へいってたんだ。」 昼食をご馳走になりながら、魔理沙が聞く。
「よく分からない、けど、何もない退屈なところだったな、したことと言えば、死にかけていた哀れな魚を助けてやったぐらいだし。」
「立派だわ、さすがは夜の王を名乗るだけのことはある。」 紫がほめた。
「よしてよ、そんな立派なものではないし。」 レミリアは苦笑する。
「いいえ、重要なことよ、これが後々大きな成果をもたらすかもしれないわ。」
紫はあくまでもまじめな口調で続けた。レミリアの目からみても、からかっているようには感じられない。
「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』みたいね。」 やはりちゃっかりご馳走になっている霊夢が笑って言う。
「失敬ね、私は地獄へは行かないわよ。そういう霊夢はどうなのよ。」
「うーん、それは多分心配ない。」
「たいした自信ね。」
「もしお嬢様が地獄へ落ちるのでしたら、この十六夜咲夜もご一緒しますわ。」
「きっと、貴方達は天国へいけると思うわ、なんとなくだけど。」 パチュリーが言った。
なんてことのない、午後のひと時だった。
ちなみに、この時代でレミリアが出会った魚は、今日ユーステノプテロンという名で知られている。
デボン紀の後期、地上進出まで後一歩というところまで進化した生き物。今生きている私達を含む、全ての両生類以降の脊椎動物の祖先と見なされている。
「この世のバランスを保つって、結構大変なのよ。みんなは私を寝ているばかりのおばさんだと思っているようだけど。」
「何かおっしゃいましたか、紫様。」
「なんでもないわ、それより橙とたまには遊んでやりなさいな、藍。」
「承知しました。お~いちぇ~ん。」
「はーい、藍さま~。」
それはともかく、レミリア&咲夜が未来の美鈴にあっても面白かったかも? でもそれをやったら安っぽくなるやも知れぬ・・・。むぅ。
あのシリーズを読んでくださったのですか、ありがとうございます。確かに未来の自分に会いに行くのも面白いかもしれないですね。さらに紫が女性版サンジェルマン伯爵として、世界史の裏で暗躍していた、なんてベタな妄想も思いついてみたり。
紅狂さま
破壊神ですか、魅魔様あたりかと。あるいは神綺さまが兼任してるのかも。
noさま
歴史が変わったせいで、何気ない日常が展開したかと思ったら、最後に霊夢たちが昆虫種族になっていた、軟体動物の知的生命体だったということが最後の一文で明かされる。なんていうのも怖いような、書いてみたいような。
思わず『宝石泥棒Ⅱ』を連想してしまいました。楽しいオマケ、ありがとうございます。