(端書き:流して読むにはしんどい文章です。よろしければ、ゆっくりとお召しあがり下さい)
僕は紙だ。僕は羽毛だ。僕は木の葉だ。僕はタンポポの萌芽だ。僕は世に舞うちりだ。埃だ。欠片だ。
浮くものだ。たゆたうものだ。空だ。虚空だ。清浄だ。
僕の意識は巡っている。世界のすべてを巡っている。彼方と此方を見下ろしている。僕はそのすべてで、大地を俯瞰している。
桜花。
僕の意識の切れ端が、豪儀な屋敷を視界にとらえる。縁側に一人、女性が鎮座している。その色淡く、着物姿。腰巻に扇を挟み、額に天冠。
その姿、言霊一つで思うに至る。典雅だ。
あるはずのない(それはつまりどこにでもある)僕の目が、彼女と戯れる蝶の幻を視た。それは彼女の手の平からほうと浮かび、行灯にすがる羽虫のようにひとしきり纏わりつくと、かげろうさながらにふっと宙に消えていく。彼女の顔が空を見上げる。彼女の視線が僕に向く。しかし、彼女は僕を見ているのではない。彼女は多分、虚空に消えた蝶の残滓のようなものを見届けているのだ。
彼女の見せる名残惜しいような、それでいて許容するような表情を、僕は意識の深いところに焼きつける。僕は僕を閉じる。
霧の中。
僕の視点は目まぐるしく動く。流れ、流され、水のように。川のように。いつしか意識も水面の上。そこに、僕の視界よりもせわしなく動く影があった。世界を縦横無尽に翔る流星。ほうきに乗って、どこまでも。世界の果てまで、どこまでも。
突如、霧を裂いて飛び出すつらら。影は、股の間からほうきを振り抜いて、無数に来るつららのうちで、自分と唯一線を重ねる一つを弾き飛ばす。迷い無し。描いた弧が、そう語る。勢いのまま身も一回転させ、金色の髪と、大きな帽子と、エプロンドレスを翻し、ほうきの上にとっ、と両足を乗せる。影はその上でぴんと背を伸ばし、両手で帽子をくっ、くっ、と直した。表情は見えない。背しか見えない。それでも僕は、何とはなしに想像してしまう。小さな肩と、流れ梳く髪のその向こう。その影の唇がにいっと横に伸び、表情が喜に弾んでいるのを。
ぞくぞくっと浮かび上がる、未知に触れようとする好奇心の姿、それにうち震えるかの身を脳裏に刻み、意識という目を閉じる。
落葉。
夜風。枯れ薄。館の窓から漂う香り。芳香に惹かれるように世界を見下ろす。紅く、大きな館だ。ともすれば圧迫するかのように、無骨さと高貴さを併せ持っている。その中の一室が、より紅く、灯火をいだいている。窓は直角まで開け放たれていて、そのふちに腕を寄りかけて月を見上げる双眸一対。椅子に座り、カップ片手に赤色の茶をすする幼女が一人。白い衣服に、ほんわりとふくらんだ帽子。眼差しは、大きく開いているのに、何故か鋭さを感じる。まるで刃のように。ナイフのように。傷口のように。僕はそれらを統合する。調和が円を描く。優雅だ。
風が吹く。周囲の木々がかさかさといななく。彼女は微動だにせず、目に風を追わせる。落ちる葉たちは、風に煽られ上へ上へ。月夜に向かって喝采する。彼女はそれを黙って見つめている。
僕と彼女の視線は合わない。接点はない。彼女の口は何も語らない。僕は彼女の目が語るものを読み取らなければならない。瞳は、誰にともなく滔々と語る。いかに闇を愛しているかが、沈黙を通し伝わってくる。そこに善悪は無い。正誤も無い。僕は、川の行く先が海であるように、ごく自然に至った。こんな風に闇を抱く人がいてもいいんじゃないかと。そうだ。闇はとても大切なものなんだ。光と同じくらいに。光だけでは、闇だけでは、瞳は何も映せない。僕はそれを理解した。彼女はとっくだ。闇は、彼女にとってはより大切なものであるからだ。恐らくは、光以上に。心の片隅に、そんな思いを折り込んだ。
見終えた彼女は、思案するかのように目をなめらかに閉じ、同じように開け、その手の中の紅茶をくいと飲み干す。ほう、と息を吐く。なんだかとても、満足そうだ。傍に従者が寄り添っている。気づかなかった。気づけなかった。彼女はいつからいたのだろう?
「おかわり」
「既に」
声が聞こえる。まあいいか。僕は僕を夜露に溶かす。僕はもう何も思わない。
階段。
時刻は夜。全天に星。とてもとても長い段差の途上で、傘を差した女性を見つけた。きっと、ファッションのようなものなのだろう。彼女は足を組んで、段差に貴婦人のように腰掛けている。その姿は、誰かを待っている様。
不意に、傘が傾いた。くく、とゆっくり後ろにそらす。そんな緩慢な仕草が、とても様になっている。伸びをするのか、あごを上に伸ばす。顔がこちらを向く。違う。彼女は僕を見る。表情がしかと僕をとらえる。視線が重なる。ありえない。僕の目は、身は、心は在って無いようなものなのに、彼女はそれらを気にもしない。瑣末事だとでも言わんばかりだ。彼女はその深い、深海のような瞳を細め(比べたら、僕の目なんて水溜りのようなものだ)、丁寧に会釈をした。済ませると、そこにいなさいな、とでもいわんばかりに口元を弧状に歪め、やはり緩慢に腰を浮かす。そして、霞みがかる階段の下に向かって、音も無く一歩を踏み出す。惚れ惚れするほどの浮遊感で、宙を踏む。ふわりとした一挙一動は、さながらメリー・ポピンズみたいだ。
僕の視界も連なる思考も、雪崩のように下に流れる。
「出てきましょうか?」
きっとこれは、彼女の声だ。
「ほら、出てきました」
誰かとやり取りをしているんだ。背景が揺り動いて、眼下の光景に紅白の彩りをした人影が映る。黒髪と裾をはためかせ、玉串を右手に、紙切れを左手に。その風体は、どこぞの巫女か、祈祷師か。背を向いていて、顔は見えない。ただ、その人の見据えるものが何かは容易に想像できた。
とんとんとん、とやり取りが続き、その間に僕は少しずつ俯瞰の範囲を広げる。天に昇るように広く、掘り下げるように深く、見る。見つめる。見届ける。これからすること、起こること。相変わらず僕は彼女の背しか見えず、それで良くて、それがいい。むしろ、この位置でなければならないとさえ思う。そうやって、僕の末端は世界に触れているのだ。ならば、そこから干渉してはいけない。観客も監督も、舞台には出張らない。
僕は競技者。選手。奏者。操縦者。僕は傍観者。僕は垣間見るもの。切り取った風景と、見送った情景を、心の幻想でつなぐ。
主題無き鍵。キー。幻想郷。
プレイヤー。
ぼく。
僕は紙だ。僕は羽毛だ。僕は木の葉だ。僕はタンポポの萌芽だ。僕は世に舞うちりだ。埃だ。欠片だ。
浮くものだ。たゆたうものだ。空だ。虚空だ。清浄だ。
僕の意識は巡っている。世界のすべてを巡っている。彼方と此方を見下ろしている。僕はそのすべてで、大地を俯瞰している。
桜花。
僕の意識の切れ端が、豪儀な屋敷を視界にとらえる。縁側に一人、女性が鎮座している。その色淡く、着物姿。腰巻に扇を挟み、額に天冠。
その姿、言霊一つで思うに至る。典雅だ。
あるはずのない(それはつまりどこにでもある)僕の目が、彼女と戯れる蝶の幻を視た。それは彼女の手の平からほうと浮かび、行灯にすがる羽虫のようにひとしきり纏わりつくと、かげろうさながらにふっと宙に消えていく。彼女の顔が空を見上げる。彼女の視線が僕に向く。しかし、彼女は僕を見ているのではない。彼女は多分、虚空に消えた蝶の残滓のようなものを見届けているのだ。
彼女の見せる名残惜しいような、それでいて許容するような表情を、僕は意識の深いところに焼きつける。僕は僕を閉じる。
霧の中。
僕の視点は目まぐるしく動く。流れ、流され、水のように。川のように。いつしか意識も水面の上。そこに、僕の視界よりもせわしなく動く影があった。世界を縦横無尽に翔る流星。ほうきに乗って、どこまでも。世界の果てまで、どこまでも。
突如、霧を裂いて飛び出すつらら。影は、股の間からほうきを振り抜いて、無数に来るつららのうちで、自分と唯一線を重ねる一つを弾き飛ばす。迷い無し。描いた弧が、そう語る。勢いのまま身も一回転させ、金色の髪と、大きな帽子と、エプロンドレスを翻し、ほうきの上にとっ、と両足を乗せる。影はその上でぴんと背を伸ばし、両手で帽子をくっ、くっ、と直した。表情は見えない。背しか見えない。それでも僕は、何とはなしに想像してしまう。小さな肩と、流れ梳く髪のその向こう。その影の唇がにいっと横に伸び、表情が喜に弾んでいるのを。
ぞくぞくっと浮かび上がる、未知に触れようとする好奇心の姿、それにうち震えるかの身を脳裏に刻み、意識という目を閉じる。
落葉。
夜風。枯れ薄。館の窓から漂う香り。芳香に惹かれるように世界を見下ろす。紅く、大きな館だ。ともすれば圧迫するかのように、無骨さと高貴さを併せ持っている。その中の一室が、より紅く、灯火をいだいている。窓は直角まで開け放たれていて、そのふちに腕を寄りかけて月を見上げる双眸一対。椅子に座り、カップ片手に赤色の茶をすする幼女が一人。白い衣服に、ほんわりとふくらんだ帽子。眼差しは、大きく開いているのに、何故か鋭さを感じる。まるで刃のように。ナイフのように。傷口のように。僕はそれらを統合する。調和が円を描く。優雅だ。
風が吹く。周囲の木々がかさかさといななく。彼女は微動だにせず、目に風を追わせる。落ちる葉たちは、風に煽られ上へ上へ。月夜に向かって喝采する。彼女はそれを黙って見つめている。
僕と彼女の視線は合わない。接点はない。彼女の口は何も語らない。僕は彼女の目が語るものを読み取らなければならない。瞳は、誰にともなく滔々と語る。いかに闇を愛しているかが、沈黙を通し伝わってくる。そこに善悪は無い。正誤も無い。僕は、川の行く先が海であるように、ごく自然に至った。こんな風に闇を抱く人がいてもいいんじゃないかと。そうだ。闇はとても大切なものなんだ。光と同じくらいに。光だけでは、闇だけでは、瞳は何も映せない。僕はそれを理解した。彼女はとっくだ。闇は、彼女にとってはより大切なものであるからだ。恐らくは、光以上に。心の片隅に、そんな思いを折り込んだ。
見終えた彼女は、思案するかのように目をなめらかに閉じ、同じように開け、その手の中の紅茶をくいと飲み干す。ほう、と息を吐く。なんだかとても、満足そうだ。傍に従者が寄り添っている。気づかなかった。気づけなかった。彼女はいつからいたのだろう?
「おかわり」
「既に」
声が聞こえる。まあいいか。僕は僕を夜露に溶かす。僕はもう何も思わない。
階段。
時刻は夜。全天に星。とてもとても長い段差の途上で、傘を差した女性を見つけた。きっと、ファッションのようなものなのだろう。彼女は足を組んで、段差に貴婦人のように腰掛けている。その姿は、誰かを待っている様。
不意に、傘が傾いた。くく、とゆっくり後ろにそらす。そんな緩慢な仕草が、とても様になっている。伸びをするのか、あごを上に伸ばす。顔がこちらを向く。違う。彼女は僕を見る。表情がしかと僕をとらえる。視線が重なる。ありえない。僕の目は、身は、心は在って無いようなものなのに、彼女はそれらを気にもしない。瑣末事だとでも言わんばかりだ。彼女はその深い、深海のような瞳を細め(比べたら、僕の目なんて水溜りのようなものだ)、丁寧に会釈をした。済ませると、そこにいなさいな、とでもいわんばかりに口元を弧状に歪め、やはり緩慢に腰を浮かす。そして、霞みがかる階段の下に向かって、音も無く一歩を踏み出す。惚れ惚れするほどの浮遊感で、宙を踏む。ふわりとした一挙一動は、さながらメリー・ポピンズみたいだ。
僕の視界も連なる思考も、雪崩のように下に流れる。
「出てきましょうか?」
きっとこれは、彼女の声だ。
「ほら、出てきました」
誰かとやり取りをしているんだ。背景が揺り動いて、眼下の光景に紅白の彩りをした人影が映る。黒髪と裾をはためかせ、玉串を右手に、紙切れを左手に。その風体は、どこぞの巫女か、祈祷師か。背を向いていて、顔は見えない。ただ、その人の見据えるものが何かは容易に想像できた。
とんとんとん、とやり取りが続き、その間に僕は少しずつ俯瞰の範囲を広げる。天に昇るように広く、掘り下げるように深く、見る。見つめる。見届ける。これからすること、起こること。相変わらず僕は彼女の背しか見えず、それで良くて、それがいい。むしろ、この位置でなければならないとさえ思う。そうやって、僕の末端は世界に触れているのだ。ならば、そこから干渉してはいけない。観客も監督も、舞台には出張らない。
僕は競技者。選手。奏者。操縦者。僕は傍観者。僕は垣間見るもの。切り取った風景と、見送った情景を、心の幻想でつなぐ。
主題無き鍵。キー。幻想郷。
プレイヤー。
ぼく。
てっきり四散した毛玉の欠片に意識が残っていて幻想郷を漂う話なのかな~
と思ってました。