※ ダイエットの季節シリーズのおまけ話になります。
時期は春と夏の間に入るとお考えください。
「あの……」
白磁のような肌をした少女が頬を赤らめていた。光を帯びたようにさえ感じられるその肌に散った紅が、どんな名工にも真似できない色を作り出す。
少女は艶のある黒髪を指に巻きつけ、上目遣いに相手を伺っていた。
普段は家事などすることもないのであろう美しい指が、何度も髪の先を弄んでいる。言いたいことがあるのに言い出せないらしく、視線を何度も自分の毛先と相手の顔を往復させていた。
無言のままの相手は視線を少女の顔に固定したまま、微動だにしない。
その視線をどう解釈したのか、少女の顔にはにかんだような笑みが浮かんだ。
「その……」
笑えた自分に後押しされて覚悟を決めたのか、髪を弄る手を止めて、目を合わせると叫ぶようにして言った。
「わ、私をあなたの部屋に泊めて!」
「嫌」
言われた相手、藤原 妹紅の蓬莱山 輝夜に対する返事はにべもなかった。
「なんでよ!?
私がこんなに必死に頼んでるのに!」
「帰れ」
単語二つで会話をぶった切った妹紅が玄関の扉を閉めて家の中に戻ろうとすると、輝夜の手が扉を押さえていた。
「邪魔」
「話くらいは聞いてくれたっていいじゃない!」
「嫌」
「もうちょっと会話らしい会話をしましょうよ!?」
呼吸するのも面倒臭いとでも言いたげに単語でしか喋らない妹紅の後ろから、見覚えのある人影が見えた。
「何だ、妹紅の家に客なんて珍しいと思ったら、
輝夜殿だったか」
妹紅が舌打ちしながら振り返る。
「慧音、押し売りは相手にせず追い出しちゃうのが一番いいんだよ」
「別に何も売り物なんて持ってきてないじゃない!」
「体の押し売りじゃなかったのか?」
「妹紅、卑猥だぞ」
「だって、今夜部屋に泊めてとか言われたらさー」
「ほほぅ?」
慧音が低く唸ると同時に、輝夜の背筋を悪寒が走りぬけた。
主に背中の下のほうから上に向かって。
「誤解しないで!
本当に何日か宿を提供してほしいだけなのよ」
「なんでなのさ。
あんたの屋敷はすぐ近くじゃないか」
必死になって言い訳する輝夜に、妹紅がため息交じりに声をかける。結局輝夜の言い分を聞いてしまっている状況にうんざりしているらしい。
「今日から合宿なのよ……」
「はぁ?」
あんまり耳にしない単語を聞いた妹紅が不思議そうに声を上げる。
「なんだかよくわからないが、長くなりそうだな?
まあ、話くらいは聞いてやろうじゃないか」
「仕方ないなぁ」
急にしょんぼりとなった輝夜に同情したのか慧音が言うと、妹紅も渋々頷いた。
「いいの!? ありがとう!」
妹紅の返事を聞いて一気に元気になった輝夜が妹紅の手を取って跳ねる。
「待て、まだ話を聞くだけだからな!」
「え……。
泊めてくれないの……?」
喜ぶ輝夜に慌てて妹紅が言うと、妹紅の手を取ったまま輝夜は口元に手を当てて上目遣いに妹紅を見つめた。輝夜の淡く甘さを感じさせる吐息が手に感じられてくすぐったい。
「い、いや……まあ、その、内容次第……」
不安に揺れる目に見上げられて妹紅はしどろもどろになりつつ口に出してしまう。
どうも忘れられることが多いのだが、竹取物語を紐解けば、輝夜が傾国の美女であることは疑いようもない。
内容を問わず、おねだりをされた相手がそれを撥ね付けることができるのはかなり稀だ。本人が意図せずともその仕草の一つ一つが相手の琴線に触れるのである。五つの難題ふっかけられた男共がやる気になってしまったのもその辺が影響しているのではないかと思われる。
とは言え、基本的に善良な竹取の翁の娘として育てられた輝夜は悪女にはなりきれておらず、詰めは甘い。たとえば今のように、満月でもないのに髪が緑色になっていて凶悪極まりない二本のブツが頭から伸びてきた人物を視界からはずしてしまっている辺りはどうしようもなく詰めの甘い部分である。
「……んっきゃああぁぁぁぁぁぁ!?」
「うぅ、あたまいたいよぅ……」
招き入れられた妹紅の家の囲炉裏端に赤くなった額を押さえてうずくまり、涙をこらえている輝夜を見ながら妹紅は黙って夕食を口に運んでいた。
死ねばリザレクションしてすっきり回復できるが、実に絶妙に手加減された頭突きで死ぬこともできやしない。おしおきとして頻繁に慧音から額という名の鉄槌を叩き込まれる身としては、輝夜が悶絶している痛みを知っているだけに、結構同情する。
「輝夜。いい加減に泣きやみなさいよ。
ほら、私の分の葛餅あげるから」
「ううぅぅうう~~」
泣きべそをかいたまま葛餅を頬張り始めた輝夜に苦笑して夕餉のちゃぶ台に顔を戻すと、
「……………………」
力いっぱい拗ねちゃったハクタクさんがいましたよ。
「け、けーね?」
「……………………」
妹紅の声に返事を返さず、じっとりした視線で妹紅を睨んでいた慧音の目が潤んだ。
「けーね!?」
「そうか。
やはり蓬莱人は蓬莱人と一緒にいるのがいいんだな。
私では妹紅の伴侶にはなれないんだな……」
「なんでそんなことになっちゃってるのよ!?
そもそも輝夜を家に上げようって言ったのは慧音じゃないの!」
「それもそうだな」
ドス黒い感情の篭った慧音の視線が、嬉しそうに少しずつ葛餅を食べている輝夜に向けられる。
ついさっき頭突きの恐怖を刻み込まれたばかりの輝夜は慧音の視線を感じて震えだした。
「せっとくしてたたきだすか」
妙に棒読みになった慧音の言葉に輝夜の震えが大きくなる。
「いやいやいやいやどんな説得の仕方するつもりなのよ!?
あんたも震えてないで、家に帰れない理由を説明しなさい!」
「え? あ、そ、そうね」
輝夜は妹紅の声を受けて葛餅の器を置いて座り直した。
「実はね、今夜は合宿なのよ……」
「それは玄関でも聞いたわよ。
いったい何をやってるのよ?」
「二人とも知ってるから言っちゃうけど……
私と永琳が太っちゃったことがあったじゃない?」
「ああ、結構前の話だな。
そういえばあの後からのダイエットは中々苦労したらしいじゃないか」
「私はあんまり苦労しなかったんだけどね。
それで、永琳が動いても動いてもちっとも体重が減らないからって、
どんどんと運動をきついものにしていったのは知ってる?」
「いや、初耳だな」
「そう……。
それでね、永琳の体重、結局ちっとも減ってないのよ……」
「そりゃ運動が足りてないんじゃないの?」
「ううん。運動は十分に足りてるのよ。
運動は十分に足りてる。なのに体重が減らないの」
「なんだそれは。
永琳殿が医学的に何かおかしなことでもやらかしたのか?」
「いや、ちょっと待って慧音。
それってもしかして」
「そうよ。太って付いた脂肪が、全て筋肉に置き換わってしまったの……」
それまで無駄に騒々しかった囲炉裏端に、何故か沈黙が降りる。
その沈黙を破って、妹紅が恐る恐る口にする。
「……ムキムキか?」
「筋肉でぱっつんぱっつんよ」
また沈黙が部屋にわだかまる。
泣きそうな顔をしている輝夜はそれまでと同じだったが、ほかの二人の額に良くない汗がにじんでいるのがそれまでとの違いだった。
「……合宿か」
「ええ。永琳が経てた計画に沿って、永遠亭の住人全員が参加するわ」
震える声でそこまで言った輝夜は顔を覆って崩れ落ちた。
「無理よ! 何よ毎日紅魔湖遠泳50kmって!
えーりんなんか魚みたいな寸胴体形になっちゃえばいいんだわ!」
「それは止めてやらないと、永遠亭の兎たちが紅魔湖に浮かないか?」
「湖の近くに住んでる妖精たちを雇ったんですって。
溺れたものから陸に引き上げるんだそうよ……」
「流石とは言いにくいが、無駄に手抜かりがないな……」
「鈴仙とかてゐとかは止めなかったのか?」
「月のイナバはやる気になっちゃってるし、
ずる賢いイナバはちゃっかり妖精たちを指揮する立場になってたわ」
「鈴仙……真面目なのもここまでいくと罪だなぁ」
「てゐの方は……まあ、らしいというか、なんというか……」
「ね、お願い! 何日かここで匿って!
あんなのに参加したら死んじゃうわ!」
それぞれに永遠亭のウサギたちを思い出している妹紅と慧音に向かって、死なないはずの輝夜が必死に訴える。
「あんたも参加して運動不足解消しておいたほうがいいんじゃないの?」
「私泳げないし……」
輝夜の言葉を聞いて、妹紅と慧音の目が白いものになる。
「べ、別に泳げないから逃げてるわけじゃないわ!
私がカナヅチなのよ!?
永琳あたりに「姫が沈んだ? どうせ死なないんだからそのうち湖の底を歩いて出てくるわよ」とか
言われるに決まってるじゃない!」
「……妹紅」
「うん。
輝夜、好きなだけウチにいるといい」
「本当!? ありがとね、妹紅。
今度来るときはおやつに出たお菓子とか持ってくるわね!」
今度永琳に会ったら、せめてお礼をしようとしているときにはお小遣いを与えてやってくれと頼んでみよう。ついでに、命の心配はなくてももうちょっと気を使ってやってくれといってみようか。
喜ぶ輝夜を見ながら不自然に朗らかな笑顔の妹紅と慧音は輝夜から見えないようにお互いの足をつねりあっていた。そうでもしていないと永遠亭における輝夜の扱いの軽さを知ってしまった二人は泣き崩れてしまいそうだったから。
夕食を食べ終えてお茶を飲みながら一息つき、しばらくすると慧音は里へ帰ると言って腰を上げた。
「帰る家があるものが泊り込んでいると、布団の数が足りなくなるだろう?」
泊まっていくつもりじゃなかったのかと声をかけた妹紅にそう返事を返した慧音は、別に妹紅と一緒の布団でもいいのに、ともらした輝夜に頭突きを叩き込んで家路に着いた。
春から夏にかけてどんどんと日が長くなり、夕食を食べ終えてもまだ薄明るい夕闇の中を去っていく慧音を見送った妹紅は額を押さえてうずくまっている輝夜を見下ろす。
「何を言ってるのよ、あんたは」
「うう、永琳の怪しい薬と同じくらいきつい……」
「馬鹿言ってないで、もう沸かしてあるから風呂に入るわよ」
「え?」
「なんでそんなに驚いた顔してるのさ。
私だって一緒に部屋にいるヤツが臭いのは嫌に決まってるでしょ」
「入るわよって……
い、一緒に入るの?」
「別々でも構わないけど、
お湯の温度を調節しなおすのが面倒じゃないの」
「それはそうだけど……」
「鬱陶しいわねぇ。ほら、いくわよ」
「きゃあ!?」
うずくまった体勢のまま呆然と見上げていた輝夜を小脇に抱えて脱衣所に連れ込んだ妹紅は、慌てて抵抗し始めた輝夜をあっさり素っ裸にひん剥いて浴室に蹴りこんでやった。ひん剥いて、と言っても普段のリボンを大量につけた服ではなく枚数を少なくした簡易なものではあるが十二単なんぞを着ていたので帯を解いて突き飛ばしてやれば、服が残って本人だけがすぽーんと抜けて手間要らず。下着をつけていなかったのは流石に永遠亭の主にふさわしい本格派である。
妹紅も服を脱いで手ぬぐい片手に浴室に足を踏み入れると、輝夜はすでに湯に浸かっていた。と、言うよりも湯船で体を隠しているらしい。
「何を照れてるのよ?」
「妹紅のほうが恥じらいがなさすぎなのよ!」
「んー? 貴族ってそういうもんでしょ。
あんただって召使に恥じらいを感じたりはしなかったでしょうに。
変なとこで庶民派ねぇ」
ざばざばと湯船の湯を手桶で掬ってかかり湯をして、妹紅も湯に身を沈めた。
「ふぃ~……」
妹紅は私の召使じゃないし、などとぶつぶつ文句を言っていた輝夜は妹紅の視線が自分から逸れたので一息つくと、風呂に意識を向けた。
はっきりとした木目が美しい湯船は香りからしてヒノキではないようだが、独特の芳香がある。それは決して不快ではない。天井も高い上に、その不思議な香りの木材で作られた湯船も恐ろしく広い。輝夜と妹紅が並んで足を伸ばしても余裕がある。
「立派なものね」
「んぁー?」
「貴方の家は一人で住むには異常に大きいわね。
貴族趣味の華美さが残っていたのは意外だったわ」
実際、この風呂以外も異常に広い。広い上にかなり手の込んだ造りになっている。大きさは永遠亭とは比較にならないが、造りの良さは負けていない。
「あー。この家さ、建てるときに慧音に頼んだのよ。
そしたら慧音がそのまま人里の連中に「私の友人のために家を建ててほしい」って言ったんだよ」
そうしたら、人里の大工が総出で出張ってきて家を建ててくれたのである。
里の守護者が珍しく自分たちを頼ってくれたという喜びに加え、普段の恩返しやら、慧音様にちょっといいトコみせたいやらという思惑やらが加わって、一人暮らしの妹紅が住むには気が引けるほどの屋敷ができあがったのであった。
ちなみに、慧音本人の家は慧音自身が自力で建てたために普通の……というには少々ボロい家である。私と一緒に住めばいいのに、と言ってみたら照れまくった挙句に照れ隠しの頭突きが飛んできたのでその後は言わないようにしている。
「ふぅん……」
輝夜は人里での慧音の慕われ具合を思い出して納得していると、いつの間にか湯船からあがっていた妹紅が輝夜を手招く。
「なに?」
「髪を流してあげる」
「え!? い、いいわよ別に!」
「何言ってるのさ。
その長さの髪なんだし、全部一人で手入れしてるわけでもないんでしょ?
いいからこっちに来なさいって」
「ちょっともこ……うひゃう!?
ヘンなところ触らないでよ!」
「ヘタに抵抗するからそういうことになるんでしょうが。
あんたの髪、さわり心地よさそうだから弄ってみたかったのよね。
ほら、観念しなさい」
「ああ……」
「うぅ……」
妹紅に借りた浴衣に身を包んだ輝夜が縁側にぺたりと足を崩して座り込む。湯上りの肌に憔悴した表情。微妙に着崩した浴衣をかき合わせる仕草が人間のイケナイ部分を刺激する。
「いやぁ、堪能した堪能した」
そんな輝夜の様子も目に入っていないのか、風呂から上がった妹紅も浴衣を着て縁側まで出てくると、どかりと腰を下ろし何かを思い出そうとするように手をわきわきと蠢かせた。
妹紅を恨めしげに見ていた輝夜が呟く。
「あんな風に私(の髪)を弄ぶなんて……!」
「人聞きの悪いことを言ってんじゃないわよ。
あんただって気持ちよさそうにしてたじゃないの」
「それは……そうだけど」
馬鹿らしくなってきたのか普通に座りなおす輝夜。妹紅はその輝夜の後ろに回りこんで、まだ濡れて黒い輝きを帯びている髪を一房手に取った。
「うーん。やっぱりいいわねー、あんたの髪。
慧音の髪のさらさらとした手触りもいいけど、
このしっとりした感触が堪らないわ」
「妹紅の髪フェチ。
なんでそんなに髪に触りたがるのよ」
仕方なく妹紅に髪を好きにさせていた輝夜が呆れた声を出すと、妹紅は照れたように笑う。
「いや、ほら、私って白子じゃない?
だから、あんたみたいな色のある綺麗な髪が羨ましくてさ」
その言葉を聞いて輝夜は返事を返し損ねた。
妹紅は色素が薄い。
瞳は黒がないために血をそのまま映した紅だし、髪も日本人にはありえない銀色。肌にしてもレミリアや咲夜のような白とはまた違った質感の白色だ。そういう容貌をした者たちを、ある種の嘲りや蔑称として「白子」と呼ぶことがある。
妹紅は自分のことを自然に「そう」言うが、一般的に色素の薄いものを呼ぶときに当たり前のように使っていい言葉ではない。
彼女たちは突然変異で現れる。その数は決して多くはない。今であればその現れる原因や理由も解明されているが、妹紅が生まれたころにはそんなものが解明されてはいなかった。
奇異な容貌。昔はそれを神や悪魔と結びつけて考えられることが多かった。妹紅らしき存在が歴史の中にその足跡を見出せないのは、好奇の視線から隠そうとした父親の愛情だったのか。それとも、父さえもその赤い瞳を閉じ込めようとしたのか。
つらつらと詮無い思考をのたくらせていた輝夜は過ぎてしまったこと、とそれを投げ出して自分の体の欲求を優先させた。
「ねえ、のどが渇いたんだけど」
「ああ、そうだな。
スイカでも食べるか」
輝夜の髪を弄繰り回していた妹紅は指に絡めていた髪がするりと逃げていくのを名残惜しそうに楽しんでから立ち上がると、庭の片隅にあった井戸に足を向けた。見れば、井戸の脇においてあった桶に水を張ってスイカが浮かべられている。
妹紅はスイカを回収すると、そのまま土間に回った。
妹紅を見送った輝夜が竹林から吹いてくる涼気を含んだ風と風鈴の音色を楽しんでいると、しばらくして切り分けたスイカを載せた皿を持って妹紅が戻ってきた。
「ほれ」
「ありがと」
二人で縁側に並んでスイカを齧る。
輝夜は小さくさくり。妹紅は遠慮なくがぶり。
輝夜が口の中の種をそっと一度手に出してから皿に戻していると、口の周りを汁だらけにした妹紅は口の中の種を景気よく庭に飛ばしていた。そんな妹紅に目を丸くしていた輝夜だったが、永遠亭じゃないんだしまあいいか、と思い直して自分も大きくスイカにかぶりつくと、庭に種を飛ばしてみる。
妹紅と比較して明らかに肺活量不足の輝夜の飛ばした種は、へにょりと力なく足元に落ちた。
……ふふん。
むかっ。
競い合うようにスイカを食べて種を飛ばす。最初は飛距離を競っていたのに、最後にはスイカの種で弾幕ごっこになってしまった。
ちなみに、決着はつかなかった。
「……冷えたわね」
「うん……ちょっと食べ過ぎたわね……」
スイカを二人で一個丸ごとは流石に大きすぎた。両者消耗によるドローである。
種飛ばしは風物詩っぽいので真似してみたが、げふぅ、というげっぷまで真似するのは姫と呼ばれる輝夜の誇りが許さない。種まみれの汁まみれの姿で今更そんなのものあったものではない気がしないでもないが。
「仕方ないわねー。
もう一度風呂に入りなおすか」
「……今度は一緒に入らないわよ」
「わかったわかった。
……ちっ」
輝夜が風呂から上がると、先に風呂に入った妹紅は縁側に腰掛けていた。部屋の中にはすでに布団が二組敷いてある。
「上がったわよ。
別に先に寝ていてもよかったのに」
「いやぁ、せっかくの夜のイベントを一つ飛ばしてたのを思い出してね。
本当はスイカを食べながらやるつもりだったんだけど」
そういう妹紅の手には小さな棒のようなものが何本も握られている。
輝夜が首をかしげて見せると、にやりと笑った妹紅は庭に出て指先に火を灯した。
「ああ」
輝夜が納得して声を上げるのと妹紅が指先の火で小さな棒に火をつけたのは同時だった。
棒の先から音を立てて色とりどりの炎が噴出す。
輝夜も庭先に用意されていた突っ掛けを履いて庭に出ると、妹紅の手から棒の一本をひったくるようにして受け取って妹紅の火を貰う。輝夜の手にした棒からもすぐに炎が吹き出し始めた。
赤、青、緑の輝きが庭を彩る。
「こんなものまで用意してあったのね。
……もしかして本当にお邪魔だったのかしら」
「本当にお邪魔だったな。
まあいいけどさ」
スイカも花火も慧音が持ち込まない限り、妹紅の家にあるはずがないものだ。
「なあ、ウチに逃げてこなくてもよかったんじゃないのか?」
「うう、妹紅が本気で私を追い出しにかかってる……」
「いやそうじゃなくてさ。
あんたが本当に合宿は嫌なんだったら、永琳に言ってやればいいじゃないか。
永琳だってあんたの言うことなら本当のところはそれなりに考慮してくれるんでしょ?」
花火の煙の向こう側にある妹紅の顔が、存外に真剣なものだったので「本当に邪魔」と言われてしょぼくれた振りをしていた輝夜も態度を改めた。
「……私には貴方がいるわ。
貴方にも私がいる」
「何よそれ?」
「これからの話よ。
ずーっとずーっとこれから先の話。
イナバたちやハクタクもみんな死んじゃって、私たち以外誰もいなくなってしまったあとの話」
「随分先の話だな」
「そうね。でも、必ず来てしまう未来の話だわ」
妹紅は返事を返さず、視線を花火に落とした。
「私には貴方がいるわ。
貴方にも私がいる。
お互いの感情がどういう方向を向いていても、それは間違いないわよね。
だって貴方は私を見つけてしまったのだし、私は貴方に見つけられてしまった」
花火の炎で笑顔を浮かび上がらせ、謡うように言った輝夜は妹紅を見つめていた視線を彷徨わせた。
「でも、永琳には、私にとっての貴方がいない。
貴方にとっての私がいないのよ」
「連れ合いがいない。
そう言いたいのか」
「そうよ。だからこそ、永琳には好きにさせてあげたいの。
一人になってしまう永琳を包んでくれる思い出を、作らせてあげたいの」
そう言った輝夜は自嘲気味に笑う。
「わかってるわよ、こんなの私の自己満足にしかなっていないのは。
けど、ほかにどうしようもないじゃない。
私だって自分の感情までどうこうできるわけじゃないんだから」
輝夜にとって永琳は永遠の共犯者だ。
だからこそ、その永遠という時間を有意義に過ごしてほしいと思っている。だが、その永遠という時間を有意義にしてやれるのは自分ではないことも、理解できている。今更妹紅を強引に切り捨てて永琳と二人で生きていこうとしても、どこかで歪みが出てしまうだろう。
「なるほど。
それで鈴仙を月に返したくなかったわけだな?」
「……そうよ」
鈴仙が絡んだときの永琳はちょっとアレだとは思うが、今の永琳はそれなりに楽しんで生活してくれているだろうと輝夜は思っている。そんな今の生活が、鈴仙が月に帰ってしまえば崩れてしまう。だから輝夜はあれほど大掛かりな手段をとってでも鈴仙を地上に残そうとした。
終わらない夜の輝夜は、永遠亭の面々や襲撃者たちが思っているよりも必死だったのだ。
「なんだ、思ってたよりちゃんと主をやってるんじゃないか」
「それはあんまりじゃない?」
「あんた、ウチに泊めてくれって言ったときに何を口走ってたのか忘れたんじゃないでしょうね」
訝しげに首をかしげる輝夜に、妹紅はため息をついた。
「まあいいさ。
あんたが永琳の意志を優先させてやりたいってんならそれはそれでいい」
気が付けば全ての花火が終わっていた。妹紅は燃えカスを水の張った桶に放り込んで始末する。
輝夜は黙って後ろをついてきていたが、妹紅が始末を終えて縁側に上がろうとすると、
「ごめんね。
貴方には関係ないのに、迷惑かけてるわね」
妹紅は庭の輝夜を振り返った。
輝夜は俯いて足を止めていた。
「本当に邪魔だったら、帰るわ。
別に合宿に参加しても死ぬわけじゃないんだし……」
「輝夜」
言っている間に本当に帰るべきだと思ったのか、後ずさりを始めた輝夜を呼び止めた妹紅は、にんまりと笑ってやった。
「あんたに迷惑かけられるのなんて今更よ」
それだけ言うと、妹紅は敷いてあった寝床に寝転んで頭から夏用の布団を被った。かなり暑いが、流石にちょっと照れくさい。
「そ……そうよね、今更よね!」
輝夜が布団の外で何かを言っている。やたら嬉しそうに納得しているようだ。
まずいことを言ったかなあと妹紅が後悔していると、いきなり布団の上からどしっと重みがかかった。慌てて頭から被っていた布団を跳ね除けると、輝夜が嬉しそうに乗っかっていた。
「それじゃ、これからも迷惑かけるけどよろしくね!」
そのまま上から抱きついてくる。
返事に困った妹紅は頭を掻きながら、胸元に頬を寄せている輝夜を見下ろす。
「あー」
嬉しそうな顔をしている輝夜を見て、抗議するのも面倒臭くなった。
まあいいか。
そう思って胸の上の輝夜の頭を抱き寄せて、その髪を梳く。
翌朝の二人で使った寝具は湿っぽかった。
物干しに掛けられた大きな地図が描かれた布団の前で、鳳凰が舞った。
時期は春と夏の間に入るとお考えください。
「あの……」
白磁のような肌をした少女が頬を赤らめていた。光を帯びたようにさえ感じられるその肌に散った紅が、どんな名工にも真似できない色を作り出す。
少女は艶のある黒髪を指に巻きつけ、上目遣いに相手を伺っていた。
普段は家事などすることもないのであろう美しい指が、何度も髪の先を弄んでいる。言いたいことがあるのに言い出せないらしく、視線を何度も自分の毛先と相手の顔を往復させていた。
無言のままの相手は視線を少女の顔に固定したまま、微動だにしない。
その視線をどう解釈したのか、少女の顔にはにかんだような笑みが浮かんだ。
「その……」
笑えた自分に後押しされて覚悟を決めたのか、髪を弄る手を止めて、目を合わせると叫ぶようにして言った。
「わ、私をあなたの部屋に泊めて!」
「嫌」
言われた相手、藤原 妹紅の蓬莱山 輝夜に対する返事はにべもなかった。
「なんでよ!?
私がこんなに必死に頼んでるのに!」
「帰れ」
単語二つで会話をぶった切った妹紅が玄関の扉を閉めて家の中に戻ろうとすると、輝夜の手が扉を押さえていた。
「邪魔」
「話くらいは聞いてくれたっていいじゃない!」
「嫌」
「もうちょっと会話らしい会話をしましょうよ!?」
呼吸するのも面倒臭いとでも言いたげに単語でしか喋らない妹紅の後ろから、見覚えのある人影が見えた。
「何だ、妹紅の家に客なんて珍しいと思ったら、
輝夜殿だったか」
妹紅が舌打ちしながら振り返る。
「慧音、押し売りは相手にせず追い出しちゃうのが一番いいんだよ」
「別に何も売り物なんて持ってきてないじゃない!」
「体の押し売りじゃなかったのか?」
「妹紅、卑猥だぞ」
「だって、今夜部屋に泊めてとか言われたらさー」
「ほほぅ?」
慧音が低く唸ると同時に、輝夜の背筋を悪寒が走りぬけた。
主に背中の下のほうから上に向かって。
「誤解しないで!
本当に何日か宿を提供してほしいだけなのよ」
「なんでなのさ。
あんたの屋敷はすぐ近くじゃないか」
必死になって言い訳する輝夜に、妹紅がため息交じりに声をかける。結局輝夜の言い分を聞いてしまっている状況にうんざりしているらしい。
「今日から合宿なのよ……」
「はぁ?」
あんまり耳にしない単語を聞いた妹紅が不思議そうに声を上げる。
「なんだかよくわからないが、長くなりそうだな?
まあ、話くらいは聞いてやろうじゃないか」
「仕方ないなぁ」
急にしょんぼりとなった輝夜に同情したのか慧音が言うと、妹紅も渋々頷いた。
「いいの!? ありがとう!」
妹紅の返事を聞いて一気に元気になった輝夜が妹紅の手を取って跳ねる。
「待て、まだ話を聞くだけだからな!」
「え……。
泊めてくれないの……?」
喜ぶ輝夜に慌てて妹紅が言うと、妹紅の手を取ったまま輝夜は口元に手を当てて上目遣いに妹紅を見つめた。輝夜の淡く甘さを感じさせる吐息が手に感じられてくすぐったい。
「い、いや……まあ、その、内容次第……」
不安に揺れる目に見上げられて妹紅はしどろもどろになりつつ口に出してしまう。
どうも忘れられることが多いのだが、竹取物語を紐解けば、輝夜が傾国の美女であることは疑いようもない。
内容を問わず、おねだりをされた相手がそれを撥ね付けることができるのはかなり稀だ。本人が意図せずともその仕草の一つ一つが相手の琴線に触れるのである。五つの難題ふっかけられた男共がやる気になってしまったのもその辺が影響しているのではないかと思われる。
とは言え、基本的に善良な竹取の翁の娘として育てられた輝夜は悪女にはなりきれておらず、詰めは甘い。たとえば今のように、満月でもないのに髪が緑色になっていて凶悪極まりない二本のブツが頭から伸びてきた人物を視界からはずしてしまっている辺りはどうしようもなく詰めの甘い部分である。
「……んっきゃああぁぁぁぁぁぁ!?」
「うぅ、あたまいたいよぅ……」
招き入れられた妹紅の家の囲炉裏端に赤くなった額を押さえてうずくまり、涙をこらえている輝夜を見ながら妹紅は黙って夕食を口に運んでいた。
死ねばリザレクションしてすっきり回復できるが、実に絶妙に手加減された頭突きで死ぬこともできやしない。おしおきとして頻繁に慧音から額という名の鉄槌を叩き込まれる身としては、輝夜が悶絶している痛みを知っているだけに、結構同情する。
「輝夜。いい加減に泣きやみなさいよ。
ほら、私の分の葛餅あげるから」
「ううぅぅうう~~」
泣きべそをかいたまま葛餅を頬張り始めた輝夜に苦笑して夕餉のちゃぶ台に顔を戻すと、
「……………………」
力いっぱい拗ねちゃったハクタクさんがいましたよ。
「け、けーね?」
「……………………」
妹紅の声に返事を返さず、じっとりした視線で妹紅を睨んでいた慧音の目が潤んだ。
「けーね!?」
「そうか。
やはり蓬莱人は蓬莱人と一緒にいるのがいいんだな。
私では妹紅の伴侶にはなれないんだな……」
「なんでそんなことになっちゃってるのよ!?
そもそも輝夜を家に上げようって言ったのは慧音じゃないの!」
「それもそうだな」
ドス黒い感情の篭った慧音の視線が、嬉しそうに少しずつ葛餅を食べている輝夜に向けられる。
ついさっき頭突きの恐怖を刻み込まれたばかりの輝夜は慧音の視線を感じて震えだした。
「せっとくしてたたきだすか」
妙に棒読みになった慧音の言葉に輝夜の震えが大きくなる。
「いやいやいやいやどんな説得の仕方するつもりなのよ!?
あんたも震えてないで、家に帰れない理由を説明しなさい!」
「え? あ、そ、そうね」
輝夜は妹紅の声を受けて葛餅の器を置いて座り直した。
「実はね、今夜は合宿なのよ……」
「それは玄関でも聞いたわよ。
いったい何をやってるのよ?」
「二人とも知ってるから言っちゃうけど……
私と永琳が太っちゃったことがあったじゃない?」
「ああ、結構前の話だな。
そういえばあの後からのダイエットは中々苦労したらしいじゃないか」
「私はあんまり苦労しなかったんだけどね。
それで、永琳が動いても動いてもちっとも体重が減らないからって、
どんどんと運動をきついものにしていったのは知ってる?」
「いや、初耳だな」
「そう……。
それでね、永琳の体重、結局ちっとも減ってないのよ……」
「そりゃ運動が足りてないんじゃないの?」
「ううん。運動は十分に足りてるのよ。
運動は十分に足りてる。なのに体重が減らないの」
「なんだそれは。
永琳殿が医学的に何かおかしなことでもやらかしたのか?」
「いや、ちょっと待って慧音。
それってもしかして」
「そうよ。太って付いた脂肪が、全て筋肉に置き換わってしまったの……」
それまで無駄に騒々しかった囲炉裏端に、何故か沈黙が降りる。
その沈黙を破って、妹紅が恐る恐る口にする。
「……ムキムキか?」
「筋肉でぱっつんぱっつんよ」
また沈黙が部屋にわだかまる。
泣きそうな顔をしている輝夜はそれまでと同じだったが、ほかの二人の額に良くない汗がにじんでいるのがそれまでとの違いだった。
「……合宿か」
「ええ。永琳が経てた計画に沿って、永遠亭の住人全員が参加するわ」
震える声でそこまで言った輝夜は顔を覆って崩れ落ちた。
「無理よ! 何よ毎日紅魔湖遠泳50kmって!
えーりんなんか魚みたいな寸胴体形になっちゃえばいいんだわ!」
「それは止めてやらないと、永遠亭の兎たちが紅魔湖に浮かないか?」
「湖の近くに住んでる妖精たちを雇ったんですって。
溺れたものから陸に引き上げるんだそうよ……」
「流石とは言いにくいが、無駄に手抜かりがないな……」
「鈴仙とかてゐとかは止めなかったのか?」
「月のイナバはやる気になっちゃってるし、
ずる賢いイナバはちゃっかり妖精たちを指揮する立場になってたわ」
「鈴仙……真面目なのもここまでいくと罪だなぁ」
「てゐの方は……まあ、らしいというか、なんというか……」
「ね、お願い! 何日かここで匿って!
あんなのに参加したら死んじゃうわ!」
それぞれに永遠亭のウサギたちを思い出している妹紅と慧音に向かって、死なないはずの輝夜が必死に訴える。
「あんたも参加して運動不足解消しておいたほうがいいんじゃないの?」
「私泳げないし……」
輝夜の言葉を聞いて、妹紅と慧音の目が白いものになる。
「べ、別に泳げないから逃げてるわけじゃないわ!
私がカナヅチなのよ!?
永琳あたりに「姫が沈んだ? どうせ死なないんだからそのうち湖の底を歩いて出てくるわよ」とか
言われるに決まってるじゃない!」
「……妹紅」
「うん。
輝夜、好きなだけウチにいるといい」
「本当!? ありがとね、妹紅。
今度来るときはおやつに出たお菓子とか持ってくるわね!」
今度永琳に会ったら、せめてお礼をしようとしているときにはお小遣いを与えてやってくれと頼んでみよう。ついでに、命の心配はなくてももうちょっと気を使ってやってくれといってみようか。
喜ぶ輝夜を見ながら不自然に朗らかな笑顔の妹紅と慧音は輝夜から見えないようにお互いの足をつねりあっていた。そうでもしていないと永遠亭における輝夜の扱いの軽さを知ってしまった二人は泣き崩れてしまいそうだったから。
夕食を食べ終えてお茶を飲みながら一息つき、しばらくすると慧音は里へ帰ると言って腰を上げた。
「帰る家があるものが泊り込んでいると、布団の数が足りなくなるだろう?」
泊まっていくつもりじゃなかったのかと声をかけた妹紅にそう返事を返した慧音は、別に妹紅と一緒の布団でもいいのに、ともらした輝夜に頭突きを叩き込んで家路に着いた。
春から夏にかけてどんどんと日が長くなり、夕食を食べ終えてもまだ薄明るい夕闇の中を去っていく慧音を見送った妹紅は額を押さえてうずくまっている輝夜を見下ろす。
「何を言ってるのよ、あんたは」
「うう、永琳の怪しい薬と同じくらいきつい……」
「馬鹿言ってないで、もう沸かしてあるから風呂に入るわよ」
「え?」
「なんでそんなに驚いた顔してるのさ。
私だって一緒に部屋にいるヤツが臭いのは嫌に決まってるでしょ」
「入るわよって……
い、一緒に入るの?」
「別々でも構わないけど、
お湯の温度を調節しなおすのが面倒じゃないの」
「それはそうだけど……」
「鬱陶しいわねぇ。ほら、いくわよ」
「きゃあ!?」
うずくまった体勢のまま呆然と見上げていた輝夜を小脇に抱えて脱衣所に連れ込んだ妹紅は、慌てて抵抗し始めた輝夜をあっさり素っ裸にひん剥いて浴室に蹴りこんでやった。ひん剥いて、と言っても普段のリボンを大量につけた服ではなく枚数を少なくした簡易なものではあるが十二単なんぞを着ていたので帯を解いて突き飛ばしてやれば、服が残って本人だけがすぽーんと抜けて手間要らず。下着をつけていなかったのは流石に永遠亭の主にふさわしい本格派である。
妹紅も服を脱いで手ぬぐい片手に浴室に足を踏み入れると、輝夜はすでに湯に浸かっていた。と、言うよりも湯船で体を隠しているらしい。
「何を照れてるのよ?」
「妹紅のほうが恥じらいがなさすぎなのよ!」
「んー? 貴族ってそういうもんでしょ。
あんただって召使に恥じらいを感じたりはしなかったでしょうに。
変なとこで庶民派ねぇ」
ざばざばと湯船の湯を手桶で掬ってかかり湯をして、妹紅も湯に身を沈めた。
「ふぃ~……」
妹紅は私の召使じゃないし、などとぶつぶつ文句を言っていた輝夜は妹紅の視線が自分から逸れたので一息つくと、風呂に意識を向けた。
はっきりとした木目が美しい湯船は香りからしてヒノキではないようだが、独特の芳香がある。それは決して不快ではない。天井も高い上に、その不思議な香りの木材で作られた湯船も恐ろしく広い。輝夜と妹紅が並んで足を伸ばしても余裕がある。
「立派なものね」
「んぁー?」
「貴方の家は一人で住むには異常に大きいわね。
貴族趣味の華美さが残っていたのは意外だったわ」
実際、この風呂以外も異常に広い。広い上にかなり手の込んだ造りになっている。大きさは永遠亭とは比較にならないが、造りの良さは負けていない。
「あー。この家さ、建てるときに慧音に頼んだのよ。
そしたら慧音がそのまま人里の連中に「私の友人のために家を建ててほしい」って言ったんだよ」
そうしたら、人里の大工が総出で出張ってきて家を建ててくれたのである。
里の守護者が珍しく自分たちを頼ってくれたという喜びに加え、普段の恩返しやら、慧音様にちょっといいトコみせたいやらという思惑やらが加わって、一人暮らしの妹紅が住むには気が引けるほどの屋敷ができあがったのであった。
ちなみに、慧音本人の家は慧音自身が自力で建てたために普通の……というには少々ボロい家である。私と一緒に住めばいいのに、と言ってみたら照れまくった挙句に照れ隠しの頭突きが飛んできたのでその後は言わないようにしている。
「ふぅん……」
輝夜は人里での慧音の慕われ具合を思い出して納得していると、いつの間にか湯船からあがっていた妹紅が輝夜を手招く。
「なに?」
「髪を流してあげる」
「え!? い、いいわよ別に!」
「何言ってるのさ。
その長さの髪なんだし、全部一人で手入れしてるわけでもないんでしょ?
いいからこっちに来なさいって」
「ちょっともこ……うひゃう!?
ヘンなところ触らないでよ!」
「ヘタに抵抗するからそういうことになるんでしょうが。
あんたの髪、さわり心地よさそうだから弄ってみたかったのよね。
ほら、観念しなさい」
「ああ……」
「うぅ……」
妹紅に借りた浴衣に身を包んだ輝夜が縁側にぺたりと足を崩して座り込む。湯上りの肌に憔悴した表情。微妙に着崩した浴衣をかき合わせる仕草が人間のイケナイ部分を刺激する。
「いやぁ、堪能した堪能した」
そんな輝夜の様子も目に入っていないのか、風呂から上がった妹紅も浴衣を着て縁側まで出てくると、どかりと腰を下ろし何かを思い出そうとするように手をわきわきと蠢かせた。
妹紅を恨めしげに見ていた輝夜が呟く。
「あんな風に私(の髪)を弄ぶなんて……!」
「人聞きの悪いことを言ってんじゃないわよ。
あんただって気持ちよさそうにしてたじゃないの」
「それは……そうだけど」
馬鹿らしくなってきたのか普通に座りなおす輝夜。妹紅はその輝夜の後ろに回りこんで、まだ濡れて黒い輝きを帯びている髪を一房手に取った。
「うーん。やっぱりいいわねー、あんたの髪。
慧音の髪のさらさらとした手触りもいいけど、
このしっとりした感触が堪らないわ」
「妹紅の髪フェチ。
なんでそんなに髪に触りたがるのよ」
仕方なく妹紅に髪を好きにさせていた輝夜が呆れた声を出すと、妹紅は照れたように笑う。
「いや、ほら、私って白子じゃない?
だから、あんたみたいな色のある綺麗な髪が羨ましくてさ」
その言葉を聞いて輝夜は返事を返し損ねた。
妹紅は色素が薄い。
瞳は黒がないために血をそのまま映した紅だし、髪も日本人にはありえない銀色。肌にしてもレミリアや咲夜のような白とはまた違った質感の白色だ。そういう容貌をした者たちを、ある種の嘲りや蔑称として「白子」と呼ぶことがある。
妹紅は自分のことを自然に「そう」言うが、一般的に色素の薄いものを呼ぶときに当たり前のように使っていい言葉ではない。
彼女たちは突然変異で現れる。その数は決して多くはない。今であればその現れる原因や理由も解明されているが、妹紅が生まれたころにはそんなものが解明されてはいなかった。
奇異な容貌。昔はそれを神や悪魔と結びつけて考えられることが多かった。妹紅らしき存在が歴史の中にその足跡を見出せないのは、好奇の視線から隠そうとした父親の愛情だったのか。それとも、父さえもその赤い瞳を閉じ込めようとしたのか。
つらつらと詮無い思考をのたくらせていた輝夜は過ぎてしまったこと、とそれを投げ出して自分の体の欲求を優先させた。
「ねえ、のどが渇いたんだけど」
「ああ、そうだな。
スイカでも食べるか」
輝夜の髪を弄繰り回していた妹紅は指に絡めていた髪がするりと逃げていくのを名残惜しそうに楽しんでから立ち上がると、庭の片隅にあった井戸に足を向けた。見れば、井戸の脇においてあった桶に水を張ってスイカが浮かべられている。
妹紅はスイカを回収すると、そのまま土間に回った。
妹紅を見送った輝夜が竹林から吹いてくる涼気を含んだ風と風鈴の音色を楽しんでいると、しばらくして切り分けたスイカを載せた皿を持って妹紅が戻ってきた。
「ほれ」
「ありがと」
二人で縁側に並んでスイカを齧る。
輝夜は小さくさくり。妹紅は遠慮なくがぶり。
輝夜が口の中の種をそっと一度手に出してから皿に戻していると、口の周りを汁だらけにした妹紅は口の中の種を景気よく庭に飛ばしていた。そんな妹紅に目を丸くしていた輝夜だったが、永遠亭じゃないんだしまあいいか、と思い直して自分も大きくスイカにかぶりつくと、庭に種を飛ばしてみる。
妹紅と比較して明らかに肺活量不足の輝夜の飛ばした種は、へにょりと力なく足元に落ちた。
……ふふん。
むかっ。
競い合うようにスイカを食べて種を飛ばす。最初は飛距離を競っていたのに、最後にはスイカの種で弾幕ごっこになってしまった。
ちなみに、決着はつかなかった。
「……冷えたわね」
「うん……ちょっと食べ過ぎたわね……」
スイカを二人で一個丸ごとは流石に大きすぎた。両者消耗によるドローである。
種飛ばしは風物詩っぽいので真似してみたが、げふぅ、というげっぷまで真似するのは姫と呼ばれる輝夜の誇りが許さない。種まみれの汁まみれの姿で今更そんなのものあったものではない気がしないでもないが。
「仕方ないわねー。
もう一度風呂に入りなおすか」
「……今度は一緒に入らないわよ」
「わかったわかった。
……ちっ」
輝夜が風呂から上がると、先に風呂に入った妹紅は縁側に腰掛けていた。部屋の中にはすでに布団が二組敷いてある。
「上がったわよ。
別に先に寝ていてもよかったのに」
「いやぁ、せっかくの夜のイベントを一つ飛ばしてたのを思い出してね。
本当はスイカを食べながらやるつもりだったんだけど」
そういう妹紅の手には小さな棒のようなものが何本も握られている。
輝夜が首をかしげて見せると、にやりと笑った妹紅は庭に出て指先に火を灯した。
「ああ」
輝夜が納得して声を上げるのと妹紅が指先の火で小さな棒に火をつけたのは同時だった。
棒の先から音を立てて色とりどりの炎が噴出す。
輝夜も庭先に用意されていた突っ掛けを履いて庭に出ると、妹紅の手から棒の一本をひったくるようにして受け取って妹紅の火を貰う。輝夜の手にした棒からもすぐに炎が吹き出し始めた。
赤、青、緑の輝きが庭を彩る。
「こんなものまで用意してあったのね。
……もしかして本当にお邪魔だったのかしら」
「本当にお邪魔だったな。
まあいいけどさ」
スイカも花火も慧音が持ち込まない限り、妹紅の家にあるはずがないものだ。
「なあ、ウチに逃げてこなくてもよかったんじゃないのか?」
「うう、妹紅が本気で私を追い出しにかかってる……」
「いやそうじゃなくてさ。
あんたが本当に合宿は嫌なんだったら、永琳に言ってやればいいじゃないか。
永琳だってあんたの言うことなら本当のところはそれなりに考慮してくれるんでしょ?」
花火の煙の向こう側にある妹紅の顔が、存外に真剣なものだったので「本当に邪魔」と言われてしょぼくれた振りをしていた輝夜も態度を改めた。
「……私には貴方がいるわ。
貴方にも私がいる」
「何よそれ?」
「これからの話よ。
ずーっとずーっとこれから先の話。
イナバたちやハクタクもみんな死んじゃって、私たち以外誰もいなくなってしまったあとの話」
「随分先の話だな」
「そうね。でも、必ず来てしまう未来の話だわ」
妹紅は返事を返さず、視線を花火に落とした。
「私には貴方がいるわ。
貴方にも私がいる。
お互いの感情がどういう方向を向いていても、それは間違いないわよね。
だって貴方は私を見つけてしまったのだし、私は貴方に見つけられてしまった」
花火の炎で笑顔を浮かび上がらせ、謡うように言った輝夜は妹紅を見つめていた視線を彷徨わせた。
「でも、永琳には、私にとっての貴方がいない。
貴方にとっての私がいないのよ」
「連れ合いがいない。
そう言いたいのか」
「そうよ。だからこそ、永琳には好きにさせてあげたいの。
一人になってしまう永琳を包んでくれる思い出を、作らせてあげたいの」
そう言った輝夜は自嘲気味に笑う。
「わかってるわよ、こんなの私の自己満足にしかなっていないのは。
けど、ほかにどうしようもないじゃない。
私だって自分の感情までどうこうできるわけじゃないんだから」
輝夜にとって永琳は永遠の共犯者だ。
だからこそ、その永遠という時間を有意義に過ごしてほしいと思っている。だが、その永遠という時間を有意義にしてやれるのは自分ではないことも、理解できている。今更妹紅を強引に切り捨てて永琳と二人で生きていこうとしても、どこかで歪みが出てしまうだろう。
「なるほど。
それで鈴仙を月に返したくなかったわけだな?」
「……そうよ」
鈴仙が絡んだときの永琳はちょっとアレだとは思うが、今の永琳はそれなりに楽しんで生活してくれているだろうと輝夜は思っている。そんな今の生活が、鈴仙が月に帰ってしまえば崩れてしまう。だから輝夜はあれほど大掛かりな手段をとってでも鈴仙を地上に残そうとした。
終わらない夜の輝夜は、永遠亭の面々や襲撃者たちが思っているよりも必死だったのだ。
「なんだ、思ってたよりちゃんと主をやってるんじゃないか」
「それはあんまりじゃない?」
「あんた、ウチに泊めてくれって言ったときに何を口走ってたのか忘れたんじゃないでしょうね」
訝しげに首をかしげる輝夜に、妹紅はため息をついた。
「まあいいさ。
あんたが永琳の意志を優先させてやりたいってんならそれはそれでいい」
気が付けば全ての花火が終わっていた。妹紅は燃えカスを水の張った桶に放り込んで始末する。
輝夜は黙って後ろをついてきていたが、妹紅が始末を終えて縁側に上がろうとすると、
「ごめんね。
貴方には関係ないのに、迷惑かけてるわね」
妹紅は庭の輝夜を振り返った。
輝夜は俯いて足を止めていた。
「本当に邪魔だったら、帰るわ。
別に合宿に参加しても死ぬわけじゃないんだし……」
「輝夜」
言っている間に本当に帰るべきだと思ったのか、後ずさりを始めた輝夜を呼び止めた妹紅は、にんまりと笑ってやった。
「あんたに迷惑かけられるのなんて今更よ」
それだけ言うと、妹紅は敷いてあった寝床に寝転んで頭から夏用の布団を被った。かなり暑いが、流石にちょっと照れくさい。
「そ……そうよね、今更よね!」
輝夜が布団の外で何かを言っている。やたら嬉しそうに納得しているようだ。
まずいことを言ったかなあと妹紅が後悔していると、いきなり布団の上からどしっと重みがかかった。慌てて頭から被っていた布団を跳ね除けると、輝夜が嬉しそうに乗っかっていた。
「それじゃ、これからも迷惑かけるけどよろしくね!」
そのまま上から抱きついてくる。
返事に困った妹紅は頭を掻きながら、胸元に頬を寄せている輝夜を見下ろす。
「あー」
嬉しそうな顔をしている輝夜を見て、抗議するのも面倒臭くなった。
まあいいか。
そう思って胸の上の輝夜の頭を抱き寄せて、その髪を梳く。
翌朝の二人で使った寝具は湿っぽかった。
物干しに掛けられた大きな地図が描かれた布団の前で、鳳凰が舞った。
いろいろと。
この二人はなんと言うか、人によってツンとデレの比率が違うのが面白いですね。
そして最後の鳳凰w良いね!!