―――――――――――――――――――――――――――――――
○月×日
河童・河城にとり氏の講演会を、辰の下刻より、寺子屋にて開催。
無料で聴講可能。希望者の年齢、性別、種族は問わず。
席に限りがあるため、ゆるりと聴きたい方はお早めに。
なお、講演後には舎密(化学)なる見世物もある。
上白沢慧音
―――――――――――――――――――――――――――――――
村の立て札に貼られたこの告知を前に、僕は走馬灯を走らせた。
僕が依頼を受けたのは先週の頭くらいだったか。
たしか、ちょうど昼食後のお茶を飲もうとして、ポットにとっておいたお湯を注ごうとしてるときに来たんだっけな。
そのときちょうどドアをコンコン叩く音がしたんだ。
店に入るのにわざわざドアをノックしてから入ってくる方がいらっしゃるとは思わなくてさ、
とっさに「勝手にどうぞ」って促したんだ。
どうも、招き入れるのって慣れないんだよね。
まぁそれはともかく、
入ってきたのは村の先生と見慣れぬ少女だったって訳だ。
軽い自己紹介を済ませて、早速在庫照会の依頼だ。
こんな辺鄙(へんぴ)な所に来てまで手に入れようとする物なんかろくでもないんだろう思ってたんだけど、
河城にとりと名乗った河童が注文したのはそういう路線とはまた違った難解さを醸していたよ。
「硝安に、あと尿素なんだけど。もちろん精製済みのヤツよ?」
なぜそんなものが僕のところにあると期待するのか理解できないんだが。
まぁ、一応相談には乗るけど。
しかしながら、僕の頭では爆薬や肥料やらの単語が浮かんではいたが、その2つを同時に欲しいとはどういうことだ?
爆発させるなら原料は硝安だけで十分だろうに。
「それは手に入れてからのお楽しみですよ。」と言って河城氏ははぐらかすから尚のことわからない。
爆発させるのではないのか?
まぁ、僕がそんなことを考えても仕方ない。依頼をこなさねば。
「と、言いたいところだが。」
これを早くに言うべきだったんだろうが、そんなものはここにあるはずもない。
専門家が持ってないのに僕が持っている訳もない。
そんなものここに置いてたって面白くないし、ましてや薬品関係だなんて…?
…薬品…薬品。
そういえば…
「先生、八意氏には問い合わせたんですか?」
確か魔理沙が薬品関係を拝借しているのが永遠亭ってところだったはずだ。
返答に困ってしどろもどろした先生というのもなかなか貴重なものだとは思ったけどさ、
でも正直、その非効率的な態度というか行動には呆れてしまってね。
まぁ、敵に塩をもらいに行くような心境だって言ってたから、心中は察したつもりだ。
背に腹は変えられないと説得して、なんとか事を運ばせたよ。
蚊と面倒事は頼まなくても寄って来るってことか。
すっかり冷めてしまった湯をやかんに移して、僕は昼間読んでいた詩書にはさんだ栞を探した。
「その本、いいだろ。」
「ああ、いい本だ。」
「私が持って来たんだからな、感謝しろよ。」
「そうだな。」
「ところで、邪魔するぜ。」
「邪魔はやめてくれ。」
「じゃあ居るだけ。」
「なら良し。良いから窓から降りてきてくれ。」
…まぁこんなこともあったか。
一刻もせず、彼女らは戻ってきた。目的の物はあっさり手に入ったということだ。
両方とも丸々一ビン、しかも無償。
先生は後で相方にどやされやしないかとおどおどしていたっけ。
本当に可愛いお方だ。
「結局僕は無駄の足場になってしまったな」と呟くと、それが河城氏に聞こえたらしい。
「では特別に個別指導でもしましょうか。」と、座っていた僕の目線に合わせて腰を折った。
なかなか魅力的な台詞である。が、まぁそんな淫靡な雰囲気でもあるはずはなしってね。
背中に痛い視線も感じることだし…
何か器を用意してくれと頼まれ、僕は棚からワイン用のグラスを取り出した。めったに使わないしね。
先生は怪訝な顔をしたが、河城氏は問題ないと笑った。
河城氏は僕の手のグラスをそっと取って、ビンに入った2種類の粉をささっと入れた。
「硝安~、尿素に~、混ぜ混ぜ~~、」
思ったよりかなりいい加減なさじ具合だ。聞くば大体1対1で良いらしい。
「で、水はと。」
幸い、湯は冷ましたきり手を付けていなかった。
河城氏はグラスに直接やかんで水を注ぎ、「じゃーん!」と完成の効果音を鳴らした。
「はぁ。」
このとき僕らはどんな顔をしていたんだろうか。
僕が考えるに、このときの気分を表す一番適切な言葉は「きょとん」であったに違いない。
「まぁまぁ、触ってみてよ。」と、僕に催促をかける。
危なくはないだろうねと念を押してそっと触れると…
「おぉ…」
一寸間を置いて見れば一目瞭然だっただろう、グラスにはいつの間にか水滴がびっしりと付いていたんだ。
そして驚くほどにひんやりと冷えていた。
僕は思わず柱に掛けてあった温度計をそのままグラスに差し込むと…
「20からきて………10…9…8………5。確か氷は0だったね?」「うんうんうん。」
思えば今まで、暖めることは簡単に出来ても、冷やすことに関しては皆無であることに僕は気づいた。
「これがね、舎密のなせる業。いつかこれを応用して、物を冷やせるカラクリを開発しようと思うのだよ。
夏に氷の妖精がそれほど有難がれない日がくるかもなのじゃ。」
「魔法で済ませりゃいいじゃん?」
「魔理沙…」
「わかってるよ。ちょっと言ってみただけだ。」
温度計は5を境に下がるのを止め、また少しずつ上がっていった。
「なかなか面白かったよ、久しぶりに。」
4人で一服しながら、僕はそれなりの高揚感を思い返した。
「そう言ってくれたら技術屋冥利に尽きるってものよね。普段はこんなことやってないけど。」
そもそもこの企画、先生が勉学的に面白い話の出来る者を探しているという話を、
いつかの新聞記者が河城氏に流したのがきっかけだったらしい。
「私、結構人見知りするもんだから、少しは治したいなぁっていうのもあったし…」
その割には僕にそういう仕草は見せなかったが?
「まぁ、ただ話すだけなのも面白くないだろうと思ってこういうことをやろって思ったんだけど、大丈夫かな…?」
その点については問題ないさと、僕と先生は強く推した。
魔理沙もやっていること自体は面白そうだと賛同した。ついでにお茶のおかわりを僕にねだった。
河城氏はすっかり安心したようで、お茶菓子には胡瓜だよねと同意を求めてきた。目の前の煎餅じゃ駄目なのか。
ともあれ、これで問題は解消した訳だ。
こちらとしても払ったのは時間とお茶だけだし、間近でいいものも見れた。
「で、ここで折り入って相談が…。」
会話もひと段落したところで、この台詞。まだ何かあるのかと思わず身構えてしまった。
その内容とは、講演当日来てくれというものだった。
そしてその要求は、何故か魔理沙にも。
どういうことだい?という問いに対し、こう返ってきた。
「知り合いは多いほうが緊張も少なくていいかなぁ、と。」
「私パス。」
非常に返答に困るんだよなぁ、こういう頼みごとって言うのは。
正直言って非常に億劫なんだけどな。人が多い所も好きじゃないし…
しかし魔理沙がすでに断っている状況、乗り遅れた僕が断れるのか。
行ってやれよと魔理沙は頭の痛いこと言うし、先生すら良の回答を促してくる。
そこに河城氏の決定打。
「…ダメ、かな?」
頼むから、そんな俯かないでくれ、頼むから。僕が俯きたい。
…まぁ、なんというか、こういう役回りが来てしまった、ということにしておこう。
そして今、この張り紙を前にそんな回想をしている僕は人の目にはどう見えているのだろうか。
今が大体中刻くらいだから、講演が始まるまでもう少しといったところか。
こうなった以上さっさと済ませてさっさと帰るに限る。
「おお、良く来てくれた。」
「本当に来てくれたんですね。」
「まぁ、約束ですからね。」
笑い顔が引きつらないように気を配りつつ、無難に挨拶を済ませる。
教室の中は既に満員状態で、立見席が恐ろしく混んでいた。
「河童だってさ」
「皿は? 皿」
「以外に普通じゃね?」「なんだつまらん」
「へんな格好」
この村は暇人が多いのか物好きが多いのか。話よりも河城氏自体が目当てみたいだ。
というか、この人の波に入れというのか…
河城氏の顔が心なしか血が足りてない気がする。
結局先生の提案で机と椅子が撤去され、
どこから持ってきたのか、床に大量のめでたい紅白の座布団を敷き詰めてそこに人々を座らせた。
もっと他になかったのか…座布団。
余った数人は廊下で聞くことになる。僕もその中の1人だ。
立って聞くのは疲れるけど、押し蔵饅頭はもっと御免だ。
「では、これよりこれより河城にとりさんによる講演会を行います。よろしくお願いします。」
「はい。 えー、では―――」
確かに緊張はしているようだったけど、台詞は噛んでない。
だいぶ練習したんだろうか。
あそこから僕が見えるかどうかはわからないが、これなら居る必要はなかったんじゃないだろうか?
話が進むにしたがって語りは熱くなり、舟を漕ぐ者もかなり多くなってきた。
「――であるからして、これに関する物理的現象と理論を比較していくことで―――――――」
言いたいことは何となくわかるんだけどな。
その手の本は何回か読ませてもらったことがあるが、どうも…
(図書館の方には申し訳ないが、そういう点においては魔理沙には感謝すべきか)
そんな機会がほとんどないこの人らはなおさらだろう。
「故に、この手の技術というものは多方向からの視点から盲点なく観察すべき事柄であって―」
「ちょっと…すまないがそろそろ。」
「え。あー、はい。えっと、時間らしいので、ここで舎密に移りたいと思います。」
半ば残念そうに話を中断した彼女。むしろこちらをもっと大衆ウケするようにすべきだったろうに。
転寝していた人々も起き出した。まぁ、ここからが本番だと思っておこう。
彼女は湯飲みと2種類の薬品を机上に置く。
「はい、ここに水の入った湯のみがあります。この中に硝安と尿素を入れていきます。」
はて、水が先だったか…?
彼女も気づいたようだが、なんとか冷静になろうとしている。
「何、その何とかって?」
でも、観客の方は容赦ないな。
「ぅえ…この、粉のことですか?」
「うん。」
声裏返ってるよ…想定外って感じだな。さて、ここでうまく答えられるかな…
「えーとですね。こっちが硝安です。しょうあん。爆薬の原料にもなる肥料です。
で、こっちが尿素です。これも肥料になりますね。」
「なんだ、ションベンか! ずいぶん綺麗になったもんだな。お前ぇのかい?!」
「い、いぇ…」
観客は下品に笑った。やれやれ…
彼女の方はすっかり固まってしまっている。大丈夫だろうか? 先生も心配そうに見守っている。
「で、では、この中に、入れて、いきます…」
さじを持つ手がここからでも震えているのがわかる。
正直…僕も逃げたい気分だ…見てられない。
「はい、入れ終わりました…」
「どうなんの?」
「はい、これがですね、すごく冷たくなるんですよ。」
「えー、本当~?」
「ほ、ほら、冷たいでしょ?」
「おー冷たい。でもさ、それ最初から冷えてたんじゃないの~?」
最前列のその子供の疑いは、確かに然るべき疑問というべきか…
それに、グラスと違って湯のみは表面が観察しづらいから入れる前後の変化がわかりにくいか。
見かねたのか、先生が急遽横から入ってきて助手に回った。
「確かにわからなかったかもね。じゃあこれから嘘じゃないっていうのを証明するからね。」
こちらは流石に手馴れた感がある。
ささっと別の湯飲みと水を持って再挑戦だ。
最初に湯飲みに水を注いで、それをさっきの子供に確認させる。
「どう?」
「普通。飲んでいい?」
「ダメだ。じゃあこの中に粉を入れていくぞ。はい、河城さん。」
「あ、はい!」
これじゃどっちが助手だかわかんないな。
観客もそんな様子を見てせせら笑っている。
何にも知らないくせに…
結局その後は何事もなく、ウケもまぁまぁといった感じだった。
良くも悪くも、賑わったという意味では成功なんじゃないだろうか。
人が居なくなり、赤い座布団もいつの間にかなくなっていた教室で、
一応僕と先生は河城さんを労う。
想像以上に体力を使ったようで、机にだらしなくへたりながら「お疲れ…」と呟いてる。
「お疲れ様。」と僕が返すと、彼女はさらに大きく息をだだ漏らし。
「お茶、用意してくるよ。」
先生はそう言って寺子屋を後にした。
相変わらずどこから持ってくるのかと、先生の背中を見送りながら僕はふと考える。
茶…座布団、紅白………!?
まぁ、そのうちに問い詰めてみよう。
「私、どうだった~?」
「中の下くらいですかね。」
「そうかな~? もっと低いと思うけどな~~~。」
へたれっぱなしの河城さんは自分の講演会を下卑た。
確かに高めに採点するにはしたけど。
「改善点が明確だったら、次はもっとうまく出来ますよ。」
「次、次かぁ。もーやりたくなーい。」
「でしょうね。」
僕なら絶対に御免だ。
「…店長さん」
ふと顔を上げてこちらを見た。
気だるさが妙に色っぽい。
「やっぱり…迷惑だったかな? だった、よね…」
「もういいですよ、そんなことは。」
「…やっぱり迷惑だったんだ。」
嘘は言いたくないけど、これといって気の利言葉も見当たらない。
先生まだなのかな。参ったな。
間が持たない。
「ごめんなさい。」
…謝られた。
…違うな。
謝らせたのは、僕か? 僕なのか?
そんなつもりじゃなかったんだけど…
「…」
沈黙が痛い…
あーもー!、面倒クサイ!!
「はぁ~~!」
「!?」
僕は大きく、わざとらしくため息を吐いた。
「あのですね!!」
全く!
「はい!?」
「きっかけはどうあれ、最終的に行くと言ったのは僕なんです!
僕は魔理沙みたいに最初からきっぱり断ることも出来たんだ! あなたの所為じゃない! 僕の所為だ!
だから、あなたはそうやって謝らないでいただきたい!!」
なんでこう―
「あ、あの―」
「わかりましたか!!?」
「はっはいぃ!」
うまくいかない!?
やってしまった。
彼女は上半身をのけぞりながら目をパチパチさせている。
もう、いいや。どうでも。
さっさと教室を後にする。決定。
「あの…!」
呼び止める声。もう許して。
「…また。」
…思わず振り返る。
教室の中、外、2人、立ち、無言。
無言。
そして、
「…ああ。……また。」
僕は、去る。
『※「嗚呼、いずれ君もあのてらてらと蠢く蛆虫まみれの死体のように朽ちていってしまうんだね。
けどそんなことは関係ない。僕は貴女の魂を愛しているのだから。」グロテスクな表現で単なる肉体同士の愛を否定し―――』
あれから僕は黙々と詩書を読み倒した。
時折魔理沙が来てはちょっかいを出したが、僕はあえて反応することを避けた。
魔理沙はそんな僕を見て気味悪がり、「じゃあアリスんとこ行ってくる」とさっさと帰っていった。
そうそう、そうやって避けてくれればいい。
僕にはしばらく1人の時間が必要だ…
傷は深い…
コンコン
閉店の文字が見えないのかね。
コンコン
「…どーぞ」
ノックはもういいから。
カチャ
「…」
その客は無言でドアの前に立っていたようだった。
「…」
最初は無視していたが、どうにも気になるので入るか出るかの催促をしようと客の方を見た。
見た。
だから最初から断っておけばよかったんだっ
ゴシックロリータな少女、その背後に見えるどす黒いオーラ。
禍々しくうねるソレを揺らめかせながら、こう言った。
「あなたの厄、私が取って差し上げましょうか?」
○月×日
河童・河城にとり氏の講演会を、辰の下刻より、寺子屋にて開催。
無料で聴講可能。希望者の年齢、性別、種族は問わず。
席に限りがあるため、ゆるりと聴きたい方はお早めに。
なお、講演後には舎密(化学)なる見世物もある。
上白沢慧音
―――――――――――――――――――――――――――――――
村の立て札に貼られたこの告知を前に、僕は走馬灯を走らせた。
僕が依頼を受けたのは先週の頭くらいだったか。
たしか、ちょうど昼食後のお茶を飲もうとして、ポットにとっておいたお湯を注ごうとしてるときに来たんだっけな。
そのときちょうどドアをコンコン叩く音がしたんだ。
店に入るのにわざわざドアをノックしてから入ってくる方がいらっしゃるとは思わなくてさ、
とっさに「勝手にどうぞ」って促したんだ。
どうも、招き入れるのって慣れないんだよね。
まぁそれはともかく、
入ってきたのは村の先生と見慣れぬ少女だったって訳だ。
軽い自己紹介を済ませて、早速在庫照会の依頼だ。
こんな辺鄙(へんぴ)な所に来てまで手に入れようとする物なんかろくでもないんだろう思ってたんだけど、
河城にとりと名乗った河童が注文したのはそういう路線とはまた違った難解さを醸していたよ。
「硝安に、あと尿素なんだけど。もちろん精製済みのヤツよ?」
なぜそんなものが僕のところにあると期待するのか理解できないんだが。
まぁ、一応相談には乗るけど。
しかしながら、僕の頭では爆薬や肥料やらの単語が浮かんではいたが、その2つを同時に欲しいとはどういうことだ?
爆発させるなら原料は硝安だけで十分だろうに。
「それは手に入れてからのお楽しみですよ。」と言って河城氏ははぐらかすから尚のことわからない。
爆発させるのではないのか?
まぁ、僕がそんなことを考えても仕方ない。依頼をこなさねば。
「と、言いたいところだが。」
これを早くに言うべきだったんだろうが、そんなものはここにあるはずもない。
専門家が持ってないのに僕が持っている訳もない。
そんなものここに置いてたって面白くないし、ましてや薬品関係だなんて…?
…薬品…薬品。
そういえば…
「先生、八意氏には問い合わせたんですか?」
確か魔理沙が薬品関係を拝借しているのが永遠亭ってところだったはずだ。
返答に困ってしどろもどろした先生というのもなかなか貴重なものだとは思ったけどさ、
でも正直、その非効率的な態度というか行動には呆れてしまってね。
まぁ、敵に塩をもらいに行くような心境だって言ってたから、心中は察したつもりだ。
背に腹は変えられないと説得して、なんとか事を運ばせたよ。
蚊と面倒事は頼まなくても寄って来るってことか。
すっかり冷めてしまった湯をやかんに移して、僕は昼間読んでいた詩書にはさんだ栞を探した。
「その本、いいだろ。」
「ああ、いい本だ。」
「私が持って来たんだからな、感謝しろよ。」
「そうだな。」
「ところで、邪魔するぜ。」
「邪魔はやめてくれ。」
「じゃあ居るだけ。」
「なら良し。良いから窓から降りてきてくれ。」
…まぁこんなこともあったか。
一刻もせず、彼女らは戻ってきた。目的の物はあっさり手に入ったということだ。
両方とも丸々一ビン、しかも無償。
先生は後で相方にどやされやしないかとおどおどしていたっけ。
本当に可愛いお方だ。
「結局僕は無駄の足場になってしまったな」と呟くと、それが河城氏に聞こえたらしい。
「では特別に個別指導でもしましょうか。」と、座っていた僕の目線に合わせて腰を折った。
なかなか魅力的な台詞である。が、まぁそんな淫靡な雰囲気でもあるはずはなしってね。
背中に痛い視線も感じることだし…
何か器を用意してくれと頼まれ、僕は棚からワイン用のグラスを取り出した。めったに使わないしね。
先生は怪訝な顔をしたが、河城氏は問題ないと笑った。
河城氏は僕の手のグラスをそっと取って、ビンに入った2種類の粉をささっと入れた。
「硝安~、尿素に~、混ぜ混ぜ~~、」
思ったよりかなりいい加減なさじ具合だ。聞くば大体1対1で良いらしい。
「で、水はと。」
幸い、湯は冷ましたきり手を付けていなかった。
河城氏はグラスに直接やかんで水を注ぎ、「じゃーん!」と完成の効果音を鳴らした。
「はぁ。」
このとき僕らはどんな顔をしていたんだろうか。
僕が考えるに、このときの気分を表す一番適切な言葉は「きょとん」であったに違いない。
「まぁまぁ、触ってみてよ。」と、僕に催促をかける。
危なくはないだろうねと念を押してそっと触れると…
「おぉ…」
一寸間を置いて見れば一目瞭然だっただろう、グラスにはいつの間にか水滴がびっしりと付いていたんだ。
そして驚くほどにひんやりと冷えていた。
僕は思わず柱に掛けてあった温度計をそのままグラスに差し込むと…
「20からきて………10…9…8………5。確か氷は0だったね?」「うんうんうん。」
思えば今まで、暖めることは簡単に出来ても、冷やすことに関しては皆無であることに僕は気づいた。
「これがね、舎密のなせる業。いつかこれを応用して、物を冷やせるカラクリを開発しようと思うのだよ。
夏に氷の妖精がそれほど有難がれない日がくるかもなのじゃ。」
「魔法で済ませりゃいいじゃん?」
「魔理沙…」
「わかってるよ。ちょっと言ってみただけだ。」
温度計は5を境に下がるのを止め、また少しずつ上がっていった。
「なかなか面白かったよ、久しぶりに。」
4人で一服しながら、僕はそれなりの高揚感を思い返した。
「そう言ってくれたら技術屋冥利に尽きるってものよね。普段はこんなことやってないけど。」
そもそもこの企画、先生が勉学的に面白い話の出来る者を探しているという話を、
いつかの新聞記者が河城氏に流したのがきっかけだったらしい。
「私、結構人見知りするもんだから、少しは治したいなぁっていうのもあったし…」
その割には僕にそういう仕草は見せなかったが?
「まぁ、ただ話すだけなのも面白くないだろうと思ってこういうことをやろって思ったんだけど、大丈夫かな…?」
その点については問題ないさと、僕と先生は強く推した。
魔理沙もやっていること自体は面白そうだと賛同した。ついでにお茶のおかわりを僕にねだった。
河城氏はすっかり安心したようで、お茶菓子には胡瓜だよねと同意を求めてきた。目の前の煎餅じゃ駄目なのか。
ともあれ、これで問題は解消した訳だ。
こちらとしても払ったのは時間とお茶だけだし、間近でいいものも見れた。
「で、ここで折り入って相談が…。」
会話もひと段落したところで、この台詞。まだ何かあるのかと思わず身構えてしまった。
その内容とは、講演当日来てくれというものだった。
そしてその要求は、何故か魔理沙にも。
どういうことだい?という問いに対し、こう返ってきた。
「知り合いは多いほうが緊張も少なくていいかなぁ、と。」
「私パス。」
非常に返答に困るんだよなぁ、こういう頼みごとって言うのは。
正直言って非常に億劫なんだけどな。人が多い所も好きじゃないし…
しかし魔理沙がすでに断っている状況、乗り遅れた僕が断れるのか。
行ってやれよと魔理沙は頭の痛いこと言うし、先生すら良の回答を促してくる。
そこに河城氏の決定打。
「…ダメ、かな?」
頼むから、そんな俯かないでくれ、頼むから。僕が俯きたい。
…まぁ、なんというか、こういう役回りが来てしまった、ということにしておこう。
そして今、この張り紙を前にそんな回想をしている僕は人の目にはどう見えているのだろうか。
今が大体中刻くらいだから、講演が始まるまでもう少しといったところか。
こうなった以上さっさと済ませてさっさと帰るに限る。
「おお、良く来てくれた。」
「本当に来てくれたんですね。」
「まぁ、約束ですからね。」
笑い顔が引きつらないように気を配りつつ、無難に挨拶を済ませる。
教室の中は既に満員状態で、立見席が恐ろしく混んでいた。
「河童だってさ」
「皿は? 皿」
「以外に普通じゃね?」「なんだつまらん」
「へんな格好」
この村は暇人が多いのか物好きが多いのか。話よりも河城氏自体が目当てみたいだ。
というか、この人の波に入れというのか…
河城氏の顔が心なしか血が足りてない気がする。
結局先生の提案で机と椅子が撤去され、
どこから持ってきたのか、床に大量のめでたい紅白の座布団を敷き詰めてそこに人々を座らせた。
もっと他になかったのか…座布団。
余った数人は廊下で聞くことになる。僕もその中の1人だ。
立って聞くのは疲れるけど、押し蔵饅頭はもっと御免だ。
「では、これよりこれより河城にとりさんによる講演会を行います。よろしくお願いします。」
「はい。 えー、では―――」
確かに緊張はしているようだったけど、台詞は噛んでない。
だいぶ練習したんだろうか。
あそこから僕が見えるかどうかはわからないが、これなら居る必要はなかったんじゃないだろうか?
話が進むにしたがって語りは熱くなり、舟を漕ぐ者もかなり多くなってきた。
「――であるからして、これに関する物理的現象と理論を比較していくことで―――――――」
言いたいことは何となくわかるんだけどな。
その手の本は何回か読ませてもらったことがあるが、どうも…
(図書館の方には申し訳ないが、そういう点においては魔理沙には感謝すべきか)
そんな機会がほとんどないこの人らはなおさらだろう。
「故に、この手の技術というものは多方向からの視点から盲点なく観察すべき事柄であって―」
「ちょっと…すまないがそろそろ。」
「え。あー、はい。えっと、時間らしいので、ここで舎密に移りたいと思います。」
半ば残念そうに話を中断した彼女。むしろこちらをもっと大衆ウケするようにすべきだったろうに。
転寝していた人々も起き出した。まぁ、ここからが本番だと思っておこう。
彼女は湯飲みと2種類の薬品を机上に置く。
「はい、ここに水の入った湯のみがあります。この中に硝安と尿素を入れていきます。」
はて、水が先だったか…?
彼女も気づいたようだが、なんとか冷静になろうとしている。
「何、その何とかって?」
でも、観客の方は容赦ないな。
「ぅえ…この、粉のことですか?」
「うん。」
声裏返ってるよ…想定外って感じだな。さて、ここでうまく答えられるかな…
「えーとですね。こっちが硝安です。しょうあん。爆薬の原料にもなる肥料です。
で、こっちが尿素です。これも肥料になりますね。」
「なんだ、ションベンか! ずいぶん綺麗になったもんだな。お前ぇのかい?!」
「い、いぇ…」
観客は下品に笑った。やれやれ…
彼女の方はすっかり固まってしまっている。大丈夫だろうか? 先生も心配そうに見守っている。
「で、では、この中に、入れて、いきます…」
さじを持つ手がここからでも震えているのがわかる。
正直…僕も逃げたい気分だ…見てられない。
「はい、入れ終わりました…」
「どうなんの?」
「はい、これがですね、すごく冷たくなるんですよ。」
「えー、本当~?」
「ほ、ほら、冷たいでしょ?」
「おー冷たい。でもさ、それ最初から冷えてたんじゃないの~?」
最前列のその子供の疑いは、確かに然るべき疑問というべきか…
それに、グラスと違って湯のみは表面が観察しづらいから入れる前後の変化がわかりにくいか。
見かねたのか、先生が急遽横から入ってきて助手に回った。
「確かにわからなかったかもね。じゃあこれから嘘じゃないっていうのを証明するからね。」
こちらは流石に手馴れた感がある。
ささっと別の湯飲みと水を持って再挑戦だ。
最初に湯飲みに水を注いで、それをさっきの子供に確認させる。
「どう?」
「普通。飲んでいい?」
「ダメだ。じゃあこの中に粉を入れていくぞ。はい、河城さん。」
「あ、はい!」
これじゃどっちが助手だかわかんないな。
観客もそんな様子を見てせせら笑っている。
何にも知らないくせに…
結局その後は何事もなく、ウケもまぁまぁといった感じだった。
良くも悪くも、賑わったという意味では成功なんじゃないだろうか。
人が居なくなり、赤い座布団もいつの間にかなくなっていた教室で、
一応僕と先生は河城さんを労う。
想像以上に体力を使ったようで、机にだらしなくへたりながら「お疲れ…」と呟いてる。
「お疲れ様。」と僕が返すと、彼女はさらに大きく息をだだ漏らし。
「お茶、用意してくるよ。」
先生はそう言って寺子屋を後にした。
相変わらずどこから持ってくるのかと、先生の背中を見送りながら僕はふと考える。
茶…座布団、紅白………!?
まぁ、そのうちに問い詰めてみよう。
「私、どうだった~?」
「中の下くらいですかね。」
「そうかな~? もっと低いと思うけどな~~~。」
へたれっぱなしの河城さんは自分の講演会を下卑た。
確かに高めに採点するにはしたけど。
「改善点が明確だったら、次はもっとうまく出来ますよ。」
「次、次かぁ。もーやりたくなーい。」
「でしょうね。」
僕なら絶対に御免だ。
「…店長さん」
ふと顔を上げてこちらを見た。
気だるさが妙に色っぽい。
「やっぱり…迷惑だったかな? だった、よね…」
「もういいですよ、そんなことは。」
「…やっぱり迷惑だったんだ。」
嘘は言いたくないけど、これといって気の利言葉も見当たらない。
先生まだなのかな。参ったな。
間が持たない。
「ごめんなさい。」
…謝られた。
…違うな。
謝らせたのは、僕か? 僕なのか?
そんなつもりじゃなかったんだけど…
「…」
沈黙が痛い…
あーもー!、面倒クサイ!!
「はぁ~~!」
「!?」
僕は大きく、わざとらしくため息を吐いた。
「あのですね!!」
全く!
「はい!?」
「きっかけはどうあれ、最終的に行くと言ったのは僕なんです!
僕は魔理沙みたいに最初からきっぱり断ることも出来たんだ! あなたの所為じゃない! 僕の所為だ!
だから、あなたはそうやって謝らないでいただきたい!!」
なんでこう―
「あ、あの―」
「わかりましたか!!?」
「はっはいぃ!」
うまくいかない!?
やってしまった。
彼女は上半身をのけぞりながら目をパチパチさせている。
もう、いいや。どうでも。
さっさと教室を後にする。決定。
「あの…!」
呼び止める声。もう許して。
「…また。」
…思わず振り返る。
教室の中、外、2人、立ち、無言。
無言。
そして、
「…ああ。……また。」
僕は、去る。
『※「嗚呼、いずれ君もあのてらてらと蠢く蛆虫まみれの死体のように朽ちていってしまうんだね。
けどそんなことは関係ない。僕は貴女の魂を愛しているのだから。」グロテスクな表現で単なる肉体同士の愛を否定し―――』
あれから僕は黙々と詩書を読み倒した。
時折魔理沙が来てはちょっかいを出したが、僕はあえて反応することを避けた。
魔理沙はそんな僕を見て気味悪がり、「じゃあアリスんとこ行ってくる」とさっさと帰っていった。
そうそう、そうやって避けてくれればいい。
僕にはしばらく1人の時間が必要だ…
傷は深い…
コンコン
閉店の文字が見えないのかね。
コンコン
「…どーぞ」
ノックはもういいから。
カチャ
「…」
その客は無言でドアの前に立っていたようだった。
「…」
最初は無視していたが、どうにも気になるので入るか出るかの催促をしようと客の方を見た。
見た。
だから最初から断っておけばよかったんだっ
ゴシックロリータな少女、その背後に見えるどす黒いオーラ。
禍々しくうねるソレを揺らめかせながら、こう言った。
「あなたの厄、私が取って差し上げましょうか?」