むかしむかし、まだまだ自然の力が強くて、妖怪や妖精があたりに住んでいるのが当たり前だった時代のこと。
ある時東の果ての国で、妖怪や妖精が隠れ住む国を作ろうという計画が起こりました。
「人間たちは妖怪や妖精や幽霊を恐れて毛嫌いしている。森を切り開いて田畑や工場を作り、私たちの生きられる暗がりをなくそうとしている。残念なことだが、彼らには私たちが必要なくなったらしい」
妖怪たちは人間に必要とされなくなったことを悲しみつつも、自分たちだけで生きていこうと決心しました。
「それが人間にとっても、われわれにとっても、お互いのためになるだろう」
そこで東の国の一部を結界で囲んで、外から入れないようにし、そこに移り住むことに決めたのです。
だけど問題がありました。
妖怪たちは結界を作ってある土地を外から切り離そうと思っていたのですが、結界を張るために必要な自然の力が弱まっていたのです。
自然の力が強い場所には守り神として、自然と龍が住み着くと言います。
この国には随分前に龍がいなくなっていたのです。
妖怪達は相談しました。
「ほかの国に居る龍に事情を話して、力になってもらってはどうだろうか」
誰かがそんな案を出しました。
そこで彼らは、海を越えた隣の国に住んでいた黄色い龍に相談に行きました。
妖怪たちは旅をして隣の国の山奥に行き、滝壺に住んでいた黄色い龍に事情を話しました。
「では私がその土地に行って守り神となりましょう」
話を聞いて黄色い龍はそう答えました。
「待ってください、お母さん。私を置いていくのですか? 私はまだ小さいからこの土地から離れられないし、置いて行かれたら一人では生きていけません。それにお母さんと別れるのは嫌です」
龍の隣にいて話を聞いていた、小さな龍の娘がそう泣きそうに言いました。
龍には生まれてからしばらくの間は、生まれた土地を守らなければならないという決まりがあるのでした。
「娘や、ごめんなさい。私たち龍の一族は、一人前になったら独り立ちして生きていくものなのです。あなたはまだ小さいけれど、それでも私が誇りに思うすばらしい娘です。あなたはもう、立派に一人で生きていけますよ」
そう言い残して、龍のお母さんは空へ飛び立ちました。
お母さん、お母さん、龍の娘はお母さんに見離されたと思って泣きました。
大分空を飛んで海の上へ出た頃に、龍のお母さんはこうつぶやきました。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私の可愛い娘。私はまだあなたに言っていないことがあるの。たぶん私があなたに生きて会うことはもう二度とないでしょう。どうか私が付けた名前のように、美しく涼やかな音色のように、皆に愛されながら生きてくれますように。あなたの幸せを祈っています」
泣きはらした龍の娘はそれでも立ち直って、それから一人で生活していきました。
たくさんの季節が過ぎて、龍の娘も一人前の女の人になりました。
大きくなった龍の娘の姿は、ほとんど人間と変わりありませんでした。
とても美しく成長して、周りの妖怪や精霊たちからも一目置かれるようになりました。
ある時、龍の娘はお母さんの噂を聞きつけました。
「黄色い龍は東の果てにある島国の守り神になったらしい」
それを聞いて、娘は優しかったお母さんのことを思い出しました。
会いたい。私を捨てていったお母さんだけど、もう随分時間がたって恨んでいないし、やっぱり会って話がしたい。
懐かしいお母さんの思い出が胸にあふれてきました。
龍の娘はお母さんを探す旅に出ました。
海を渡り、龍の娘が東の果てにある島国にやってきました。
島国と言っても結構広くて、龍の娘は何日も旅をしてお母さんの噂を探しました。
旅を続けるうちに、娘はある偉いお坊さんからこんな話を聞きつけました。
「その昔、山奥に龍の力を借りて作った隠れ里があるらしい」
その里には「幻想郷」と言う名前が付けられたとお坊さんは言っていました。
全ての幻想が行き着いて安らぎを得る場所、そういう意味があるそうです。
龍の娘はそこに行ってみました。
結界が張られていて、普通の人間には見つけられませんでしたが、妖怪や神様に近かった龍の娘には入ることができました。
美しい場所でした。
自然が美しくて、妖精や妖怪がいっぱい住んでいます。
「ああ、お母さんの匂いがする。間違いないわ。ここがお母さんがたどり着いた国」
娘は郷中を歩いてお母さんの姿を探しましたが、不思議なことにどこにもお母さんの姿はありませんでした。
娘は郷の中で一番古くから生きる妖怪の賢者の元をたずね、お母さんのことを聞きました。
妖怪の賢者は娘の話を聞いて最初びっくりした顔をして、その後こう言いました。
「そう、あなたがあの龍の娘……」
それから妖怪の賢者が聞かせてくれた話は、龍の娘にとっては悲しいことでした。
龍の体は自然そのものと同じ力があります。
龍の体は土地と一緒になることで、自然の力を補うのです。
龍のお母さんは、弱まってしまった自然の力を補うために、自分の体を犠牲にしたのでした。
お母さんは幻想郷そのものになっていたのです。
郷の山や川や森や湖と一緒になったので、話をすることもできないし、考えることもしない。
妖怪の賢者は娘にそう伝えました。
「あなたのお母さんがいなかったら、結界は作れなかった。この郷に昔から住む者は皆、あなたのお母さんに感謝している」
話を聞いて娘は打ちひしがれました。
長い旅を続けて、やっとお母さんに会えると思っていたのに。
お母さんにお話したいことが一杯あったのに。
今までまじめに生きてきて、ちゃんとこんなに大きくなったのよ、そう伝えてあげたかったのに。
妖怪の賢者の元を去った娘は、とぼとぼと歩いてある湖のほとりに着きました。
そこがお母さんの匂いが一番濃かったのです。
そこで大地に腹ばいになって寝そべり、龍の娘は涙を流しました。
「お母さんが守った土地、お母さんが作った郷……」
龍の娘がたどり着いた場所には言い伝えがありました。
その湖は幻想郷を作った龍が、故郷に残してきた娘を想って流した涙がたまってできた湖だと。
湖はちょうど龍のお母さんの目にあたる部分だったのです。
龍の娘は湖をのぞきこみました。
ずっとのぞきこんでいました。
そうしていれば、お母さんの瞳に自分が映って、お母さんが気付いてくれる気がしたからです。
龍の娘はずっと湖のほとりに座っていました。
体育座りのままずっとじっとしていました。
動く気分になれませんでした。
ここはお母さんの土地です。娘はお母さんと共にいるのです。
お母さんを探すという目的をなくしてしまった娘には、もうやりたいことがありませんでした。
それから何年も何年も、気が遠くなるぐらいの歳月が過ぎました。
じっと座りこんだままの龍の娘の上に雨や雪が降り積もりました。
やがて風で飛ばされた土がかぶさり、太陽が照って固まり、動かなかった龍の娘は石像のような姿になりました。
それでも娘は動かないので、そのうち石像の上には苔が生えてきました。
ある日突然、湖のほとりに紅いお屋敷が現れました。
お屋敷は霧の様にふっと現れました。
遠い西の国で必要とされなくなった幻想が、新しく幻想郷にやってきたのです。
扉が開いて、屋敷から何人かの女の子が出てきました。
それまでは静かだった湖畔が、いきなりにぎやかになりました。
「やれやれ、辺鄙なところにたどり着いたものねえ」
「でも、結構景色はいいですよ」
「あなたの喘息にはよさそうねえ。空気がおいしいわ。あら?」
屋敷から出てきた女の子の背中には羽根が生えていました。
女の子は吸血鬼で、西洋から来た新顔の妖怪です。
女の子は門の前に置いてあった苔が生えて緑色の石像に気づきました。
「なにかしらこれ?」
「どうも中には妖怪が入っているみたいよ」
吸血鬼の隣にいた賢そうな女の子がそう言いました。
彼女は吸血鬼の親友の魔女です。
「だれかが封じ込めたのかしら。それにしても、邪魔っけねえ」
「いえ、しばらく動かないうちに石になってしまったみたいね」
「何それ? のんきな妖怪もいたものね。どれ、中身を出してみましょうか。フラン、周りを覆っている土だけを壊せる?」
「お安い御用よ、それどかん」
金髪の、不思議な羽根を背中につけた三人目の女の子がそう言うと、石像がくだけて中から龍の娘の体が出てきました。
いきなり土の中から出された龍の娘はきょとんとしていました。
「ちょっとあなた、悪いんだけど、ここどいてくれるかしら? ここは私の門の前なの」
「……なんで私を起こしたの?」
吸血鬼は龍の娘から事情を聞きました。
もうやりたいこともないし、死ぬのも面倒なのでずっと寝ていた。
龍の娘はそんな風に答えました。
「なるほど、要するにあんたには生きる目的がないと。厭世的ねえ。……じゃあ、こうしましょう。あんた、私の家の門番になりなさいよ」
「……え?」
「どうせあんたはここを離れたくないんでしょ? 今から私たちは挨拶代りにこの郷の妖怪たちをやっつけに行くのよ。その間、ついでにこの門を見ててよ。それだったらここに置いてあげてもいいわ」
後から来て随分な言い草でしたが、龍の娘は他にやることもないので、なぜか少女の勢いに押されて納得してしまいました。
(そうだ。お母さんはこの郷を守った。私もお母さんのように、この郷を守っていこう。そうすれば、お母さんと一緒に生きていくことになるのじゃないだろうか)
「――決めた。私はお母さんの遺志を継ぐんだ。私はこの郷を守るために生きていこう」
そう龍の娘は言いました。
ただずっと寝ていたせいか、頭がぼやけていて龍の娘は少し勘違いしていました。
娘の中で、門を守ることと郷を守ることはいつしか一緒になってしまっていたのです。
とにかく目標と仕事を与えられて、龍の娘は嬉しかったのです。
娘は門番という仕事を与えてくれた吸血鬼に感謝していました。
吸血鬼たちが郷の妖怪にこてんぱんにやられて帰ってきたときにも、娘は屋敷の門を見張っていました。
屋敷の人たちともだんだんと仲良くなり、娘は新しい家族を見つけました。
やがてだんだんと、寂しさも薄れていきました。
屋敷の外から吸血鬼が、今日も門の前で立っている娘を眺めます。
それを見て、隣にいた友達の魔女が話しかけました。
「あの子、すごい力を持っているのに、なんでうちで門番なんかやっているのかしら?」
「あの子にとっては、門を守ることが母親の意思を守ることに繋がっているんでしょう。今は平和だから門番なんかやってるけど、きっといつか、もしこの郷自体がどうにかなってしまうような大変なことが起きた時には、あの子は大切な役割を果たすはずよ」
もう既に全ての事情を知っている館の主は、門番の姿を見つめながらそんな風に言うのでした。
龍の娘は今でもその屋敷の前で門を守っています。
彼女は目的を与えられて、なんとなくこの郷で生き続けることに決めました。
龍の娘は門を守ることで、今でもお母さんと一緒にいる気持ちになれるのでした。