チルノは驚いた。
湖畔の森のねぐらの入り口に、妙な女が頭から挟まっていたからだ。この女こそ、竹林の永遠亭の主、蓬莱山
輝夜なのだが、勿論チルノはそんなことを知る由も無い。
「あらこんにちわ」
「こんに、違う! うわ! なんかあたいンちに変なのがいるっ!」
「ああ気にしないで。初秋だけどまだ暑いから、いい避暑地を探してただけよ」
輝夜はモゾモゾと更に奥まで潜り込んだ。
チルノは慌てた。もともと自分が夜帰ってカエルの数を数えたり寝たりするためだけにある家なのだから、妖
精一匹以外が入るとどうやったって狭すぎる。
「こらー! あたいが入れないじゃないの!」
チルノは輝夜の足を頑張って引っ張る。軽かったので、案外簡単に引っ張り出すことが出来た。輝夜はそれで
も構わないと思っているようで、特に抵抗はしなかった。むしろチルノに掴まれて気持ちいいらしい。
「冷たくて気持ちいいわ。さすがね」
「ずーずーしいヤツね! 一体ナニサマのつもりよ!」
「結構日差しが強いからねぇ。ここは魅力的な日陰だわ」
輝夜は彼女曰くの魅力的な日陰にまた頭から突っ込んだ。普通に入ればいいのにどうしてそうなのかと言われ
ると、輝夜にとってはその艶やかな黒髪こそが最も紫外線から守るべきものだからである。
「あっ! とにかく! ここはあたいの家なのよ! てかこのヘン全部あたいの陣地よ! あんたみたいな変な
のが勝手に入ってんじゃないわよー!!」
「陣地ってどこから?」
チルノが全身で怒りを表現しているのに輝夜はまったく動じず、むしろおかしなことを聞き返してきた。
チルノにとってみれば陣地は陣地で、とにかく他者が勝手に入ってくるとムカつく場所であり、特にどの辺か
らどの辺までという領域設定はまったくしていないのである。
「知らないわよそんなの!」
「じゃあ、いつからここはあなたの陣地になったの? 陣地って何? あなただけで決めたこと?」
「そ、それはっ」
「そもそもあなたは本当にあなたなの? あの頃の輝いていたあなたは一体どこへ行ってしまったというの!?」
「……ど、どこいっちゃったんだろう……?」
「というわけで、お邪魔するわ」
唇に指を当て、呆然と虚空を眺めるチルノだったが、輝夜が再び自分のねぐらに潜り込んだのを見て我に返る。
「だーかーら! そこはあたいの家ー!」
「あら、じゃああなたの家はそもそもどうして」
「もうその手に引っかかるかっ! このーっ!!」
チルノは輝夜の胴にしがみついて一生懸命その体を引っ張る。
その冷たさに輝夜はアフゥンと喘いだ。頭が日陰で体は氷精だ。下手に団扇などで扇いだりするよりも遥かに
気持ちが良いのは想像に難くない。
ともかく、チルノが全身を使って引っ張り出した輝夜は、何やら満足したように地面にへたり込む。
「フゥ、フゥ……良かったわよ、あなた」
「なにわけのわかんないこと言ってんのよ」
ちきゅーがいせーめーたいみたいなヤツだ。とチルノは思ったが、引っ張り出すことには成功した。今日は天
気が良かったから、色々回って疲れている。ちょっと昼寝をする為に戻ってきたつもりが、とんだアクシデント
だった。
ふぁ、とチルノは一つ大きなあくびをした。
「とにかく、あたい今からちょっと寝るから、邪魔すんじゃないわよ」
と言い、のそのそとねぐらへ入ろうとする。
「ジャスタモーメント!」
「……え、じゃす? 何よ?」
振り返ると輝夜が仁王立ちしていた。
「外はまだまだ暑いわ。そんなところに見つけたこの日陰! そう易々と渡すわけにはいかないわね!」
「もう、だからここはあたいの家だってば!」
「そう、あなたの家ね。じゃあこうしましょう。私があなたとの勝負に勝ったら、その日陰を私に譲り渡して貰
うわ!」
勝負という言葉に、チルノの目がきらりと輝いた。暑くて疲れて眠いけれど、勝負事は好きだし、何よりこの
変な女をこてんぱんにのしてやるチャンスだ。
「いいわね、乗ったわ!」
さ、とチルノは懐からスペルカードを取り出す。『アイシクルフォール』、正式採用バージョンだ。正面もきっちり
カバーする辺り、ぬかりは無い。
輝夜は不敵にニヤリと笑い、同じく懐に手を突っ込んだ。互いに弾幕を使えるのなら、話は早かった。チルノ
の周囲の空気がにわかに冷える。
輝夜は鋭く、懐から右手を差し出し――
「ジャーンケーンッ!!」
「え、じゃんけん!?」
殆ど反射的にチルノは右手を出す。
「ホイッ!」
チルノ、チョキ。輝夜はパー。
「やった、勝っ……」
「ホイッ!」
間を置かず、左手。
「え? え! あれ!?」
これまた条件反射のようにチルノは左手を出す。チルノ、パー。輝夜はチョキ。もうチルノの頭は混乱してし
まっていた。これじゃどっちが勝ったのかわからない。そんなチルノの混乱も無視してすかさず輝夜は言う。
「どっち引ーくのー!」
「あ、え、じゃあ、こっちっ!」
あたふたしながらチルノは右手を引く。まったく同時に、輝夜もまた右手を引いた。
――負けた!
チルノは目を見開いた。だが勝負は終わってはいなかった。またも、輝夜の声が鋭く飛ぶ。
「あんた馬ー鹿ね!」
「バッ!?」
チルノの頭の中がぐるぐる、よくわからない具合に回り、それでも輝夜は容赦せず続ける。
「ビィィィ――――ムッ」
「わ、わわわっ!」
「フラッシュ!!」
掛け声と共に、輝夜はびしりとポーズを決めていた。チョキの形に作った両手を額に当て、まるでそこから、
ビームか何かでも出すかのように。
もうほとんどパニックに陥っていたチルノはというと、無意識に輝夜の物まねをしてしまっていた。
今度こそ、本当に負けた。
チルノは得体の知れない敗北感を噛み締め、気力を使い果たし、地面に倒れこんだ。
輝夜は勝ち誇ったように笑う。
「というわけで、いただくわ」
「納得いくかァーッ!!」
またずぼりとねぐらの入り口に頭を突っ込んだ輝夜に、チルノは力を振り絞ってしがみ付いた。その冷たさに、
輝夜はハァンと喘いだ。
「ん、もう。私の勝ちでしょ? あ、そこ、いいわ、もっと強く」
「変な声出すな! だってなんかわかんないわよ! わけわかんないのになんで負けたのよこのヤロー! あん
たさっぱりわかんないからもう帰れー!!」
「野郎だなんて、下品な言葉を使うもんじゃないわ。まったく仕様のない子ねえ」
ねぐらの入り口から輝夜が頭を引っこ抜いたのを確認し、チルノはその体から離れた。もう、眠気はすっかり
失せていた。
「でも帰らないわよ。だって私は家出中だもの」
輝夜ははっきりとそう言った。
「家出? なんでよ」
「ここのとこうちの従者が構ってくんないの。最近居候になった超人にかかりっきりでねー。もうあんなとこに
いてやるもんですか」
「ちょーじんって誰よ?」
輝夜は少し考え込むように中空を眺める。
「大きくて、銀色で、所どころ赤くて、胸にランプみたいなのがある人よ」
「……よくわかんない」
「まあ、そんな感じよ。さっきのあれは、超人が教えてくれた、特別なじゃんけんなの」
輝夜は得意げに言う。
通称、宇宙じゃんけん。通常のじゃんけんの手を二つ出し、同じタイミングでどちらか一方を下げる。残った
方の手で闘い、勝った方が『親』となる。
続いて、『親』の方が決まり文句と共に三種類のポーズをとり、相手、つまり『子』の方が『親』と同じポーズ
をとってしまったら、『子』の負け。ポーズが違えば、またじゃんけんからやり直し。複雑に見えて単純で、やっ
てみれば奥の深い、まさしく宇宙の遊びなのである。
「というルールよ」
「うちうがなんだかよくわかんないけどスゴイのね!」
ルールを聞いてチルノにまた闘志が沸いてくる。今度こそ、自分のねぐらは渡さない覚悟だった。輝夜はそん
なチルノを見てニヤリと笑った。
「なら、もう一戦どうかしら?」
「いいわよ! あたいが勝ったらあんたちゃんと帰んなさいよね!」
チルノは両腕をぐるんぐるん回す。輝夜は少しの間それを愉快そうに眺めていたが、やがて気を取り直したよ
うに、両手でじゃんけんの構えをとった。
辺りの空気が張り詰める。完全に直感と気合によって左右される闘いである為、両者にかかる緊張は大きい。
弾幕ならば、パターンがある。通常のじゃんけんは一瞬で終わる。だが、これはそれらとは異種だ。
静寂を切り裂き、輝夜が叫んだ。
「じゃーんけーん!」
気が付けば日はすっかり傾き、木の葉や幹に鮮やかなオレンジ色が混ざるようになっていた。
あの後、また何戦もやり合った。結論から言うと、チルノが勝利することは一度も無かった。ルールを理解し
ていても、輝夜のフェイントや心理戦術は完璧で、チルノには勝てる筈も無かったのだ。というかそれ以前に、
なんだかチョキを出したと思ったらいつの間にかパーになっていたり、右手を引いたと思ったら左手を引いてい
たりした。謎過ぎた。
気力を使い果たし、チルノはその場に、ずべ、と倒れ伏す。
「ウフフイ。それじゃ今度こそ、この家は私の」
「やらせるものかァーッ!!」
チルノは残った力を奮い立たせ、また輝夜の体にしがみついた。その冷たさに輝夜はやっぱり喘いだ。
「まったく、あなたも大概しつこい子ねえ」
「ここはあたいの家じゃー!!」
暴れるチルノを、輝夜は半分楽しんでいるようだった。
「じゃあ、どうするつもり?」
「うぅ、もう一回、もう一回よ!」
チルノのその言葉を聞き、輝夜は不敵に笑った。
「いいわよ。もう一回だけ付き合ってあげるわ」
それを聞き、チルノは俄然奮い立った。今度こそは負けないつもりだった。根拠は無い。とにかく負けない。
再び二人は向かい合い、じゃんけんの形に構える。
「じゃーんけーんっ!」
そして。
二人が今まさに手を繰り出さんとしたその時、空の遠方から、チルノにとっては覚えの無い声が届いた。
「――姫様ー!」
輝夜がムッと声を漏らし、動きを止める。チルノはきょとんとしていた。
次に、ご、と空気の揺れる音がした。いかにも重い感じに反して、音は速く、どんどんこちらへ近づいてくる。
空気が、ずごご、と唸りをあげた。何がなんだかわからず、チルノはきょときょとと辺りを見回した。
直後、大地に大きな影が差した。
「ひょわぁっ!?」
空を見上げ、チルノは自分でもびっくりするくらい変な声を出してしまった。
無理もない。見上げた先にあったのは、全長40メートルはあろう巨人が悠々と飛んでいる姿だったのだから。
そしてその背に、頼りない耳をした、ウサギの妖怪が乗っている。
「あっ、こんなところにいたんですねー。もう晩ご飯ですよ、帰りましょうよーっ」
輝夜は不愉快そうにプイと顔を背ける。
「フンだ! おいそれと帰ってやるもんですか!」
「今夜はビビンバですよ、食べないんですかー?」
「食べるに決まってるじゃないの! 今そっち行くから待ってなさい!」
輝夜の変わり身は早かった。ふわりと足を浮かし、呆然としているチルノを振り返る。
チルノもその視線に気付いたが、輝夜を見返すことはなかった。目は、超人に釘付けのままだった。夕日を背
中いっぱいに受ける『超人』は、チルノが生まれて初めて見るほど、ものすごく大きかった。
「びっくりした? あれがウチの超人よ」
言葉が出ず、チルノは何度も首を縦に振る。
輝夜の声は自慢げだったが、子供に愉快な物語を伝え聞かせるようでもあった。ただ、輝夜の言葉は、その半
分もチルノの頭に届いてはいなかったが。
チルノはそれこそ幼い子供のように目を輝かせ、超人の巨体に魅入っていた。
輝夜はそんなチルノに気付いたようで、僅かに苦笑する。
「まあ、気が向いたら遊びに来なさいな。超人は大きいから目印になるわよ。今日は結構楽しかったわ」
一度だけチルノの頭を撫で、輝夜は宙に浮いて、超人へと近づいていった。
チルノはその様をぼんやりと眺めていた。
間もなく輝夜は超人の背に乗った。超人は特に気にしていないようで、再び空気を振るわせ、上昇した。
「え、あっ」
徐々に遠ざかっていく超人に、チルノはようやく我に返ったようだった。
超人は大きくて、唐突な客人は、唐突に帰ろうとしていた。なんだか、状況がよくわからなかった。だが、な
んだかよくわからないなりに、やることはなんとなくわかった。
チルノは輝夜に向けて、その手を大きく振った。
「また遊ぼうねぇー!!」
咄嗟に出た言葉だったが、悪くはないと思った。
超人の背の上で、輝夜もまた手を振ったように見えた。
「――えっ?」
そして、その姿がどんどん遠ざかっていく中。
チルノは、誰かの声を聞いた気がした。
直感した。きっと超人だ。何を言っているのかはよくわからない。多分、挨拶なんじゃないかと思う。
だからチルノは、聞いたそのままを、声を張って超人に返した。
「でゅわっ!!」
そいつには、兄弟とか同族がいっぱいいた気がするんですが。
全員来たらエライコトに。
宇宙猿人ゴリだと思ってたのに絶望した
この恋娘はバカワイイ。
それと、『巨人』はともかく『超人』と姫に言わせる程、幻想郷の中において力がありますかね。ボスクラスにはあっさり負けそう
まあ、肉弾戦においてはどれくらいか分からんけど。