「うーあー」
「あーうー」
博麗神社に呻き声がふたつ。
じーじーみんみんと蝉は大合唱し、残る生を精一杯燃やし尽くさんと躍起になっている。
大空には天照大御神。
これでもかと投げかけられた熱光は、神社の石畳の上に陽炎を見せている。
「か弱い人間には、少し、加減してもらいたいぜ……」
「……だったら自分の家でおとなしくしてなさいよ……」
打ち水をした程度ではどうにもならなかったので、霊夢は早々に掃除を諦めていた。
撒いた端から乾いていくのである。種を撒いている後ろに烏がいるのと大差ない。
高台にある博麗神社は風通しがいい。
豊かな四季を楽しむ事が出来るので、来客もある。
その内訳は風雅を愛でる妖怪が多いのが悩みの種だが、今は人間である魔理沙が霊夢の隣に座っている。
しかし、その姿は闇に紛れてはっきりとは見えない。
「やっぱり、日が差さないってだけじゃダメなんだな」
「これだけ暑いとね」
魔理沙が、夏の涼の定番であるチルノを求めて湖周辺を捜していたら、暑さでやられたのかルーミアが落ちていた。
正確には黒い空間が動かないままだったのだが、チルノ狩りの行きに見かけた闇が、捜索を諦めて戻る時にも動いていなかったので、どうやら寝ているらしいと判断して、ルーミアを抱えて戻ってきたのだ。
暑さに参っていた霊夢がなけなしの気力でそろそろ昼飯でもと思っていたところに、見覚えのある闇が降りてきて、中から魔理沙の声で、「日が当たらなければ涼しいかもしれないぜ」と言い放つ。
暑さで思考の緩んだ霊夢は、確かにそうかも知れないと思い、深く考えもせずにルーミアを居間に置くことを許可したのだ。
これが三十分ほど前の話である。
霊夢としてはチルノ無しでは耐えられないと言う訳でもなかったが、労せずして涼めるのなら歓迎だった。
茶の間に転がっているルーミアは相変わらず闇を展開したままで、中心位置と思しき辺りからは暢気な寝息が聞こえる。
昼という事もあるのだろうが、おおよそ警戒しているとは思えない。襲われるとかそういう可能性を考慮しているのだろうか? いないか。ルーミアだし。
直射日光を遮るので、日傘の代わりにはなる。以前紅魔館が餌付けをしようとしているのを見た事もある。
つまり屋内ではあまり意味が無い。むしろ真っ暗な上に蒸し暑いから、だんだん息苦しく感じてくる始末だ。
闇の中心から時折ルーミアの苦しそうな声が聴こえるのも、むべなるかな。
じーぃーじーじーじー……
「あー……うー……あーつーいー」
直射日光が来ないのをいい事に、魔理沙は縁側に座っていた。
確かに日光を浴びないので、闇の内側は微妙に涼しい。しかし湿度を調整出来るわけではないので、蒸し暑い大気ばかりはどうしようもなかった。
室内よりは風があるだろうが、それでも暑いものは暑い。
「言わなくても判ってるんだから黙ってなさいよ……」
霊夢のしかめっ面も蒸し暑さでいつもの三割増しである。
魔理沙が振り向くと、薄闇の中に浮かぶ霊夢の不機嫌そうな顔。そしてその手にはヤカン。
だぱだぱだぱ
「うわっ!? った! おまっ!」
縁側に座っていた魔理沙に、霊夢が頭から水をかけた。
服を着ていようとお構い無しである。
「な、なんてことすんだこの腋巫女!」
「だってアンタ暑そうだったから」
「だからっていきなり水かけるやつがあるか! そんなんだから肩だけ日焼けするんだ!」
髪から水を滴らせながら、魔理沙が怒鳴る。
汗とも水ともつかぬものが流れ落ち、気持ち悪い事この上ない。
「蕎麦湯じゃないだけありがたく思いなさい、もう少ししたらお昼よ。今日も素麺だけど」
「ああもう!」
対する霊夢はどこ吹く風だった。
頭から水を掛けられたので髪が貼り付く。濡れた服もまた気持ちが悪い。結構な量をかぶったらしく下着まで濡れているのが、不快感と言う形で判った。
これで風でもあれば気化熱の作用で涼しくもなるのだが、風は依然としてそよとも吹かぬまま。
魔理沙は少しだけ考えると、おもむろに服を脱ぎだした。
シュミーズとドロワーズだけという姿になると、急いで服を干す。この日差しなら乾くのにはさほど時間は掛からないだろう。下着も濡れているが、流石にそこまで脱ぐわけには行かない。
「あら、随分と涼しそうな格好になったじゃない」
「えー、そうですとも、涼しいですよ! くそう、可憐な乙女になんて格好させやがる」
顔が赤いのは暑さだけではあるまい。いかに同世代の同性とはいえ、相手が普段着なのに自分だけ下着姿はやはり恥ずかしい。
魔理沙だって女の子だ。くそう、こんな事なら着替えでも置いておくべきだった。
「可憐な乙女は下着姿で人の家うろうろしないわよね、どうでもいいけど」
「誰の所為だ! 誰の!」
その勝ち誇った顔に、暑さで弱くなっていた堪忍袋の緒が切れた。
魔理沙が掴みかかる。
霊夢は半歩だけ下がり魔理沙の手を躱したが、魔理沙の狙いは初めからヤカンだった。
「獲った!」
引ったくり、返す刀で蓋を投げ捨て中身をぶちまける。
水音。
「……畳がぬれる……」
「言う事はそれだけか」
部屋の薄闇の中、頭から水をかぶった霊夢が憮然と呟く。
水が撥ねたのか、ルーミアがむにゃむにゃ言っている。
ゆら……と霊夢の気配が変わる。闇の中でもその目が光を宿しているのがわかる。
しまった、と魔理沙は思う。どうやらやる気にさせてしまったらしい。こんなクソ暑い中で弾幕なんかしたくないが、自分がしでかした事の始末はつけないといけない。
「ちょっとばかりおイタが過ぎるわね」
「元はといえばお前の所為だろうに」
睨みあう二人。魔理沙は手元に八卦炉が無い事を思い出し、干してある服と己の迂闊さを呪う。
霊夢が半歩踏み出す。ぬれた畳がこすれる音が妙に大きく聞こえる。
「こんなに暑い午後だから……」
魔理沙は半歩下がる。
「水風呂にでも入りましょう」
「はあ?」
■●■
少女水風呂中……
「へー、アンタはここが日焼けラインなのね」
「うわ、さわんなよ!」
「なによ、さっき人の事言っておいて」
「だ、だからって、それとこれとは……ひゃ!」
「こっちはここまでなのね~」
「やめ! やめろってば!」
「ここはこんなに白いのに」
「ひゃあ!?」
「あら、ちょっとは大きくなったのかしら?」
「わー!」
■●■
みぃーんみんみんみんみんみーー……ん
居間はまだ薄暗かった。
「くそう……乙女の秘密をなんだと思ってやがるんだ……」
「いいじゃない、喜ばしい事なんだし。博麗の巫女の名において祝福してあげるわよ?」
「余計なお世話だ!」
ひとっ風呂浴びてさっぱりした様子の霊夢と、ひとっ風呂浴びてさっぱりしたはずなのに疲れた様子の魔理沙。
魔理沙は着替えが無いので魔理沙は下着姿のままだが、何故か霊夢も上着を着ようとしない。
「なんでお前までそんな格好なんだよ」
「だって暑いじゃない。それにコレがいるなら暗くて見えないかなー、なんて」
部屋の隅に転がっているらしいルーミアを指す。
確かに薄暗い屋内なら、ルーミアの闇がカーテン代わりになり、外からは見えないだろう。
「ま、それはいいから食べましょう」
ゴトリと置かれたガラスの大きな器には、暗い中に浮かび上がる白い輝き。
夏の定番、素麺だ。
「うう、こんな仕打ちを受けても腹の減る我が身が情けない……」
「食べたくないんなら別にいいわよ? でももう少しお肉が付いた方がいいんじゃない? いくら何でも、もう少し出るところ出てた方が霖之助さんも喜ぶんじゃないかしら」
「香霖は関係ないだろ! それに洗濯板なのはお前だって大差ないじゃないか!」
「自分が洗濯板だって認めたわね」
「うるさいうるさい! 私はこれからなんだよっ!」
「それを言ったら私だってそうよ、でも思い出す事ね魔理沙。私達よりも年上で、しかし過酷な運命に曝されている人が居るという事を」
「あ……!」
失念していた。
霧雨魔理沙の近所付き合いに人間は多くないが、その少ない付き合いの輪の中に、少し先を歩いている人物がいる。
完全瀟洒を謳いながら、しかし欠けた要素を持つその人。
同盟の一員であり、霊夢と魔理沙の成長という未来への希望に暗い影を落とす銀時計。
「……すまない、咲夜……」
魔理沙はこの場に居もしない人物に謝る。
時間が、成長が必ずしも解決してくれる訳ではないという事を、その身をもって知らしめてくれる姉貴分。
そして、そろそろ諦めたほうがいいんじゃね? という周囲の声ならぬ声に抗うかのように、寝る前のマッサージや怪しげな栄養剤(永琳製の成長ホルモンらしい)を欠かさないと言う不屈の徒。
「そう、私達は油断するわけにはいかないのよ。だから、今は食べましょう」
「そうだな……」
じーじーじー……みーんみんみんみんみんみーーん
ちりん……
風鈴が鳴る。風が出てきたらしい。
これだけ暑いのだから、俄雨が来てもおかしくない。その前兆の風だろうか。
軒先には黒い服が僅かに揺れている。
ルーミアの薄闇にも慣れてきたが、外の時間経過まではよくわからない。
なんとなく昼下がりっぽいが。
「はい、麦茶」
「おう、サンキュ」
冷えているわけでは無かったが、それでも美味かった。
ちりん……
薄暗さと心地よい風。
「ふぁ……」
霊夢が欠伸をしている。
「くぁ……」
釣られて魔理沙も。
服が乾くまでにはまだかかりそうか。
昼寝っぽい流れだぜ、と思うと同時、霊夢が何も言わずに座布団を差し出してきた。
「ん……」
受け取り真ん中から折ると、頭の下に敷く。
魔理沙が横になって暫くすると、それまで一つだった寝息が三つになった。
■●■
かなかなかなかなかなかなかなかな……
いい匂いがする。
甘い匂い。
……おいしそう、どこからだろう?
ぐくぅぅ~~
「ふぇ……?」
自分の腹の虫の音で目を覚ましたルーミアは、自分がどこに居るのか分からなかった。
とりあえず森の中ではない。
「んぅ?」
目を擦りながら闇を絞り、辺りを見回す。
畳の床、狭い部屋。風に鳴る風鈴。外は夕日で真赤に染まっており、妖怪の時間の訪れを告げていた。
寝ている間に漂ってしまい、寝る前と違う場所で目を覚ます事も無い訳では無かったが、森の中に居たはずが家の中に居るという事は流石に初めてだった。
うっかり浮かばないように、木の根元に収まって寝たはずなんだけどなぁ。
「ここ、神社……?」
見回せばすぐ隣で巫女が寝ていた。あと魔法使い。いつもは紅白だったり黒白だけど、今は二人とも白だ。
この暑いのにくっついて寝ている。
「……」
寝起きでお腹が空いているが、こいつらは食べていい人間じゃない。
ぷにぷにの二の腕とか、ふにふにのお腹とかに思いっきり歯を立てたいけど、それはマズイ。
うっかり齧ったりすると、ものすごい痛い目に遭わされるのだ。
やられるまえに全部食べちゃえばいいかな、と思ったが、片方を食べている間にもう片方が起きたら、きっと厄介な事になる。
お腹が空いてるのはツラいけど、痛いのもイヤだ。
黒白の剥き出しになっている素肌、お腹からとくとくと鼓動を打つ心臓のあるあたりまでを撫でながら、ルーミアは悩む。
「んん~」
くうぅ、と腹が鳴った。
ちりん……
風に乗って甘い香りがする。
そうだ、この匂いで目が覚めたんだった。どこだろう?
「あった……♪」
匂いを探るように顔を向けると縁側に籠があり、そこには桃が山になっていた。
白と薄紅の皮は丸々していて、瑞々しさを湛えているのが判る。
味見するまでも無く甘くて美味しいのが判る。
微塵も我慢することなくルーミアは両手に桃を掴み、皮など構わずに思い切り齧り付いた。
がぶっ じゅるっ はぐっ んぐっ じゅる ごりっ じゅぶっ ごくっ ずるるっ……
夕刻の神社には、暫くルーミアが桃を貪る音がしていたが、
「はーっ♪ お腹いっぱいー」
口元をべたべたにしたルーミアは手を舐めながら、満足のげっぷをした。
多分にはしたないが、咎める者はここには居ない。
桃は沢山あった。
ルーミアが食べただけでも二十個はあったが、それでもなお籠には桃がある。
そんなに大きな籠じゃなかったはずなんだけどなぁ……? と小首を傾げるルーミアだが、美味しかったので深く考えるのを止めた。もとより考え事は苦手だ。
「少し持っていこうかな、みすちーとか、桃好きそうだし」
ミスティアの事が浮かんだのは、果物を食べたら肉分を補充したくなったからであって、他意はない。
暑ければチルノだったろうし、夜だったらリグルを先に思い出したのかも知れない。
毎日をお気楽極楽に過ごすルーミアにすれば、そんな程度の問題なのだ。
ルーミアは、スカートに桃を幾つか包んでそのまま浮かび上がる。積荷があるからか、両手を広げないとバランスが取れないのか、少しよたつきながら飛んでいった。
黒のスカートがすっかり捲れあがっているが、そんな事には気がつかないルーミア。
まあ、どうせドロワーズだが一枚貰っておこう。
闇を退かす為に用意した桃とはいえ、あんなに食われるとは思わなかった。しかし、今日撮った写真なら桃の十個や二十個程度の代金、容易に回収できるだろう。
がしょり、と望遠仕様一眼のシャッターが切られた。
「あやや」
今の一枚でフィルムが尽きた。どうやら少し撮り過ぎたらしい。
■●■
文文。新聞 八月××日版
『巫女の休日 平和が一番?』
今年の夏も厳しい暑さが続いており、里では暑さで倒れた人が出たり、湖では氷精狩りが行われたりしている。
こんな暑さでは妖怪も異変を起こそうという気力すら無くすのか、至って平和なものである。
数年前に起きた紅霧事件以降、近年、夏に異変は起きていない。
だからというわけでもないのかも知れないが、博麗霊夢(巫女)もこの暑さでだらけきっている。(写真)
平和が一番とは言う物の、妖怪諸氏には人間に舐められない程度の活動を忘れないで頂きたいと思う次第である。
『コラム 幻想郷の少女の食生活と発育問題』
……
…………
………………
その号の文文。新聞は、一部の妖怪が血眼になって買い求め、一部の人間が血眼になって封殺しようと躍起になり、そこに争いが生じた。
その戦いは熾烈を極め、しかし当事者以外には、夏の夜空を彩る弾幕花火となって人々の目を楽しませたという。
―了―
るみゃかわいいよるみゃ。鼠さんの筆でるみゃみすちーも見たいですね。
最近復活傾向のご様子ですし、是非。マリアリもうど文もいいけどね!