視覚とは最も攻撃に影響する五感である。
嗅覚や聴覚に特化した生物は多い。それは目標を大まか且つ素早く捕捉することができるからだ。
だが人類は視覚を特化した生物として進化した。それはなぜか。
飛び道具の誕生がきっかけである。
離れたところに自発的行動によって影響を与える能力――それは地球上の生物史においても類稀なる力であった。
ましてや己の手から放たれたモノは、既に己の意に沿うはずもなく、確実に目標へと当てるためには短期未来予測能力までも必要とされた。
故、予測に必要とされるデータ収集のため、己と対象との彼我の距離、地形、その他もろもろを正確に観測できる感覚――視覚を人類は特化進化させたのである。
「の、割には最近よく眼鏡が落ちていやがるぜ」
魔理沙はここ数ヶ月で拾い集めた眼鏡を霊夢に見せてみた。
幻想郷において、眼鏡に必要なレンズを製造する技術は一部の妖怪しか持っていない。外界から閉鎖される以前に眼鏡というものは既に存在していたのだが、元から僻地の辺境であった幻想郷にレンズ職人などいるはずもなく、結果的に眼鏡は一部の技術屋妖怪が作るものとなったのである。
その眼鏡が道端に転がり落ちるようになってきた。
つまり、以前に比べて外では眼鏡が幻想化しつつある、ということなのかもしれない。
「かけてみるか?」
箱の中から眼鏡を一つとりだし、霊夢に渡す。
彼女は少し目線の高さに眼鏡を持っていって、すぐに箱へと投げ入れた。
「きっついわ。余計にくらくらするだけよ」
「眼鏡っていうのは光を補正する道具らしいが、それでくらくらするってことは、つまり眼鏡で補正された光は毒光線だということなのか」
「道理で霖之助さんが変人なわけね」
「しっかし霊夢、お前眼鏡似合わないなぁ」
ケラケラ笑う。
むっとした霊夢は口を尖らせた。
外の世界ではどうだか知らないが、幻想郷が閉鎖された明治時代当時、眼鏡というものは財産とエリートの象徴のようなものだった。
その中でも眼鏡をかけた娘というものはとてもとても優秀で素敵で知的な女性、というイメージだったらしい。
少なくとも紅白の巫女は優秀でも知的でもないと、眼鏡的には判断された。
「何よ。じゃあ眼鏡似合う奴でもつれてきなさいよ」
「ほう。面白いじゃないか」
売り言葉に買い言葉である。
幻想郷において眼鏡を愛用している奴は、それこそ香霖堂の主人くらいなもので、大体の連中がかけていない。
入手しにくいという理由もあるが、単純に必要ないのである。
よって霊夢はつまるところ、無いものをつれてこいと言っていることになる。
だが普通の魔法使いであるところの魔理沙は、挑戦されては引かない性分がウリである。
「いいぜ、そういうことなら私がとっておきの眼鏡美人を用意してやろうじゃないか」
「そこで自分を出さないところに少なからず感心したわ」
「だってくらくらするんだろ。ごめんこうむるぜ」
「探しに行ってくるんならついでに晩ごはんのおかずもお願いね」
とりあえずウサギでも一羽捕まえてきたらいいだろうか。
そんなことを考えつつ、魔理沙は博麗神社を飛び出した。
とりあえず門番をノしてから眼鏡を強制的にかけさせてみたが、怪しさが二割増しになったので魔理沙はいつも通り、堂々と紅魔の図書館へと忍び込んだ。
知的な知り合いと言えば奴である。
そんな奴こと一週間魔女は眠そうな目で魔理沙を上目遣いに睨んだ。
「ねずみが一匹……」
「もやしが一本」
「お茶を二つ」
「わかりましたー」
飛んで行く小悪魔の背中を見送りつつ、魔理沙はパチュリーに眼鏡を山ほど押し込んだ箱を、押し付けた。
「どうだ、眼鏡を一つ」
「光学的な情報を必要とするのは人間くらいなものよ」
「タコだってすごい目がいいんだぜ」
「ねずみは口八丁に手八丁」
「ああ八丁だぜ。足まで八丁だぜ。ちなみに眼鏡は一丁二丁と数えるんだぜ」
「一丁貸して」
いい加減まともに相手しないと帰ってくれないと観念したのか、パチュリーはものすごく億劫そうに魔理沙の差し出した眼鏡をかけた。
さすがに似合う。霊夢とはわけが違う。オーラからして眼鏡との相性が抜群だった。
「よし、パチュリー、神社まで来い」
「嫌よ。まだお茶が来ていない」
「それもそうだな。せっかくだし私もお茶来るまで待つか」
「ちなみに一つは私。二つめのお茶は小悪魔用」
「パチュリー様、お茶が入りましたー」
にこにこ笑いながら、小悪魔がトレイを手にやって来た。
彼女を眼鏡のレンズ越しに見たパチュリーは手にしていた一冊の魔導書を閉じた。
投擲。
ごづっ、という金属補強された本の角が額に突き刺さるような音がした。
「お茶がまだ来ないわね」
「ああ来ないな。もう来そうにないな。残念だぜ。パチュリーは眼鏡っ娘として申し分なかったんだが」
「眼鏡はレンズ一枚分幻想から遠のく道具。視覚に頼る人間が眼鏡の補正された情報を受け取り続けると、やがては幻想的じゃなくなるかもしれないわね」
「その眼鏡自体が幻想的になりつつあるそうだが」
「つまりは眼鏡は境界ということよ。宙ぶらりんなの」
パチュリーは眼鏡を外し、つるをつまんで魔理沙に渡した。
フラれたということだろう。
仕方がないので、メイド長で試してみることにした。
妖精メイドに聞くと厨房にいるようだったが、向かう途中で鉢合わせする。
ティーセットにケーキを載せたトレイを手にした咲夜は、にこりと瀟洒に微笑んだ。
「あらいらっしゃい」
「邪魔してるぜ」
「ちょうどいいわ。妹様のお茶の時間なの。一緒に遊んであげてくださらないかしら」
「いいぜ。今日はとりあえず片っ端から親に会えば親に眼鏡をかけ、仏に会えば仏に眼鏡をかけさせる所存だからな」
「今度人里に寄ったら娘さんが眼鏡をプレゼントするって言ってたと伝えておくわ」
「香霖を挟んでごまかしておこう」
持つべきものは道具屋である。
「あら、眼鏡。ずいぶんとたくさんあるわね」
「お一ついるかね」
「伊達がないわね。これなんか度が薄いからなんとかなるかしら」
そう言って咲夜がかけたのは長方形の薄いレンズを半縁のフレームで覆った、シャープなデザインの眼鏡だった。
触れれば切れそうなくらい有能さが増した気がする。これぞ完璧で瀟洒でキレ者な従者。ゴロが悪くなっているだけだ。
「案外いい味出してるな。後で神社に来ないか」
「お仕事が片づいたら考えておきますわ。フラン様、お邪魔しますわ」
フランドールの自室に入る。
パチュリーから借りてきたのか、フランドールはベッドに寝転がってグリモワールを読んでいた。書記された魔法文字を具現化させては、米粒を潰すように一文字一文字指でつまんで破壊している。
何が楽しいのか全くわからないが、頬を膨らませているので、別に楽しいわけでもないようだ。
顔を上げたフランドールは魔理沙を見て、少し表情を綻ばせた。
「魔理沙、いらっしゃい。何、なんか私におみやげ?」
「おう、フランドールもかけてみるか」
「へぇ、眼鏡。うっわー、ぐにゃぐにゃして見える~。この状態でなんか壊したらやっぱりぐにゃぐにゃするのかしら」
「はいはいフラン様、別に魔理沙をぐにゃぐにゃに壊してくださっても構いませんから、そして誰もいなくなるような状態はいい加減60secで終了してください」
魔理沙はフランドールと顔を見合わせた。
咲夜が意味不明なことを言っている。
完璧で瀟洒でキレ者な彼女はすぐに気づいたらしい。ちろりと指で眼鏡をズラし、フランドールを見つめた。
「あ、フラン様、そこにいらしたんですか」
「ずっとここにいるわよ。別に隠れてもないし。咲夜の脳みそこそどちらにいったの?」
「統合処理分野以前に受信処理分野に問題があったようですわ。眼鏡のレンズも一応は鏡に分類されるのねぇ」
「なるほど、そりゃ誰もいなくなるわけだぜ」
吸血鬼は鏡に映らない。常識である。
眼鏡を通して写ったレンズ一枚分幻想から遠い景色には、吸血鬼というものは存在してはいけないらしい。
しかし香霖はレミリアが見えていた気がする。半妖半灯都だからか? ここらへんの条件というものがよくわからないが、そういう細かいところはそれこそ香霖の妄想に預けておこう。
「こんなモノで人間って私たちの姿が見えなくなるのねぇ。眼球と要は同じ使い道で原理も似たようなわけでしょ? それにしてもおめめを外に放り出しているっていうのも気持ち悪いわね」
フランドールは魔理沙から受け取った眼鏡をちょんとつつく。その一撃で『眼鏡』という概念が粉砕され、それはただのレンズと細かな金属のバラバラ惨殺死体になってしまった。
さて。
紅魔館での収穫はそこそこだったが、残念ながら今すぐ連れて行ける人材はいなかった。
もう少し暇そうな奴を探してみるとしよう。
そういうわけで、深い理由もなく魔理沙は上空へと昇り、白玉楼へと赴いた。
いざ来てみると、霊たちがやたらと活発で騒がしい。マスタースパークを何発かぶちかましてさらに騒がしくしてやると、案の定と言うべきか、二百由旬の庭師が鋏替わりの二本差しを手に飛んで来た。
「なんでこの忙しい時にアンタが来てるのよ!」
「身体どころか心まで亡くしてどうすんだ」
「うぅっ、こんなのばっか相手にしていたら嘆く心までホントに亡くしそう。わかんないの? 最近盆で、里帰りしてた連中がまたこっちの方にUターンラッシュ中なのよ」
「じゃあとりあえずこのUの字なニクいヤツをかけてくれないか」
広げた眼鏡を妖夢に手渡す。
彼女はそれを、半霊の方にかけた。
いや、そっちかよ。
しかもなんか妙に愛嬌あっていいじゃないか。
「お前いいセンスしてるな」
「だって人間の方にかけたら視界が狭くなる」
「とりあえずその眼鏡半霊、ペットに欲しいからくれ」
「漏れなく私もついてくるけど」
「お前は暑苦しいからいいや」
「あなたは厚かましいからはいいわねぇ」
妖夢が額に手を当てた。
主人の登場である。半霊にすら足がないというのに、しっかり足があるあたり、色々と常識外れな亡霊である。
幽々子は半人前で必死な従者がかけた眼鏡に気付くと、にこにこ笑いながらそれを取り上げた。
「そのうえレンズも厚い」
「幽々子様に眼鏡は必要ないでしょう。どう考えても」
「幽霊自体がレンズのようなものだもの。でも私は亡霊。顕微鏡と天体望遠鏡かしら」
「どっちみち見えるのは一緒のようなもんですね」
「今日の妖夢はみょんに頭が冴えているわね。眼鏡の知的ブースター効果のおかげかしら」
「眼鏡で頭が良くなるというのなら、幽々子様もどうぞいつまでも末永くおかけいただけることを切に願いますが」
従者の言葉に、幽々子は少しため息をついた。
しかし幽々子の眼鏡姿というものも、どうも似合わない。着物姿だからだろうか。和服と着物の相性というものは難しい。香霖何気にすげェ。
「知的ブーストされたからって、頭が良くなるわけでもないの。それは今の妖夢が証明してくれたけれど」
「どういうことですか?」
「眼鏡は補正するものよ。さ、妖夢もお盆の補正をしなきゃね」
「ああそうですね。そうでした」
幽々子の言葉によって、妖夢は本来の職務を思い出し、幽霊どもの片づけに戻った。この場合、幽々子が優秀なのか妖夢がどうしようもないくらい役立たずなのか。
取り残された魔理沙は取り残った幽々子の眼鏡を取り上げた。
「弾幕避けるコツと一緒だな。避ける必要のない弾は見ない。危ない弾だけ見て避ける。つまりは情報の取捨選択だ」
「それくらいのキレの良さが妖夢にも欲しいわぁ」
「斬れぬものはたぶんないそうだぜ」
眼鏡で補正された光学情報は見やすくされている。弾幕の安全な道を見やすくするのとなんら変わりはない。端から見れば頭が良い、反射神経が良い、などに見えるかもしれないが、処理する情報を制限しているだけで、特にコレというわけではないのだ。
幽々子はにこりと笑った。
魔理沙もにやりと返す。
「眼鏡布教をするなら手伝うわよ?」
「紅白巫女召喚の儀式になっちまうぜ」
なぜ知り合いに、さっぱり眼鏡っ娘がいないのか、いい加減魔理沙も気づき始めていた。
今日の晩ごはんの調達をせねばなるまい。
ならばということで永遠亭である。
適当なうさぎがいたので捕まえる前に、今日のお約束として魔理沙はこう話しかけた。
「眼鏡はいらんかね」
「波が整うからいらない」
タケノコ狩りをしていた鈴仙は即座にそう返した。
「しかし美味そうなタケノコだな。一つくれ」
「いいけど、お金取るわよ。売り物だから」
「地味な稼ぎ方してるんだな、意外と」
素直に代価を払ってタケノコを一株買う。今日の夕餉はタケノコご飯とうさぎ鍋だ。
鈴仙は代金として出された眼鏡にげんなりしつつ、価値を定めるようにその真っ赤な瞳をレンズで覆い隠した。
「びーむ」
水晶体とレンズの作用によって位相を合わせられた光が熱光線となって鈴仙の瞳から発射された。竹を焼き切る。かなりシュールな光景だ。
「新しいスペルでも思いついたか」
「うーん。確かにレーザー系をもうちょっと充実させてもいいかもしれないけど、波長を揃えるのと乱すのとを同時にやるとすると、右目と左目を別々に使う必要があるから……。片眼鏡ない?」
「あるぜ」
鎖のついたモノクルをかけた鈴仙は、右手の人差し指と親指を立て、バンと虚空を撃つ。
扇状に発射された銃弾が鈴仙の能力によって分裂。数珠状に連なる交差弾幕となった上で、ビームが発射される。おそらく、交差弾幕の隙間に潜り込んだ相手をビームで撃ち抜く弾幕として想定したものだろう。
最初に言っていたこととは裏腹に、意外と鈴仙はモノクルが気に入ったようだった。大事に胸ポケットへと仕舞いこむ。
「どうだいお客さん。お前さんとこの姫さまたちにも眼鏡は」
「眼鏡ならしょっちゅう師匠がかけてるし」
「似合いそうだな、お前んとこの師匠は」
「姫さまも以前お戯れにかけたことがあったけど、目を回していらっしゃったわ。師匠の波長を整えるには調度良いみたいだけど、整えるということは意図的に乱している、とも言えるから姫さまの波長が乱れたんでしょうね」
「輝夜に眼鏡はバツ、と……」
今日一日で調べた眼鏡美人表にメモをつける。
ボスである輝夜は残念ながらダメだったが永遠亭もそこそこに眼鏡美人が充実した所だ。ブレザーにネクタイ姿の鈴仙にもモノクルはよく似合っている。
よし決めた。鈴仙を連れて帰れば眼鏡美人の調達と同時に晩ごはんのおかずにもなる。これぞ一石二鳥。うさぎを一羽二羽と数えるのは伊達ではない。
「……ちょい待ちな。アンタ、その鍋どこから出してきたのよ」
「私は昼と夜は魔法使いだが料理人という顔も持っている。今夜の夕餉は月のうさぎ鍋だ」
「鍋どこから出したかいつ料理人だかもわからない奴に喰われてたまるもんですか! 新弾幕の餌食にしてやるわ!」
「実験台にしようったぁ光栄だ。どんどん実験してくれ」
あとでパクる参考材料になるし。
「あ、おかえりー」
「おう、今日の夕飯はタケノコご飯だぜ」
境内の石畳に魔理沙は降り立った。
うさぎは残念ながら逃がしたが、後学になったので良しとしている。
「いいわね、タケノコ。ちょっと見せて」
「ほれ」
眼鏡を入れた箱にタケノコはいれてあるので、そのまま箱ごと魔理沙は霊夢に投げ渡した。
霊夢はそれを受け取ろうとしたが、勘が上手く働かなかったのか、両腕を大きく広げたところで顔面キャッチしてしまう。
箱は石畳の上に落ち、さらにその上から霊夢が倒れた。
思わず吹く。
「何やってんだ」
「いったいしひどいわね~。たまにはこういうことだってあるわよ」
霊夢は起き上がり、それでも食欲はばっちりあるのか箱をどかしてタケノコの安否を確認した。
幸い、タケノコは傷一つない。
だが、眼鏡の方はと言えば、ことごとくフレームがひしゃげたりレンズが割れたりして、使い物にならなくなっていた。
「さ、早くアク抜きしましょ」
「……いや待て霊夢。お前、わざとやっただろ、さっきの」
「何言ってんのよ。あ、そこのゴミ片付けておいてね。ケガするかもしれないし」
ゴミとなった眼鏡の残骸を指差し、霊夢は鼻歌を口ずさみながらタケノコを抱えて神社の中へと行ってしまった。
魔理沙はそんな霊夢の後姿を眺めて、やがてため息をついて肩をすくめた。
眼鏡が幻想になる日はまだ遠いのかもしれない。
嗅覚や聴覚に特化した生物は多い。それは目標を大まか且つ素早く捕捉することができるからだ。
だが人類は視覚を特化した生物として進化した。それはなぜか。
飛び道具の誕生がきっかけである。
離れたところに自発的行動によって影響を与える能力――それは地球上の生物史においても類稀なる力であった。
ましてや己の手から放たれたモノは、既に己の意に沿うはずもなく、確実に目標へと当てるためには短期未来予測能力までも必要とされた。
故、予測に必要とされるデータ収集のため、己と対象との彼我の距離、地形、その他もろもろを正確に観測できる感覚――視覚を人類は特化進化させたのである。
「の、割には最近よく眼鏡が落ちていやがるぜ」
魔理沙はここ数ヶ月で拾い集めた眼鏡を霊夢に見せてみた。
幻想郷において、眼鏡に必要なレンズを製造する技術は一部の妖怪しか持っていない。外界から閉鎖される以前に眼鏡というものは既に存在していたのだが、元から僻地の辺境であった幻想郷にレンズ職人などいるはずもなく、結果的に眼鏡は一部の技術屋妖怪が作るものとなったのである。
その眼鏡が道端に転がり落ちるようになってきた。
つまり、以前に比べて外では眼鏡が幻想化しつつある、ということなのかもしれない。
「かけてみるか?」
箱の中から眼鏡を一つとりだし、霊夢に渡す。
彼女は少し目線の高さに眼鏡を持っていって、すぐに箱へと投げ入れた。
「きっついわ。余計にくらくらするだけよ」
「眼鏡っていうのは光を補正する道具らしいが、それでくらくらするってことは、つまり眼鏡で補正された光は毒光線だということなのか」
「道理で霖之助さんが変人なわけね」
「しっかし霊夢、お前眼鏡似合わないなぁ」
ケラケラ笑う。
むっとした霊夢は口を尖らせた。
外の世界ではどうだか知らないが、幻想郷が閉鎖された明治時代当時、眼鏡というものは財産とエリートの象徴のようなものだった。
その中でも眼鏡をかけた娘というものはとてもとても優秀で素敵で知的な女性、というイメージだったらしい。
少なくとも紅白の巫女は優秀でも知的でもないと、眼鏡的には判断された。
「何よ。じゃあ眼鏡似合う奴でもつれてきなさいよ」
「ほう。面白いじゃないか」
売り言葉に買い言葉である。
幻想郷において眼鏡を愛用している奴は、それこそ香霖堂の主人くらいなもので、大体の連中がかけていない。
入手しにくいという理由もあるが、単純に必要ないのである。
よって霊夢はつまるところ、無いものをつれてこいと言っていることになる。
だが普通の魔法使いであるところの魔理沙は、挑戦されては引かない性分がウリである。
「いいぜ、そういうことなら私がとっておきの眼鏡美人を用意してやろうじゃないか」
「そこで自分を出さないところに少なからず感心したわ」
「だってくらくらするんだろ。ごめんこうむるぜ」
「探しに行ってくるんならついでに晩ごはんのおかずもお願いね」
とりあえずウサギでも一羽捕まえてきたらいいだろうか。
そんなことを考えつつ、魔理沙は博麗神社を飛び出した。
とりあえず門番をノしてから眼鏡を強制的にかけさせてみたが、怪しさが二割増しになったので魔理沙はいつも通り、堂々と紅魔の図書館へと忍び込んだ。
知的な知り合いと言えば奴である。
そんな奴こと一週間魔女は眠そうな目で魔理沙を上目遣いに睨んだ。
「ねずみが一匹……」
「もやしが一本」
「お茶を二つ」
「わかりましたー」
飛んで行く小悪魔の背中を見送りつつ、魔理沙はパチュリーに眼鏡を山ほど押し込んだ箱を、押し付けた。
「どうだ、眼鏡を一つ」
「光学的な情報を必要とするのは人間くらいなものよ」
「タコだってすごい目がいいんだぜ」
「ねずみは口八丁に手八丁」
「ああ八丁だぜ。足まで八丁だぜ。ちなみに眼鏡は一丁二丁と数えるんだぜ」
「一丁貸して」
いい加減まともに相手しないと帰ってくれないと観念したのか、パチュリーはものすごく億劫そうに魔理沙の差し出した眼鏡をかけた。
さすがに似合う。霊夢とはわけが違う。オーラからして眼鏡との相性が抜群だった。
「よし、パチュリー、神社まで来い」
「嫌よ。まだお茶が来ていない」
「それもそうだな。せっかくだし私もお茶来るまで待つか」
「ちなみに一つは私。二つめのお茶は小悪魔用」
「パチュリー様、お茶が入りましたー」
にこにこ笑いながら、小悪魔がトレイを手にやって来た。
彼女を眼鏡のレンズ越しに見たパチュリーは手にしていた一冊の魔導書を閉じた。
投擲。
ごづっ、という金属補強された本の角が額に突き刺さるような音がした。
「お茶がまだ来ないわね」
「ああ来ないな。もう来そうにないな。残念だぜ。パチュリーは眼鏡っ娘として申し分なかったんだが」
「眼鏡はレンズ一枚分幻想から遠のく道具。視覚に頼る人間が眼鏡の補正された情報を受け取り続けると、やがては幻想的じゃなくなるかもしれないわね」
「その眼鏡自体が幻想的になりつつあるそうだが」
「つまりは眼鏡は境界ということよ。宙ぶらりんなの」
パチュリーは眼鏡を外し、つるをつまんで魔理沙に渡した。
フラれたということだろう。
仕方がないので、メイド長で試してみることにした。
妖精メイドに聞くと厨房にいるようだったが、向かう途中で鉢合わせする。
ティーセットにケーキを載せたトレイを手にした咲夜は、にこりと瀟洒に微笑んだ。
「あらいらっしゃい」
「邪魔してるぜ」
「ちょうどいいわ。妹様のお茶の時間なの。一緒に遊んであげてくださらないかしら」
「いいぜ。今日はとりあえず片っ端から親に会えば親に眼鏡をかけ、仏に会えば仏に眼鏡をかけさせる所存だからな」
「今度人里に寄ったら娘さんが眼鏡をプレゼントするって言ってたと伝えておくわ」
「香霖を挟んでごまかしておこう」
持つべきものは道具屋である。
「あら、眼鏡。ずいぶんとたくさんあるわね」
「お一ついるかね」
「伊達がないわね。これなんか度が薄いからなんとかなるかしら」
そう言って咲夜がかけたのは長方形の薄いレンズを半縁のフレームで覆った、シャープなデザインの眼鏡だった。
触れれば切れそうなくらい有能さが増した気がする。これぞ完璧で瀟洒でキレ者な従者。ゴロが悪くなっているだけだ。
「案外いい味出してるな。後で神社に来ないか」
「お仕事が片づいたら考えておきますわ。フラン様、お邪魔しますわ」
フランドールの自室に入る。
パチュリーから借りてきたのか、フランドールはベッドに寝転がってグリモワールを読んでいた。書記された魔法文字を具現化させては、米粒を潰すように一文字一文字指でつまんで破壊している。
何が楽しいのか全くわからないが、頬を膨らませているので、別に楽しいわけでもないようだ。
顔を上げたフランドールは魔理沙を見て、少し表情を綻ばせた。
「魔理沙、いらっしゃい。何、なんか私におみやげ?」
「おう、フランドールもかけてみるか」
「へぇ、眼鏡。うっわー、ぐにゃぐにゃして見える~。この状態でなんか壊したらやっぱりぐにゃぐにゃするのかしら」
「はいはいフラン様、別に魔理沙をぐにゃぐにゃに壊してくださっても構いませんから、そして誰もいなくなるような状態はいい加減60secで終了してください」
魔理沙はフランドールと顔を見合わせた。
咲夜が意味不明なことを言っている。
完璧で瀟洒でキレ者な彼女はすぐに気づいたらしい。ちろりと指で眼鏡をズラし、フランドールを見つめた。
「あ、フラン様、そこにいらしたんですか」
「ずっとここにいるわよ。別に隠れてもないし。咲夜の脳みそこそどちらにいったの?」
「統合処理分野以前に受信処理分野に問題があったようですわ。眼鏡のレンズも一応は鏡に分類されるのねぇ」
「なるほど、そりゃ誰もいなくなるわけだぜ」
吸血鬼は鏡に映らない。常識である。
眼鏡を通して写ったレンズ一枚分幻想から遠い景色には、吸血鬼というものは存在してはいけないらしい。
しかし香霖はレミリアが見えていた気がする。半妖半灯都だからか? ここらへんの条件というものがよくわからないが、そういう細かいところはそれこそ香霖の妄想に預けておこう。
「こんなモノで人間って私たちの姿が見えなくなるのねぇ。眼球と要は同じ使い道で原理も似たようなわけでしょ? それにしてもおめめを外に放り出しているっていうのも気持ち悪いわね」
フランドールは魔理沙から受け取った眼鏡をちょんとつつく。その一撃で『眼鏡』という概念が粉砕され、それはただのレンズと細かな金属のバラバラ惨殺死体になってしまった。
さて。
紅魔館での収穫はそこそこだったが、残念ながら今すぐ連れて行ける人材はいなかった。
もう少し暇そうな奴を探してみるとしよう。
そういうわけで、深い理由もなく魔理沙は上空へと昇り、白玉楼へと赴いた。
いざ来てみると、霊たちがやたらと活発で騒がしい。マスタースパークを何発かぶちかましてさらに騒がしくしてやると、案の定と言うべきか、二百由旬の庭師が鋏替わりの二本差しを手に飛んで来た。
「なんでこの忙しい時にアンタが来てるのよ!」
「身体どころか心まで亡くしてどうすんだ」
「うぅっ、こんなのばっか相手にしていたら嘆く心までホントに亡くしそう。わかんないの? 最近盆で、里帰りしてた連中がまたこっちの方にUターンラッシュ中なのよ」
「じゃあとりあえずこのUの字なニクいヤツをかけてくれないか」
広げた眼鏡を妖夢に手渡す。
彼女はそれを、半霊の方にかけた。
いや、そっちかよ。
しかもなんか妙に愛嬌あっていいじゃないか。
「お前いいセンスしてるな」
「だって人間の方にかけたら視界が狭くなる」
「とりあえずその眼鏡半霊、ペットに欲しいからくれ」
「漏れなく私もついてくるけど」
「お前は暑苦しいからいいや」
「あなたは厚かましいからはいいわねぇ」
妖夢が額に手を当てた。
主人の登場である。半霊にすら足がないというのに、しっかり足があるあたり、色々と常識外れな亡霊である。
幽々子は半人前で必死な従者がかけた眼鏡に気付くと、にこにこ笑いながらそれを取り上げた。
「そのうえレンズも厚い」
「幽々子様に眼鏡は必要ないでしょう。どう考えても」
「幽霊自体がレンズのようなものだもの。でも私は亡霊。顕微鏡と天体望遠鏡かしら」
「どっちみち見えるのは一緒のようなもんですね」
「今日の妖夢はみょんに頭が冴えているわね。眼鏡の知的ブースター効果のおかげかしら」
「眼鏡で頭が良くなるというのなら、幽々子様もどうぞいつまでも末永くおかけいただけることを切に願いますが」
従者の言葉に、幽々子は少しため息をついた。
しかし幽々子の眼鏡姿というものも、どうも似合わない。着物姿だからだろうか。和服と着物の相性というものは難しい。香霖何気にすげェ。
「知的ブーストされたからって、頭が良くなるわけでもないの。それは今の妖夢が証明してくれたけれど」
「どういうことですか?」
「眼鏡は補正するものよ。さ、妖夢もお盆の補正をしなきゃね」
「ああそうですね。そうでした」
幽々子の言葉によって、妖夢は本来の職務を思い出し、幽霊どもの片づけに戻った。この場合、幽々子が優秀なのか妖夢がどうしようもないくらい役立たずなのか。
取り残された魔理沙は取り残った幽々子の眼鏡を取り上げた。
「弾幕避けるコツと一緒だな。避ける必要のない弾は見ない。危ない弾だけ見て避ける。つまりは情報の取捨選択だ」
「それくらいのキレの良さが妖夢にも欲しいわぁ」
「斬れぬものはたぶんないそうだぜ」
眼鏡で補正された光学情報は見やすくされている。弾幕の安全な道を見やすくするのとなんら変わりはない。端から見れば頭が良い、反射神経が良い、などに見えるかもしれないが、処理する情報を制限しているだけで、特にコレというわけではないのだ。
幽々子はにこりと笑った。
魔理沙もにやりと返す。
「眼鏡布教をするなら手伝うわよ?」
「紅白巫女召喚の儀式になっちまうぜ」
なぜ知り合いに、さっぱり眼鏡っ娘がいないのか、いい加減魔理沙も気づき始めていた。
今日の晩ごはんの調達をせねばなるまい。
ならばということで永遠亭である。
適当なうさぎがいたので捕まえる前に、今日のお約束として魔理沙はこう話しかけた。
「眼鏡はいらんかね」
「波が整うからいらない」
タケノコ狩りをしていた鈴仙は即座にそう返した。
「しかし美味そうなタケノコだな。一つくれ」
「いいけど、お金取るわよ。売り物だから」
「地味な稼ぎ方してるんだな、意外と」
素直に代価を払ってタケノコを一株買う。今日の夕餉はタケノコご飯とうさぎ鍋だ。
鈴仙は代金として出された眼鏡にげんなりしつつ、価値を定めるようにその真っ赤な瞳をレンズで覆い隠した。
「びーむ」
水晶体とレンズの作用によって位相を合わせられた光が熱光線となって鈴仙の瞳から発射された。竹を焼き切る。かなりシュールな光景だ。
「新しいスペルでも思いついたか」
「うーん。確かにレーザー系をもうちょっと充実させてもいいかもしれないけど、波長を揃えるのと乱すのとを同時にやるとすると、右目と左目を別々に使う必要があるから……。片眼鏡ない?」
「あるぜ」
鎖のついたモノクルをかけた鈴仙は、右手の人差し指と親指を立て、バンと虚空を撃つ。
扇状に発射された銃弾が鈴仙の能力によって分裂。数珠状に連なる交差弾幕となった上で、ビームが発射される。おそらく、交差弾幕の隙間に潜り込んだ相手をビームで撃ち抜く弾幕として想定したものだろう。
最初に言っていたこととは裏腹に、意外と鈴仙はモノクルが気に入ったようだった。大事に胸ポケットへと仕舞いこむ。
「どうだいお客さん。お前さんとこの姫さまたちにも眼鏡は」
「眼鏡ならしょっちゅう師匠がかけてるし」
「似合いそうだな、お前んとこの師匠は」
「姫さまも以前お戯れにかけたことがあったけど、目を回していらっしゃったわ。師匠の波長を整えるには調度良いみたいだけど、整えるということは意図的に乱している、とも言えるから姫さまの波長が乱れたんでしょうね」
「輝夜に眼鏡はバツ、と……」
今日一日で調べた眼鏡美人表にメモをつける。
ボスである輝夜は残念ながらダメだったが永遠亭もそこそこに眼鏡美人が充実した所だ。ブレザーにネクタイ姿の鈴仙にもモノクルはよく似合っている。
よし決めた。鈴仙を連れて帰れば眼鏡美人の調達と同時に晩ごはんのおかずにもなる。これぞ一石二鳥。うさぎを一羽二羽と数えるのは伊達ではない。
「……ちょい待ちな。アンタ、その鍋どこから出してきたのよ」
「私は昼と夜は魔法使いだが料理人という顔も持っている。今夜の夕餉は月のうさぎ鍋だ」
「鍋どこから出したかいつ料理人だかもわからない奴に喰われてたまるもんですか! 新弾幕の餌食にしてやるわ!」
「実験台にしようったぁ光栄だ。どんどん実験してくれ」
あとで
「あ、おかえりー」
「おう、今日の夕飯はタケノコご飯だぜ」
境内の石畳に魔理沙は降り立った。
うさぎは残念ながら逃がしたが、後学になったので良しとしている。
「いいわね、タケノコ。ちょっと見せて」
「ほれ」
眼鏡を入れた箱にタケノコはいれてあるので、そのまま箱ごと魔理沙は霊夢に投げ渡した。
霊夢はそれを受け取ろうとしたが、勘が上手く働かなかったのか、両腕を大きく広げたところで顔面キャッチしてしまう。
箱は石畳の上に落ち、さらにその上から霊夢が倒れた。
思わず吹く。
「何やってんだ」
「いったいしひどいわね~。たまにはこういうことだってあるわよ」
霊夢は起き上がり、それでも食欲はばっちりあるのか箱をどかしてタケノコの安否を確認した。
幸い、タケノコは傷一つない。
だが、眼鏡の方はと言えば、ことごとくフレームがひしゃげたりレンズが割れたりして、使い物にならなくなっていた。
「さ、早くアク抜きしましょ」
「……いや待て霊夢。お前、わざとやっただろ、さっきの」
「何言ってんのよ。あ、そこのゴミ片付けておいてね。ケガするかもしれないし」
ゴミとなった眼鏡の残骸を指差し、霊夢は鼻歌を口ずさみながらタケノコを抱えて神社の中へと行ってしまった。
魔理沙はそんな霊夢の後姿を眺めて、やがてため息をついて肩をすくめた。
眼鏡が幻想になる日はまだ遠いのかもしれない。
いやオプ○ィカルブラストでもいいけど。
びーむ。
モノクル鈴仙いいなあ。