○月○日
新しく助手としてやって来た子がなかなかに厄介だ。
まだ15歳との事だが頭はかなり切れるようだ。その点は私の助手として相応しい。
そして言葉遣いが少々おかしい。まるで男の子のような話し方をするのだが、
天才とナントカは紙一重とも言うのでこれは目をつぶってやろう。
変によそよそしいわけでもなく、フランクに話してくれるのでこちらも付き合いやすい。
だが、ただ一点…
『御っ主人さまー!』
『ちゆり?どうしたのブォッ!?』
『データ解析終わったぜー……って、うずくまっちゃって御主人さまどうした?』
『うくく…せ、背が縮むぅ…』
『御主人さま、まだ18だろ?伸び盛りとまでは言わないけどもう少しは背ェ伸びるじゃないか』
『ちゆりぃ……下手したら殺人犯だったわよあなた』
『大丈夫だって、色々計算してるんだから。力加減とか角度とかさ』
『計算とかそういう問題じゃなくて!私が痛いからやめなさい!』
『えー、これくらい大丈夫だって…ほれ♪』
『ちょ、だからあなたの言う大丈夫が必ず信頼できるとは、ていうか顔面―――』
ゴッ
ちゆりには殴り癖でもあるのだろうか、事あるごとに私をパイプ椅子で殴ってくる。
しかも手加減なしのフルスイングだから、それはもう痛いのだ。背もたれや座席の柔らかい部分が当たっても痛い。
いつから、なぜ、彼女がアレを持ち歩くようになったのかは尋ねた事がないが、
とにかくちゆりは私の元に初めて来た時からパイプ椅子を小脇に携えていたと記憶している。
彼女は色々と『計算して』私を殴ってくれるので、殴られ過ぎて私の骨格が縮むかタンコブで
私の背が伸びるかの賭け事でもできそうだ。
…とにかく何とかしない事には私の苺色の脳細胞が危ない。
ちゆり自身には悪気がなさそうなので尚更だ。
あくまで推測の域を出ないのだが、パイプ椅子があるからきっとちゆりは私を殴るのだ。
ならば、ちゆりが椅子を持たなければいい。もし隠してみたらどうなるのだろう?
その時彼女がどういう行動に出るかは分からないが、それを観察する必要もある。
ちゆりの殴り癖を少しでも抑えるために……
* * * * *
○月△日
『御主人さま、おはようだぜー…』
『おはよう、ちゆり……元気ないわね?』
『んー…なぁんか調子が出ないんだよなー』
『夜更かしでもしたのかしら?…ところで何を扇いでるの?』
『え?いやほら挨拶代わりに』
『挨拶だったら会釈すればいいでしょう?』
『っとぉ……こ、こう?』
『なんで手も一緒に動くのよ、賞状の授与じゃあるまいし』
『えー、動くもんなんじゃないの?』
『動かないわよ、普通の人なら』
『…私は普通じゃないってか?』
『さてどうかしらね』
私の予想外の事が起こっていた。
大事なパイプ椅子がなくなったちゆりは、てっきり必死で椅子を探すか手近な物を代用するものと思っていた。
本、ノート、普通の椅子……代用できそうな物は少し周りを見回せばいくらでも見つかるだろう。
ところがどうだ、ちゆりは何も変わらなかった。
存在しないパイプ椅子を手に、事あるごとに私を殴るのだ。両腕を振り下ろしているだけとも言い換えられる。
会釈と同時に腕を振り下ろした時など、本当に何かの授与式に見えてしまった。
猿の母親は死んだ我が子の亡骸を引きずり、子が死んだ事を認識できずそのままある程度の期間を過ごす――
本で読んだ事がある。最後の毛の一房が風に乗って消えた時、母猿は初めて我が子の死を認識するのだそうだ。
彼女の場合も同じ現象が起こっているのだろうか?大切なモノが突如消えた事を認識できていないのだろうか?
……違う。ちゆりは猿ではない、人間だ。パイプ椅子と共にある生活に慣れ過ぎていただけだ。そうに決まっている。
なんにせよ、もう少し様子を見た方がいいようだが…
* * * * *
○月□日
ちゆりに犬きな変化はなし。昨日よりほんの小しだけ口数が少なくなったという程度。
相変わらず私を見れば挨拶伐わりに両腕を振り下ろしてはくるが、調子が出ないのだろうか椀に勢いがない。
自分が何をしているのか目覚できていないのだろうか。正直見ていていたたまれなくなってくる。
天才とナントカは確かに紙一重ではあるけれど…
『御主人さま、おはよ……っ…!』
『………』
『んっ…んっ…』
『ちゆり…そんな事しても疲れるだけでしょう?』
ぎゅ
『あっ……!?』
『今は私に朝の挨拶をしたいのよね。でも手を動かさずにはいられない…違う?』
『う……そ、そう』
『じゃあこうしましょう、挨拶代わりにこうやって抱きしめるの。これなら疲れないわ』
『…御主人さま』
『なあに?』
『えいやッ!』
ゴ ン ッ ッ
『~~~~~~~~~~ッッッッッ』
『Yes!御主人さまおはようッ!』
『あ~~~~……痺れ…る~~……』
『よっし、今日もいい朝!頑張るぜー……て、またまた御主人さまどうした?』
『うぐぐ……こ、この石頭!』
『ん~?何の事だい』
『…じ、自分の頭に聞いてみなさい!えい!』
ゴ ッ
『のぶぉああああああ自爆~~~~~!!』
『あ、あの、御主人さま……色々大丈夫か?』
『くぅぅ…あなたよりは……きっと無事よッ』
そしてちゆりの右頭は相当なものだった。一発で意織が遠い所まで持っていかれる所だったのだから…
ただ、石頭を披露してくれた後の彼女の笑顔といったらなかった。
私を攻撃できたのが余程嬉しかったのだろうか……いや、きっと一次的接触をしたかったのだろう。
今までのパイプ綺子攻撃が一次的接触だったのかはさておき、これでもう少し様子を見る必要ができた。
賭けはタンコブで背が伸びる目の方が有利になりそうだが。
* * * * *
○月☆日
『御っ主人っさまー、おはよー♪』
『おはよう、ちゆり。今日はずいぶんご機嫌ね』
『挨拶する時は……確かこうだっけ』
ぎゅ
『……!』
『お、御主人さまビックリした?』
『…え、ええ、まあ』
『御主人さまが教えてくれたんだもんな。御主人さま、だーい好きだぜ』
『ぶッ!?………あ、あー…ありがとう……?』
『どうって事はないんだぜー…♪』
ぎゅっ
『ちょっと…ちゆり?そろそろ放してくれるとありがたいんだけど』
『~~~~~♪』
『…ふぅ、もう少しだけよ?』
ぎゅぅっ
『あ、あの…ちゆり……ちょっと苦しい…』
『~~~~~♪』
ぎゅぅぅっ
『~~~~~♪』
『ちょ、ギブ!ギブギブギブギブ!!』
『ん、御主人さま、もっと抱きしめてほしいの?』
『いやそっちの意味じゃなくって!Give upの方で!』
『水臭いぜ御主人さま。私はこーーーんなに御主人さまが好きなのに』
『す、好きなのは分かったから!それなら今すぐやめ―――』
ちゆりは 石頭だけでなく バカぢから。
もう少しで うでが折れる ところだった。
今日は 字もあまり かけない。いたい。
* * * * *
○月×日
読み返してみると二日続けてひどい日記だ。
要するに□日はちゆりの石頭のせいで正常な思考ができなくなっていて、☆日は言わずもがな。
痛い目に遭いっぱなしだったが、しかしちゆりの笑顔が見られたのも事実。あの子は笑えば本当に可愛いのだ。
椅子を隠した直後は本当に心此処に在らずといった感じで、それと比べれば随分な改善だ……
善い方向に向かっているのかは分からないが。
そろそろ返してやっても大丈夫なのだろうか?
もしかしたら逆戻りしてしまうかも知れないが、その時はその時で策を打つ必要があるだろう。
それにしても。
ちゆりに『大好き』と言われたのは心外だった。あれが彼女の本音なのだろうか。
だとするなら、本音を暴力で覆ってしまうなんて勿体ない……
* * * * *
○月*日
『御主人さま、おっはよー!』
『…はッ!』
ガシィィッ
『おぉッ!?』
『…ふぅ。おはよう、ちゆり』
『ご、御主人さま、今のは……?』
『これ?ちゆりが嬉しそうに使うものだから、私だって欲しくなったのよ』
『へー……いいね!』
『な…何が……?』
『私と御主人さまで、心がつながる感じがする!』
『するの!?こんなので!?』
『するとも。さっきは御主人さまの本心を垣間見た気がしたんだぜ』
『す、すごいのねコレ……ただの鉄の塊のくせして』
『だから…もう一回な』
『いやいや、だからの意味が分からないし!』
『御主人さま、おっはー!』
『お、おぉっ!?』
『おっはー!おっはー!おっはー!』
『ちょ、連続でっ、捌くのはっ、流石に無理が……』
ゴスッ
『あぶ』
数日ぶりに味わった懐かしい痛みと言ったところか。賭けはタンコブ派の大勝利だ。
結局ちゆりは変わらなかったが、あの笑顔が見られるのならそのままでもいいのかも知れない。
そして護身用にと用意してみたパイプ椅子があれほど役に立とうとは。そしてちゆりをあれほど興奮させようとは。
彼女を過度に刺激してはいけないから使うのはこれっきりにするべきなのだろうか。
それとも、彼女の笑顔の為にこれからも使い続けるべきなのだろうか。なかなか難しい問題である。
だが、少なくとも一番最初にやる事は私の中では決まっている。
時間をかけてちゆりの事をもっとよく知ろう。
まずは色々お話しする所から始めよう。パイプ椅子は……持たせるのではなく座らせて。
これでやる事が一つ増えた。明日からは少し忙しく…そして、面白くなりそうだ。
主に教授が。
凄く可愛いんだけど……
それと…
>そしてちゆりの右頭は相当なものだった。
…右頭になってます。石頭です。
その日の日記に誤字が多いのは仕様です。
頭突きを受けすぎて教授の脳が一時的にアレな事になっています。