――昔々。気が遠くなって眠ってしまうくらいの昔のこと、一人の女の子がいました。
その子がいたのは、真っ暗な世界。女の子はそんな世界にたった一人きりでした。
ずっとずっと、女の子は泣いていました。暗くて広い世界に、一人ぼっちというのは、彼女には寂し過ぎたのです。
いつしか流した涙は世界を覆い、女の子は溺れてしまいそうな不安に駆られました。
――ついに女の子は、泣くのを止めました。
「……作ろう」
言葉にしたのは確固たる決意。女の子は泣き続けた時間の分だけ、素敵な女性へと成長していました。
「私の世界を……!」
寂しさからの脱却のため、彼女の創造が始まりました。
大きくなった自らの身体を最低限必要なサイズに小さくし、余った分を涙の海に浮かべて大地としました。
彼女がいる世界には、材料は何処にもなかったからです。
「天には光を」
次に大地の一部をすくい取り、彼女は願いを込めて空に放りました。
最初の一投は固め方が不十分だったためか、多くが散ってしまいました。
しかし、真っ暗な世界を照らす優しい光が、空に灯りました。
彼女は世界をもっと明るくしようと、もう一度大地をすくい取りました。
今度はさっきよりもずっとずっと強く固め、もっともっと多くの願いを込めました。
そこで、彼女は驚きました。
先程空に投げた光が、何処にも見当たらなかったのです。
――もしかしたら、どんどん大地を削らなければならないのか。
彼女はそんな不安に駆られましたが、それでも勇気を出して再び空へと光を投げました。
今度は全く散ることなく、空には暖かく優しい光が灯りました。
世界は大分明るくなりましたが、彼女は安心出来ませんでした。この光が消えてしまうかもしれないからです。
――やがて、空の光は地平線の彼方に沈んでしまいました。
世界は再び暗くなり、それを恐れた彼女は泣きそうになりました。
一度光を知ってしまったがために、これまでずっと過ごして来た闇が怖くなってしまったのです。
ですが、そんな不安も杞憂に終わりました。涙を堪える彼女の後ろから、最初に投げた光達が昇って来たのです。
ちょっとだけ、彼女は泣きました。
初めて流す、嬉し涙でした。
こうして太陽と月と星、朝と夜が作られました。
そして嬉し涙は湖になり、いずれそこから多くの命が生まれることになるのです。
「地には実りを」
再び世界が暖かな光に満ちた頃、彼女は新たな作業に取り掛かりました。
自らの髪をいくらか引き抜くと、そっと足元の大地に落とします。
全てがそうなった訳ではありませんでしたが、彼女の髪は地に根付き、小さな芽になりました。
その力強さとたくましさは、自らが創造したものとはいえ、彼女に希望を与えました。
この芽が、いずれ世界を覆う植物の祖先になるのはいうまでもありません。
「……うぅ」
ちょっとだけ、彼女が痛みに顔をしかめたのは秘密の話ですが。
翌日、彼女はいよいよ生命の創造に取り掛かりました。
これまでだって多くのものを創れたのです。頑張ればきっと出来るに違いありません。
悲しみの海に浮かぶ、希望の大地の土を材料にして、嬉し涙の湖の水を加えて泥を作ります。
泥まみれになりながらも、今まで以上の希望を胸に、彼女は作業を進めていきます。
それをこねて彼女は自分に似せた、人の形を創りました。
多くの願いを込めました。
悲願を前に、手を抜く彼女ではありません。一切の妥協なく、創り上げた人は完璧なはずでした。
しかし、何故か彼女が創り上げたその人形は、動いてはくれませんでした。
彼女は悩みました。ほんのちょっぴり泣きそうにもなりました。
一体どうすればこの寂しさを埋められるのか、必死になって考えました。
「ああ――そうなんだ」
やがて夜が訪れるころ、彼女はようやく気付きました。
自らを材料にして世界を創ったのですから、自分に似た者を創るのであれば、世界の全てを加えなければなりません。
既に日は落ちて暗く、少し遠い道のりではありましたが、彼女は海まで歩きました。
足りないものは、海の水。彼女が流した涙でした。
悲しい涙はあまり流してほしくはありませんでしたが、泣けないことも辛いと彼女は知っていました。
だからほんの少しだけ、人形に涙を与えました。なるべくなら、悲しいことがあまり訪れないよう願って。
そして、残りの材料は未だに世界に使われていない、彼女の内にあるもの。彼女が彼女である証でした。
「――これで、お揃いだからね」
「あら?」
パチュリーはページをめくって首をかしげた。続きが記されているであろうページは、白紙だったのだ。
そこから本の終わりまでページをめくっても、全て真っ白だった。
「未完……かしら」
誰にともなく呟いて、パチュリーは本を閉じる。
彼女の傍らには数々の魔導書が積まれており、手元にはペンと真っ白な本が置かれていた。
――これらの魔導書はアリスから借りたものだった。
貴重なものを手放したくないのはお互い様ということで、写本を作ったら返却する約束なのだ。
そんな古びた魔導書たちの中に紛れていたのは、タイトルもなく、かなり真新しい装丁の1冊の本。
一通り目を通してから作業を始めようとしていたところ、真っ先に目に留まったのがこの本だった。
内容から、まず魔導書ではないことは確かだろう。
「……まさか、全部がこういった本じゃないわよね」
それこそまさかの話だったが、彼女は恐る恐る次の本を開き――安堵した。やはり紛れ込んでいただけだったらしい。
――木漏れ日もあまり届かない深い森の中を、二人の少女が歩いていた。
幼い少女は手に鞠を持ち、不安げにもう一人の手を掴みながら、足場の悪さに苦戦していた。
比較的動きやすい麻の着物を着てはいたが、やはり子供は子供。慣れていない森の中では歩きにくい。
対するもう一人の少女は、そんな様子に『しょうがないわね』と笑いつつ、迷いやすい森から抜け出せるように導いていく。
その洋装は、森の中を歩くのに適しているとは言い難いが、そこは慣れだろう。
その歩みは彼女の容姿もあるせいか、どこか優雅なダンスのよう。
「うんしょ……それで、その子はそれからどうなったの?」
「その子はちゃんと人を創って、寂しくなくなったわ。大事な家族が出来たんですもの」
手を引く少女は迷子を導きながら、ある話を語り聞かせていた。
彼女は語る。時折嬉しそうに笑い、ここからでは見えない空を見つめるかのように、目を細めながら。
「そうして世界と命を創ったその子は、みんなから神様と呼ばれるようになり、皆で仲良く暮らしました――めでたしめでたし、ね。
ほら、里が見えて来たわ。ここからなら一人でも大丈夫よね?」
「うんっ!」
不思議な昔話が終わる頃には、二人は森の出口に差し掛かっていた。
生まれ育った里を目にし、迷子だった少女は顔を輝かせる。その表情を見て、案内していた少女は一言付け加えた。
「もう迷い込んじゃダメよ。いつも私が助けてあげられるわけじゃないからね」
「うん……ありがとう、お姉ちやん」
迷子だった少女は森の住人と別れ、人間が住まう里へと帰っていく。
その姿が見えなくなるまで、森の入口で手を振る少女の名は、アリス・マーガトロイト。
「……お姉ちゃん、ね」
完全に一人になったのを確認し、アリスは小さく呟いた。
魔法の森に迷い込んだ少女を、どうこうしようとするつもりは彼女にはなかった。
こうして森の外まで連れて来たのも、ただの気まぐれ。
なのに――何故こんな昔話を話してしまったのだろうか。間が持たないのであれば、もっと他に適当な話題はあるはずなのに。
アリスは不意にその原因に思い当たり、空を仰いだ。
子を自慢するのが親バカなら――
「子バカ……って言うのかしら」
空には彼女の言葉に答える者はいない。いつもと同じように雲も風も、我関せずとばかりに流れていく。
暑い夏の陽射しを和らげる涼しい風が、心地よく感じられた。
――彼女が彼女である証、それは心でした。
彼女は人形に心を分け与えて人間とし、お互いに名前を与え合いました。
寂しがりやの夢から生まれた人間には『夢』を冠する名を。
その身から世界を創った寂しがりやには、『神』を冠する名を。
それは、ある女神の物語。
小さな女神は、今日も多くの家族に囲まれて、素敵に微笑んでいます。
>その力強さとたくましさは
吹きました。どうしてくれますかw