走り出したくてたまらなかった射命丸は、台風の大雨にもかかわらず玄関を飛び出した。嵐はそこらじゅうの木々を大げさにしならせており、小柄な射命丸が吹き飛んでしまわないのは正に風神の力添えと言える。さすがにこの暴風の中を飛翔していくのは無謀無策極まりない行為であるから、射命丸はとにかく恍惚の表情で、恍惚の表情で吹き荒れる嵐の中をひたすら真っ直ぐに走るのだ。
「――、――」
何事か叫ぶその全てが暴力的な轟音にかき消された。余りに無力である。翼は文字通り鴉の濡れ羽色に染まる。服などとうに意味を成していない。それでも走り続けようとした射命丸だがしかし、その彼女に考えられないような不幸が襲う。
差し出した右足元に、こともあろうか、こぶし大の石っころが存在していたのだ。
正にジョギングで笑いをとりたい芸人のためにあつらえたようなちょうどよさの石であり、ある意味芸人であるジャーナリストという名のペンバトラー射命丸文が彼女の本能を抑えられるはずがないことは誰に問うても明白すぎる結末である。
射命丸はすさまじい運動エネルギーとともにすっ転んだ。
その質量からくる運動エネルギーを作り出したのは射命丸自身だし石ころに足を引っ掛けたのだって射命丸自身なのだから、結局は自業自得の四文字熟語をたたきつけるしかないのかもしれないが、それにしたって、豪快な水しぶきとともに二転三転しながらまるで交通事故のようなありさまで転げる彼女を見れば幾分かの同情が沸いてくることはやぶさかではないだろう。
「――」
こころゆくまで水溜りに洗顔された射命丸は、数十秒のタイムラグとともに顔を上げた。
その瞬間に射命丸を襲った暗黒の絶望感を筆舌するのは真に難易度の高い創作活動である。
「……咲夜、この天狗、一体全体何をしているの」
「メイドの私めが愚考致しますに、これこそが鴉の行水なるものかと」
見られた。
見られてしまったのだ。
土砂降りのなかで転げ周り散々な格好で濡れ羽色を表現しつくしていたこの射命丸を、こともあろうか紅魔館館主紅き月光のデビルスカーレットとそのメイドに補足されてしまったのである。
何故こんなところに吸血鬼がとか吸血鬼は流水が駄目なんじゃないのかとかそもそもなんで流水が駄目なんだとか様々な疑問が射命丸の脳内プロセスで並列処理されるが、一番の問題はこんなみっともないところをパーティ大好きの社交向き悪魔レミリア・スカーレットに見られてしまったということである。
レミリアはメイドであるところの咲夜に傘をささせ、世界で一番珍妙な動物に拝顔したかのような表情で射命丸を覗き込んでいるのである。
今ならまだ間に合う。
そんなあとで絶対後悔しそうな思考が射命丸の脳を駆け巡る。
行動だけは無駄に早かった。
両手で水溜りをすくった射命丸は裂ぱくの気合とともにそれをレミリアに二度三度なげつけた。脅かされた猫のような悲鳴。ひるんだレミリアを横目で確認してから、瞬間的に右へ飛ぶ。サイドステップ中とは思えない流れるような動作で懐から写真機を取り出し、ひるむレミリアをこれまた芸術的なファインダー捌きで激写、激写、激写。最後に右手で受身を取ってからカメラを天へ向かって突き上げ叫んだ。
「この写真を自由に表現されたくなければ、今日見たものは全て忘れることです!」
いくらかの沈黙が訪れた。
射命丸にとっては土砂降りより重く、暴風よりも激しい沈黙だったに違いない。
たっぷりの間があった後に、レミリアはやはり世界一不思議な動物を眼前にしたかの如く怪訝な表情で言葉を発した。
「え? 死にたいの?」
射命丸はすさまじく後悔した。
自分の頭部が青空へ向かってピンポン玉のように吹き飛ぶ未来がリアルに想像できた。
いや、あの、と何事か言い訳をしようと思ったのだが、今更なにを弁明することがあるだろうか。みてみろ、かのレミリア・スカーレットは、じゃあそういうことなら、と既に犬歯をむき出しにし爪を研いでいるではないか。どんな上手い釈明をしようが射命丸の未来はピンポン玉である。間違いがない。
と、その時である。
「お嬢様、お待ちください」
レミリアの肩を掴んだのはメイド長である十六夜咲夜だった。てっきりレミリアによる一方的殺戮の後方支援に回ると思っていたのだが、どうもこのメイド長、射命丸の想像よりもずっと冷静で沈着で瀟洒だったらしい。
「この鴉天狗、どうも様子がおかしいようです。ここはひとつ、事情を聞いてみるのも一興ではないかと」
すこし面食らった様子のレミリアは、ひとつため息をついたのち、まあ咲夜がそう言うんだったら、と射命丸に視線を向けてきた。さっさと話せということだろうか。くだらなかったらピンポン玉という脅しかもしれない。
射命丸は暴風の空を仰ぎ息を吐いた。
開けた口に入る雨粒の味が中性なのを確かめてから、ぽつりと一言つぶやいた。
「新聞大会で恐ろしい順位をとってしまいまして……」
雨の中を塗れ羽色で走り出すには十分な理由だったのである。
咲夜はため息をついていた。どうせそんなことだろう、とでも思っていたのだろう。レミリアは何でもよさそうだった。とりあえずなんでもいいからふっ飛ばしたかったのかもしれない。
「がんばったのに! がんばったのに!!」
叫ぶ射命丸。
悲劇に暮れる彼女の肩を叩いたのは、やはり咲夜だった。
「落ち着いて……、後どれくらいの部数が捌ければ、満足いく順位になるのかしら」
大体の数を述べる射命丸。頷きながらそれを聞いた咲夜は、一考した後に話すのだ。
「貴方、本当に本気で、もっと部数を伸ばしたいかしら」
一も二もなく射命丸は返す。
「もちろんです!」
「死んでも?」
「そりゃあもう!」
「じゃあしねー!」
ぶす
「ぎゃー!」
愛用のナイフを懐へしまう咲夜。
全てが終わったかのような爽やかな顔をしていた。
当然のようにレミリアは問う。
「どうするの? 咲夜」
「紅魔館全員分の新聞をとってあげましょう。それだけの数をとれば、鴉天狗も満足する順位に上がれることでしょう」
「ちゃんと鴉天狗の言い分も聞いて、館主である私の恨みも晴らす。完璧だわ。さすが咲夜ね!」
「ありがとうございます」
瀟洒に礼をする十六夜咲夜。
顔を上げると、空の暴風は既に止み、雲の隙間からは暖かな陽光の筋が差し込んでいた。
>「え? 死にたいの?」 でこらえきれず……w
お上手な描写だと思いました。
楽しませていただきました。
文ちゃんなんでしんでしまったのん……
ところで、作者サイトのリンクがここ創想話の常連作家さんであるうにかたさんのサイトに繋がっちゃっています。誤解を受けるといけないので、ご自分のサイトにリンクを張り直した方がいいですよ。
うにかたさんがパワーアップしてた
三回くらい「爆熱ゴッドうにかた」と繰り返し
声に出し読みくつくつ笑ってしまいました