梅雨晴れの空を行く影がある。
昼中の日差しを切り裂くように、黒い三角帽子が揺れている。
帽子の主は箒に俯角をつけると、そのままの速度で降下していく。
■●■
薬の配達で神社に来ていた鈴仙・優曇華院・イナバは縁側で静寂に聴き入っていた。
薄手のブラウスに朱のネクタイ。丈の短いプリーツスカートという見慣れた出で立ち。
いつもと違うのは長い長い紫銀の髪が、高くひとつに纏められている所か。
見慣れぬうなじが妙に色っぽい。
しかし、すだれの影で寛いでいるのは鈴仙だけで、家主である霊夢の姿はない。
鈴仙は遙か遠くから聞こえる風切り音に顔を上げた。
神社に急降下する飛行体あり。真っ直ぐにこちらに向かっている。
角度、速度ともに申し分ない。ある程度の質量さえあれば、それだけで充分な破壊をもたらす事だろう。
分析を終えた鈴仙は、着弾までの時間を算出。家主である霊夢の許可を仰いでからでは迎撃が間に合わない事までを判断し、おもむろに右腕を上げた。
三次元フィルタ展開。目標捕捉。弾種、徹甲、高速、装填。目標、狙撃位置へ……
「……ん?」
冷淡に標的を捉えて撃墜しようとしていた鈴仙だったが、サイトを絞ると接近する砲弾が、箒に跨った三角帽子の少女の形をしていると確認出来た。
謎の弾道弾でなければ別にいいかとその手を下ろ……そうとして思い直す。
筍を乱獲したり、屋敷の蔵に度々侵入する黒い厄介者。大概の後始末は自分に回ってくるので、魔理沙の永遠亭来訪を鈴仙は歓迎していない。
ニヤリと笑うと僅かに照準を補正。
おもむろに発砲した。
単発の高速弾は僅かな曲線を描き、黒い流れ星へと向かう。
鈴仙に落とすつもりはないが、当てるつもりはあった。
着弾。
徹甲種の弾丸は障壁に阻まれたのか、突然軌道を曲げて蒼穹へと消えた。
帽子を射抜くつもりだった鈴仙は少なからず驚いた。せいぜい空気抵抗を軽減する風抗結界程度だろうと思っていたが、まさか弾き飛ばすとは。
いつでも全力という事なのだろうか、あの黒い魔法使いは。
「……っ」
遅れて届いた耳障りな金属音は、障壁と弾丸の摩擦する音。
驚いていた所為で遮断し忘れたそれに顔をしかめていると、弾道弾――魔理沙が降りてきた。
墜落かと思える角度で裏庭に進入すると、スペルでも使っているのではないかという量の星弾をブチ撒ける。
減速するにしてももう少し高い所でするべきだろうに、と鈴仙が見ていると、境内を埋め尽くした星弾が「ばしん」と一斉に爆ぜ、魔理沙はその反動をもって大減速した。
魔理沙が引き連れていた風と星弾の爆発が花開き、爆風と共に土埃を盛大に巻き上げられる。
一部始終を見ていた鈴仙だったが、強い風に一瞬目を閉じた隙に、霧雨魔理沙は神社に着陸していた。
勝手知りたる何とやらとばかりに魔理沙が上がり込むと、茶の間には鈴仙の姿がある。
「おっす、珍しいな。ざるそば」
「あんたね……何でもいいけど、何よ今のは」
ド派手な登場をした割には至極普通な様子の魔理沙に、鈴仙の方が呆れた。
「あー。試験中の超長距離侵攻用の術式だぜ。目標地点を決めてから射出、一気に攻め込むんだ」
「この狭い幻想郷でなにしようって言うのよ……」
随分昔に聞いたような話をされて、鈴仙の耳が更に萎れる。何時の時代も考える事は一緒という事か。
「何を言ってるんだ、最近の紅魔館は対空陣地に凝ってるから突破が面倒なんだぞ、あと竹林な」
「誰の所業でそうなったか考えてみるといいわ、それと呼んでもないのに来るな」
測距した上での軌道で来られると、竹林という厄介な屋根を持っている永遠亭はむしろ防御がしにくい。
どうせ師匠の術で竹林が空間ごと迷路化してあるだろうから、あまり気にしてはいないけど。
むしろ墜落した魔理沙が竹林に大穴を開ける方が心配だ。正確にいうなら、その後始末を命ぜられる自分が。
「で、何してんだ? 霊夢が居ない神社にお前だけなんて、なんだか怪しいぜ」
「えーとね」
「アンタ、もう少し静かに降りて来なさいよね……」
後ろからの声に二人が振り向けば、庭先には霊夢の姿があった。いつもの袖を外しており、蓋をした桶を抱えている。
「お、居たのか。てっきり妖怪兎に騙されて巫女鍋にでもされたかと思ったぜ」
「私はそんなことしないってば」
「むしろ返り討ちにして兎鍋ね」
苦笑しながらあがってくる。
「いらっしゃい、ちょうど良かったわ」
「なんの話だ?」
魔理沙の言葉に霊夢は一瞬だけ考え、
「……人体実験?」
その言葉に魔理沙は鈴仙の耳を掴む。
「お前の所はそんな出張サービスまでしてんのか」
手の中のふんわりとした感触を撫で回して問い詰める。
「なんで私なのよっ、それと耳に触るな」
軽く掴んでいただけなので、あっさりと逃げられた。
「まあいいわ、アンタも食べていきなさい」
霊夢はそれだけを告げると、桶を抱えて台所へと姿を消す。
「そうだな、小腹が空いてたのを思い出したぜ」
座る魔理沙は帽子を投げると、どっかりと座り込む。回転して飛ぶ帽子は、部屋の隅にある外套掛けに見事に引っかかった。
「いいタイミングっぽいな、知らなかったが狙った通りだぜ」
「どっちなのよ……」
随分前に出されて冷め切ったお茶を啜りつつ、鈴仙が律儀にツッこんだ。
程なくして。
台所から漂ってくるバターの香りに、魔理沙は片眉を上げる。
「洋風か? 珍しい事もあるもんだな」
「あ、やっぱりここって和食なのね」
行儀よく正座していた鈴仙が驚き半分確認半分で問う。
「そりゃそうだろう、霊夢がナプキンかけてナイフにフォークなんて」
「紅魔館でも箸なの?」
「レミリアが霊夢にぞっこんだからな」
肩を竦める魔理沙。
「別に、ナイフとフォークだって構わないわよ? それにアンタだって紅魔館じゃちょっとした人気者でしょ」
声と共に戻ってきた霊夢は手に大きめのお盆を載せている。
座る二人からは、その上に乗って今まさに湯気をたてている物の正体は見えない。
「じゃあ、とりあえず実験ってことで」
腰を下ろす霊夢はちゃぶ台の上にそれを置く。
「おー」
食欲をそそる匂いに手を叩いてはしゃぐ魔理沙。
「で、これ、なんなんだ? ……いや待て、今の質問はナシだ」
大皿の上には、バターの香りも甘い見覚えのある「何か」が山になっている。
パセリと思しき刻まれた緑、香ばしいのはニンニクの焦げる匂いだろうか。しかし、問題はそこではない。
一目見ただけでは見逃すかも知れないソレは、しかしこの時期であれば庭先などで容易くお目にかかることの出来る……
「カタツムリだコレーー!?」
驚き、思わず立ち上がる魔理沙。
「惜しい、ちょっと違うわ」
「じゃあなんだって言うんだっ」
皿を指差し霊夢を問い質す。
「え、えすかる、ご……?」
「視線を逸らすな! それになんで疑問形!」
「私、日本人だし?」
「なら教えてやる、エスカルゴって確か、どこかの言語でカタツムリって意味だ」
「ちっ」
「あ、舌打ちした! やっぱり知ってんじゃないか!」
「落ち着いて魔理沙、料理が冷めるわ」
「料理! 喰うのか!? いや、そのつもりだからこそのこの状況だろうが!」
「食べないの?」
「いや食うぜ」
「食うのかよ」
あっさりと矛を収めて座り直す魔理沙と冷静にツッコむ霊夢の姿に、今まで黙って見ていた鈴仙が口を開く。
「え、漫才? これって拍手とかした方がいいの?」
目をぱちぱちと瞬かせ、誰も居ないのに周囲を窺っている。
「なんでよ」
「あ、いや、なんか珍しくて」
アクの強い周囲に振り回されるのが日常の鈴仙にとって、こういった掛け合いは大抵当事者である。
巻き込まれ易さは生来のスキルかも、と寝る前に溜息など吐こうものなら、三分後には愉快なショウに巻き込まれているのだ。
もちろん愉快なのは観客であり、出演者にはおおよそ優しくない仕打ちが待っている。
『開拓精神(フロンティアスピリット)シリーズ』と名付けられた一連の薬の実験は、毎週金曜日の永遠亭の恒例行事と化している。なお、永遠亭の薬の訪問販売は土曜日はお休みである。
そんな鈴仙が完全な傍観者でいられるのは稀な機会と言えた。
「でも、なんでカタツムリなんか料理しようって気になったんだ?」
「去年ね……」
「あー、思い出したぜ! あれだな、今年は雪辱戦ってか」
解を得た魔理沙は、納得したように膝を打つ。
「あれ、魔理沙は知ってるんだ?」
「そりゃ、遊びに来て見れば霊夢が唸って寝込んでるんだ、理由くらい訊くだろう」
去年の梅雨時のことである。
食料の保存が難しい季節にさしかかり食の細くなっていた霊夢は、何をトチ狂ったのかその辺に居るカタツムリを生のまま(しかも殻ごと)喰らい、腹を下して寝込むという情けない失敗をやらかしている。
それは新聞の片隅に載る程度の事件だったが、事件を知った友人知人は巫女のあまりのワイルドっぷりに呆れると同時、その食生活がいろいろとレッドゾーンだった事を知ったのだ。
仮にも幻想郷の要石である博麗の巫女が、空腹のあまり異変を解決出来ませんでした、ではお話にならない。
人と妖怪の関係を維持するためにも、霊夢には最低限餓死するような真似は避けてもらわなければならないのだ。
神社に出入りする人妖の間で有識者会議が開かれ、巫女の生命活動を支援する為にも定期的な宴会を行うことが取り決められたのである。
彼女らとしても、自分達を打ち負かした博麗の巫女がカタツムリに膝を折ったなどとなれば、
カタツムリ>霊夢>妖怪
という訳の分からない事になりかねない。
アリクイ最強説と同レベルの理論だ。もっとも、カタツムリが霊夢に勝つにはその命を投げ出さないといけないわけで、自動的に相打ちなのだが。
「いや、霊夢が正直に言ったとも思えないって話」
鈴仙は思う。食うに困ったとはいえ、拾い食い同然の真似をして寝込んだなど、恥ずかしくて言えたものじゃない。衣食住を確約されている永遠亭に住んでいるからこんな事を言えるのだが。
「魔理沙には隠し事しないわよ?」
「なぁ?」
「あ、え、そうなの? あんた達ってそういう仲だったんだ……」
余計な想像をしたのか、頬を赤らめる兎。
「そうじゃないわ、魔理沙と私は自然食研究会の同士なのよ」
「果て無き冒険スピリットだぜ!」
「食に限定だけどね」
「……それって、とにかく喰えるものをってこと?」
どうして自分の周囲には変に前向きな奴らしか居ないのだろう、と鈴仙は思考がうなだれるのを感じた。
或いは生きる事を真剣に考えているのかも知れないが。
「話が早くていいわね。ちなみに兎鍋は大好物よ」
「貴重なタンパク源だな。でもなんでお前さんは霊夢がカタツムリに中った事を知ってるんだ?」
「私は急患の連絡を受けて。びっくりしたわよ、生のカタツムリを踊り食いして倒れたなんて聞いて」
「そうなのか、紫あたりが面倒みてたのかと思ったけど、きちんと医者に任せたんだな」
「食あたり程度なら私でも看られるしね」
師から白の看護服を着させられた以外に実害は無かったので、鈴仙もこの件に悪い印象はない。
もっとも、薬を処方したのは永琳だし、特に他に処置が必要なわけでもないのだが。
「で、これってどうなんだ」
「もちろん食べるわよ?」
「しかし、エスカルゴって下ごしらえとか必要のはずなんだが」
警戒の色を隠さない魔理沙。
「あれ、食べた事あるの?」
「咲夜に騙されたことがある」
「あ、そうか。あそこなら洋食は普通に出てくるもんね」
「まあ、料理人の腕は確かだから美味かったが、食べ終わった頃に素材を見せに来るんだものなぁ」
「アンタはレミリアのところに食事たかりすぎてるからよ」
「お前だって人の事言えた義理じゃないだろう」
ぎゃいぎゃいと言い合う二人。
「そうね、今度うちでも試してみようっと」
納得した様子の鈴仙。洋食を試すのか、仕掛けを試すのかは言わなかった。
冷める前に食べようという事になった。
「「「いただきます」」」
「まずは霊夢だ。さあ、いってくれ」
「ええ、この日を待っていたわ」
少し目を伏せて薄く微笑む霊夢。かつての日の事が胸に去来する。
「……」
無駄話をしていたので出来たてアツアツというわけでは無くなったものの、まだまだ熱を残しているカタツムリ。
静かに口に運ぶ。
「……」
「ど……どう?」
弾幕を見極めようとするかのような目で様子を伺う魔理沙と、おそるおそるといった感じの鈴仙。
それには応えず、瞑目し静かに口を動かす霊夢。
嚥下。
「ん~……」
箸を置き、腕組みをして唸る霊夢。
「駄目だったのか……?」
「味付けは間違ってなかったはずだけど」
「うん、不味くはないわよ。むしろ美味しい」
納得できてない様子の霊夢
「でも。ここまできちんと味付けされちゃうと、もう普通の料理なのよね……」
どれどれと他の二人もカタツムリを口にする。
「んー。確かに。美味いけどカタツムリって言われないと分からないな」
「実際そういうものだしね」
「ま、生のカタツムリに醤油だけつけて食べるとかやったら、またアンタの世話になりそうだし、これはこれで美味しいからいいわ」
割り切った笑顔の霊夢は再び箸を手にした。
霊夢の言葉通り、味に関しては文句をつける所はなかった。
見た目というか出自に多少問題があるが、料理としてみれば普通以上には美味しい。
「でもこれって、メインじゃないだろう?」
「そうね、前菜だって聞いたわ」
霊夢の肯定に鈴仙も上品に頷く。食事中の所作がやたらとおしとやかなのは、永遠亭の面子の特徴なのだろうか。
コイツ、和服とか似合うんじゃなかろうか。根拠なく思う。
「なんか無いのか、ごはんとかパンとか」
「そんな気の利いたものがあるわけないじゃない」
「前菜だけで終わる気かよ」
「世の中、どうしようもない事もあるのよ……」
カタツムリを食えるように調理する事が目的だったので、実際食べる時の事を失念していた。
濃い味付けの物ならば、それに合うものがあってもよかった、と霊夢も小さく後悔する。
と、それまで黙っていた鈴仙が片手を挙げて進言する。
「霊夢、台所借りてもいい?」
「借りるのは台所だけ?」
「あ、ごめん、ご飯とかも」
「別にいいけど早くしてよね、冷めちゃうわ」
「火力さえあればすぐだから」
箸を置き、音も無く立ち上がる鈴仙。台所入り口にかけてある「来客用エプロン」を手早く身に着けると、いそいそと支度を始める。
なんだかんだ言って世話する側の立場が板についている感じだ。
「しかし、これだけ食べておいてなんだが、大丈夫なのか?」
「いやならいいのよ?」
「だってエスカルゴって種類も違うし、確か食わせる餌も決まってるんだぜ?」
「こんなのタニシと一緒よ」
「だれかー! 霊夢が人間を辞めようとしているぞー!」
「冗談よ。一応、一週間くらい餌やらないで放置したし、昨日下煮する前に確認してもらったから大丈夫よ」
「なんだ、それでアイツが来てるのか」
「今日は薬の補充のついでだけどね」
「へぇ」
霊夢が薬とは。
やはり何かあってからでは遅いという周囲の判断なのだろうか。
気にしない振りをしていたが、霊夢には気にしない振りを見抜かれて、更に「それを気にしない振り」をされた。
鈴仙が戻ってきた。
「はい、おまたせー」
「おお、待ってたぜ」
「早かったけど、何を作ったの?」
先ほど鈴仙が台所に入ってから、十分程しか経っていない。何か用意するにしても速すぎる。
「白いご飯より合うかと思って」
差し出す大皿を見て魔理沙が問う。
「炒飯だっけか? まえに門番から教わったが」
「ちょっと違うけどまあいいや、それの味がしっかりしてるだろうからこっちは簡単にね」
恐ろしいほどにエプロン姿が似合っている鈴仙は、笑顔と共に大皿を置く。
「え、ちょっとこのご飯ってどうしたのよ、朝に炊いてないから無いはずよ?」
「うん……あると思ったのに無かったから炊いた」
苦笑する鈴仙。この巫女、朝飯はどうしたのだろう。
「炊いた……って、今? あの時間でか?」
「そう。ここって圧力釜があるでしょ? お湯から炊くとかなり早く出来るのよ」
紫の持ち込んだ釜は様々な料理で活躍している。
圧力釜以外にも、外の調理器具がいくつもあるのだが、霊夢の普段の食生活では余り出番がなかったりする。
少しばかり得意げに胸を反らす鈴仙に、魔理沙も霊夢も感嘆の呻きをあげた。
「咲夜か紫でもなきゃ出来ないと思ってたけど……やれば出来るのね」
「でも、少量を炊く時だけだよ? 宴会なんかには向かないんじゃないかな」
「いいの。あんたは可能性を提示してくれただけで十分よ」
何か含みのある霊夢の物言いだが、鈴仙は気にしない事にした。
「さ、あったかい内に食べよ」
山盛りになっているのは山吹色のご飯。かすかに漂う香辛料の香りが鼻腔をくすぐる。
「わ、いい匂い~。でもこの色、何を使ったの?」
小皿に盛り分けていく鈴仙は霊夢の問いに答える。
「サフラン。なんだか手付かずだったみたいだから使わせて貰ったわ、というか、ここの調味料って何気にすごい事になってない?」
「あー。好みの違うのが集まるから、文句があるなら調味料くらい持ってきなさいって言ったらああなっちゃったのよ」
宴会を主催する程度の規模を持つ幾つかの屋敷は、当然その台所も規模が大きい。
主の舌を飽きさせない為の工夫は常に行われており、それは神社の台所にも波及する。
結果、霊夢の家の調味料は数箇所からの持ち寄りによって、背丈ほどの食器棚を埋め尽くす程の種類と量になっている。
「食器とかもすごいしな」
持参する連中はいいんだけど、どうしても足りなくなる、とは霊夢の弁。
「この組み合わせはいけるな」
自分の皿の上に幾つかのカタツムリを乗せ、サフランライスと一緒にかきこむ魔理沙。
「酒が欲しくなるぜ」
「まだお昼じゃないの」
「でも霊夢すごいね。レシピ見ただけでここまで出来るんだもの」
「そりゃ、いろいろ作ってるし、咲夜とか妖夢が作っているのを見てるからなんとなくは、ね」
霊夢は魔理沙の真似をして、カタツムリをソースごとライスに乗せる。
「うん、おいしい」
濃い味付けと軽めのライス相性がよく、箸が進む。
「ふいー、食ったなー」
「前菜だと思ったけど、結構おなかいっぱいになったね」
「でもほんと、美味しかったわ」
食後のお茶を楽しみながら寛ぐ三人。
「で、これで復讐は果たしたのか?」
「どうかしら、なんだか普通に食べられるって分かったら拍子抜けしちゃった」
思い出されるのは実に美味そうにカタツムリを食べるミスティアの顔。
殻を噛み砕く小気味よい音。
「いいじゃないか、うちの近所の生き物なんか毒とか棘とかスゴイんだぞ」
「あんな所に住んでればねぇ」
「いいじゃないの、探せば居るだけここよりマシよ」
「なあ鈴仙、今度、うちの近所の生き物で食える奴がいないか検分してくれないかー?」
「永遠亭に正式に依頼するなら考えるわよ」
「商売敵に情報を渡すような真似できるかって」
苦い物でも食べたかのような顔になった。
■●■
腹が満たされた三人は、特に何をするでもなく茶の間でだらけていた。
「しかし暑いな」
「あついね」
「分かってるんだから言わないの」
少々の訂正を加えるなら、何もするでもなく、ではなく、暑くて何もする気力が湧かない、と言うべきか。
梅雨の合間の晴れは、この国特有の湿度の高さを孕み、時に耐えがたい蒸し暑さとなる。
具体的には今がそうである。壁に掛かっている八意薬局の温度計は二十八度を示しているが、湿度によって上乗せされた不快指数は計器では計れない所にある。
じっとりとした空気からは逃れようもなく、三人は気力を根こそぎ奪われて、ただぼーっとしていた。
風通しを良くする為にあちこちの窓は全開だが、肝心の風が無いために大した効果は見られない。
何をする予定のある訳でもないので、無気力に任せて弛緩していた。
「れいせーん、あんた、帰んないでいいのぉ?」
袖と紅の上着を取り払った霊夢がちゃぶ台の上に伸びている。
定期的に移動するのは、冷えた面を求めて場所を変えているからだ。
「うん……今日の仕事はここでおしまいだったから、あとは今日やらないでもいい仕事だしぃ……」
そう答える鈴仙は、ちゃぶ台の片隅に頬杖をつき、ぼんやりと庭を眺めている。
竹林以外の風景が珍しいというわけでもないが、雑多な彩りの紫陽花は見ていて飽きない。
他の二人よりも暑さに耐性があるのか、薄く汗をかいているだけである。
「霊夢~ 水もらうぜ~」
魔理沙は黒の上着を脱いで畳の上に転がっていたが、おもむろに身を起こし、返事も待たずに台所へずりずりと歩いていく。その頬には畳の跡が付いていた。
「?」
飲み物なら、香霖堂から強奪してきた「簡単に出来る麦茶」がちゃぶ台の上の薬缶にある。
いちいち魔理沙の行動を考えていてもねぇ。霊夢が湯飲みに手を伸ばすと魔理沙が戻ってきた。
「よし、霧雨魔理沙の名において、お前達を暑さから解放してしまうかもしれない」
「なんなのよ」
「これだ」
じゃーん、と右手に持っていた物を掲げる。
「霧吹き?」
「あー、めずらしく小技なのね」
「低コストで出来る事が重要だぜ」
ヤムヤムヤムと呪文を唱え、パチリと指を鳴らすと室内に微風が発生した。
「ぅあー、すずしい~」
「これだけでも良くない?」
「なにいってんだ、これからがキリサメマジックの真骨頂だぜ?」
風上に立った魔理沙は、手にしていた霧吹きを一押し。風に巻かれた霧はそのまま風下へと流れていく。
「……わ! すご!」
「これは、段違いね……」
「あんまりやると服とか困るけどな、打ち水と同じ原理だぜ」
「「おお~」」
部屋の入り口に風の魔法の起点を設置し、魔理沙が時折霧を吹く。霧風は顔や腕といったむき出しの部分から熱を奪っていく。突然訪れた快適さに、夏場の魚の様に濁った瞳をしていた霊夢と鈴仙が息を吹き返す。
「血管の集中している箇所を冷やすといいらしいぜ」
「そんなの知らないわよ」
「首とか、手首足首もそうね。末端を冷やせば温度の下がった血が返ることになるの」
冬は逆にあたためるといいのよ、と鈴仙。
「だからって魔理沙のその格好はどうにかならないものかしら」
「いいじゃないか、私と霊夢の仲だし」
靴下を脱ぎ、黒の上着も脱いで腹を出した姿で転がる魔理沙。
完全に自宅でくつろぐ姿に、霊夢がしかめ面になる。
「この季節に黒い服なんか着てるからよ」
「魔女の正装だからな、といいたいが流石にこの時期はしんどいぜ」
「だったら夏服とかないの? 季節感ないわよ」
「お前の口から衣服の季節感なんて言葉が出るとは思わなかったぜ……」
「私も、霊夢にだけは言われたくないと思う……」
「な、なによ」
思わぬ反撃に怯み、唇を尖らせる霊夢。
「だけど、そう言ううどんだって、この髪は熱いだろうに」
ごろりと転がりながら移動し、畳に広がっている髪を手に取る。
「うーん、慣れちゃったっていうのもあるかな」
首を振って束ねられた髪を揺すると、畳の上に伸びていた紫銀の髪が動物の尾のように動く。
魔理沙はそれを見て、なるほど猫がじゃれつきたくなるかもな、となんとなく思う。
「慣れでその長さと付き合う気にはなれないぜ」
「うち、意外と涼しいもの」
「あー、そうか、そうだよなー」
言われて思い出せば、我侭な主がいる所は、総じて快適に保たれている。
霧吹きをもうひと押し。
「なんか、魔理沙の魔法が役に立ったのを見るのって初めてな気がする」
霊夢が出してくれたお茶を啜りつつ、鈴仙がそんな感想を口にする。涼しいので熱いお茶が格別だ。
鈴仙も三ツ折り靴下を脱ぎ、襟元が緩められている。半分寝そべるように座っているので、締まった足首からすらりと伸びる足が惜しげもなく晒されている。
「あー。レアである事は確かだわね」
くくく、と意地悪く笑う霊夢。
「なんだとこの」
「うわっ、ちょっと、つめたっ」
「そーれそれ~、風下に居る限りこの霧からは逃れられんぞ~」
「どんなキャラよそれっ、てかうちの中でそんなに霧吹くな!」
「お前も一緒だ、食らえ」
「きゃ、ちょ、よしなさいっての!」
きゃあきゃあと狭い茶の間を逃げ回る霊夢と鈴仙。しかし風上に立つ魔理沙からは逃れる事が出来ない。
「おろ」
「ふふふ、水が無くなったようね」
「……うわ、もう、こんなに濡らしてくれちゃって」
上手く立ち回った霊夢はそうでもなかったが、霊夢の楯にされた鈴仙は全身で霧の風を浴びていた。
薄手のブラウスは肌に張り付き、丸い肩や、柔らかなラインのお腹の辺りなど、健康的な体のラインがハッキリと浮かび上がっている。
「おまえ、意外と地味なのしてるんだな」
「え? あ! ちょっと!」
もちろん下着も透けて見えている。スカイブルーのブラジャーは至極地味なデザインだ。珍しく朝に邪魔が入らなかったので、ごくノーマルな物を選ぶ事が出来たのだ。
「あー! もー!」
両手で身体を抱くようにして座り込む。
「なに今更恥ずかしがってるんだ。それに、その程度だったら、風呂とかで見てるだろうに」
「アンタが恥知らずなのよっ」
「それには同意するわ」
「暑いからって下着姿で転がってる巫女に言われたくないぜ」
「それこそアンタもでしょうに、人んちに来て下着姿ってどんだけリラックスすれば気が済むのよっ」
「そんな日もあるぜ」
「やめてよね、ただでさえここは取材ポイントだとかで天狗がよく来るんだからっ」
唾を飛ばして抗弁する霊夢。
「あー、いつぞやの昼寝の」
鈴仙の呟きに口論をしていた二人の勢いが鈍る。
あまりに暑いので、二人して下着姿でごろごろと怠けていたらいつの間にか昼寝モードに入ってしまい、仲良く寝ていた所を激写されたのだ。
相応の報復は済ませてあるが、霊夢も魔理沙も懇意にしている妖怪からの執拗な追求に悩まされる事になった。
「レミリアが本気で泣くとは思わなかったわ……」
「変に理解があるのも困るぜ? 笑顔のアリスは嫌いじゃないが一週間続くとちょっと……」
思い出し、二人揃って溜息をつく。
記事は巧みに読者の想像を掻きたてる書き方をしているものの、内容は概ね合っているだけタチが悪かった。
「そういうわけで」
【八方鬼縛陣】
「うきゃあ!?」
発動、包囲、確保を一瞬で終えた捕縛結界は、木の中に隠れていた盗撮魔を縛り上げた。
どさりと封印符で簀巻きになった鴉天狗の少女が落ちてくる。
「……やっぱり居たか」
「これはこれは、皆さんご機嫌麗しゅう」
落下時にぶつけたのか鼻の頭をすりむいた文に、仁王立ちした霊夢が告げる。
「まあ、あの時は私らに油断があったのを認めるけど、今回は、捕まった以上記事にするのは止めて貰うからね」
「ああー、折角のネタだったのに……」
「ど の へ ん が」
語調に僅かに怒気を籠める霊夢。お札が締まる。
文は自分の内側から、みしりと嫌な音を聞いた気がした。
「う、うどんさんの記事は恒常的に需要があるんですっ、主に里の若い人に」
「よかったわね」
「私らの記事じゃなければ別にいいか」
「……素直に喜べないのは気のせいかな」
「で、そろそろこれ、解いて貰えませんでしょうか、ちょっと暑くって」
夏の炎天下、とまでは言わないが午後の強い日差しに直に照らされていれば、妖怪とて暑くてたまらない。
空気の流れすらも遮断しているのか、確かに文の顔は赤らみ、額には汗が浮かんでいる。
縛られて赤い顔をして呼吸も荒いとなると、なんだか妙な雰囲気だ。
そんな文の様子を見ていた霊夢だが、おもむろに一枚の符を取り出した。
無言のまま近付ける。
「あの、霊夢さん?」
いかに俊足を誇る文と言えど、簀巻きにされていれば自慢の足を披露する事も叶わない。このままトドメをさされるのか、と文が身を竦めたその時、
「……」
霊夢のかざした一枚の御札が、一瞬、真っ白に光り、文は思わず目を閉じてしまう。
「お、写符か。マイナーな能力だな」
「滅多に使わないしね」
ぺろん、と御札が落ちてくると、そこには、
「あれ、やだ、私こんな顔してたんですか!?」
自分で見ると予想以上だったのか、文が慌てだす。
「まあ、これだけ見たら変わった趣味の人よねー」
ひらひらと扇ぐように、勝ち誇った顔の霊夢。
「う~」
妖怪が巫女にやられて縛り上げられている、ただそれだけの絵なのだが、それはそれでプライドに傷がつく。
そして、この映された絵は自分なら間違いなく「そういう記事」に仕立て上げるに足るネタだ。
つまり、同じような記事に慣れている者が見れば、「そういう記事」だと思われる可能性が高いのだ。
割とピンチである。
「お、そうだ霊夢、これって」
ごにょごにょ
「そのくらいなら出来るわよ」
「流石だ霊夢。よっし、じゃあ準備してくるぜ」
そう言うと台所に消える魔理沙。
「なに?」
「なんでしょう?」
首を傾げる鈴仙と文だったが、あっさりと魔理沙が戻ってきた。その手には手桶を持っている。
「なぁに、すぐに分かるって。霊夢」
「はいはい、まったくアンタもしょうがない事考え付くわね」
「いいじゃないか、なんだか暑そうにしてるしな」
くくく、と笑う魔理沙に鈴仙の耳が立つ。
「あっ、まさか」
霊夢の合図でするすると捕縛符が解けていく、が、
「あ、あれ? 霊夢さん?」
蓑虫のように巻きついていた符は解けたが、それでも手足の拘束は解かれなかった。
しかも、立たされて磔のように固定された。おもわず「そーなのかー」とか言ってしまいそうだ。
「文、カメラ借りるぜー、濡れると困るだろうしなー」
「え、わ、駄目ですってば!」
「安心しろ、今日は持って行ったりしないぜ」
「信用できません!」
「ふっふーん、そんな事言っていいのかなー?」
ニヤリと笑った魔理沙は、先程と同じく微風を生み出す。
「え? な、なんです?」
「さっき暑いって言ってたろ? だから涼ませてやろうと思ってな」
ここまで説明されれば嫌でも気がつく。
魔理沙の足元にある水の入った桶と、そこに浮かんでいる霧吹きのその意味。
「よし、じゃあ存分に涼んでくれ」
しゅう、と小さな音と共に霧が生まれる。風に乗ったそれは気流に従って風下に。
「きゃ……あ、これは確かに涼しいかも……」
気化熱の作用は、火照った文の肌から熱を奪っていく。
なるほど確かにこれは快適だ。力の弱い人間ならではの自然に対する処方といったところか。
妖怪でも夏は暑いし冬は寒いが、なまじ力が有るから自力でどうにかしてしまう事が、間々ある。
様々な立場に立ってこそ見える事実もあるという事か。
「そぅれ、そぅれ」
魔理沙はと言えば、変な調子をつけて霧を吹いている。磔状態の文からは少し距離があるのと、日向に立っていた霊夢や鈴仙が涼みに入ってきたので、少し多めに吹いている。
少しして。
「そろそろ頃合だな」
「……あやちゃん、今日はピンクなんだね」
魔理沙と鈴仙の言葉に一瞬眉をひそめた文だが、すぐに己の状態に思い至った。
「え? あ! いや、これはなんという!?」
予想外に快適な刑罰に自分がどういう状況かを忘れていた文だったが、何か含んだ感じの鈴仙の台詞で我に返った。薄手のブラウスは肌に張り付き、文の細身の肢体を浮かび上がらせている。
「そしてコイツの出番というわけだぜ」
台詞と共に文の前に立つ魔理沙。その手には文の仕事道具であるカメラがある。
「きゃー!? ちょっと! ダメですってー!!」
ぱしゃこん、と聞き慣れた音がひとつ。これでは立場が逆である。
いかな天狗といえど、巫女の霊気に絡め取られたままでは神通力を発揮することは適わない。
けたけたと笑う魔理沙は面白がって様々なアングルから文の姿を記録していく。
不幸中の幸いは、湿気で太ももに張り付いたスカートか。ローアングルからの接写を狙っていた魔理沙が舌打ちして引き下がった。
「たまにはこういう目に遭っておくべきだぜ」
「貴方に言われたくはありません!」
言い返す文だが、実は見た目ほどに余裕は無かった。
しっとりと濡れる上着が肌に張り付き、風を受けて文の体温を奪っていく。確かに快適だったが、全身を冷やされると別の問題が発生してくる。
(こ、これは……少々拙い事に……)
その内容の過激さとは裏腹に、ネタ集めという作業は大概地味である。フラフラと飛んでいる場合ならともかく、ネタを求めて張り込んでいる時は、基本的にその場を動けないのだ。
長い時には半日以上同じ場所でじっとしている事もあり、それが空振りに終わる事もある。
今日も鈴仙が神社に向かう所を尾行して、そのまま張り込んでいるので既に三時間程度経過している。
その間、食事その他の生理的行動は、一切が犠牲になっているのだ。
つまり。
(ひ、冷えてきました……)
水分補給は控えていたにせよ、やはり限度はある。そしてその限界が近い。
割とピンチだ。
しかし、ここで下手に許しを請えば更なる弱みを握られかねない。
でも、カメラを奪われている今、最悪の事態になった時、その証拠を残される可能性があるのですぅっ……!
思考を整理しようとするも、下腹部を苛む圧迫感に正常な思考が妨げられてきた。
「……あ……ぐ……」
背中にイヤな汗が浮かぶ。熱に依らない類の汗だ。
どこかで半鐘が鳴ってる……ああ、洪水警報ですか、いやいやこれは幻聴。この間の大雨の取材の記憶が混同してますよ……?
「魔理沙、これいつまで続けるのよ」
「あー、そろそろいいか。あんまりやると冷えるしな」
「……!」
見透かされたかのような言葉に文の鼓動が跳ね、動揺が全身に不要な力を加える。
「え、ええ、私もやりすぎたと……しばらくはじちょうしたいとおもいます」
「あやちゃん大丈夫? 顔色悪いよ?」
言われなくても分かっている、拘束されていなければ既にしゃがみ込んでいるに違いない。
唐突に「表面張力」という単語が脳裏をかすめた。
ふ、と霧風が止み、手足の拘束が解かれる。
「あ……」
力が抜け、思わず膝をついてしまう。
魔理沙が術を解除すると、一気に文の周囲の温度が上がった。
日差しと気温が本来のものに戻り、その温度差に文はお湯でも掛けられたかと錯覚した。
「あ……はぁあ……」
時間にして十分かそこらの出来事だったが、霧風は予想以上に文の体温を奪っていたらしい。
ジワリ、と強い日差しが肌を炙り、纏わりついていた水気を奪い去っていく。
暖かい……太陽ってこんなに暖かかったんですね……
つい今しがたまでも同じ日差しを受けていたはずなのに、この差はなんだろう。
生命を育む偉大なる太陽に感謝……
……したのがまずかった。
「あ」
急に緊張が解けた事と、体感温度があがって安堵したため、思わず堪えていた力まで緩めてしまったのである。
■●■
境内に細い悲鳴が響いた。
■●■
「ううっ……えぐっ……」
文にとって無かった事にしたい時から、少し時間が経過している。
「いやぁ、その……スマン」
茶の間に四人。
めそめそと泣いている文は、来客用の浴衣を着ている。
黒の髪が水気を帯びているのは、一度風呂に入っているからである。
ぐしぐしと目許を擦る文を鈴仙が慰めている。
腰の抜けていた文を風呂に入れた為、こちらも湯上り姿であった。
「で、特に体の具合が悪いとかじゃないんでしょ?」
霊夢がお盆を手に茶の間に現れる。
文が決壊した時に迅速に指示を出した霊夢は、着替えの準備や風呂の支度をも電光石火で行っている。
このあたりのトラブル対応の速さは、さすがに宴会などで慣れているところがあるのだろう。
「うん。そこらへんは大丈夫。寒かっただけだもんね?」
「はいぃ……」
ようやく泣き止んだ文だったが、普段の凛然とした雰囲気は欠片も無く、ぺたりと座り込んだ弱々しい姿はまるで普通の少女のよう。とても強大な力を誇る天狗の一族とは思えぬ有様である。
その様子を見る鈴仙の瞳が、どこか常ならぬ光を湛えているのは午後の日差しの悪戯であろうか。
そういえば風呂が妙に長かった気がする。
ま、妖怪同士の事だし、と、霊夢は深く考えない事にした。
「ま、今日はいい天気だから、すぐ乾くでしょう」
「ううぅ~~」
文の呻きに目を逸らせば、風になびく洗濯物が見えた。
霊夢はお茶を啜る。
まったく、どうでもいい一日だわ、と。
■●■
数日後、妙に羽振りのいい魔理沙が里で飲み食いしているのが発見されるが、それはまた別の話。