本というものは強い魔力を持つ。
それは、魔導書の持つ直接的な力ばかりではない、読む者を引き込み、時にその精神に影響を与え、そして、時には読んだ者の人格や人生をも変えてしまうほどの恐ろしい力。
魔導書のように、直接的に外部への打撃力として作用する力もまた強大であるが、一方で、読んだ者の内面へと作用する力もまた侮りがたい、いや、むしろそちらの方が恐ろしいかも知れない。
精神に作用し、人格を、ひいては人生すら変えてしまうようなその力は、ある意味レミィの運命操作と同義であり、そして、見方によってはそれすら上回る強大な力である。
無論、本の魔力はその内容に比例し、強弱を持つ。
力を持った作者が書いた話は、無論本になっても強大であるし、逆もまた然りだ。
また、それぞれの種類によっても作用は違い、読んだ人間によっても作用は異なるだろう。
例えば、優しい絵本を読み、夢を持ち、他者への優しさを持つこともある。他方、ハードボイルドを読んで、熱く血をたぎらせることもあるだろう。
かと思えば、同じ絵本を読んだとて、偽善と一笑に付す者もいれば、ハードボイルドの激しい闘いに嫌悪感を覚え、優しさの大切さを改めて感じる者もいるだろう。
それはどちらがよいというのではない、読んだ者の性質と、そして本の力…そしてそれとの相性によるただの結果だ。読んだ者それぞれに本への解釈があり、そして、それはその全てが正解である。
ただ、一つだけ確かなのは、読んだ者は、多かれ少なかれ本から影響を受けているということである。
読み終わったときに楽しい気持ちになったのか、それとも悲しい気持ちになったのか、それは、いずれも本の力が、読んだ者に作用したからといえるだろう。
本の持つ力が弱ければ、その効果は一瞬であり、楽しい、悲しいといった程度で終わってしまう。それどころか、下手をすれば最後まで読まれることなく、投げ出される物語すらあるかもしれない。
それは、本の持っていた魔力が小さく、影響力を行使できなかったからだと言える。
では、最も強大な力を持つ本とは何だろうか?
それは一概には言えない。どんなに強い魔力を持った本であろうとも、読み手がそれに対して耐性を持っていれば、あるいは拒絶してしまえば、何の力も行使できないのだ。
ただ、少なくとも、物語へと引き込むだけの力を持ったものは、強力であると言えるだろう。
そしてまた、ひとには弱点というものがある。読んでいて苦手な箇所を衝かれれば、それがよい方向にしろ悪い方向にしろ、その防壁はいともたやすく突破され、陣地は崩壊する。
また、ひととは奇襲に弱いものだ。予期しない方向から攻撃が来たとなれば、防壁を作る間もなく心へと踏み込まれ、あっさりと蹂躙される事となる。
「ところでパチュリーさま、さっきから何悔しそうにしたり楽しそうにしたりしながら本を束ねてるんですか?はっきり言って気持ち悪いんですけど」
「はっきり言わないでちょうだい、これはレミィに贈るのよ」
「あれ?もう読まないんですか?相当のめりこんでませんでしたっけ、てっきりまた読み返すものだとばかり…」
「…後半部分でいきなり物語が暗転したのよ」
「は?」
「ここまで前後で雰囲気が変わるなんて珍しいわ。前半でのめり込んでた分、後半で手ひどくやられちゃって」
「えっと…」
「友達同士なのに、この辛さを私だけ味わうなんてフェアじゃないわ。レミィにも味わってもらいましょう」
「うっわ極悪、それって友達って言うかいぢめっ子じゃないですか」
「違うわ、これは友情の贈り物なの。辛い気持ちを共有することで、二人の友情は深まるのよ」
「…そうかなぁ、それはそうかもしれないんですが、でもなにか根本的に間違っている気がするんですけど?」
「じゃあ言いつける?」
「まさか、お手伝いしますね♪」
それは、レミリアが『読後感の良好な本』の購入費用として、パチェに大金を渡す、数日前の話であった。
『おしまい』
それは、魔導書の持つ直接的な力ばかりではない、読む者を引き込み、時にその精神に影響を与え、そして、時には読んだ者の人格や人生をも変えてしまうほどの恐ろしい力。
魔導書のように、直接的に外部への打撃力として作用する力もまた強大であるが、一方で、読んだ者の内面へと作用する力もまた侮りがたい、いや、むしろそちらの方が恐ろしいかも知れない。
精神に作用し、人格を、ひいては人生すら変えてしまうようなその力は、ある意味レミィの運命操作と同義であり、そして、見方によってはそれすら上回る強大な力である。
無論、本の魔力はその内容に比例し、強弱を持つ。
力を持った作者が書いた話は、無論本になっても強大であるし、逆もまた然りだ。
また、それぞれの種類によっても作用は違い、読んだ人間によっても作用は異なるだろう。
例えば、優しい絵本を読み、夢を持ち、他者への優しさを持つこともある。他方、ハードボイルドを読んで、熱く血をたぎらせることもあるだろう。
かと思えば、同じ絵本を読んだとて、偽善と一笑に付す者もいれば、ハードボイルドの激しい闘いに嫌悪感を覚え、優しさの大切さを改めて感じる者もいるだろう。
それはどちらがよいというのではない、読んだ者の性質と、そして本の力…そしてそれとの相性によるただの結果だ。読んだ者それぞれに本への解釈があり、そして、それはその全てが正解である。
ただ、一つだけ確かなのは、読んだ者は、多かれ少なかれ本から影響を受けているということである。
読み終わったときに楽しい気持ちになったのか、それとも悲しい気持ちになったのか、それは、いずれも本の力が、読んだ者に作用したからといえるだろう。
本の持つ力が弱ければ、その効果は一瞬であり、楽しい、悲しいといった程度で終わってしまう。それどころか、下手をすれば最後まで読まれることなく、投げ出される物語すらあるかもしれない。
それは、本の持っていた魔力が小さく、影響力を行使できなかったからだと言える。
では、最も強大な力を持つ本とは何だろうか?
それは一概には言えない。どんなに強い魔力を持った本であろうとも、読み手がそれに対して耐性を持っていれば、あるいは拒絶してしまえば、何の力も行使できないのだ。
ただ、少なくとも、物語へと引き込むだけの力を持ったものは、強力であると言えるだろう。
そしてまた、ひとには弱点というものがある。読んでいて苦手な箇所を衝かれれば、それがよい方向にしろ悪い方向にしろ、その防壁はいともたやすく突破され、陣地は崩壊する。
また、ひととは奇襲に弱いものだ。予期しない方向から攻撃が来たとなれば、防壁を作る間もなく心へと踏み込まれ、あっさりと蹂躙される事となる。
「ところでパチュリーさま、さっきから何悔しそうにしたり楽しそうにしたりしながら本を束ねてるんですか?はっきり言って気持ち悪いんですけど」
「はっきり言わないでちょうだい、これはレミィに贈るのよ」
「あれ?もう読まないんですか?相当のめりこんでませんでしたっけ、てっきりまた読み返すものだとばかり…」
「…後半部分でいきなり物語が暗転したのよ」
「は?」
「ここまで前後で雰囲気が変わるなんて珍しいわ。前半でのめり込んでた分、後半で手ひどくやられちゃって」
「えっと…」
「友達同士なのに、この辛さを私だけ味わうなんてフェアじゃないわ。レミィにも味わってもらいましょう」
「うっわ極悪、それって友達って言うかいぢめっ子じゃないですか」
「違うわ、これは友情の贈り物なの。辛い気持ちを共有することで、二人の友情は深まるのよ」
「…そうかなぁ、それはそうかもしれないんですが、でもなにか根本的に間違っている気がするんですけど?」
「じゃあ言いつける?」
「まさか、お手伝いしますね♪」
それは、レミリアが『読後感の良好な本』の購入費用として、パチェに大金を渡す、数日前の話であった。
『おしまい』
持ち上げて落とすのは作者の罠ね!
終わりよければの言葉通り、結末が好みの終わり方じゃないと読後感がなんとも言えませんな。
でもね、例に漏れずバッドエンドだからこそガッツポーズを取る外道も世の中にはいるんですよ。
人魚姫とかロミオとジュリエットとかすっばらしいな!
>名無し妖怪様
ええ、見事に罠にはまったときの衝撃は凄まじく…(泣)
>みずき様
ありますねー
そして耐性が羨ましいですww
>乳脂固形分様
ふふふ…ふふふふ…(何orz)
>SETH様
長年の練習により、神技の域に達しているとかいないとかw
>ドライブ様
ですねー私もハッピーエンド派なのでよくわかりますww
わかります。僕もハッピーが好きですから