ある紅い月ののぼる夜、一人の少女が図書館で本を読んでいた。
その月は、図書館のあるもともと紅い館を更に紅く照らしていた。尤も、その光は窓のない図書館には届かないのだが。
少女はその後もしばらく本を読み続けたが、ふと立ち上がり、近くの扉を開けて階段を上った。
特に目的があったわけではない。ただなんとなく、そうしてみたい気になったからである。
地上の廊下へ繋がる扉を開けた少女の目に入ったのは、遠い空に浮かぶ紅い月。
ただ紅く、しかし美しい月であった。
「……そういえば、あの子が来たのも、こんな夜だったわね……」
そう思うと急に『あの子』のことが気になり、地下の図書館に戻った。
再び図書館へ繋がる扉を開けると、ちょうど『あの子』は先ほど少女が本を読んでいたところにいた。
「あ、パチュリー様」
今日の月に似た紅い髪を持つ『あの子』……小悪魔は、図書館の少女、パチュリーが戻って来たことににすぐ気がついた。
「読書を中断して外に出るなんて、珍しいですね」
「ええ、そうね……」
そう言うとパチュリーは再び椅子に座り、本を読み始めた。
「パチュリー様、私もご一緒させてもらっていいですか?」
どうやら小悪魔も本を読むつもりだったらしく、右手に本を抱えている。
「いいわよ、どうぞ」
パチュリーは自分の隣の椅子を引き、小悪魔を座らせた。
小悪魔は一言「ありがとうございます」と礼を言うと、パチュリーの隣で本を読み始めた。
パチュリーも本を読み始める。そこに音は静かに本をめくる音、そして椅子のきしむ音ぐらいしかなくなった。
本棚に無尽蔵にといえるほどの量が並ぶ本たちさえも、息をひそめていた。
しばらくしてパチュリーは、ふと本を置き、小悪魔の姿、横顔をそっとのぞきこんだ。
この子とは、どんな風に出会ったんだっけ。
そう、それは今日と同じ紅い満月の昇る夜、パチュリーは今日と同じように、なんとなく地上に出てみたのだった。
そこには、月を背にして一人の少女が立っていた。
もちろんパチュリーは唐突にあらわれたその少女に見覚えはなく、
話を聞いてみてもその少女が下級の悪魔であることぐらいしか分からない。
でもまあ特に害はなさそうだし、と放っておいたら、いつしか彼女は図書館に居ついていた。
でも、特に本を読む邪魔をするわけでもない、
それどころかいつの間にか司書としての仕事をやってくれていた彼女を追い出す理由はなかった。
……だけど、彼女は結果的にパチュリーの読書の邪魔をすることになってしまった。
献身的に尽くしてくれて、そしてそばで笑いかけてくれる小悪魔に、いつしかパチュリーは惹かれていた。
本を読んでいても、自然と小悪魔のほうに視線が引き寄せられてしまう。
魅了の魔法をかけられてしまったのかと疑い、自らに解呪の魔法をかけてみても変化はなし。
では薬かとも疑ってみて、解毒剤を飲んでみたがやはり変化はなかった。
そして、そうしている間にもパチュリーの心は、埃だらけの本から解き放たれていった。
「……どうかしましたか、パチュリー様?」
「!」
小悪魔の声でパチュリーは我にかえる。
「い、いや、なんでもないのよ」
「そうですか……」
小悪魔は不思議そうに首をかしげたあと、大きく伸びをした。
本はもう読み終わったらしく、閉じた状態で小悪魔の前に置かれている。
「……ねぇ、もしよかったら、そろそろお茶にしない?」
「あ、はい、すぐにご用意しますね」
ひとつ、ふたつと器が並ぶ。
注がれていく紅茶はただ紅い色だった。
小悪魔が来てから、パチュリーの生活は少しづつ変化していった。
たとえば、以前パチュリーはいつも同じ服ばかりで、本さえ読めればあとはどうでもいいといった感じであった。
しかし今は、紅魔館の倉庫などから可愛い服を探してきて、時々着たりしている。
もちろん、小悪魔が見たら驚くように、だ。
それから、今のように小悪魔と一緒にお茶を飲むことも増えた。
以前ならパチュリーの行動パターンは、本を探すか読むか寝るかの三つしかなく、
たまに紅魔館のメイドがお茶を運んでくることがあっても、ほとんど手をつけなかったというのに。
「……ごちそうさま。美味しかったわ」
「そうですか、ありがとうございます」
小悪魔は、自分の入れた紅茶を美味しいといってもらえたことが心底うれしいようだった。
そうやってパチュリーにうれしそうな笑顔を向ける小悪魔に、パチュリーはまた少し惹かれてしまった。
その後二人は、再び本を読み始めた。
やはりそこには、無言でめくる、二人分の紙の音しかなかった。
交わす言葉一つなかったが、それでもパチュリーは幸せだった。
……この幸せが、ずっと続けばいいのに。
パチュリーはそう思っていた。
しかし、そうはいかなかった。
お使いに出た小悪魔が、いつまで経っても帰ってこなかったのだ。
★★★
「ねぇ、外ではどんなことがあった?」
パチュリーはよく、小悪魔にこんなことを尋ねる。
喘息持ちなので、あまり頻繁には外に出られないのだ。
尤も、以前は出たいとも思っていなかったが。
しかし、外に色々なものがあることを知ってからは、小悪魔を通じて外のいろいろなことを知るようになった。
そうした本では得られない知識を得ることはもちろんパチュリーにとってとても楽しいことではあったが、
お使いなどで外に出た小悪魔が、そこでの出来事を楽しそうに話してくれる。
それを見ることがパチュリーの一番の喜びであった。
しかし、外には危険もたくさんある。小悪魔では太刀打ちできないような妖怪もいる。
そんな危険が小悪魔の身に降りかかることを、パチュリーは恐れていた。
……そして、それは現実になってしまった。
小悪魔が喘息の薬を永遠亭までもらいに行ったきり、帰ってこないのだ。
咲夜に頼んで、メイドたちに探しに行かせたが、パチュリー自身が探しに行くことは咲夜と美鈴に止められた。
パチュリーは、自分では何もできずにただ図書館で待つのみになってしまった。
三日もすると、小悪魔はもう……という、不吉な考えが頭をよぎり、
そして一週間経つころには、それを認めざるをえなくなった。
それでもパチュリーは、待っていれば帰ってくるとどこか期待をしていた。
しかし現実は非情で、今日も彼女は帰ってくることはなかった。
そして雨の降る夜、竹林で小悪魔が倒れていた、との知らせがパチュリーの元に届いた。
すぐに永遠亭に運ばれたが、もう助かる見込みはないという。
その知らせを聞いたとき、パチュリーはたとえようの無い深い悲しみに襲われた。
そして、やっぱり自分は彼女が好きだ、ということを、パチュリーは再認識していた。
こんなにも会いたいのに、会うことができないなんて。
空から落ちてくる雨のように、パチュリーの涙は止まることが無かった。
雨の降りしきる夜。本来なら少し欠けた紅い月の浮かんでいるはずの空には、ただ暗い雨雲が漂っていた。
★★★
その後、パチュリーは本も読まず、食事も取らずにずっと自室に引きこもっていた。
小悪魔のことのショックから、まだ立ち直れないでいたのだ。
もうとうに慣れた、むしろ望んでいたはずの『孤独』を感じていたことに、パチュリーはふと気づく。
……今日もまた、ひとり。
彼女に会うことが無ければ、きっとパチュリーは知らなかっただろう。
――こんなにひとりが寂しいなんて。
どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
――彼女を愛してしまったから。
彼女のことを、忘れられるだろうか。
――いや、そんなことは無理。
奇跡がもし、本当にあるなら、
小悪魔に、帰ってきて欲しい。
――でも、そんな本に書いてある物語みたいなこと、あるわけがない。
そこに、ノックの音が響いた。
パチュリーはあわてて立ち上がったが、すぐに気持ちを落ち着かせた。
――きっとレミィあたりだろう。彼女であるはずが無い。
どちらにせよ部屋に誰かが訪れたのだから、出なくてはならないとパチュリーは扉のほうへ向かっていった。
扉の向こうには誰が立っているのか予想しながら。
そしてパチュリーは、扉を開けた。
「……パチュリー、様」
しかしそこに立っていたのは、彼女が最も心の底で期待しながらも、まったく予想はしていなかった人物だった。
「……小悪魔、なの?」
小悪魔は無言で、ただひとつだけうなずいた。
そして何か口にしようとしたようだったが、その言葉はパチュリーが抱きついたことによって遮られた。
「パ、パチュリー様?」
「……よかった、助かったのね」
「はい……よく分からないけど、ただ『死んじゃ駄目。あなたを待ってる人がいるのよ?
だから早く目を覚ましなさい』という声が聞こえて……次の瞬間には、目が覚めていました」
「……心配、したのよ?」
「……すみません、ありがとうございます……」
パチュリーは、小悪魔をより強く抱きしめた。
小悪魔も、それに応えるようにパチュリーを抱きしめた。
空には出会ったときのような紅い月が、二人を見守るように浮かんでいた。
降り注ぐ月の光は、ただ紅い色だった。
そして、そんな二人を見守るものがもう一人。
「……よかったわね、パチェ」
その月は、図書館のあるもともと紅い館を更に紅く照らしていた。尤も、その光は窓のない図書館には届かないのだが。
少女はその後もしばらく本を読み続けたが、ふと立ち上がり、近くの扉を開けて階段を上った。
特に目的があったわけではない。ただなんとなく、そうしてみたい気になったからである。
地上の廊下へ繋がる扉を開けた少女の目に入ったのは、遠い空に浮かぶ紅い月。
ただ紅く、しかし美しい月であった。
「……そういえば、あの子が来たのも、こんな夜だったわね……」
そう思うと急に『あの子』のことが気になり、地下の図書館に戻った。
再び図書館へ繋がる扉を開けると、ちょうど『あの子』は先ほど少女が本を読んでいたところにいた。
「あ、パチュリー様」
今日の月に似た紅い髪を持つ『あの子』……小悪魔は、図書館の少女、パチュリーが戻って来たことににすぐ気がついた。
「読書を中断して外に出るなんて、珍しいですね」
「ええ、そうね……」
そう言うとパチュリーは再び椅子に座り、本を読み始めた。
「パチュリー様、私もご一緒させてもらっていいですか?」
どうやら小悪魔も本を読むつもりだったらしく、右手に本を抱えている。
「いいわよ、どうぞ」
パチュリーは自分の隣の椅子を引き、小悪魔を座らせた。
小悪魔は一言「ありがとうございます」と礼を言うと、パチュリーの隣で本を読み始めた。
パチュリーも本を読み始める。そこに音は静かに本をめくる音、そして椅子のきしむ音ぐらいしかなくなった。
本棚に無尽蔵にといえるほどの量が並ぶ本たちさえも、息をひそめていた。
しばらくしてパチュリーは、ふと本を置き、小悪魔の姿、横顔をそっとのぞきこんだ。
この子とは、どんな風に出会ったんだっけ。
そう、それは今日と同じ紅い満月の昇る夜、パチュリーは今日と同じように、なんとなく地上に出てみたのだった。
そこには、月を背にして一人の少女が立っていた。
もちろんパチュリーは唐突にあらわれたその少女に見覚えはなく、
話を聞いてみてもその少女が下級の悪魔であることぐらいしか分からない。
でもまあ特に害はなさそうだし、と放っておいたら、いつしか彼女は図書館に居ついていた。
でも、特に本を読む邪魔をするわけでもない、
それどころかいつの間にか司書としての仕事をやってくれていた彼女を追い出す理由はなかった。
……だけど、彼女は結果的にパチュリーの読書の邪魔をすることになってしまった。
献身的に尽くしてくれて、そしてそばで笑いかけてくれる小悪魔に、いつしかパチュリーは惹かれていた。
本を読んでいても、自然と小悪魔のほうに視線が引き寄せられてしまう。
魅了の魔法をかけられてしまったのかと疑い、自らに解呪の魔法をかけてみても変化はなし。
では薬かとも疑ってみて、解毒剤を飲んでみたがやはり変化はなかった。
そして、そうしている間にもパチュリーの心は、埃だらけの本から解き放たれていった。
「……どうかしましたか、パチュリー様?」
「!」
小悪魔の声でパチュリーは我にかえる。
「い、いや、なんでもないのよ」
「そうですか……」
小悪魔は不思議そうに首をかしげたあと、大きく伸びをした。
本はもう読み終わったらしく、閉じた状態で小悪魔の前に置かれている。
「……ねぇ、もしよかったら、そろそろお茶にしない?」
「あ、はい、すぐにご用意しますね」
ひとつ、ふたつと器が並ぶ。
注がれていく紅茶はただ紅い色だった。
小悪魔が来てから、パチュリーの生活は少しづつ変化していった。
たとえば、以前パチュリーはいつも同じ服ばかりで、本さえ読めればあとはどうでもいいといった感じであった。
しかし今は、紅魔館の倉庫などから可愛い服を探してきて、時々着たりしている。
もちろん、小悪魔が見たら驚くように、だ。
それから、今のように小悪魔と一緒にお茶を飲むことも増えた。
以前ならパチュリーの行動パターンは、本を探すか読むか寝るかの三つしかなく、
たまに紅魔館のメイドがお茶を運んでくることがあっても、ほとんど手をつけなかったというのに。
「……ごちそうさま。美味しかったわ」
「そうですか、ありがとうございます」
小悪魔は、自分の入れた紅茶を美味しいといってもらえたことが心底うれしいようだった。
そうやってパチュリーにうれしそうな笑顔を向ける小悪魔に、パチュリーはまた少し惹かれてしまった。
その後二人は、再び本を読み始めた。
やはりそこには、無言でめくる、二人分の紙の音しかなかった。
交わす言葉一つなかったが、それでもパチュリーは幸せだった。
……この幸せが、ずっと続けばいいのに。
パチュリーはそう思っていた。
しかし、そうはいかなかった。
お使いに出た小悪魔が、いつまで経っても帰ってこなかったのだ。
★★★
「ねぇ、外ではどんなことがあった?」
パチュリーはよく、小悪魔にこんなことを尋ねる。
喘息持ちなので、あまり頻繁には外に出られないのだ。
尤も、以前は出たいとも思っていなかったが。
しかし、外に色々なものがあることを知ってからは、小悪魔を通じて外のいろいろなことを知るようになった。
そうした本では得られない知識を得ることはもちろんパチュリーにとってとても楽しいことではあったが、
お使いなどで外に出た小悪魔が、そこでの出来事を楽しそうに話してくれる。
それを見ることがパチュリーの一番の喜びであった。
しかし、外には危険もたくさんある。小悪魔では太刀打ちできないような妖怪もいる。
そんな危険が小悪魔の身に降りかかることを、パチュリーは恐れていた。
……そして、それは現実になってしまった。
小悪魔が喘息の薬を永遠亭までもらいに行ったきり、帰ってこないのだ。
咲夜に頼んで、メイドたちに探しに行かせたが、パチュリー自身が探しに行くことは咲夜と美鈴に止められた。
パチュリーは、自分では何もできずにただ図書館で待つのみになってしまった。
三日もすると、小悪魔はもう……という、不吉な考えが頭をよぎり、
そして一週間経つころには、それを認めざるをえなくなった。
それでもパチュリーは、待っていれば帰ってくるとどこか期待をしていた。
しかし現実は非情で、今日も彼女は帰ってくることはなかった。
そして雨の降る夜、竹林で小悪魔が倒れていた、との知らせがパチュリーの元に届いた。
すぐに永遠亭に運ばれたが、もう助かる見込みはないという。
その知らせを聞いたとき、パチュリーはたとえようの無い深い悲しみに襲われた。
そして、やっぱり自分は彼女が好きだ、ということを、パチュリーは再認識していた。
こんなにも会いたいのに、会うことができないなんて。
空から落ちてくる雨のように、パチュリーの涙は止まることが無かった。
雨の降りしきる夜。本来なら少し欠けた紅い月の浮かんでいるはずの空には、ただ暗い雨雲が漂っていた。
★★★
その後、パチュリーは本も読まず、食事も取らずにずっと自室に引きこもっていた。
小悪魔のことのショックから、まだ立ち直れないでいたのだ。
もうとうに慣れた、むしろ望んでいたはずの『孤独』を感じていたことに、パチュリーはふと気づく。
……今日もまた、ひとり。
彼女に会うことが無ければ、きっとパチュリーは知らなかっただろう。
――こんなにひとりが寂しいなんて。
どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
――彼女を愛してしまったから。
彼女のことを、忘れられるだろうか。
――いや、そんなことは無理。
奇跡がもし、本当にあるなら、
小悪魔に、帰ってきて欲しい。
――でも、そんな本に書いてある物語みたいなこと、あるわけがない。
そこに、ノックの音が響いた。
パチュリーはあわてて立ち上がったが、すぐに気持ちを落ち着かせた。
――きっとレミィあたりだろう。彼女であるはずが無い。
どちらにせよ部屋に誰かが訪れたのだから、出なくてはならないとパチュリーは扉のほうへ向かっていった。
扉の向こうには誰が立っているのか予想しながら。
そしてパチュリーは、扉を開けた。
「……パチュリー、様」
しかしそこに立っていたのは、彼女が最も心の底で期待しながらも、まったく予想はしていなかった人物だった。
「……小悪魔、なの?」
小悪魔は無言で、ただひとつだけうなずいた。
そして何か口にしようとしたようだったが、その言葉はパチュリーが抱きついたことによって遮られた。
「パ、パチュリー様?」
「……よかった、助かったのね」
「はい……よく分からないけど、ただ『死んじゃ駄目。あなたを待ってる人がいるのよ?
だから早く目を覚ましなさい』という声が聞こえて……次の瞬間には、目が覚めていました」
「……心配、したのよ?」
「……すみません、ありがとうございます……」
パチュリーは、小悪魔をより強く抱きしめた。
小悪魔も、それに応えるようにパチュリーを抱きしめた。
空には出会ったときのような紅い月が、二人を見守るように浮かんでいた。
降り注ぐ月の光は、ただ紅い色だった。
そして、そんな二人を見守るものがもう一人。
「……よかったわね、パチェ」
くそっ、今夜はヤケ水だ!!
けど良かったです