Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

アニマトネス

2007/06/03 13:15:16
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湖がある。
昼間は深い霧に包まれるこの場所も、まだ夜明け前の薄暗い中、朝靄が煙る程度。
そんな中、岸辺に一人の少女が座っていた。緑の髪と青い瞳。愛嬌はあるが何処か人形のような顔立ち、幼子と言って差し支えない体躯。
一見すると人間の子供のようだが、その背中には取って付けたような奇妙な形の翼が生えている。
湖面に足を投げ出し、東の空を呆と見つめるその少女は、この湖を棲家とし、ちょっとだけ他の妖精より力を持った大妖精だった。

妖精は、ある程度のテリトリーの中で存在している。
とはいえ、それは距離やら面積で測れるものでもなく、概念的な領域であるため大半の妖精は幻想郷中に現れる。
しかし、彼女にとっては、霧の湖から見渡せる範囲が世界の全てだった。
それは宛ら盤面上の世界で、夜の闇と月明りの中で生きる事を停めていた全ては、その裏側に隠れていた太陽の帰還と共に動き始めようとしている。
彼女はこうやって空をみつめて、その瞬間を待つのが大好きだった。
とは言え、世界は杖の上や亀の背に乗っている訳ではなく、太陽は動かずに今もどこかを照らしている事くらいは彼女も解っている。
だが結界に覆われた幻想郷は愚か、自らの領分から禄に離れる事ができないのであれば、その中で感じるままに世界を捉える方が性に合っていた。
毎日飽きもせず東から昇る太陽も、気まぐれに雲に隠れ、雨が上がれば空に虹を掛けて、去り際に世界を紅く染めてみたりしていると思った方が素敵だろうと。
彼女は、そう思っている。

日の出が近づくにつれて周囲は白みを増し、東の稜線は虹色に染まってゆく。
不意に大妖精の足が湖面をかき混ぜ、それによって生まれた波が音と波紋という形を取り、寂々とした空と湖面に響いた。
それらは直ぐに溶け消えて、また耳鳴りがしそうな程の静寂が辺りを包む。
再び大妖精は足を動かし、波を生み、それは空と湖面に溶けていく。
静けさの中に侘びや寂と言った美しさを求める事は、彼女には余り理解できなかった。
妖精という種族が陽の気を好むという事もあるのかもしれないが、静寂は否応なしに終りを想わせるだけで詰まらないのだ。
だからせめてでも、と湖面を蹴ろうとした瞬間。ちゃぽん、という多少間の抜けた音が響いた。
彼女が伏せていた顔を上げてみると、魚が湖面を跳ねたのだろう、少し離れた場所から同心円状の波紋が広がっている。
魚が大妖精の行動に呼応した、という事はないだろうが、彼女は魚の行動を見て初めてその人形のような貌に笑顔を浮かべた。
耳を澄ませば、遠くで目覚めた鳥たちが囀る声も聞こえ始めている。生きた音が静寂を消していく。
彼女がこの時間を好ましいと思う事に、具体的な理由はなかった。強いて言えば、祭りの始まりを待つ間に覚える高揚感のような物だろう。
始まる瞬間まで無限大に肥大する癖に、ひとたび始まってしまえば一切跡形も無く消え去り、それを後悔するような事も無い。
祭りが始まってから『もっと待っていたかった』などと思う者は居まい。準備不足を悔いる事くらいはあるかもしれないが。
要するに、何となく楽しいという、その程度なのだ。

生命力を取り戻し始めた世界の中で、殊更愉しそうに羽と足を揺らす大妖精。
彼女が、たった独りで岸辺に座して居たのには理由がある。
彼女は、他の妖精を待っていた。
否、待っていたという表現は正しくは無い。
妖精は自然現象の内になら何処にでも存在している。つまり、今大妖精が座している周辺にも潜んでいるのだ。
ただ、見えないというだけで。

ふ、と大妖精が動きを止めると同時に、辺りからぼんやりとした光の塊の様な物が現れ始めた。
何処から、というわけでなく、文字通りそこら辺から湧き出している。
夜であれば、今の光景も些か幻想的に映るのだろうが、明け方では薄い光の珠も霞か靄かといった風情である。
少しずつ数を増しながら、所在無さげに辺りを漂っているそれらが、不意に動きを止めた。
大妖精が、手を掲げたのと同時である。
続けて、彼女が手を下ろすと、光の珠が一斉にその周囲に移動し始める。
先ほどの魚が跳ねた時の様な偶然ではなく、明らかに彼女の行動に同期して動き始めたそれらは、間もなく大妖精の周りに大きな光の塊を成した。
大妖精は、自分を取り囲んだ光に特に躊躇するわけでもなく、こう切り出した。
「おはよう」
と。それは鈴でも鳴らしたような声だった。
在り来りな表現だが、そう表すより他にない。あっさりと抽象化出来てしまう事が、人ならぬ者の証明なのかもしれないが。
――― おはよう。
恐らく、光の内の大妖精にしか聴こえない返答が返った。
声は複数だが、どれも差異の無い声だ。
――― 今日も面白い事があるといいなぁ。
――― 昨日は失敗して人間に捕まっちゃったけど、今日は成功させるよ!
――― 間抜けねぇ。
それぞれが一方的に思う事をぶちまけているだけなのだが、光の塊の内側は急に騒々しくなった。
大妖精は、最初に発した一言以外は特に何を言う事もなく、会話にすらなっていない話を聞いて笑顔を浮かべている。
そこに、ひとつの光の珠が近寄って来ていた。他の光と違い、青白く、冷たさを連想させる色を放ちながら。
それは大妖精の傍まで来たものの、やはり光の塊に相容れる事がなく、周囲を漂うに留まっている。

あれほどまでに騒がしかった光の内は、一切の声が止んでいた。
皆、というのが正しいのかは解らないが、大妖精を含めた全ての意識は、新たに近寄ってきた青い光に向いていた。

――― どうして、あの子は独りなの?
誰かがそう言った。
「あの子は、強い力を持っているから」
大妖精はそう答えた。

――― どうして、あの子は強い力があるの?
誰かがそう言った。
「あの子は、歪みを押し付けられてしまったから」
大妖精はそう答えた。

――― あの子は、本当に妖精なの?
そう言った。
「まだ、妖精だよ」
答えた。

――― …あの子は、寂しくないの?
少し間が空いた。
「あの子には―――…」




大妖精は答えられなかった。
適当な言葉を選んでいる内に、不意打ちのように視界を覆った白光に思わず言葉を止めてしまった。
いつの間にか太陽は稜線から顔を出し、生きた光を撒き散らし始める。
この瞬間から、世界は再び生命を得た。

――― お日様だ、お日様が出たよ。
光の塊の内に声が響き、先ほどまで静かだった大妖精の周囲が、再びざわつき始めた。
――― ねぇ、もう戻っていいんだよね?
誰かがそう言って、
「うん、もう戻ってもいいよ」
と、大妖精は答えた。
――― うん!じゃぁ後でね!
それを聞いたか聞かないかという内に、一塊を成していた光は散り散りに周囲へと広がっていった。
大妖精がちゃんと質問の応えをしていない事など、最早誰も気にしていないようだ。まぁ、元来妖精などそんなものなのだろう。
そうして、湧いたときと同じように光芒は何処とでもなく溶けて消え、岸辺には大妖精と青い光だけが残された。
青い光は、他がそうしたように大妖精に語りかける事もなく、ただその周囲を漂っている。
それを見て、大妖精は笑顔を浮かべる。ただ、それは様々な感情が混ざり合った末に出たような、曖昧なものだった。
大妖精が膝の上に右手を翳す。すると、光はふらふらとその辺りに近寄り、その動きを止めた。
彼女はそのまま両の手を、膝の上の光を包むような形に動かして、
「もう朝だよ」
と言った。
それに呼応したかのように、青い光は少しずつ拡散しながら人の形を象っていく。
ちょうど大妖精の腿の上に頭をおくような、所謂膝枕の状態で光はその形を止め、実体を得始めた。
体躯は大妖精とほぼ一緒。背中には氷の翅を持ち、青い髪と衣装。その娘もまた妖精だった。
大妖精が包むように翳した掌の中に納まった顔は、やはり整っているが、彼女と違う気の強そうな瞳は閉じられている。
曖昧な笑顔を浮かべたまま、彼女は右手でその青い髪を優しく梳く。
「ん…ぅ…」
何度目か、手櫛が髪の間を滞りなく通り抜けると、眠っていた妖精の娘はむず痒そうに身じろぎをしてから、
「おはよう、チルノ」
「んぁ…?おはよ…」
微かに目を開いた。それを見て、大妖精の表情が混ぜ物の抜けた笑顔に戻る。
「何で…あたいこんなとこで寝てんの…?」
大妖精が顔を抱えるようにしているからか、起き上がる気が無いのか、そのチルノと呼ばれた娘は寝転がったまま尋ねる。
「本当に、覚えてないの?」
「うん」
それを聞いて、大妖精の表情が今度は苦笑に変わる。
実際のところは、昨日の夜、チルノは霧の湖を横断中だった某魔法使いにちょっかいを出し、そのままなし崩しに弾幕ごっこに突入。
実力差のある相手にも関わらず善戦を見せたものの、いや、善戦を見せたが故か。その魔法使いが誇るスペル、当人曰く「妖怪どころか人間も残らない」光の魔砲の直撃を受けたチルノはそのまま実体を失っていた。
大妖精は傍でそれを見ていたのだが、
「まぁ、覚えてないなら大した事じゃないんだよ」
はぐらかす事にした。今更混ぜっ返したところで、チルノが悔しがるだけだろうと思ったからだ。
「ふー…ん、そーなの、かな」
「そうなの」
颯と風が吹き、目を覚ました鳥たちが朝餉を求めて飛んで往く。間を埋めるかのように、ちゃぽん、と魚が湖面を跳んだ。
「ふ…ぁ…」
チルノは、目が覚めきっていなかったようで、再びうつらうつらとし始め。
「まだ眠いから、もうちょっと寝る…。何か、面白い事あったら、起こし…」
それだけ言うと、大妖精が返事をする前にはもう、静かな寝息を立てていた。
再び周囲に静けさが戻り、大妖精の表情もまた、曖昧なものに戻る。
ふと、先ほど中途半端なままになっていた質問の応えの事を思い出す。以前であれば、彼女は何の躊躇もなく「あの子には私が一緒にいてあげられるから」と応えていただろう。
しかし、迷ってしまった。
紅霧異変の後に一般化した、スペルカードによる決闘。種族間の力の差をルールで補う事で、擬似的に人間と妖怪の争いを再現するためのこのシステムは、チルノのような力のある妖精に取っても都合のいい遊びだった。
彼女は自分の持つ力を頼みに妖精としての領分を越えた行動を取る事が増え、それと共に大妖精には知りえない部分が増えていく。
そして、まだ記憶にも新しい六十年に一度の大開花の時、大騒ぎして湖を飛び出して行ったチルノは、酷く憔悴した様子で戻ってきた。
大妖精は何があったかをチルノに尋ね、返ってきた応えは彼女にとっても衝撃的なものだった。

チルノはもうその事に付いては吹っ切れたのか、忘れてしまったのか。相変らずの毎日を送っている。

大妖精は思う。もし、閻魔がチルノに語ったように、彼女が妖精の領域を完全に逸脱してしまったらどうなるのか。
跡形もなく消えてしまうのだろうか。
他の生物と同じように、彼岸へ行き転生や成仏を待つのか。
それとも、妖精以外のモノになって生き続けるのか。

ただ、どれであっても変わらない事がある。
たった一匹の妖精がどうなろうと、幻想郷はそれを当たり前のように受け入れる。
きっと、変わってしまえば、それを当然のものとして受け止める。

それは、ごく自然な事で。酷く残酷な事だと思う。



少し寒気がした。
大妖精はそれを、こんなにも傍にチルノが居るからなのだろうと、そう思う事にした。

NGシーン

その1
(前略)
大妖精が膝の上に右手を翳す。すると、光はふらふらとその辺りに近寄り、その動きを止めた。
彼女はそのまま両の手を、膝の上の光を包むような形に動かして、

いのり、ささやき、えいしょう、ねんじろ!

おおっと

大「それは、ごく自然な事で、酷く残酷な事だと…」
チ「無理やり話を通そうとしないでよ!」

その2
(前略)
少し寒気がした。
大妖精はそれを、こんなにも傍にチルノが居るからなのだろうと、そう思う事にした。

大「ねぇ…チルノ。私、なんだかとっても眠いんだ…」
チ「寝るな!寝ちゃダメだーーーーーーーッ!」





まじめなはなしはむずかしいです。
コメント



1.ルエ削除
同意
しかしシリアスはいいものです
2.名無し妖怪削除
あの言葉でチルノが焦るんじゃなくて大妖精が焦る……なんとも深い話を読ませていただきました。
3.名前が無い程度の能力削除
中々雰囲気が良い作品だと思います。
しかし、某寺院の働きにはあまり期待してはいけませんです