えぐい、という感覚ってどんなものか分かるかしら。
焚き火を前にして、そう蓮子が問うてきた。
火の中のアルミホイルをつんつんつつきながら、私は視線を上げず首だけを振る。
「ねえねえ蓮子このアルミホイル、アフターバーナーつけたら空も飛べそうよ」
「ちょっと遊んでないでちゃんと焼きなさいよメリー? それ貴重品なんだからね?」
鍔広の帽子をてっぺんで抑えつつ、蓮子が炎の傍から覗き込む。覗き込まれたその焼け具合は、私が見るところ至って順調だ。
火中に炯々と紅色を映すアルミホイルはくしゅくしゅっと何かを巻いて炎に身を捧げており、ところどころ焦げついて黒ずみながら円錐形の形を保っている。
大きさは横にしても掌に載せられるほど。同じものが二つある。
「ロケットにするには頼りないわねえ。天然物だし」
「合成物なら空を飛べるってのかしら、この時代のタケノコは」
「うーん、やる気になればね」
蓮子は笑っている。
本当かもしれないと私は思う。
まあ本当かもしれないが、あくまでこの二本のそれは、今好奇心に満ち溢れた少女二人を満足させるため着々と湯気を燻らせている天然物に過ぎない。
――過ぎないのだ。
次第に周囲へ、甘い匂いが漂い始める。
「うーん良い匂いねえ。って、これは合成物でも嗅いだことがあるけど」
「メリー、天然のタケノコはね、採って時間が経つと苦味が出てきちゃうの。それがえぐい、って言うのよ」
「ふうん。味覚を表す言葉だったのね」
「そ。メリーあんたはえぐい女ね! って」
「……美味しいのかしら」
肌寒い春の夕暮れに、焚き火の温かみが心地よい。
蓮子の実家から送られてきたタケノコは、蓮子が言うところ正真正銘の天然物だそうである。ただ配送の間にえぐくなっているかもしれないと蓮子が言ったので、こうしてアルミホイルで蒸し焼きにしているのだ。
思えばタケノコの合成物が店頭を席巻して、もう長い時代が流れている。
天然のタケノコが絶滅した訳ではない。竹林面積がとみに減衰したという訳でもない。
ただ需要が無くなったのだ。
殖産、人工物、合成――それが自然の代替品として機能する時代が、もう過去になっただけの話である。
それを是とする非とするなんて侃々諤々の議論も、今や年寄りの娯楽程度にしかなっていない現状だった。
「ねえ蓮子、さっきから腕が痒いんだけど」
「ああ、あんたさっき自分の分を両腕で抱えたでしょ。タケノコの表面は小さな毛がついてるから、直接肌に触れると、ね」
「……先に言ってくれれば良かったのに」
腕を見れば、皮膚の柔らかい腕の内側の部分だけが仄かに赤くかぶれていた。
記憶の中で薬箱の中身を漁り、あとで塗っておく薬を品定めする。
溜息をついて視線を落とす。
炎の中で、アルミホイルのアフターバーナーが点火されていた。
具体的には、湯気がもくもく出ている。
「ねえ? 蓮子ーこれ」
「どれどれ。あー、そろそろ食べ頃ね。火から出して」
はいはいと私は言われるがままに、銀色の小さなロケットを二つ、煉獄の火焔から火鋏で救出した。
助け出された二機はころころと軽そうに足元へ転がる。
「一抱えもあったタケノコなのに、こんなに小さくなるもんなのねえ」
私は思わず、見たまんまの感想を口にした。
焼いて縮んだ訳ではない。
蓮子がくれたタケノコは掘って出しのほやほやで、それはまだかつてどこかの資料写真で見たタケノコという植物そのものの姿と大きさをしていたのだ。が、それが包丁を入れて皮を剥いていったところ、マグカップほども無い大きさになってしまったのだ。
これだけしか食べられないの? と蓮子に言ったら、あははと笑っていた。
マトリョシカ、と蓮子に言ったら、きゃははと笑っていた。
「タケノコはね、皮に身を包んで本当に美味しい部分を己で守ってるのよ。あと土に隠れて、本当に美味しい瞬間をも守っている」
うちわでぱたぱたとアルミホイルごと扇ぎながら、蓮子が言う。
「だから、無理矢理掘り起こして皮ひん剥いたこのアルミホイルの中身はきっと美味しいわよ?」
「わ、鬼畜ねえ」
天然の物を食べるということは、案外残酷なのだ。
合成であれば魚も牛も殺さなくて済む。わざわざ動物を殺してまで得る天然の称号はは、今やセレブ階級の御用達となっている。
庶民にしてみれば、冠言葉はどちらでもいいのだ。口に入る味が変わらなければ、自然も合成もセール広告の飾り文句にさえならない。
「ねえ蓮子」
「何かしら」
「どうして苦味のことを、わざわざえぐいって言うのよ」
二分前から気になっていたことを、私は蓮子にぶつけた。
「苦いじゃないのよ。えぐい、のよ、タケノコってやつは」
「でもさっきは苦味と一緒だって言った」
「そこはそれ、自然と合成の違いよ」
誤魔化されているような気がして、意識的に蓮子を睨む。
蓮子の反応は見るまでもない。
柳に風である。
「本当よメリー。えぐいはえぐいなの」
蓮子が笑う。
「だから、合成技術は科学の可能性によって伸縮する――だなんて詭弁なのよ。科学なんていずれ何だって身につけてゆくもの。天然はいつまでも自然のままで、だけど合成の稼働域は、私達の需要によって決まる」
風が吹く。
さやさやと竹の音が聞こえる気がする。
そんなものなどありはしない都会の中では、蓮子の言葉を掴めなかった。
「えぐいという味を再現することは出来るのかもしれない。だけどそんなの誰も望まないわ。だから差別化が図られて、合成は合成になるし、天然は天然になる。庶民はどうでもよくて、天然物は金持ちの嗜好品になる」
そこまで言って蓮子は立ち上がり、傍に投げ捨てていた鞄を拾い上げて中から缶ジュースを二本取り出した。
その一本が華麗なスローイングで投げ寄越されたのは実に唐突であり、私がそれを掴んだのは鼻に衝突する寸前である。
「出来合いの食べ物だけでも美味しいし、空腹も喉の渇きも満たされる。合成と天然はどこがどう違うのか――」
ぷしゅ、っと缶を開ける蓮子。
「――天然はね、夢を食べてるのよ」
その蓮子の話に、私は特に何を言おうとも思わなかった。
内容自体はありふれた話である。そんなことは私だって、とうに知っている話だった。
何かが喉の奥で言葉を押しとどめていて、ただタケノコのように生えてくる言葉の芽があって、それが胸の奥で次々に枯れていった。
不思議な気持ちで、私は蓮子の笑顔を見る。
「ねえメリー、」
蓮子が喋っている向こうに、竹藪が見えた。
ここは蓮子の住まいからそう遠くない空き地で、竹なんてものが群生する隙間はどこにもない。
なのに、竹藪が見えるのだ。
それは天然でなく、合成の竹藪である。
私の夢が作り出した、こうあればいいと思った景色。
殺風景になった京都に、一片の夢を見せてくれるような景色。
つまり、合成なのだ。夢でさえも。
「月からやってきたお姫様が、竹の中に入ってたら――メリーならどうする?」
蓮子の問いは、残酷で意地悪だった。
ただ、それがつまり、夢なのかもしれない。というか、夢なのだ。
天然のタケノコが美味しいという理由が、改めて分かった気がする。
「――お金持ちの人達は、かぐや姫を食べてるのね」
蓮子が笑った。
その笑顔が少しだけ哀しげに見えたのは、たぶん、今が黄昏時だからだろう。
現実という時間の連続に垣間見えた、微かな天然色の夢の色だ。
「夢は絶対にね、えぐくないのよ。いつまでも採れたてのままの風味を自在に作り上げる。人間は幻想機械だから」
蓮子がアルミホイルを拾う。つられて私も、もう一個を拾い上げた。
余熱で火照ったそれはしかし、まだ掌に熱く、ころころと弄んだ挙げ句袖を伸ばして両手で包む。
ふーふーする。
それから、そっと、銀色のロケットを素手で包んだ。
「さ、頂きましょうか」
蓮子の号令一下、二人で揃って包みを開ける。
玉手箱の湯気がふわりと溢れ、うわあ、と二人して小さな歓声を上げる。
天然が合成に勝った瞬間だ。
掌の中で、銀色のロケットが金色になったのだ。
甘い匂いがする。ほくほくと湯気が立ち上る。
「すごいわ……」
我知らず、笑みが浮かんだ。抑えられない笑みだった。
夢の色がそこにあるのだ。
とろけそうな金色が、まっすぐ空に湯気を昇らせるのだ。
このロケットなら、絶対、月にだって行けそうな気がする。
「ねえメリー、」
声に顔を上げれば、蓮子は目を潤ませて右の耳たぶを指で摘んでいた。
「火傷したのね」
えへっ、と蓮子が笑う。
「夢は夢と思える間が旬なのよ。食べ物にはどれにも旬がある」
「ってそもそも春にしか生えないじゃない、これ」
熱された金色の身が、程よく冷めてゆく。
食べられる夢の温度へと、ロケットが降下を始めたのだ。
タケノコは夢であり、夢はいつしか竹へと成長する。月へ向かって真っ直ぐ伸びるし、かぐや姫だってその節の中に抱えたりする。
人間がそれをつまみ食いしてゆく。
世界には雨が降り、雨が降れば、夢は次々と芽を出してゆくのだ。
「さてメリーに問題です。竹の旬と書いて、なんと読むでしょう」
ろけっと。
私はそう答えた。
蓮子はそれに、何も言わなかった。
何も言わずに視線を交わして、
「いっせーのーで、」
二人一緒に、金色のロケットにかぶりついた。
溶けてしまいそうに甘い、柔らかい身だった。
天然の筍は、夢の味がした。
(了)
今年はタケノコがぼんぼん生えているようです。
冬が暖かかったせいかもしれません。
えぐいタケノコは本当に痺れるほど苦いので、食ったらえらいことになります。
あと竹は固くて食べられません。歯が痛くなります。
食べないのがお勧めです。
反魂でした。
たけのこ?
背景で吹いちゃいましたw
まぁ、それだけ内容に夢中になってたって事でw
二人の会話が実に「らしい」なぁと思いました。
そう思わせてくれる作品でした。