私から見れば床面に。相手にしてみれば天井に。
僅かな穴を穿ち、死に至る罠を仕掛け息を潜める。
例え相手に気取られない確信があったとしても、自分の存在を薄めようとするのは隠れ棲む者のサガなのかも知れない。
私が今そうしている事は魔法使いらしいと言えると思うけど、その行動で得ようとする結果はお世辞にも魔法使いらしいと言えない気がする。
自分が種族としての魔法使いなることで、捨食、捨虫の法を用いて己が身を魔と同一にする事が、魔法使いとしての存在意義を持てるという事とは別なんだと分かった。
自らの欲求の全て。性欲も、睡眠欲も、食欲すらも魔法に関わる事に注ぎ込んだ者が本当の魔法使いであるとして。
体を維持するための源を魔力とすることで、食事を取る必要をなくす。
成長を止める。すなわち代謝によって体を再構成する必要をなくすことで、睡眠を必要としなくなる。
そして、長命であることで性急に子孫を残す意味をなくす。
そういった人間的な欲求の因子を消し去ることで、より魔法だけに全てを捧げられるようにする。
それを為せる術が二つしかないから、必然的に皆が会得する、と。
結局の所、魔法使いになりたい人以外ほぼ使わないから、通過儀礼と化している感もあるけど。
私の知っている中で、その魔法使い像に最も近いのはあの紅魔館の魔女だろう。
生来の魔法使いであり、既に百年という時を生きている彼女は、害の無い客であれば構う事もなく、ひたすら本を読み、そこから得た知識を魔法に換え、それを自らの魔道書に記す事以外に興味がないように私の目には映った。
たびたび机に突っ伏しているのを見かけるが、毎回、小悪魔が手馴れた様子で介抱しているので呼吸困難か何かで失神していただけだろう。
食事は一応用意されてるみたいだけど、手をつけているのは見たことがなく、小悪魔が用意した紅茶とお茶請けを嗜んでいる程度だ。
ふと、もし私の考えが合ってるとしたら、彼女は不感症だったりするのかと思い浮かぶ。
ちょっと興味深いけど、実際に確かめようとした所で、本当にそうだったら私の一人芝居みたいで嫌だし、思いの外彼女が純情だったら何かする前に消し炭にされそうだ。
逆に、求められれば拒まないかも知れないし、意外とそういう行為が好きだという事もあるかもしれない。
まぁ、どちらであろうと、最初から私の勝手な想像でしかないのだから、詮無い事だ。
少なくとも彼女に比べたら、私は半端者なんだろう。
実際に食事を摂らなくても、その辺に漂ってる魔力を取り込めばいいし、足りなければ魔法薬を飲む程度で十分満たされる。
睡眠に関しても、ずっと起きてれば、そのうち眠気すらなくなるんだろう。
でも、精神はそれについて来てくれない。人間だった頃の習慣は未だに私を縛りつけ、人外の身を受け入れる事を拒み続けている。
生物が生きていくのに他の命を犠牲にしている事が罪であるなら、生きていくのに必要のない命を食らう私はどうなんだろう。
そう思っていても、今も私は、自分の中の欲求を歪な方法で満たそうとしている。
糸を張る。
孔から糸を垂らす。
イメージするのは蜘蛛の糸。
そこに在る事すら気づかせない程細く。でも、か細さとは程遠く。獲物の運命までも絡め取る糸。
ある罪人が極楽のへ蜘蛛の糸を上りきれなかったのは、その身の浅ましさに相応しい運命を糸が選んだから。
その糸を垂らしていた釈迦は、本当に罪人が極楽へ辿り着けると考えていたのだろうか。
仮にその罪人が辿り着いたとしても、後を追っていた者は容赦なく切り捨てたのか。絶望の淵に僅かでも希望があれば、誰もがそれに縋ろうとすることくらい分かっているはずなのに。
釈迦がそうやって自らが救おうとする者の罪福を量るというのなら、些かサディスティックなように思う。
まぁ、多少なりとも嗜虐性を持っていなければ、他の生物を裁く事なんてできないんだろう。
何となく、宴会で数回会った閻魔の事を思い出す。
少し思考がそれた。同じように天から地へ垂らしていても、私の糸はそれを捉えた者を救う事はない。
私が繰る糸。
魔法の糸。
人の形を弄ぶ糸。
集中していると、糸から指先に伝わる感覚で全てが把握できる時がある。
不自然に変化する糸の振幅が、獲物との距離が狭まっているのを教えてくれる。
相手の位置が分かっているなら、自ら糸を操って捕らえる事は容易い。糸は既に私の手の延長であり、意図に違わない動きを見せる。
でも、それをすることは無い。
生きる為に捕らえるのであれば、何を躊躇うこともないのだろうけど、生憎私の目的は違う。
指先への糸の感覚でより多量の情報を得られるようにすることは、魔法使いとしての修行でもあるし、何より、簡単に事を成してしまったのでは、面白くない。
それでは、私の欲求は満たされないのだ。
息を潜め、己の存在を隠す。
指先に意識の全てを注ぐ。そこに五感を集約させるイメージ。
獲物の移動する音が『聞こえる』
あと、十歩。
それが自分の望む物なのかを『嗅ぎ取る』
あと、五歩。
そして、確実に捕らえられる距離かを『視る』
あと、一歩。
そして私の『手』が、静かにその喉笛に絡みつく。
獲物が暴れる。
生きようとする者なら当然の反応。
でも、私の魔力に支えられた糸は数十、時には百に達する人形を繰ろうとも必要以上の負荷を指先に還すことは無く、たった一体の生物の動きを抑えるくらい造作もない。
人間だった私には出来なかったこと。
魔法使いで在るからこそ、ここまで高められた私自身の魔法。
獲物が揺れる。
私の心も揺れる。
自分が必要の無い犠牲を生もうとしている事への哀れみ、罪悪感。
私が捨てきれない人間の部分。
獲物が震える。
私の心も震える。
もうすぐ、私の欲求が満たされる瞬間が来る。
私が望む手段で、私の欲する物が手に入ろうとしている。
もうすぐ、終わる。
白日の下に吊るされたモノの濁った瞳が、私を見つめている。
そこに写り込む私は笑っている。
私の感覚は正しかった。
目の前の獲物は指先で描いたイメージにほぼ遜色ない物だった。
指先で感じた『味』は確かだった。
死んでしまっているから長期の保存はできないけど、今この場で手を入れてしまえば問題は無い。
その準備も出来ている。
未だに人間の習慣を捨てられないのは、捨ててきた人の生に未練や後悔があるからじゃない。
ただ、『完全な魔法使い』になるのが馬鹿らしいだけ。この瞬間の愉悦を捨てるくらいなら、私は半端者のままで構わない。
人間のような妖怪で、構わない。
嗚呼、なんて、美味しそう…。
「なぁ、アリス。ぜんぜん釣れないんだが」
「私は絶好調よ。もうそろそろお腹いっぱい」
「むぅ…。掛かったと思ったらがーっと釣り上げれば何とかなると思ったんだがなぁ」
「そんなんだから馬鹿って言われるのよ。釣りはブレイン、常識よ」
「それも何か違わないか?」
「そんな事言うと、分けてあげないわよ」
「むぅ」
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| X_入__ノ ミ そんなエサに俺様がクマー
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だーまーさーれーたー(最上(もがみではない)級の誉め言葉)