「私は、違う……!」
レティ・ホワイトロックは、下方を凝視しながら、栄光への一歩を踏み出した。
――ぎしり。
軋む音に舌打ちをする。きっと古いからだ。それ以外に意味なんて無い。それ以上考えてはいけない。
レティの視線は一点に固定されている。
欠片の欺瞞も見逃さぬように。己の真実を明らかにするために。
「……はぁ……はぁ……!」
緊張のためか息が荒れる。呼吸のたびに体が揺れ、ぎしっぎしっと軋む音に苛々する。
そして。
レティは、体重計の上で絶望した。
「あ、レティ、なにやってるのー?
なにその箱? その上に乗るのが楽しいの?
蛙凍らせる方が楽しいと思うんだけど……。
――お? なんか数字が書いてある! これあたい読めるよ! やっぱあたいって天才ね!
えっと、んっと……ろくじゅう――」
頬骨の砕ける音が響いた。
「ふ……ふふ……チルノ……貴方に罪はないのよ……。
……ないけど、空気くらい読んでよね…………」
涙の霞んだ声が響く。
それはやがて泣き声となり。
冬の空気を震わせた。
「ああああああああ何がいけなかったのかしら!?
冬になるまで力を蓄えようと冷やし中華食べ続けたのが駄目だったの!?
それとも快眠のために毎晩飲み続けた蜂蜜牛乳がいけなかったの!?
まさかとは思うけど快適な目覚めのために毎朝食べていた子羊のロースト1㎏が悪かったとでも!?」
全部悪いだろ、と善意のツッコミを入れられる者は生憎ながらこの場には居なかった。
レティは独り、己の身に降りかかった理不尽(もしくは因果応報)に苦悩していた。
ちなみに頬骨を砕かれたチルノは、先程何事もなかったかのように目覚め、今は体重計を凍らせて遊んでいる。
「……決めたわ」
「ん? どうしたのレティ? なんか怖いよ」
「――私、ダイエットする!」
「だいえっと? なにそれ? たのしいの?」
「ええ、とっても楽しいのよ。楽しいからチルノも一緒にやりましょう? もうすっごく楽しいんだから」
「んー。じゃあやってみる!」
「ふふふ……チルノは良い子ね……。じゃあ早速――」
「――まずは摂取カロリーの削減!
そうね、軽く半年断食してみましょうか」
「だんじき?」
「何も食べないことよ……」
「……それ、楽しいの?」
「楽しいのよ」
「えー。楽しくないよー。お腹空いちゃうし――」
ズン、とレティの拳がチルノの腹部にめり込んだ。
チルノは不意打ちに胃を潰され、その場でえろえろと嘔吐した。
「一回からっぽにしてしまえば、あとはカロリーを消費するだけだもの。楽勝ね~」
嬉しそうに呟きながら、レティは己の口内に手を突っ込み、自分も無理矢理嘔吐する。
雪の香りの中に、ツンとした刺激臭が漂った。
「ふ、ふふ、目指すは40台……!」
「うう、おなかすいたー……」
膝を抱え蹲りながら。
レティは勝利を欠片も疑わず、壊れた笑みを浮かべていた。
「なあなあ霊夢ー。寒いぜ寒いぜ寒くて死ぬぜー」
「我慢しなさい。それより木の実探しを手伝うのよ。早くしないと泥棒栗鼠に奪われちゃうんだから……!」
「栗鼠からしてみれば、雪の中に埋めておいた団栗を奪う巫女の方が泥棒だと思うけどな」
「つべこべ言わない! 座布団ぶち当てるわよ!」
「へいへい。ま、暇潰しと思っておくか――って、あれ?」
「なによ魔理沙、急に立ち止まって。それより木の実を――」
「――いや、霊夢、あそこ……」
「? 何もないじゃな……ん……微妙に盛り上がってるわね。しかも動いてる」
「冬眠中の熊か? やば、起こしちゃったのか……?」
「熊…………今の時期は、脂肪をそこそこ蓄えてるわよね……?」
「ちょ!? 馬鹿! 霊夢、まさかお前――やめろ! 早まるな!」
「離して魔理沙! 2年ぶりのお肉なのっ! 血液や糞尿の一滴も無駄にできないの!」
「色々と突っ込みたいがとにかく落ち着け! くそっ! 何て力だ……!? これが餓死寸前の人間の力か!?」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「……って、あら?」
「に、にげて熊さんー……って、何だ、熊じゃなくて黒幕か」
「……ちっ。妖怪に用はないわ――って、何やってるの?」
しゃも、しゃも、と。
レティ・ホワイトロックは口を動かす。
ひとつかみ、雪を掴み、口に押し込む。
しゃも。しゃも。
その瞳は虚ろで、中空を眺めてぼんやりしている。
しゃも。しゃも。
頬は痩け、目の下には大きな隈ができていた。
「ふ……ふふ……雪にはね~……カロリーがないのよ……」
その声は凍えきっているが、力強い何かが籠もっていた。
「だから~……いくら食べても……大丈夫なの……」
しゃも。しゃも。
レティはひたすら雪を食う。
そこに迷いは欠片もなく、止める気配は何処にもなかった。
「でもね……いくら食べても……お腹いっぱいに……ならないの~……」
しゃも。しゃも。しゃも。がり。
ふと、勢い余って己の指を囓ってしまう。
白い雪に赤が混じる。――しかし、レティは雪を食べ続けた。
「……あら? ……あじがついた~……おいしいなあ……」
しゃも。しゃも。がり。しゃも。しゃも。がり。
レティはひたすら雪を食う。
己の血で味付けした新鮮な雪を。
ただひたすら、食べ続ける。
しゃも。しゃも。
「れ、霊夢。そっとしとこうぜ……」
「そ、そうね……こんなことより木の実探しよ。魔理沙、あっちを探すわよ!」
「まだ続けるのかよ……」
こっちはこっちで大変そうだったが、関係のない話である。
「私は変わった……生まれ変わったのよ……!
私はもうピザじゃない……ピザの妖怪なんかじゃ、ない……!」
レティは己の勝利を確信して、仇敵の上に体重を預ける。
ぎしり、と嫌な音がした。これは体重計が古いせいだと、自分に何度も言い聞かせる。
そして――
「あ! この数字、あたい読めるよ! えっと、ななじゅ――」
顎の砕ける音が響いた。
「ぎごごごごごごごごごごごご何がいけなかったというの!?
ほんのスパイスのつもりで雪にかけた練乳がいけなかったの!?
それとも休憩のつもりで雪に混ぜた小倉餡が悪いとでも!?
1時間毎の自分へのご褒美だったカスタードクリームは問題ないはずよね!?」
冬の慟哭は、乾いた空気を悲しげに震わせていた。
それはいつまでも続き、聴く者の心を悲しく揺さぶる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ……………………!」
やがて、叫びは聞こえなくなり、
代わりに、肉の焼ける香ばしい匂いが漂い始めた。
「……とりあえず、今日は休憩。ダイエットは明日から……!」
レティが目標体重に到達する日は。
遠い。
これは良い戦車と素手で戦う人たちですね
何はともあれチルノはやっぱりさいきょうだと思ふ今日このごろ