八雲藍は退屈だった。
主は未だ永い眠りについているし、式である橙は遊びに行ったまま帰ってこない。
掃除も洗濯も終わったし、夕食の仕込みも済んでいる。どれもこれもゆっくり行えば夕方まで掛かるのだろうが、一時間で出来る事をだらだらと引き延ばすのは彼女の流儀ではない。
「さて、どうしたものかな?」
春にはもう少しだけ早いが、風はすでに柔らかい。
縁側に立ち、何処までも澄み切った空を見上げて目を閉じた。
もう少しすれば風に花の匂いが乗るのだろう。それが待ち遠しくて、ちょっとだけ風の匂いを嗅ぐ。
その匂いに――金の尾がぴんと伸びた。
遠い昔、何も考えず野山を駆け回ったあの頃。
厳しい冬――視界を遮る吹雪、冷たさより痛さを感じさせる冷気、己の尾に身を包み必死で飢えを堪えた苦しい季節。
少しずつ太陽が優しくなり、風に土の力強い匂いが混じるようになると待ち望んでいた春が来る。
巣穴から顔を出し、喜びの踊りを踊った――あの懐かしき日々。
「ふむ……偶にはそれも良いか」
縁側から庭に降り立ち、口元に笑みを浮かべてふわりと空に浮かぶ。
心が躍る。
九尾がわななく。
この尾が未だ一本しかなかった頃、
空を飛ぶ事など考えもしなかったあの頃、
あの時の気持ちに戻って――空を蹴った。
激しい風が耳元で唸り、風圧に目を細める。
足元に広がる景色を置き去りに、身を切る冷たい風に混じった春の気配に心躍らせて。
叫びたくなる――何処までも何処までも。
踊りたくなる――くるくるとくるくると。
一瞬だけ躊躇った。
白面金剛、傾城傾国、そして八雲の式。
その身に染み付いた様々な肩書きが、心を縛る。
だけど――
偶には――
こっおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
あの頃のように、何もなかったあの頃のように、言葉にならぬ魂の叫びを解き放った。
今、己を縛る鎖は解かれた。
身も心も軽くなり、子供のような気持ちで、叫んで、飛んで、回って。
足元の、枯れ草で埋まる丘。
未だに白い根雪の残る野山。
それらの寂れた景色のそこそこに、春の気配が覗いている。
茶色い枯葉の中に混じる新緑の緑。
根雪にぽつんと浮かぶふきのとう。
それを、その春の足音を見つける度に喜びの声を上げ、金色の尾を振り回す。
春よ、春よ、春よ。
野に、山に、空に。
来たれ!
日が暮れる。
赤く染まった空に、家路へ向かう鴉の親子が語らうように鳴いていた。
マヨヒガもまた赤く染まり、庭木の影が長く伸びる。
そんな赤い空の下、夕焼けよりも尚赤い服を着た小さな女の子が、顔一杯に笑みを浮かべてマヨヒガへと帰ってきた。
「ただいまかえりましたー」
「おお、おかえり。もう少しで出来るから、手を洗ってきなさい」
「はーい。わ、美味しそうな匂い」
「ふふっ、冬の蓄えを使いきってしまおうと思ってね。ちょっと作りすぎてしまったかもしれない」
「んー美味しそう。お腹ぺっこぺこなんですよぅ」
女の子はほにゃっと顔を崩し、嬉しそうに両手を広げた。
そんな様子を見て、藍もまた微笑みを浮かべる。
「あれ?」
「ん、どうした?」
女の子は不思議そうに、藍の顔を見上げている。
その大きな瞳に、藍の顔を映して。
「藍さま、何か良い事ありました?」
「さて、そう見えるかい?」
「んー、何となくそんな気が……」
藍はそんな女の子の頭を優しく撫でながら、ご飯の炊ける美味しそうな匂いに包まれた厨房で、
「別に、いつもどおりさ」
そう、悪戯っぽく微笑んだ。
主は未だ永い眠りについているし、式である橙は遊びに行ったまま帰ってこない。
掃除も洗濯も終わったし、夕食の仕込みも済んでいる。どれもこれもゆっくり行えば夕方まで掛かるのだろうが、一時間で出来る事をだらだらと引き延ばすのは彼女の流儀ではない。
「さて、どうしたものかな?」
春にはもう少しだけ早いが、風はすでに柔らかい。
縁側に立ち、何処までも澄み切った空を見上げて目を閉じた。
もう少しすれば風に花の匂いが乗るのだろう。それが待ち遠しくて、ちょっとだけ風の匂いを嗅ぐ。
その匂いに――金の尾がぴんと伸びた。
遠い昔、何も考えず野山を駆け回ったあの頃。
厳しい冬――視界を遮る吹雪、冷たさより痛さを感じさせる冷気、己の尾に身を包み必死で飢えを堪えた苦しい季節。
少しずつ太陽が優しくなり、風に土の力強い匂いが混じるようになると待ち望んでいた春が来る。
巣穴から顔を出し、喜びの踊りを踊った――あの懐かしき日々。
「ふむ……偶にはそれも良いか」
縁側から庭に降り立ち、口元に笑みを浮かべてふわりと空に浮かぶ。
心が躍る。
九尾がわななく。
この尾が未だ一本しかなかった頃、
空を飛ぶ事など考えもしなかったあの頃、
あの時の気持ちに戻って――空を蹴った。
激しい風が耳元で唸り、風圧に目を細める。
足元に広がる景色を置き去りに、身を切る冷たい風に混じった春の気配に心躍らせて。
叫びたくなる――何処までも何処までも。
踊りたくなる――くるくるとくるくると。
一瞬だけ躊躇った。
白面金剛、傾城傾国、そして八雲の式。
その身に染み付いた様々な肩書きが、心を縛る。
だけど――
偶には――
こっおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
あの頃のように、何もなかったあの頃のように、言葉にならぬ魂の叫びを解き放った。
今、己を縛る鎖は解かれた。
身も心も軽くなり、子供のような気持ちで、叫んで、飛んで、回って。
足元の、枯れ草で埋まる丘。
未だに白い根雪の残る野山。
それらの寂れた景色のそこそこに、春の気配が覗いている。
茶色い枯葉の中に混じる新緑の緑。
根雪にぽつんと浮かぶふきのとう。
それを、その春の足音を見つける度に喜びの声を上げ、金色の尾を振り回す。
春よ、春よ、春よ。
野に、山に、空に。
来たれ!
日が暮れる。
赤く染まった空に、家路へ向かう鴉の親子が語らうように鳴いていた。
マヨヒガもまた赤く染まり、庭木の影が長く伸びる。
そんな赤い空の下、夕焼けよりも尚赤い服を着た小さな女の子が、顔一杯に笑みを浮かべてマヨヒガへと帰ってきた。
「ただいまかえりましたー」
「おお、おかえり。もう少しで出来るから、手を洗ってきなさい」
「はーい。わ、美味しそうな匂い」
「ふふっ、冬の蓄えを使いきってしまおうと思ってね。ちょっと作りすぎてしまったかもしれない」
「んー美味しそう。お腹ぺっこぺこなんですよぅ」
女の子はほにゃっと顔を崩し、嬉しそうに両手を広げた。
そんな様子を見て、藍もまた微笑みを浮かべる。
「あれ?」
「ん、どうした?」
女の子は不思議そうに、藍の顔を見上げている。
その大きな瞳に、藍の顔を映して。
「藍さま、何か良い事ありました?」
「さて、そう見えるかい?」
「んー、何となくそんな気が……」
藍はそんな女の子の頭を優しく撫でながら、ご飯の炊ける美味しそうな匂いに包まれた厨房で、
「別に、いつもどおりさ」
そう、悪戯っぽく微笑んだ。
…が、いつ脱ぐのかと期待してしまった自分が悔しくて仕方ない。
だが、僕もいつ脱ぐのか今脱ぐのかと(ry
来たれ!!
の前後あたりに脱いでそうな雰囲気。
…いつ脱ぐのかな、と。
スッパの話かと思いきや普通にいい話だったので裁かれてきます。