「ありがとう、車夫。これは御代だ」
人力車から降りると八雲藍は笑顔で代金を手渡した。
「へ、へい毎度。ま、またご利用おねげぇします~」
頭の禿げ上がった車夫は恐縮して金を受け取ると逃げるようにして人力車と共に大通りへ消えていった。
やれやれ、と思う。
里では人に手を出さないという不文律があるとはいえ、藍は紛れもない大妖怪。恐怖するのも理解できないわけではないのだが。
「妖気も抑えたし、愛想もよくしてみたんだがなぁ。やれやれ、人間というのは御しがたい」
やはり尻尾も隠したほうが良かったのだろうか。いや、この九本の尻尾は自分の誇りでもある。そうそう隠すなんてことはできない。
里に出てこなければいい話なのだが、そうはいかない事情があった。
「豆腐を作ることに関しては、人間が一番上手いからな」
普段は自分で作っているのだが、主人である紫が起きているときは里の豆腐を使っている。
藍からすれば豆腐などどれも一緒だと思うのだが、主人の八雲紫はその違いがわかるらしい。
「だめよ、藍。人間の精根こめて作られた豆腐が一番美味しいのよ」
そんなこんなで藍が里にまで豆腐を買いに来る羽目になっている。
橙にも頼んだ事はあるのだが、夕方まで帰ってこなかったあげく、渡した代金はおやつに消えてしまっていた。
「橙ももう少ししっかりしてくれると楽なのだが……」
主に家事方面で。
そんなことを考えながら通りを歩く。九本もの尻尾を持つ藍は目立つもので、通りすがりの人はみな藍に注目する。子供などはおもしろがって触ろうとしては、親に止められ泣き出す始末。
(ああ、やはり人里は苦手だ。騒がしくてかなわん)
周りからの好奇の視線を浴びつつ、目当ての豆腐屋の暖簾をくぐる。
「亭主はいるか? 八雲の藍だがまた豆腐をいただきにきた」
「へいへい~……って藍様じゃないですかい。今日もいい豆腐ご用意してますよ!」
奥で作業でもしていたのだろう。布で手を拭きながら主人がでてくる。
赤ら顔のこの男は里で藍を恐れない数少ない人間でもある。
最初こそ豆腐を買いに来る大妖怪ということでびくびくしていたものの、毎週のようにこの店に通う内に打ち解け、今では軽口を叩けるほどになっている。
「この時期に豆腐を買いに来るってことは・・・あれですかい、紫様がお目覚めになったんで?」
「いやまだ目覚めてはいらっしゃらないよ。だがまぁ近いうちにお目覚めになりそうなのでね。今のうちに補充しておこうというわけさ」
藍もその辺りの事情を話すまでには心を許していた。
これは、通っているうちに仲良くなったというのもあるが、弾幕でも豆腐作りでも自分より優れたものを持つ相手には礼儀を尽くすという藍のスタンスによるものが大きい。
主人が豆腐を切り分ける間、店内を見渡す。
決して広くない店内。むしろ狭い。
奥と二階部分は住居になっている自宅を改装した店だ。豆腐だけではやっていけないのか普通の米や豆。駄菓子なんかも並んでいる。こんな上手い豆腐を売っているのに売り上げはさほど出ていないらしい。
ふと振り返ると戸口の影から中の様子を見ていた子供がわっと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
おそらく駄菓子でも買いにきたのだろう。そうしたら中には狐の妖怪だ。怖さ半分興味半分で覗いていたのだろう。
(やれやれ、これでは営業妨害だな)
心の中で苦笑しつつ、豆腐を受けとったら早々に退散しようと決める。
「へいどうぞ。豆腐切れやしたよ」
持参した桶へ白い宝石のような豆腐が乗せられる。
「うん、いつ見てもすばらしい腕前だな。ほら代金だ」
「いつもいつもありがとうごぜぇやす。またご贔屓に」
豆腐の桶を左手に持ち、里を歩く。
さすがに豆腐を持ったまま人力車には乗れない。といっても人力車そのものが通りすがらないので乗りようもないのだが。
八百屋や魚屋をひやかしつつ、さて今日の夕飯は何にしようかなどと、とりとめもないことを考えながら、歩いていると塀の下に座り込んでいるブレザー兎と目が合った。
「……あ」
ござの上に広げられた小瓶と
「万病に効く置き薬 痔にも効きます」
などと書かれた紙。
どうやら置き薬の番をしているらしかった。
そのままなんとなしに見つめあう。気まずい雰囲気。
「あっ、えっと……薬いりませんか?」
先に沈黙を破ったのは兎の方だった。
「いや、すでに足りている」
「そ、そうですか……」
再び沈黙。
互いに顔見知りではある。以前、藍は紫に付き従ってこの兎と一戦交えたことがある。
もっともその時は式神としての仕事に徹していたので、名前すら聞いていなかったのだが。
「大変そうだな……」
「ええ、まぁ……、夕飯の買出しですか?」
「そんなところだ」
それはそれ、以前のことは以前のことと藍は割り切っている。かといって立ち去るタイミングもわからず兎との会話を続ける。
「豆腐おいしそうですね、お手製ですか?」
「いや、そこの辻を曲がったところにある豆腐屋のだ。上手いぞ」
「へぇそうなんですか。あとでてゐに教えてあげよう」
再び沈黙。
何か童貞と処女の見合いの席のような雰囲気に耐えられず、藍は強引に会話を打ち切ることにした。
「それじゃ私は式神が待っているのでな」
「あ、引き止めてすいませんでした。それじゃ」
背中に兎の視線を感じつつ、その場を去る。
そういえば兎は寂しいと死ぬと聞いたな、などと思いつつ里から出る。
あとはスキマ経由で帰ればいいだけだ。
里の近くの森の木と木の間をスキマ化してくぐれば、マヨイガの玄関前だった。
「ただいまー」
橙はいないし、紫は寝ている。返事は期待していなかった。
「あら、お帰り藍。お腹が空いて大変なの。早くご飯にして頂戴」
まさか今日目覚めるとは思っていなかったので面食らう藍。
「あら美味しそうな豆腐ね。いつもの豆腐屋さんの?」
「ええ、そうです。そろそろお目覚めになるかと思って……」
「さすが藍ね。気が利くわ。じゃ今日は湯豆腐にでもしましょう。まだ寒いから大丈夫よね?」
うきうきで寝巻きのまま居間に戻る紫。
ため息ひとつついて藍は台所へ向かう。
左手の豆腐は少しも崩れておらず、綺麗に正方形を保っていた。
誤字です
なんだかゆるゆる~っと気持ちの良い話でした。
美味いぞ かな?
よいまったりでした。
最後にひょっこり起きてくるゆかりんが良い空気を作っていると思います。
>ブレザー兎を目が合った
ブレザー兎と でしょうか?
藍なら外の世界のことを紫を通して知ってるかもしれないけど。
そこらへんどうなんだろ。