緩い。霊夢を知る者は彼女のことをよくそのように評する。
曰く、仕事が緩い。
曰く、顔が緩い。
曰く、服が緩い。
挙句、彼女を古くから知る魔理沙に至っては、「霊夢で緩くないのは弾幕と財布の紐だけだ」と語る。
失礼な。
と、むっとしてみせるものの、別段怒っているわけではなかったりする。霊夢はそういう娘である。
緩くても良いじゃないか。こんなにも平和なのだもの。そんなにきりきりすることないじゃない。
のどかな春の雲のように。穏やかな川の流れのように。日々、そのように過ごし、幻想郷を揺るがす大事件すら日常の一コマにしてしまう彼女である。これでは傍から緩いと言われても仕方あるまい。
そんな霊夢だが、緩いことに我慢ならぬこともある。
具体的には、下着のゴムとか。
霊夢は湯呑みを両手で抱えて、ほう、と息を吐く。
日が傾きつつある中、縁側に座って庭を見つめる。既に湯飲みの中は空で、傍らの急須も出涸らしである。刻限からして、そろそろ夕餉の支度を始める頃合だった。
だが、霊夢は動こうとしない。
下着のゴムが切れているのである。
普段は腰辺りで締まっているべきそれが、今は尻半ばまでずり下がっているのである。常ならば意識することのないギャザーの感触がこそばゆい。力を失った下着は重力に従順である。全てはあるがままに、とはいえ、物には限度がある。
なぜ、ゴムが切れているのか。その件については別の事情があるのだが、今の霊夢にとって、そこはさして重要ではない。
問題は、この先どうするか、である。
本来ならば単純なことだ。
霊夢の後方、部屋の奥に箪笥がある。替えの下着はこの箪笥にある。引き出して着替えれば済む話だ。
だが、霊夢は動こうとしない。いや、動けない。
天狗が狙っているからである。
気配を隠しているが、霊夢にはわかる。詳しい場所は不明だが、射命丸文が庭のどこかにいるのは間違いなかった。
霊夢をはじめとする幻想郷の少女について、やたらと駄文を書き飛ばす天狗の娘である。ネタを探して東に西に。記事になると思えば、雨雪弾幕かいぐぐり、迷惑かえりみずフラッシュを焚く。それが射命丸文である。
すなわち、天狗とは屍肉に群がるカラスであり、ンコにたかるハエも同然である。かような天狗が、今の霊夢の状況を知ればどうなるか。良くも悪くも霊夢は幻想郷では有名人であり、ただでさえその動向が耳目を集める存在である。
そんな彼女が、つるりとそれがずり落ちてしまったらどうなるか。
日頃、緩いなどと言われる霊夢であるが、これでも由緒正しき博麗の巫女なのだ。ついに緩さも極まれり、下着のゴムすら働かぬ、などと書かれては博麗の権威失墜は必至。そこらの妖精にすら、小さい鼻を鳴らして笑われるであろう。
また、射命丸文のカメラは執拗にローアングルである。その上、接写を狙ってくるから始末が悪い。彼女が取材を強行した際は、多くの場合、被写体の少女達のあられもない姿が収められることになるのだ。
そのカメラが、霊夢を狙っているのである。
霊夢とて乙女である。守らねばならぬものがある。無垢の初桃、断じて曝されるわけにはいかない。
だが、撮られた場合、そのネガを奪うのは至難である。文はおそらく天狗の最速をもって離脱を図るからだ。霊夢が追おうにも、下着を身に着けねばそれも叶わない。そのタイムラグが、文の勝利を決定的にする。
つまり、そういう状況であった。
霊夢が無事に新しい下着に着替えられたら、霊夢の勝ち。
文がパチリと写真を撮れば、文の勝ちである。
負けられぬ戦いであった。
霊夢は落ち着いた物腰で、湯呑みを縁側に置く。この窮状、天狗に悟られるわけにはいかない。ゆえに、殊更に自然の態で振舞わねばならなかった。
さりとて、このまま立ち上がるわけにもいかない。この緩み具合からいって、立てば抵抗なく下着はするするすとんと、くるぶしまで落ちるに違いなかった。
なんのこれしき。慌てず、動じず。霊夢には策があった。
霊夢は袂から一本の針を取り出した。指より長く、鈍く輝くそれは、普段は退魔に使う霊験あらたかな品である。これを文へ投じて事が済めば良いのだが、生憎針ごときでどうにかなる相手ではない。流石の霊夢も座ったままでは天狗と戦えないのである。
では、どうするか。
留め針に使うのである。
霊夢は、天狗に知られぬよう後ろ手に針をスカートに近付けた。これで下着とスカートを縫い止めようというのだ。無論一時凌ぎだが、なに、箪笥まで保てば良いのだ。それに、部屋に入ってしまえば障子を閉められる。さしもの天狗とて、障子を透かして写真は撮れまい。
勝利を確信し、悠々と霊夢は針を
刺さった。
思いっきり、いった。ぷすり、なんて可愛いものではなかった。
尻尾があれば逆立ってびりびりに震えていたことだろう。神経電位は喇叭を出鱈目に吹き鳴らして霊夢の脳天を駆け巡り、顔は熟れたトマトのように赤く膨れ、額からはぷつぷつと汗が玉を成し、目尻には大粒の涙が浮く。縁側から下ろした両の足はぴくぴくと震えて奇怪な文様を空に描き、上半身は火に炙られたスルメのようにくねり捩れる。
だが、それでも、霊夢は耐えた。ぎりりと歯を食いしばって、己の口からみっともない悲鳴があがるのを抑えつけた。
そろそろと息を吐き、針を抜く。じんわりと伝わる感覚は、痛さのわりに傷が浅いことを教えていた。
はあ、と大きく息を吐いて、霊夢は両の目に浮いた涙を袂で拭う。失敗だった。なるべくきつく締めておこうと、深く刺したのがいけなかった。後ろで手探りだけでやっていたのに、やはり気が急いたのか、つい大胆にやってしまった。
お尻、痣にならなきゃいいけど。
そう思いながら、霊夢は先ほどの場所をスカートの上からさする。気を取り直し、今度は慎重に、先よりは浅く針を通した。今度は成功である。
念のため、もう一箇所、腰に近い別の位置にも一本通し、これでひとまずは処置完了。
聡い天狗のこと。霊夢の様子から、何事か起こっていることは察したかもしれない。
だが、既に事は為した。このまま部屋に入れば、危機は脱したと言えよう。
霊夢は、そろそろと腰を浮かせた。
よし、大丈夫。
下着はそれ以上ずり落ちることなく、うまく針で留まっている様子だった。
知らず、口元が緩む霊夢。
なんだ、たいしたことないじゃない。まったく、こんな事でうろたえるなんて、私としたことが。
それまでの緊迫感なぞどこ吹く風。浮き立つ心に自然と鼻歌も流れてくるというものだ。霊夢は日常そのままの動きで、湯呑みと急須を載せた盆を両の手で持ち、背筋を伸ばして立ち上がったところで。
ずり落ちる感触がした。
留め針は、立っている姿勢で使わねばならない。座っている時と立っている時では、腰回りが変わるからだ。霊夢は、焦るあまりその事を失念していた。
思考よりも体が反応した。とっさに右手を盆から放してスカートの上から掴もうとするが、洒落た布地が動きを阻む。間に合わぬ、と悟る前に左の腿が上がって落ちる下着を食い止めた。
ふと気が付けば、左手に盆を持ち、右手を腰に置き、左腿を高く上げて右足一本で立つフラミンゴのような霊夢。
間抜けな姿であった。
今ごろ、天狗は庭のどこかで肩を震わせて笑いを噛み殺しているに違いなかった。それでもシャッターを切らぬのは、天狗の勘か。更に面白い絵が撮れると踏んでいるのだろう。
屈辱である。
しかし、絶妙なバランスで立つ霊夢に、天狗をどうにかする手段は無い。このピンチを切り抜けることが先決だ。
このままでは歩けない。左腿を下ろせば、遮るもののない下着がすべり落ちるのは自明である。スカートが災いした。これが袴であれば、たとえずり落ちても股下で止まるものを。内心、臍を噛む霊夢である。
さて、どうするか。
普段、霊夢はあまり考え込むことをしない。考えずして答えを得られるからである。勘こそが彼女の真実。彼女の方法。今回も、彼女の天分が彼女を助けた。
飛べばいいじゃない。
彼女らしい、シンプルかつ確実な解であった。
問題は、この珍妙なポーズで、はたして飛べるのかということであったが、「まあ、なんとかなるでしょ」と霊夢は楽観的に考える。
実際、なんとかなった。
これまでこういう体勢で飛んだことはなかったが、人間、やってみるものである。
フラミンゴといおうか、バレリーナといおうか、ヤジロベエといおうか、いずれにしろそのような格好で、ふよふよと浮いて宙を滑るその姿は、甚だシュールであった。
ぶふぅ、と庭の茂みで屁のような音がした。天狗が堪えきれず吹き出したのである。もはや、気配を隠すことを放棄しており、腹を抱えて痙攣していた。
覚えてなさい、と霊夢は横目に睨みながら、部屋の中へ身を進める。右手で障子を閉め、左の盆をちゃぶ台に載せて、霊夢はようやく足を下ろした。
途端、するりと落ちそうなそれを、スカートの下に両手を伸ばして直に押さえる。少々はしたないが、仕方が無い。ともあれ、人目からは逃れたのだ。それに、天狗にバレた今となっては、取り繕うだけ無駄である。
危機を脱した反動か。霊夢の内に、ふつふつと怒りが湧き上がる。この恨み、晴らさでおくべきか。下着を替えた暁には、とびきりのスペルカードを揃える用意がある。その意気天を衝(つ)く霊夢である。
落ち着け落ち着け。まずは下着だ。そう思いつつも、鼻息も荒く霊夢は片手を箪笥の引き出しにかける。
そして、洗いざらしの眩しい白さ映える替えを手に取り、勝利に震えて広げてみれば、短冊すだれのドロワーズ。
念入りに切り刻まれていた。
「ガッデム!!」
神職にあるまじき呪詛を吐く霊夢。
何事が起こったのか。
それを把握する間もなく、背後の障子を突き破って、射命丸文が飛び込んできた。文字通り、体当たりの取材を敢行する天狗である。
天狗は、いまや畳から煙が出るほどの低空背面飛行をしつつ、そのレンズをしっかりと霊夢の下半身に向けていた。その決定的瞬間のために、今までフィルムを温存していたのだ。恐るべきは、その記者魂。その出歯亀根性。
いつの間にか、下着は完全に霊夢の足元へ落ちており、頼りなく足元に絡み付いて霊夢の動きを縛る。
もはや、為す術もなく文の餌食となるのか。
考える余裕は無い。
躊躇する間は無い。
ゆえに、霊夢の体は自然と動いた。
文がシャッターを切るまで三フレームといったところか。文は最高のツーショットボーナスを狙うべく、ギリギリまで霊夢に接近する。
三フレーム。霊夢には十分な時間だ。それだけあれば、霊夢はボムることすらできるのだ。
霊夢は振り向きざまに、すだれとなった自らのドロワーズを文へ叩きつけた。刻まれて常より伸びるドロワーズは、鞭となって文へ襲い掛かる。
それでも、文は動じない。自らは打たれながらも、決して両手はカメラから離さない。貴重な一瞬を捕らえるためである。彼女が書く記事は節操が無いが、その姿勢は評価できる。
それが、霊夢の狙いだった。
カメラへすだれドロワーズが絡みつき、文のカメラと持つ手を縛る。文の目が見開かれた。あ、と口が小さく開く。霊夢の意図を読んだのだろう。この一瞬で悟るとは回転が速い。
だが、事を起こすには遅い。
その時には、既に霊夢は文の間近にいた。すだれを離した両の手は、神速で文へ迫る。
文がシャッターを切った瞬間。
霊夢は、文からドロワーズを剥ぎ取った。
戦利品を手にして、霊夢は勝利を噛み締めた。
喜びは無い。あるのは安堵と、いくばくかの苦い思いだ。
射命丸文は、のびていた。すだれとなった霊夢の大量の下着にまみれ、あられもなく生白い太腿を曝して、身動き一つしない。
霊夢が彼女の下着を剥ぎ取った瞬間、動じた彼女は自らのスピードを御せずに箪笥へ突っ込んだのだ。なまじ速度があるだけに、衝撃は大きかった。さしもの天狗をも昏倒させる威力だった。
だが、霊夢の箪笥も犠牲となった。板は割れ、中身が散らばった。それなりに歴史も由来もある彼女の箪笥は、ただの粗大ゴミとなり果てた。
この惨状を片付けることを思って、霊夢は暗澹とした気持ちでため息をつく。
とにかく、戦いには勝ったのだ。それで良しとしよう。
気持ちを切り替えるため、自ら強く頷いて、あらためて霊夢は戦利品を見る。
他人の下着を身に付けるのは、いささか抵抗が強い。しかし、替えの下着が無い以上、背に腹は替えられぬ。そう心に言い聞かせて、霊夢は天狗の下着に足を通した。
きつい。
その意味を求めて、霊夢は複雑な思いで、仰向けに倒れた天狗の腰回りを見やる。
そして、自分の腹へ視線を戻す。
再び、天狗を見てから、今度は天を仰ぐ。
人から緩いと言われる霊夢だが、時として積極的に緩さを許せぬこともある。
具体的には、腹回りとか。
主に青少年への刺激が…ッ。
そしてオチもいいわー。
いいわぁ、このノリの良さw
涙目の霊夢可愛いよ霊夢。
フラミンゴ霊夢に噴くのは仕方ない。いやほんと文は頑張った。
霊夢と文がさりげなく、さりげなくエロス……ッ!
自分以外にタイトルでアレだと分かった人いたのかw
これは良い摩擦係数ですねwww
霊夢痩せろwwwwwww