門の方から爆音が響く。紅魔館では日常茶飯事の、例の黒くて速くて飛ぶアレの仕業だった。
門番が、全身コゲまみれになって湖へと落ちていく。一人背水の陣、背面から水へまっさかさまだった。
あの黒い悪魔がはじめて襲来してきてからもう何度撃墜されただろう。
薄れていく意識の中、門番は自分が涙を流していることに気づいた。
ああ、今日も私は役立たず。
余談ではあるが、涙の粒を撒き散らしながら落下する紅い少女は紅魔館観光スポットとして有名である。
夕日に光る粒子と、美しい少女の自由落下は、世にも幻想的な風景だとか。
門番は自分が職務を果たせていないことに悩んでいた。
そして自分の手札では、どうやってもあの黒い悪魔を打倒できないことに悩んでいた。
誤解してはならないが、門番こと紅美鈴は強い。大抵の人間や妖怪には、彼女の守りを突破することなどできはしない。
柔軟な戦い方もできる。相手が格上の存在でも、その多彩な技と持ち前の体力で粘り、退け続けてきた。
ただ、黒いアレとは決定的に相性が悪かった。
まず、速い。得意の武術も、相手が離れていれば意味がない。
気功を操る美鈴も相当に速いが、直線的な速度で魔理沙を超えるほどではない。大体にして魔理沙のスピードは幻想郷でも最速の部類だ。
たとえレミリアお嬢様でも、逃げに徹した魔理沙に追いつくことができるかどうか。
次に、強い。遠方から高火力のレーザー・ミサイル・ナパームである。
一人軍隊である。最終兵器彼女である。美鈴とて弾幕が苦手なわけではなく、むしろ高水準の実力を持っているが、この場合は比べる相手が悪すぎる。
そして、問答無用のスペルカードを持っている。マスタースパークである。
最近ではそれだけに飽き足らず、ファイナルスパーク、ブレイジングスター、ドラゴンメテオといった新技を披露することもある。
その威力は、しばらくメイド長が優しくしてくれるほどである。
生きていてよかった。死ななくて本当によかった。
「というわけで、私には無理だと思うんです」
「……そう。貴女がそういうのなら、本当にそうなのでしょうね」
門番を辞めたい。
そう相談を持ちかけられたメイド長は驚いた。彼女の知る限り、美鈴が泣き言をこぼしたのは初めてだったからだ。
いや、それは泣き言ではなかった。彼女はどんなに無茶な仕事でも笑顔で遂行してきた。
そんな彼女が、無理だと言っている。
理に適わない、と。それはどうしようもない事実だった。美鈴は魔理沙に適わない。
彼女にとっても、それは悔しいことだったろう。
いつもどおりのはにかむような、困ったような笑顔の美鈴に咲夜は何も言わず、ぽん。と頭に手を置いてやった。
咲夜にもたれるようにしてうつむく美鈴。
その表情は、咲夜にしか見えないし、咲夜も見なかった。完璧なプライベート・スクウェア。
「ごめんなさい。咲夜さん。ごめんなさい。お嬢様。ごめんなさい。ごめんなさい。う、うぅっ……」
咲夜は何も言わずに、髪を撫で、指で梳いてやった。
この時間は、美鈴のもの。
それからのメイド長の行動は速かった。まず図書館へ行き、捕獲関連の本と調教関連の本を調達した。
その日の深夜に霧雨邸まで赴き、あられもない格好で寝ている魔理沙を縛り、首輪を着け、紅魔館へ連れていった。
誘拐である。
お嬢様が呆れた表情をしていたが、何、気にすることはない。
念のため、スペルカードなどを持っていないかチェックする。3つほど出てきた。
この普通の魔法使い、存外に用心深い。
箒もボムも取り上げられ、丸腰同然となった魔理沙を抱えながら、咲夜は普段どおりメイドの仕事も完璧にこなした。
そのためか、お嬢様は結局何も言わなかった。
従者の奇行を、見なかったことにしたのかもしれない。
そして夜が明けた。
美鈴の朝は早い。とはいえ紅魔館は、主人が夜型ということもあり、24時間誰かが起きている。
朝早くに起きるメンバーの中では、美鈴は早起きだということだ。
いつもの朝であった。彼女の瞼が、赤く腫れていることを除けば。
鏡を見て苦笑する。昨日は恥ずかしいところを見せてしまった。
咲夜さんは優しいから気にしないかもしれないけど、こんなことじゃいけない。
顔を洗い、服を着替え、いつもどおりに仕事場へ向かう。
そこには、先客が待っていた。
「今日から美鈴には新しい役職に就いてもらうわ。ペットの調教係よ」
「……え?」
美鈴は、咲夜とその手に握られた紐とその先の首輪を着けた縄で縛られている魔理沙を見て、唖然とした。
咲夜は寝ていないせいなのか、普段はアイスブルーの瞳を紅く輝かせていた。
魔理沙は寝ぼけ眼で周囲を見回している。まだ夢の中だと思っているかもしれない。
その魔理沙の首輪から伸びる手綱が、美鈴に差し出されている。
「……えー?」
「どうしたのよ。昨日貴女に門番を辞めるって相談されたから、新しい役職を作ってあげたのに」
「……えぇー?」
夢を見ているのだろうか。そう美鈴は思い頬をつねってみたがちゃんと痛い。
咲夜という人間はそういう人なのだった。
妖怪よりも妖怪らしいとはよく言ったものだ。
「それと、これまでどおりの仕事もちゃんとこなすのよ。門番を辞める原因は取り除いたのだから構わないわよね」
言うだけ言って、咲夜は自分の仕事に戻っていった。
完全で瀟洒な人はさすがに違うなあ。
なぜか感心してしまった美鈴であった。
「……えぇー??」
うおっ、なんだこれ!? 私はいったいどうしてしまったんだ。
うごけん。つーかなんで鎖? 首輪? わけがわからないぜ!
ようやく目が覚めた魔理沙がなにやらうごうごとうごめいているが、美鈴はただ呆然とその場に立ち尽くすだけだった。
「あら、面白いことをしているのね」
「ああ、面白いだろうさ。笑うがいいさ。どうせ私はペットなんだからな」
「……ぶふっ。ま、まりささん、かわいい、ふ、ふふふぶ」
「そこの司書、やっぱり笑うな!」
逃げようにも箒も八卦炉もないためどうしようもなく、いい感じにやさぐれてきている魔理沙を引き連れて、美鈴は図書館へとやってきていた。
縄はほどかれている。パジャマの上から縛られているそのあまりの痛々しさに、美鈴が耐えられなかったからだ。
ちなみに首輪はそのままである。
万年引きこもり少女とその従者は、今日だけ留守にしているなどということもなく、いつもどおり本を読んでいた。
パチュリーは相変わらず不健康そうだ。美鈴としてはもっと太陽を浴びたほうが健康に良いと思うのだが、髪の毛が痛むからいや、とか。
お日さまの光を毎日いっぱいに浴びている美鈴の髪は素晴らしいキューティクルを保っているのだが。
髪の毛のことはさておき。
「ええと、パチュリー様。ペットの飼い方とか知りませんか?」
「そうね。まず飼い主がペットよりも偉いことを判らせないといけないわ。ね、小悪魔」
「そうですね。パチュリー様」
「躾の基本は飴と鞭。良いことをしたら褒めてあげる。そうよね、小悪魔」
「そのとおりです。パチュリー様」
「あと、なにかしらね」
「コミュニケーションが大切ですよ。たとえば、何もなくても頭をなでてあげれば喜びますし、愛情を込めて名前を呼んであげるのも大切です」
「そうね、小悪魔」
パチュリーは小悪魔を抱きかかえるようにして、頭に手を置いた。
なでりなでり。
「良い子ね、小悪魔」
「えへへー」
ペット?
なにやら妖しげな空気を形成する二人。
美鈴と魔理沙は、見てはいけないものを見ている気がしてきた。
美鈴はどうしていいのかわからず、魔理沙を見やる。
魔理沙も同じように、百合色の二人から目を背けた。
結果、目が合ってしまった。
「……えっと、撫でる?」
「……撫でたら噛み付くぜ」
「あぁそうだ、ペットが粗相をしたらすぐにお仕置きすることよ。主人に噛み付くなんてもっての外だもの」
「まったくですね、パチュリー様」
「昔は小悪魔にも、ずいぶんとお仕置きしたものだったわ。お仕置き中に本当に粗相しちゃったこともあったわね」
「懐かしいですね」
「……久しぶりに、どうかしら?」
「……それは、えっと、そのぅ……パチュリー様が、望むのでしたら」
「ふふっ。貴女は本当に可愛いわね、小悪魔」
林檎のような顔をする小悪魔のあごに、細い指が添えられた。
影が、重なる。
目を点にする美鈴と魔理沙を置いて、二人は図書館を立ち去った。
向かう先は、寝室、だろうか。
「……えっと、粗相する?」
「……しないぜ」
「……Good Grief、だぜ」
やれやれ、である。
門の前に立ち、よからぬ輩が紅魔館に入り込まないように見張る。
見張りながらも鍛錬を怠ることなく、武術の型を取り、瞑想をする。
そうこうしているうちに一日が過ぎる。それが美鈴の一日であった。
「暇だぜー。このままでは暇すぎてどうにかなってしまうぜー」
紅魔館に襲来するよからぬ輩代表こと霧雨魔理沙は、今日は鍛錬を続ける美鈴の横で、鎖に繋がれていた。
鎖は、咲夜が用意した杭に繋がっている。素手の魔理沙でも取り外せないことはないだろうが、その動作を美鈴に悟らせないで行うのは無理だ。
魔理沙もしばらくは体操をする美鈴を眺めていたが、瞑想中の美鈴はぴくりとも動かないので、どうにもできなくなっていた。
景色は変わらない。たまに妖精やらなんやらが視界に映るだけで、ただ湖が一面に広がるのみだ。
「門番は偉いなぁ。よくこんな退屈な仕事ができるものだぜ」
「博麗の巫女だって似たようなものだと聞いていますよ」
「そうだなぁ。霊夢の奴も偉いぜ」
「どちらかというと、私は魔理沙さんの方が偉いと思いますけど。いつも勉強熱心だし忙しそうですしね」
「ああ、もちろん私も偉いぜ」
「凄いですね」
「凄いぜ」
時刻は過ぎ去り、紅魔館は夕日を浴びてその名に相応しい姿を晒していた。
瞑想を終えた美鈴が、魔理沙に近づき、頭に手を置いた。
「撫でるつもりか?」
「そうですね。コミュニケーションです」
なでなで。
少女の髪は驚くほど細くやわらかく、本当に絹糸のような手触りがするのだな、と美鈴は感心した。
手の中の少女は、ぁー、とかいっているが反抗はしないようだ。
「噛まないんですね、魔理沙さん」
「人様を犬みたいに言うもんじゃないぜ」
「あはは、そうですね」
なでなで。うぅー。なでり、なでり。ふぁー。
目を細める魔理沙。その反応に面白くなってきたのか、美鈴は手を止めない。
「明日、ううん、今日のうちにでも咲夜さんに、魔理沙さんを自由にしてもらうように言いますね」
「頼むぜ。だが、いいのか?」
「いいんですよ。私にペットのしつけ係は向いていないみたいですし」
二人の脳裏に図書館での出来事が蘇る。
忘れたいことほど忘れられないものである。
「……そんなことはないと思うが、助かるぜ」
「そもそも魔理沙さんはペットじゃありませんしね」
「それは当然だぜ。大体、この霧雨魔理沙さんの主人になるには、それこそ山のようなハードルがあるんだ」
「わー、格好いいですねー」
「当然だぜ」
日が落ちる。館からおいしそうな香りが漂ってくる。
門番である美鈴は普段、他のメイドたちが食事をとる時間よりも遅い。だからまだ、空腹感もあまりなかった。
だが、魔理沙はそろそろお腹を空かす頃だろう。
今日は早めに館に戻るか。そう考えたところで、人影が近づいていることに気づいた。
「あ、咲夜さん」
「今晩は、美鈴。それと魔理沙」
「咲夜さん、あの、ちょっとお話があるんですが」
「ええ、私も美鈴に話があるわ。けれどそのまえに、魔理沙」
憮然とした表情の魔理沙が、顔を背けながら答える。
気がついたら誘拐されていたのだからその反応も当然といえよう。
「何の用だメイド長」
「つれないわね。せっかく貴女を自由にしてあげようと思っていたのに」
「……本当か?」
「本当よ。美鈴にもそれを伝えにきたの。明日から通常業務に戻ってもらうわ」
「……えっ、でも、そのぅ」
ちらちらと魔理沙を横目で見る美鈴。
今の状況は、魔理沙が問題で起きたことであり、そもそもことの始まりは―――
「何か問題でも? ああそう。魔理沙が攻めてきたら止められないって考えてるのね。真面目な貴女らしいわ。でも、大丈夫よ」
「どういうことですか?」
「魔理沙、貴女は今日から、紅魔館に自由に出入りしてもいいわよ。お嬢様の許可も得たわ」
「レミリアが、か?」
「ええ。私と、パチュリー様にも協力してもらって、説得したわ。だから美鈴、これから魔理沙に悩むことなんてないのよ」
「あ、ありがとうございます。でも、いいんでしょうか……?」
魔理沙の出入りを全面的に許すということは、紅魔館が魔理沙に敗北を認めるということだ。
プライドの高いレミリアのことだから、こんな提案が受理されるはずがない。
いったい咲夜とパチュリーはどうやってお嬢様を丸め込んだのだろうか。
「いいのよ。理由は明日になればすべて判るわ。それと魔理沙、貴女の箒も持ってきたから、とりあえず今日は帰りなさい」
「なんだなんだ、よく判らないがずいぶんと私に優しいじゃないか」
「付け上がらないように。あと、できるだけ図書館の本は早めに返してね。ついでに自分の行動で誰が迷惑をこうむっているのか少しは考えなさい」
「……善処するぜ」
箒にまたがる魔理沙。服装だけはいつもと違ってパジャマだが、その姿はまさしく魔理沙だった。
やはり魔理沙には空が似合う、と美鈴は思う。それは鳥に羽が生えているようなものだ。世界はそういう風に出来ている。
「じゃあな、門番。世話になったな」
「ええ、では。今度、お茶でも飲みましょうね」
「ああ、そうだな」
そして、地上から空へと、逆さに落ちる流星のように飛んでいく。
あっという間に豆粒のようになり遠く天蓋に映るそれは彗星のように尾を引き、そして見えなくなった。
「……行っちゃいましたね」
「そうね。美鈴、今日はもう休んでいいわよ」
「いえ、もう少し、このまま門を守ることにします。仕事ですから」
「そう。それじゃあ、ね」
はにかむような何時もの笑顔を見せる門番に、咲夜は背をそむけた。
次の日、幻想郷中をひとつのニュースが駆け巡った。
彼の有名な霧雨魔理沙が、紅魔館の専属ペットになったという話である。
いつの間に写真を撮っていたものやら、文々。新聞には首輪で繋がれた魔理沙の写真が多数掲載されていた。
写真付きで掲載されては、如何に信憑性の薄い天狗の新聞といえど、疑う余地はない。
こうして、紅魔館と魔理沙の問題は、瀟洒な従者によって、完全に解決されたのであった。
しばらく魔理沙を見るみんなの目が変わったのは云うまでもない。
後に、紅魔館vs永遠亭のペット対決がおこなわれたかどうかは知らない。
Good grief.
美鈴美鈴ー はふはふ
いやGJ! 点数的には96点!