意外な事との様に感じられるかもしれないが、薬師・八意永琳の門戸は狭いようでいて広い。
彼女は自らの元へやってきた弟子志願者を拒むこと無く、
その知識を見せることを惜しまなかった。
それは後々の世に自らの成した技を伝えたかったが為、等というありふれた理由でないことは明かである。
何せこの永琳という人間は死なない人間、つまりは蓬莱人と噂される者である。
それが真実であるのかは定かではないが、その噂が何代にも渡っており八意永琳は変わらぬ姿でそこにいることから
普通の人間よりも余程長き寿命を持っていることは察せられる。
全ての人間は彼女にとってはその死を見送らなければならぬ者であり、
わずか三名しかいない蓬莱人と比べれば、数多に存在する達人名人と呼ばれる人間は当然考える、
「名を残したい」と言う感情とは、彼女はその生涯において無縁なのである。
ならば永琳にとって「弟子を取る」という行為はいったい何であるか?
それを簡潔に述べるならば「暇潰し」であろう。
今までも、そしてこれからも永く続く彼女の人生に於いて、
一時の間を弟子を名乗る者と戯れて過ごすことは、ほんの少しばかりの刺激として申し分ない。
そんな永琳には弟子を望む者の資質や性分などは大した問題ではなかった。
老若男女、生死人妖を彼女は全く意に介すことは無く。
「弟子にしていただきたい」
「好きにすると良い」
彼女が新たに弟子を迎える場面は全てがこのようなモノであった。
弟子の取り方がそんな無軌道とも適当とも言える有様であるから、
全ての弟子が優れた者であるとは言えず、
時にはとんでもない者がやって来た。
八意永琳に対してなんの敬意も持たず、
ただその技を己の物として自らの欲求を叶えたいと企む者もいた。
と言うよりもその様な者が大半であったと言える。
中には明らかに薬よりも八意永琳という女について深く興味を持っているのではないかと思われる者さえいた。
そんな者達へも八意永琳は望まれれば手解きをした。
薬師と名乗ってはいるが、八意永琳はあらゆる方面へ精通した天才である。
薬の知識に限らず、時には弾幕のことや、西洋に於いては錬金術と称される技術さえ披露して見せた。
無論、弟子達はそれら全てを会得できたわけではない。
中にはそこそこに器用な弟子もいたようではあるが、
殆どの弟子は永琳の天才的な頭脳の前には近づくことすら出来ない。
学べば学ぶほどに八意永琳という天才の底知れなさに戦くばかりであった。
だがしかし、永琳は例え弟子が全く持って進歩しなくとも一切叱ると言ったことはせず、
かといって上手く永琳の行った技を模倣して見せたからと言って殊更に褒めようとはしなかった。
限界を感じ離れていく弟子を引き留めはせず、
盛んに尊敬の念を押し付けてくる弟子をより寵愛する素振りも見せようとはしない。
常に弟子達にとって師匠永琳の考えるところは計り知れないのである。
そんな弟子達と永琳の別れ方には大きく分けて三つ有る。
一つは弟子の寿命の為。
人間であれば、永琳の感覚で言えばあっという間にそれはやってくるし、
妖怪といえども永琳より長く生きる種などほぼ存在しないと言って良い。
なのでこの別れは必然と言えるモノであった。
二つ目は弟子が永琳の下を去っていく場合である。
先に述べたように
「全くもって師に近付くこと叶わず」
と考え去る者も多く有れば、
時には自らが会得した術に満足して晴れ晴れとした顔をして去る者もいた。
中には免状を求める弟子もいたが、永琳はころころと笑って
「そんな物、言えば会ったその日にはくれてやったのに」
と返されてしまったそうな。
三つ目は永琳からもたらされる物である。
何年かに渡って師弟の関係を紡ぎ、弟子がそこそこに永琳の性質を理解し始めたと思った頃、
永琳が突如弟子に向かってこう呟く。
「蓬莱の薬に興味はあるか?」
この言葉に言われた殆どの弟子は驚き、狼狽を隠すことは出来ずにいた。
多くの弟子達は永琳の弟子となって間もない頃に、一度は「蓬莱の薬」について尋ねている。
不老不死をもたらすその霊薬は、彼らの考え得る中で最高の秘薬として興味深い物であったのだから、これは仕方のないことであった。
いや、中には蓬莱の薬こそが目的でやってきた者も多く存在したのだ。
しかし永琳は蓬莱の薬に関しては黙して語ろうとはせず、そうなれば弟子達も「うむ、蓬莱の薬とは余程に秘中の秘にあるのだろう」と納得するしかなかった。
弟子達はやがて永琳と共に過ごす内に、蓬莱の薬とは禁薬であることや、永琳はその蓬莱の薬の禁にまつわる罪を犯したことを察する。
いや、むしろそれを察した様子の弟子に対して「興味はあるか?」と永琳は訊くのだ。
「興味がございます」
と弟子が述べると
「少し待て」
と永琳は薬室に入り、間もなく何かの丸薬を持ってきて弟子に見せる。
その丸薬を弟子の前に置くと、
「飲むが良い」
と言って永琳は部屋から立ち去るのだ。
後に残された弟子は少なくとも半時は薬を前に悩み続ける。
突如置かれた蓬莱の薬と思しき丸薬を前に、常にも増して理解の出来ぬ師の振る舞いに悩み続ける。
もとより不老不死を望んでいた者さえも、こうもポンと目の前に奇跡の霊薬が置かれれば心の準備が必要であったし、
考えていなかった者でも目の前に永遠の命が落ちていれば拾いたくはなってしまう。
しかしそれは今までの自己とは異なる種への変化とも言える行為である。
丸一日悩み、永琳へ薬を返し「私はまだまだ修行の足りぬ身にあります」と言ってその後の生を全うする者もいれば、
書き置きを残して消えてしまう弟子もいた。
そして決意を固めてエイと薬を飲み込んだ弟子はどうなったかというと、
不老不死の体と霊力に溢れる力を得て、
それまでの自己では到底に為し得なかったような技を身につける夢を見つつ、
現実の体は霧のように消失してしまった。
永琳が弟子の前に置いたのは蓬莱の薬ではなく、胡蝶夢をその名に用いた睡眠薬の亜種であり、
幸福のままに安楽死へと導く薬、いや毒であった。
何故に永琳は弟子に対してこのような事をするのであろうか?
永琳はけして弟子が憎くて毒を盛るのではない。
むしろこの「儀式」とも言える行為はそれなりに親しみを感じた弟子に対してしか行わない。
もちろん永琳には気に入った弟子を殺して愉しむ様な変態的な嗜好は持ち合わせていない。
ならば弟子が更なる高みへと上がるための試験儀式であるのかと言えば、それも違う。
永琳にとって弟子の技量など殆ど興味のないことなのであり、
試す理由など無いのである。
この「儀式」の理由を知るには遙か昔へと遡る必要がある。
永琳が一番最初の弟子を持っていた頃の話だ。
そのころの永琳は今と比べると少しは弟子に対して愛情を注いでいると言って良かった。
この弟子に対して「蓬莱の薬に興味はあるか?」と訊いたのも、
単純な気紛れの他に、手元にずっと留めて置きたいという人間的な感情が多少は籠もっていた。
それに対して弟子は戸惑った。
この弟子は蓬莱の薬と永琳を結ぶ因縁をかなりの部分まで理解していたのだ。
弟子は答えた、
「師匠と永遠を共に出来るのは大変に魅力的ではあります」と。
だがしかし続けて、
「ですが、その為に師匠の罪が一つ増えることは耐え難きことでございます」と涙ながらに答えた。
この言葉に今度は永琳の方が狼狽えた。
気紛れに向けた問いかけに対して真摯に返してきた弟子の言葉は永琳の胸を酷くときめかせたのだ。
この時には既に数えきれぬ年月を生きてきた永琳であったが、
まるで二十にも満たない生娘のごとく、この弟子に対して心がときめいてしまったのだ。
結局その弟子は生を全うして死んでしまったが、永琳は心のどこかでその時のときめきを忘れずにいるのかもしれない。
やってくる弟子を拒もうとしないのも、
気に入った弟子を「儀式」によって失ってしまうのも全てはこれに繋がってしまうののかもしれないと、
天才としては珍しくはっきりと結論付けられないまま、ぼんやりと思っていた。
いずれ、再びこの心をときめかせる返答をしてみせる弟子が現れたならば、
その時は本当に蓬莱の薬を飲ませてしまうのも良いかもしれない。
そんなことを考えながら八意永琳は、再び面白い弟子がやってくるのを大して期待もせずに待っているのである。
最後に、このような八意永琳にまつわる興味深い話を聞かせてくれた
因幡てゐ氏に感謝の念を述べてこの話を閉じるとしよう。
彼女は自らの元へやってきた弟子志願者を拒むこと無く、
その知識を見せることを惜しまなかった。
それは後々の世に自らの成した技を伝えたかったが為、等というありふれた理由でないことは明かである。
何せこの永琳という人間は死なない人間、つまりは蓬莱人と噂される者である。
それが真実であるのかは定かではないが、その噂が何代にも渡っており八意永琳は変わらぬ姿でそこにいることから
普通の人間よりも余程長き寿命を持っていることは察せられる。
全ての人間は彼女にとってはその死を見送らなければならぬ者であり、
わずか三名しかいない蓬莱人と比べれば、数多に存在する達人名人と呼ばれる人間は当然考える、
「名を残したい」と言う感情とは、彼女はその生涯において無縁なのである。
ならば永琳にとって「弟子を取る」という行為はいったい何であるか?
それを簡潔に述べるならば「暇潰し」であろう。
今までも、そしてこれからも永く続く彼女の人生に於いて、
一時の間を弟子を名乗る者と戯れて過ごすことは、ほんの少しばかりの刺激として申し分ない。
そんな永琳には弟子を望む者の資質や性分などは大した問題ではなかった。
老若男女、生死人妖を彼女は全く意に介すことは無く。
「弟子にしていただきたい」
「好きにすると良い」
彼女が新たに弟子を迎える場面は全てがこのようなモノであった。
弟子の取り方がそんな無軌道とも適当とも言える有様であるから、
全ての弟子が優れた者であるとは言えず、
時にはとんでもない者がやって来た。
八意永琳に対してなんの敬意も持たず、
ただその技を己の物として自らの欲求を叶えたいと企む者もいた。
と言うよりもその様な者が大半であったと言える。
中には明らかに薬よりも八意永琳という女について深く興味を持っているのではないかと思われる者さえいた。
そんな者達へも八意永琳は望まれれば手解きをした。
薬師と名乗ってはいるが、八意永琳はあらゆる方面へ精通した天才である。
薬の知識に限らず、時には弾幕のことや、西洋に於いては錬金術と称される技術さえ披露して見せた。
無論、弟子達はそれら全てを会得できたわけではない。
中にはそこそこに器用な弟子もいたようではあるが、
殆どの弟子は永琳の天才的な頭脳の前には近づくことすら出来ない。
学べば学ぶほどに八意永琳という天才の底知れなさに戦くばかりであった。
だがしかし、永琳は例え弟子が全く持って進歩しなくとも一切叱ると言ったことはせず、
かといって上手く永琳の行った技を模倣して見せたからと言って殊更に褒めようとはしなかった。
限界を感じ離れていく弟子を引き留めはせず、
盛んに尊敬の念を押し付けてくる弟子をより寵愛する素振りも見せようとはしない。
常に弟子達にとって師匠永琳の考えるところは計り知れないのである。
そんな弟子達と永琳の別れ方には大きく分けて三つ有る。
一つは弟子の寿命の為。
人間であれば、永琳の感覚で言えばあっという間にそれはやってくるし、
妖怪といえども永琳より長く生きる種などほぼ存在しないと言って良い。
なのでこの別れは必然と言えるモノであった。
二つ目は弟子が永琳の下を去っていく場合である。
先に述べたように
「全くもって師に近付くこと叶わず」
と考え去る者も多く有れば、
時には自らが会得した術に満足して晴れ晴れとした顔をして去る者もいた。
中には免状を求める弟子もいたが、永琳はころころと笑って
「そんな物、言えば会ったその日にはくれてやったのに」
と返されてしまったそうな。
三つ目は永琳からもたらされる物である。
何年かに渡って師弟の関係を紡ぎ、弟子がそこそこに永琳の性質を理解し始めたと思った頃、
永琳が突如弟子に向かってこう呟く。
「蓬莱の薬に興味はあるか?」
この言葉に言われた殆どの弟子は驚き、狼狽を隠すことは出来ずにいた。
多くの弟子達は永琳の弟子となって間もない頃に、一度は「蓬莱の薬」について尋ねている。
不老不死をもたらすその霊薬は、彼らの考え得る中で最高の秘薬として興味深い物であったのだから、これは仕方のないことであった。
いや、中には蓬莱の薬こそが目的でやってきた者も多く存在したのだ。
しかし永琳は蓬莱の薬に関しては黙して語ろうとはせず、そうなれば弟子達も「うむ、蓬莱の薬とは余程に秘中の秘にあるのだろう」と納得するしかなかった。
弟子達はやがて永琳と共に過ごす内に、蓬莱の薬とは禁薬であることや、永琳はその蓬莱の薬の禁にまつわる罪を犯したことを察する。
いや、むしろそれを察した様子の弟子に対して「興味はあるか?」と永琳は訊くのだ。
「興味がございます」
と弟子が述べると
「少し待て」
と永琳は薬室に入り、間もなく何かの丸薬を持ってきて弟子に見せる。
その丸薬を弟子の前に置くと、
「飲むが良い」
と言って永琳は部屋から立ち去るのだ。
後に残された弟子は少なくとも半時は薬を前に悩み続ける。
突如置かれた蓬莱の薬と思しき丸薬を前に、常にも増して理解の出来ぬ師の振る舞いに悩み続ける。
もとより不老不死を望んでいた者さえも、こうもポンと目の前に奇跡の霊薬が置かれれば心の準備が必要であったし、
考えていなかった者でも目の前に永遠の命が落ちていれば拾いたくはなってしまう。
しかしそれは今までの自己とは異なる種への変化とも言える行為である。
丸一日悩み、永琳へ薬を返し「私はまだまだ修行の足りぬ身にあります」と言ってその後の生を全うする者もいれば、
書き置きを残して消えてしまう弟子もいた。
そして決意を固めてエイと薬を飲み込んだ弟子はどうなったかというと、
不老不死の体と霊力に溢れる力を得て、
それまでの自己では到底に為し得なかったような技を身につける夢を見つつ、
現実の体は霧のように消失してしまった。
永琳が弟子の前に置いたのは蓬莱の薬ではなく、胡蝶夢をその名に用いた睡眠薬の亜種であり、
幸福のままに安楽死へと導く薬、いや毒であった。
何故に永琳は弟子に対してこのような事をするのであろうか?
永琳はけして弟子が憎くて毒を盛るのではない。
むしろこの「儀式」とも言える行為はそれなりに親しみを感じた弟子に対してしか行わない。
もちろん永琳には気に入った弟子を殺して愉しむ様な変態的な嗜好は持ち合わせていない。
ならば弟子が更なる高みへと上がるための試験儀式であるのかと言えば、それも違う。
永琳にとって弟子の技量など殆ど興味のないことなのであり、
試す理由など無いのである。
この「儀式」の理由を知るには遙か昔へと遡る必要がある。
永琳が一番最初の弟子を持っていた頃の話だ。
そのころの永琳は今と比べると少しは弟子に対して愛情を注いでいると言って良かった。
この弟子に対して「蓬莱の薬に興味はあるか?」と訊いたのも、
単純な気紛れの他に、手元にずっと留めて置きたいという人間的な感情が多少は籠もっていた。
それに対して弟子は戸惑った。
この弟子は蓬莱の薬と永琳を結ぶ因縁をかなりの部分まで理解していたのだ。
弟子は答えた、
「師匠と永遠を共に出来るのは大変に魅力的ではあります」と。
だがしかし続けて、
「ですが、その為に師匠の罪が一つ増えることは耐え難きことでございます」と涙ながらに答えた。
この言葉に今度は永琳の方が狼狽えた。
気紛れに向けた問いかけに対して真摯に返してきた弟子の言葉は永琳の胸を酷くときめかせたのだ。
この時には既に数えきれぬ年月を生きてきた永琳であったが、
まるで二十にも満たない生娘のごとく、この弟子に対して心がときめいてしまったのだ。
結局その弟子は生を全うして死んでしまったが、永琳は心のどこかでその時のときめきを忘れずにいるのかもしれない。
やってくる弟子を拒もうとしないのも、
気に入った弟子を「儀式」によって失ってしまうのも全てはこれに繋がってしまうののかもしれないと、
天才としては珍しくはっきりと結論付けられないまま、ぼんやりと思っていた。
いずれ、再びこの心をときめかせる返答をしてみせる弟子が現れたならば、
その時は本当に蓬莱の薬を飲ませてしまうのも良いかもしれない。
そんなことを考えながら八意永琳は、再び面白い弟子がやってくるのを大して期待もせずに待っているのである。
最後に、このような八意永琳にまつわる興味深い話を聞かせてくれた
因幡てゐ氏に感謝の念を述べてこの話を閉じるとしよう。
淡々と紡がれながらも、続きが気になり読み進めてしまう技術はお見事。
遥かに遠い未来の話なんだなぁとしんみり読んでいたら、最後のオチで綺麗に落とす。ナイスですw
えーりんのカリスマが更に増大しました、後書きの手前まで。
てゐの名前が出てきた瞬間「ちょ、ちょっと待て」と突っ込んでしまったw。
やってくれた喃・・・やってくれた喃!
最後のあのようなオチありきで考えた話なので、
会話もほとんど無いような内容で正直怒られるかもしれないと思っていたのですが、
書き捨て御免とばかりにプチに投稿させていただきました。
今後もよろしくお願いします。
ウドンゲも隣で聞いてんなら最後まで見てないで止めろよ!
何故かここでアミバ様が頭に浮かんだ
さりげなく漢字ミスを直しておきました、済みません。
曖昧な言葉を多く使ったために物とかモノとか者とか多すぎですね。
反省します。
しかし隣で聞いていたへにょり耳の兎も、わりとまんざらではなかったり。
完敗だ!
私たちのときめきと感動を、です。
オチも含めてすばらしすぎるwww
でもオチだけ読むと納得しちゃうんだよ。てゐならどんだけ長生きしても不思議じゃないし
騙されて幸せになるとはまさにこのことだな
やられました。お見事です。
弟子入りを拒まないという時点で何かおかしいと思ったんだぜiiiorz
貴様ぁー!?
空気を読まないですね~。
すべてぶち壊しwwwww
感動返せwwww
さよなら感動、こんにちわ笑いwww