いくつもの世界が過ぎ去っていく……目映い星空をうつした水鏡のうえでおどる妖精たちのように、ひっそりと燐光を輝かせて、また黒瑪瑙のつややかさを宿した水滴が……気づけばわたしはそれに見とれている。
どこともしれぬ境界は、世界の何処にでもある。それを見るのは私の自由だ。見たくないものは見ず、望むものだけを瑠璃の瞳は映してくれる。
境界は、眼で見るものだった。とくべつなちからなんて本当は必要なく、ただ、それをみたいとおもう気持ちだけが、万華鏡のめまぐるしさでわたしを津波のようにさらって行く。
なぜ蓮子は境界を見ようとしないのだろうか?
それは彼女がすべての世界を一緒くたに見ているからだ。彼女にとって、それはきっと分け隔てるようなものではないのだろう。かくれんぼに興じる子供のように、見えているはずの物をみずから隠している。
見たいと思うものしか瞳は映さない。
だとすると、わたしはたくさんのものを見たいのだろう。
そしてたくさんの世界を見ている蓮子に嫉妬する、流星に想いを馳せるひとびとの気持ちで、けっして届くはずの無い分不相応な想いを秘めてしまう。いつかあの軌跡に届けるように願いながら、けれども願いだけでは届かない……それが、現実だ……軽やかに舞う少女たち……幻想という舞台を馳せる役者たち……台本も幕もない劇中を、わたしは見ることしか出来ない。
いつか踊れる日が来るのだろうか
いつか本当に手を取り合える日が来るのだろうか
夜空は金平糖のきらめきをまたたかせて澄んだ珈琲に映されている。それが、ちいさなマグカップの円の中が、私の見ている夜空で、彼女はおおきなの空を駆けている……わたしはほんとうに蓮子を見ているのか。
どこともしれぬ境界を、だれともしらぬ宇佐見蓮子が引いている。それを忘れて縦横に遊ぶ彼女のなかに、たったひとつだけみえる境界は、眼で見るものではけっしてない。探り寄せて拓くものではけっして無い。誰もが持っているはずのせすじの境界をつよくはっきりと現出させた彼女は軽やかにいつも踊っている。わたしの姿をした人形とともに。
「けれど……」
湯気をくゆらせるマグを窓辺に置けば、そこは時間にのみ触れる事を許される静止の空間が出来あがる。それに手を入れるのはわたしだ。わたしだけがふたたびマグを持ち上げることが出来、ゆれる珈琲の水面は星屑の揺り籠へと様変わりし、またあらたな光景ができあがる。わたしと、夜と、時間がおりなす静止に依存した空間。そこに境界は無く、そこに蓮子はいなかった。
なにもかもを見出しているわけではない。彼女は彼女を見ているだけだ。それこそが背筋の境界を定めたものの踊り方で、ならばわたしもともに踊れるだろう。夜空のまたたく星の下、だれにも言えない秘密を隠して、いくつもの世界を背景に。
蓮子は空へは昇らない。しっかりとステップを踏んで遊んでいる。大地を踏みしめ、丘を超える。
わたしもそれを一緒にしたい。
彼女と一緒に、星空の冒険を。わたしたちが忘れ去った世界を背景に。
いつまでもあるようにおもえる夜空でさえやがて薄明を向かえ、ふたたび大地が現出する。みえるものしか明らかにされないひかりを、そしてわたしたちはふたたび夜を迎えるのだ……それを愉しもう……いまは一杯の珈琲と夜空を友にして、明日の彼女を愉しみにしながら。
眠りはかなたへと旅立つ切符。夢想の靴を履いて流星の汽車に乗って、わたしと蓮子は歓声をあげる……
もしかしたらないのかもしれないしないのかもしれない。
定める必要は無く、また定めない必要も無い。
ただ、紅茶は美味い。
稚拙な腕で文を拝借。