幻想郷のとある竹林の中。ここには空から燦々と降り注ぐ朝日も届かない。まるで誰の助けも呼べず途方に暮れる自分みたいだ、と思う。
射命丸文は激しい呼吸に肩を上下させ、大きく瞳を見開き辺りを油断なく見回していた。
配達の途中だった号外の最新号は何処かで落としてきてしまったのか、ほとんど手元には残っていなかった。
唯一、汗で濡れる手に握り締められた号外だった数枚のそれは、半ばから切断されて、もはや新聞の役割を果たすものではなくなっている。
「ひーっ、ひーっ、ひーっ」
なんとか呼吸を落ち着けようとして、無理やり大きく息を吸う。
幻想郷最速。そう名乗っていた。しかしそれは短時間のものであって、1昼夜ずっと『最速』でいられるというものではない。
竹の葉が落ちて、草に触れる。
そんな小さな音にさえ、羽毛を逆立たせて反応する文。
さっきの攻撃程度で彼女をまいたとは思えない。
きっとまた彼女は襲ってくる。
逃げなければ。という心と。休まなければ。そう訴える体。夜を徹して空を駆け続けた文はなるべく太い竹にもたれかかり、地面にへたり込んだ。
その頭上を。何かが通り過ぎた。
文の小さな帽子の先端がポロリとふとももの上に落ちてきた。
「ーーーー!?」
鉛のように重たい体に鞭打ち、その場から全力で飛び退る。
先ほどまで文の頭の位置があった高さから竹が斬れていく。
「こ、こ、こ……!」
彼女に追いつかれた。
ずれ落ちる竹が一瞬で無数のサイコロに砕斬された。その破片を弾き飛ばしつつ飛来する――
「魂魄妖夢!」
緑色も眩しい白玉楼の庭師。両手にそれぞれ刀を握り締め、憤怒の形相で文に斬りつけてきた。
「ひぃ!?」
文は体を捻ってそれをかわし、すれ違いざまに弾幕を幻創。団扇を3度振った。
扇状に広がり、竹林をなぎ倒し進む弾幕。しかしその斜線上に妖夢の姿は既に無く。
「幽々子さまをー!」
必殺の斬撃を繰り出さんと、ぐるりと回転。
「返せー!」
意外とハスキーな裂帛の気合とともに2筋の凶刃が文の胸――正確には胸にぶら下がっている写真機を狙う。
しかし疲労はあれども幻想郷最速は伊達ではなく、大地を蹴って決死の覚悟でスウェーした。
プ、プツと軽い音を立てて、写真機をぶら下げるストラップに裂け目が入るが写真機本体への『致命傷』は回避する。
さらに踏み込み斬撃を行おうとする妖夢だったが、一瞬脚がもつれてしまった。
やはり彼女も1昼夜自分を追いかけ続けたせいで疲労が溜まっているのか。
文は体勢が崩れた妖夢の懐に飛び込んだ。
「あっ!?」
妖夢が驚愕に頬を引きつらせるが、お構いなく文は妖夢の両腕を掴んで地面に押し倒した。
朝日もまばらにしか降り注がない深い森。しっとりと水分を孕んだ芳醇な地面の上に2人は倒れた。
「はー……はー……はー……はー……はー……。よ、妖夢さん。や、やっとまともに話ができますねぇ……!」
「っ、不覚……」
妖夢は自らの頬にぽたぽたと落ちる文の汗の雫を不快そうにしながら、下唇を噛んだ。手を振り払おうと妖夢が身をくねらせるが、文は必死にそれを押さえつけた。
「さぁ答えてください。どうして。どうして『何の罪も無い』私をいきなり唐突に何の前触れも無く斬りつけてきたんですか」
「『何の罪も無い』だって。よくもそんなことが言えるな! お前が幽々子さまを封じ込めたくせに!」
………………………………………………
………………………………
………………
しばらくの間の後。
「………………は?」と文。
「え?」いきなり不安そうになる妖夢。
「私が幽々子さんを、なんですか?」
文は依然緊迫した状況にも拘らず、首をかしげた。
「だから! お前がその写真機で幽々子さまを撮影したから魂が吸い取られたんだろう」
そこまで聞いてポンと得心する。
「あ、それは迷信ですよ妖夢さん」
「えぇ!? いや、でもそんな筈は! 昨日偶然遊びに見えた紫さまから聞いたから間違いは無い! それに幽々子さまは昨日のお昼から白玉楼にお戻りになっていない。これが何よりの証拠だ」
証拠だ、って言われても困る。つまり目の前の半人半霊は迷信に踊らされて、自分を昨日の夕方から今まで追いかけていたのか。あまりの馬鹿馬鹿しさに文は一瞬意識を失いそうになったが、なんとか取り留める。未だ危険な状況は続いているのだ。
「紫、というのはすきま妖怪の八雲紫さんですか。彼女はなんと言ったんですか」
「紫さまはえぇっと『あら、幽々子はいないのかしら。そう、仕方ないわねぇ。じゃあ伝えておいてくれるかしら。写真機は魂を吸い取ってしまうわ……ふぁ~あ。あら? 藍? もうご飯の時間? 橙もお腹すかせて待ってる? しょうがないわねぇ今行くわー。』と、だけ言い残してお帰りになられたんだ。つまり紫さまは幽々子さまに危険を知らせようと……! くっ!」
わざわざ八雲紫っぽい声色を使ってまで演技した挙句、涙を流し始めた妖夢をなんとも言えない哀れな表情で見つめる文。
この子は、騙されている。
「うわあああああああ! 幽々子さまー!」
そして号泣しながら妖夢は文の腹に脚を滑り込ませ持ち上がるように投げ飛ばした。
「ひゃ!?」
なんとか受身を取りつつ立ち上がる文の視線の先に、スペルカードを切った妖夢の姿があった。
団扇を握ろうと手をやるが、無い。投げられた時に妖夢の足元に落ちてしまっていた。
絶体絶命。
「命は取らない。しかしその写真機は破壊させてもらう! そうすればきっと幽々子さまは元通りに!」
「なりませんよー!」
まずい。非常にまずい。どうにかして誤解を解かなければ。どうすればそんなの迷信ですよあはははと笑い飛ばせるのだろうか。
思考している間に、妖夢の周りに霊力が収束していく。
命の次に、否、もしかしたら命より大事な写真機を破壊されてしまう。
何かないのか。スペルカードは。胸元を探る。あった。抜き出した。
「ストップ! 迷信! ストップ! 迷信これでストップ!」
しかしそれはスペルカードではなく『ラインクロス』と書かれていた。
「なにこれー!?」
なかったことにはできないらしい。
「幽々子さま! 今お助けいたしまーーーーーす!」
「いやぁー!」
楼観剣と白楼剣が唸りを上げた。
その刹那。
「あら? 呼んだかしら妖夢?」
「え?」
「え?」
あわや髪の毛数本分。写真機の手前で白楼剣は止まっていた。それより長い楼観剣は文の脳天から少し上で止まっていた。
この半人前め。文はガクガクと揺れる体をなんとか抑えながら、突如現れた声の方向へ視線を向けた。
そこには紛れもなく、白玉楼の主、西行寺幽々子が立っていた。――背負った風呂敷から、大量の筍を覗かせながら。
「な、なんで幽々子さまが?」
「あらあら。バレてしまったわねぇ。実は霊夢とかに誘われて月都万象展に行ってきたのよぉ。妖夢を驚かせようと思って筍も貰ってきたわよ。しばらくは筍料理ね」
眩しいくらいの笑顔で自分の身長くらいに膨れ上がった風呂敷をうんせと背負いなおす幽々子。
「重いから持ってくれないかしら妖夢」
「あ、は、はい!」
刀を収め、慌てて幽々子に駆け寄る妖夢。
「そういえば紫が来たわよ。妖夢に伝えそこなったって。写真機は魂を吸い取ってしまうっていうのは迷信だって言ってたわね。わたし、知らなかったわよ」
「あ、あぁ……そうなんですか。そうですよね。迷信ですよねそんなの! 幽々子さま」
「? なんか変なテンションね。まぁいいわ。帰りましょう妖夢」
「はい!」
そのまま2人はふわふわと飛び立っていく。
気まずかったのか、妖夢は一度も文と目を合わそうとしなかった。
そして後に残されたのは。
ポカンとしてへたり込む文。
それと。
「ウサー! 筍泥棒はどこウサー!」
「現行犯逮捕じゃないといけないわよ! そうしないとあの大食亡霊に全て食べられてしまうから! 事態は一刻を争うわ! 姫様も今晩のお食事が無いって泣いてるのよ!」
大量のウサギを引き連れた月のウサギ――鈴仙が現れる。
「あぁ。射命丸さん! ここらへんで西行寺幽々子を見ませんでしたか!?」
かなり必死な様子で駆け寄ってくる鈴仙を見て。
「これはスクープの予感ですね」
文は流れ落ちる汗を拭くのも忘れ、無意識に新しい号外の見出しを考えるのだった。
ただ幽々子さまがせっせと筍掘る姿想像出来ないよなあ。幽霊に掘らせたんか?