「補習なんてかったるくて真面目にやってられっかよー」
「時代はゆとり教育だろ、先生」
「さっさと解放してくれませんかねぇ」
上白沢慧音が受け持つ教室に、三人の生徒の声が競うように響いた。
生徒の一人は机に足を乗せ、もう一人は頬杖を付き、最後の一人は机に身体を預けて今にも寝そうだった。
トリオザ馬鹿と揶揄されるこの悪ガキグループには、慧音もほとほと手を焼いていた。
今日も歴史の赤点の補習にと集めてみれば、来るだけは毎回来るのだが、授業が始まるとやる気のなさが牙を剥く。
リーダーは駄菓子屋のタケシと呼ばれていた。非常に解りやすい。
サブリーダーはトイレに入る前にズボンを脱ぐ男だったが、皆にも良心があったのでそれは渾名にしなかった。
「せんせーい、聞いてんのかー?」
「つまんねぇ授業、いつまで続けてるんだよー」
慧音がきっと睨んでチョークを向けると「おっ、暴力ですかい?」とにやにやしながら訊いてくる。
駄菓子屋のタケシが「はん、満月じゃねえと怖くねえよ!」と続けると周りもそうだそうだと囃し立てた。
「君達、今しかないんだぞ? 勉強が出来る期間なんてあっという間に過ぎるんだ。社会に出てからあの時もっとやっていればと思ってたって取り戻しようがない時間が今なんだ」
優しい呼びかけも厳しい説得も、彼らに効果なかった。
今回もそっぽを向いて、耳に指突っ込んで耳クソをほじっている。
鼻じゃないだけお上品で宜しい、なんていわなければ良かったのにと、慧音先生は激しい後悔を覚えていた。
何とかしてやりたい。
しかし、自分が必死になればなるほど彼らの方が逃げていくのは解っていた。
たぶん、これは彼らなりの意地の張り方なのだ。
「今日私の話を聞く態度があるならば……そう思っていたのだが……」
「あぁ?」
「すまない、私の力不足のようだ。今日は君達の為に伝説の教師にご足労願っている」
「伝説の教師だとぉ?」
「幻想郷最強の妖怪にして楽園最強の教師だ」
「妖怪だって……? お、おい、暴力かよ!? 俺達は暴力に膝を折ったりしねえぞ!」
「それにPTAが黙っちゃいねえ!!」
「手荒なことはしないよ、一時間もあれば終わる。君達はただ授業を見守っていればいい」
「うるせぇ、更生なんてするもんか!」
「無駄だ、フォーナインという名を聞いたことくらいあるだろう? 彼女の授業での更生率は99.99%を超えている! どんな生徒でも一時間でだ!」
更生率99.99%。
確かに聞いたことがあった。
伝説か、もしくは過去の人だと思っていたのに。
タケシは鼻血を出していた。
しかしそれは鼻を穿りすぎただけで話の流れとは関係なかった。耳で止めておけば……!
「ど、どうすんだよ、タケシ」
「ブルってんじゃねえぞサブ、この先生だって半分は妖怪じゃねえか。案外たいしたことねえよ!」
「そ、そうだよな、食われたりしねえよな?」
タケシは手の平のじっとりとした汗を隠すようにして握った。
もちろんサブも、それから、えーっと……影の薄い三番目の人も似たようなものだった。
一体どんな化け物が来るってんだ。
こんなはずでは……顔を上げると、慧音先生が教室のドアに手をかけてるのが見えた。
――待ってくれよ先生!
そんな喉元まで来た言葉をタケシは飲み込んだ。
恐怖だけじゃなかった。別の理由があった。
実はこの少年達がやりもしない補習に出てくるのには共通の理由がある。
悪いのは全て思春期だ、思春期がおっぱいの引力に勝てるわけないじゃないか、ああ、そうだとも。
ざわっ・・・
ざわっ・・・
別段誰かが話してるわけでもないのに、賭博漫画的なざわめきが教室に起こった。
先生のいなくなった教室にもう用なんてない……しかし、ここで帰ってしまえばチキン野郎と呼ばれてしまう。
チキン野郎――トイレのサブよりはましかもしれない、サブはサブでもスーパーサブとは本人談。
十分が経ち、授業開始の鐘が鳴った。
「おい……来ねぇぞ?」
誰も現れない、そういう影すらない。
不安になって窓から外をみたが、それらしき人物が近づいてくる気配もない。
更に五分が経過したとき――。
「巌流島だ」
と、サブが言った。
「巌流島だと?」
「知らねえのかタケシ、敢えて遅れてくることで主導権を握るんだぜ?」
反論してやりたかった。
てめぇ慧音先生に褒められたい為に歴史を勉強しやがったな! と。
しかし、それは自分もそうであったので言えなかった。
暇を持て余した三人は、教壇の右手にある鉄柵で囲ってる大きなストーブに身を寄せた。
ストーブはチンチンと真っ赤に燃えている。
蓋の部分に水滴を落とすと一瞬で蒸発する様が面白くて、小さい頃に良く遊んで怒られたのを思い出す。
「……帰ろうぜ、はったりだったんだよ」
単純なノスタルジーではなかった、慧音先生の笑顔が胸に痛かった。
タケシはかばんを持ち上げて、出口に足を向けた。
そのとき、何処かで音がした。
「あん?」
ずももも、とか、ぐごごご、という表現するのも苦しい変な音がした。
ブラックホールでも迫ってきてるみたいな……。
他の二人も耳に入ったみたいで、不安から三人の間の距離が狭まった。
「この音……こっちに、きてんじゃねえか?」
「よせよ……」
「来てるよ、これ近いよ! 最強の妖怪とやらがこっちに来てるんだ!」
「よせってデコ!」
音は怖いが、ここに居続けるのはもっと怖い。
タケシは半ばやけくそになって出口に向かって進んだ。
辿り着いた時には扉一枚挟んですぐ向こうから音が聞こえていた。ずもももも。
「は……はったりだ……そんなVIPが、こんなちんけな里に来るわけねえ!」
扉に手をかけた。
――ドーン
瞬間、タケシの身体がぽーんと弾かれた。
立派な放物線を描いて二人の立つ位置に戻ってきた。
ついでに上から一緒に飛ばされた扉が降ってきて、タライみたいな音を立てて追い討ちした。
「ち、ちきしょおお! なんだよ!?」
扉を両手で押しのける、前を見る。
――え、布団?
カタツムリみたいに見えた。
丸まった布団がごろごろと転がっていた。
「どうやら、間に合ったみたいね」
丸まった布団が縦に伸びると、簀巻きのようだった。
悪い妖怪に捕まると簀巻きにされて川に流されるとタケシ達は聞いていたが、それはまさに簀巻きだった。
その先からにょーんと出た顔が、時計を見て呟いたのが「どうやら、間に合ったみたいね」だ。
……全然間に合ってねえよ。
とは、怖くて誰も突っ込めなかった。
授業開始の鐘が鳴ってから、既に三十分は経っていた。
「お、おい、あんたは誰なんだ」
こんな最強の妖怪は聞いたことがない。
目の前にいるのはどう見てもモノグサな人間だった。
金色の髪はほつれ、目も半分くらいしか開いてない昼間っからすっぴんの人だった。
すっぴんだけどべっぴんだ。デラべっぴん。すげぇ美人ですという方言であり褒め言葉である。
タケシ達がどう対処していいか解らず悩んでいると、布団妖怪はもそもそと布団に包まれたまま動き始めた。
何処に向かっている……?
この方向は……教壇なのか? するとやっぱり先生?
「いや、違う、こいつは――!」
ストーブだ、ストーブを目指して進軍している!
一番温かい場所を目指して、本能的に前進しているのだ!
「タ、タケシ……!」
解ってる。ここを取られては、負けたも同然だ。
自己紹介も済んでない先生にいきなり地の利を奪われてたまるか!
三人は一致団結して防御の構えを見せた、しかしそれは睨みだけで特に攻撃したわけではなかったのだが、一方、布団妖怪は容赦ない物理攻撃をした。布団ドロップキック。
三人は後退を余儀なくされ、しぶしぶと教室の後ろの席に座った。
タケシ達がストーブに近づこうとするものなら、跳ねて威嚇するのでそれは出来ない……!
「あったかぁーん」
布団妖怪は幸せそうだった。
顔も紅茶に入れたバターのように溶けかかっている。
「あ、あの、ちょっといいか?」
「んふー、幸せぇ」
「あんた、慧音先生が呼んだ最強の先生であってるのか?」
「えー? そうよぉ?」
「だったら、ほら、まずは自己紹介とかあるだろ?」
「自己紹介かぁ…………八雲ゆかりん18歳でーす、よろしくー♪」
えぇ……という声が後ろから上がった。
瞬きする暇もなく、サブが謎の墓石につぶされていた。
「サ、サブゥーーー!!」
「人の痛みくらい考えて発言しなさい!!」
怒られた、怒られちまったよ、しかし、どう考えても精神的にも肉体的にもサブが一番痛いじゃん。
どうやらこの妖怪が強いのは間違いないらしいとタケシは気付いた。
にしたって幻想郷最強はさすがにねえだろ。
「あ、あんたの実力はよくわかった、ここは穏便にいこうじゃないか八雲先生」
「ゆかりんと呼びなさい。それと、あまり近くに寄らないで、熱効率が下がっちゃうわ」
効率って、今だって一人でストーブをがっちり抱え込んでるじゃないっすか……。
まだ満足いかないのか、どれだけゆとりのスペースを確保するつもりだ。
大体遅刻しといて、このゆとりっぷりである。
タケシ達は今まで女教師と言えば慧音先生しか知らなかった。
清潔で規律正しく大和撫子の慧音先生と、モノグサで自分勝手でパツ金のゆかりん。
これを同じ先生にカテゴライズするのは教育への冒涜じゃないかと彼らは思う。
時間を置いて、サブがなんとか復帰していた。
頑張る男だ、倒れていた方が楽だったかもしれないのに。
「藍が家を掃除中だから、一時間だけ授業をしてあげてもよくってよ」
……家を?
聞いた途端、三人の頭に暗雲が漂った。
まさかこの人、掃除中の家人に邪魔扱いされて家を追い出されてここに来たんじゃ……。
慌てて首を振ったのも三人同時だ。
おいおい、そんな先生がいるものか、聖職者だろ、いくらそうは見えなくても!
「信じてよ!」
信じられなくなった。
「それよりあなた達の自己紹介はどうしたのよ?」
それはその通りだと思う。
「俺は駄菓子屋のタケシ、後ろはサブリーダーのサブ、一番隅にいるのがデコだ」
「デコ? 覚えにくいから最後のはアブラって呼ぶわね」
「え、いやそれアブラの方が覚えにくいだろっていうか、もう少しましな名前なかったのかよっていうか、なんで?」
「鼻の頭がてかってるから」
「それだけで!!?」
「ええ」
――ゴシカァーン!
「ああっ、しっかりしろデコ! お、お前はデコだぁー! アブラじゃねえー!」
「アラブのアブラね」
「何が言いたいのかわかんないが、この先生デコの傷口だけは確実に広げやがった! 見ろよ! 乾燥したワカメみたいになってるじゃねえか! どうしてくれんだよ!」
「そんな気に病むことないわよぉ、トナカイの歌にあるでしょう? 暗い夜道は~てかてかの~、お前の鼻は~、やくにぃた~たない♪」
「そりゃあそうだろうけどさぁ!?」
デコはもう駄目だった。
口から紐の付いた白い煙みたいなのが昇っていた。
卵を持たぬシシャモ、ボギーも取れないくせにホールインワン保険、そんなレベルに成り下がってしまったのだ。
ちきしょお、使えないなんてもんじゃない……!
「じゃあ、そろそろ、はむっ、まむまむ、じゅぎょうを、んぐ、はじ、むしゃむしゃ、めましょうか、くちゃくちゃ」
全然始める気ねえじゃねえか、何で肉まん食ってんだコラ! 授業開始の合図と咀嚼音を同時に流すのがあんたの教育スタイルか!
あといい加減布団から出ろよ、布団から……ああっ、こんな、こんなゆとり妖怪のせいでデコが……!
「お前はゆかりんなんかじゃねえ! 断じて違う! ゆとり妖怪のゆとりんだ!!」
「いいけど?」
「いいのかよ!?」
「あ、辛子マスタード忘れたわ……」
「それこそどうでもいいよ!!」
「ええと、歴史でいいのよね? 幻想郷史と世界史あるけどどっちやるの?」
「……どっちでもいけるのか?」
「もちろん、私以上に歴史に詳しいものなんて世界中探してもいやしない」
ゆとりんからオーラが漂い出した。
なるほど、だらしないが大した自信だ、きちんとした知識はもってるらしい。
「それよりあなた達こそ、私の授業について来られるのかしら?」
「な、なんだと?」
「これから私は冬眠のために人間を蓄える必要があるの、もし私の質問に一問も答えられなかった、その時は……」
邪悪な笑みが顔一面に広まった。
「楽しみだわ、あなた達は骨が軋むとどんな声で泣くのかしら、くくく……」
「……く、食うのかよ?」
ゆとりんは答えなかった。
しかし、それこそが答えだった。
歴史を遡れば、里では何人もの人間が冬を前にして謎の失踪を遂げていた。
八雲 紫、タケシはその名前を思い出していた。
こいつが神隠しの主犯なんだ。
後ろにいるサブの顔は見れなかった、今見たらきっと酷い顔をしている、俺みたいに……。
「逃げるのは無理よ、あらゆる逃亡は結界の力に成立しない。さぁ、選びなさい、幻想郷史か世界史か」
「……どうする、サブ?」
「タケシ、俺なら幻想郷史だ。今まで黙ってたが、実は隠れて勉強はしてるんだ、テストは……わざと間違ってるだけで……」
「お前もか、実は俺もそうなんだ」
「……タケシぃ……」
「決まりだ! 授業は幻想郷史で頼む!」
八雲 紫がにぃと笑う。
アブラ、じゃなかったデコは完全に沈黙していたので無視された。
「第一問!」
張りのある声が響く、布団からは出てこない。
「次の三人の中から、最も古い人物を一人選べ。1.レミリア・スカーレット 2.西行寺 幽々子 3.八雲ゆかりん」
並び替えではないのか?
タケシは少しだけ安心した、どんな馬鹿でもこれなら三分の一は当たる。
しかもタケシは、稗田阿求が書く、幻想郷縁起第二巻(未完)を読んだことがあった。
死を操る白玉楼の亡霊、夜を支配する紅魔の王、それから――。
くそっ、他の二人の年代は解るのだが、八雲 紫の年齢だけは完璧なシークレットパイだ……!
だが逆に言えば、隠さないと困るような歳なのかもしれない。
大妖怪、最強、その言葉が正しいのならば、この二人を凌駕する数えるのも面倒くさい数字であってもおかしくない。
「待ってくれ、タケシ、サブ……!」
「ア、アブラ……」
「俺にやらせてくれないか?」
「しかし、お前、その身体じゃあ……」
「いいんだよ。正直なところ、お前らまで俺をアブラって呼び出したことの方が辛いよ……」
……アブラ、お前って奴は。
たった三文字の名が声に出すと意外にも清流のような響きがあった。
違和感はない、代わりに溢れ出る濃厚な肉汁、八雲 紫はなんて恐ろしい渾名をつけてしまったんだ。
「誰でもいいわ、早くなさいな」
「俺が答えるッ!」
「では何番?」
「答えは三番の八雲 紫。ゆかりん、お前が一番年長者だー!」
静けさは肌を刺すようだった。
部屋の温度が氷点下に引っ繰り返ったみたいだった。
アブラの頭上に大きな黒い何かが開いた。
そこから伸びた何本もの白い手が逃げるアブラを絡めとって、黒い隙間へと引っ張り上げていく。
顎を掴まれ歪んだ顔から、小さな悲鳴が聞こえた。
悲鳴だと思っていた、こんな状況だったから。
(負けるなよ、タケちゃん!)
彼はそう言っていたのだ。
懐かしい呼び方だった。
デコ、お前……。
タケシは唇を噛んだ、俺だって間違っていた、本当はそこに吸い込まれるのは俺のはずだった。
「……クソッ、正解は誰なんだよ!?」
八雲 紫は口笛を吹いていた。
もの悲しいフレーズの後に「ゆかりんはまだ18だから……」と付け加えた。
正解は解らなかった。
「問題は全部で三問。間違えば一人ずつ貰っていくわ」
後二人、後二問。
間違うわけにはいかない、デコの分まで……!
「第二問!」
澄んだ声が響くが、やっぱり布団から出てこない。
「タケシ、俺、これが終わったら――」
「やめろサブ、自分から死亡フラグなんて立てるもんじゃない……!」
「次の三つの出来事を年代順に並べ替えなさい! 1.ペタンコ大移民 2.上白沢慧音誕生 3.史上初、式が式を持った日」
今度も選択式かと思ったが、甘くなかった。
並び替えだ、これでは運任せにやった場合正解率は六分の一になってしまう。
「俺、ペタンコ大移民は知ってるぜ。紅魔館にペド吸血鬼が来た日だ『いよっ膨らんでない、1429年ペタンコ大移民』だ」
「ああ、それは俺も知ってる」
「慧音先生の歳はわからないが……確か里に迎えられたのが『いやーいいおっぱいですな 1811年』だからその少し前くらいじゃないか?」
「いい線いってると思うぜ」
「あとは……」
式が式を持った日、一体何のことだこれは。
「くそう、二つまで解ってるのに三分の一かよ!」
タケシとサブが頭を抱える。
ぺたんこの前か、それともおっぱいの後ろか、こっそり間に入るのか、これでは三択問題と変わらない。
「この際、おっぱいだから間に挟んじまうってのはどうだ!?」
サブの魅力的な提案に、タケシはうっと唸った。
しかし、それに従うのは早急すぎると思い直した。
考えるべきだ、漠然とした年代でも解れば、正解率は限りなく100%に近づく!
「あと、三十秒でーす」
「えぇ!? 時間制限!?」
そりゃねえだろぉ、と二人は情けない顔を作ったが敵がルールブックだからしょうがない。
身を焼くような焦りに耐え切れなくなったのか、脂汗を浮かべたサブが椅子を蹴り席から飛び出した。
「おい、サブッ!」
「あとがねぇ! タケシ、ここは、俺に任せろ、俺は俺の直感を信じてみたい!」
止められなかった。
テンカウントが教室に響きだす、サブがゆとりんに走りだす。
届かないサブに伸ばした片手は、タケシの優しさだったのか、それとも偽善だったのか。
「聞け、ゆとりん! 答えは1>3>2だー!」
ストーブの前の妖怪に対して、サブは拳を突きつけて叫んだ。
窓ガラスが震えるような絶叫の後、八雲 紫はにやにやしながら細い声でこう言った。
「ブー」
また回答者の頭上に黒い裂け目が出来る。
伸びる白い手がサブを捕まえていく、タケシは今度はその惨劇を見ていられなかった。
タケシは走った。
間近でもみくちゃにされてるサブが首を振った、タケシ、来るな、お前は残れと。
黒い隙間が閉じていく、サブを浚って閉じ込めてしまう。
サブ……。
倒れた椅子をそっと起こす。
さっきまで三人で粋がっていたのに、何でこんなことになってるんだろう……。
無性に悲しくなった、寂しくて嫌になった。
慧音先生よぉ、あんたは今何処にいるんだ……。
「ラストよ」
「俺、一人か……」
「あら、戦意喪失? ギブアップ?」
「冗談言うな、やれるだけやってやるぜ」
「まぁまぁ、強がっちゃって……救いの手も用意してあるんだけど……」
「え?」
「特別にあなたは助けてあげましょう、その代わり次の問題に答える権利を放棄しなさい」
「どういうことだそりゃ?」
「二人を生贄にしろってことよ。簡単でしょ?」
タケシはすぐに返答出来なかった。
頭が沸騰しそうだった、火にくべた石炭みたいに顔が真っ赤になった、ほんの一瞬でも揺れた自分の心が化け物に感じた。
「冗談じゃねえぞ、このゆとり妖怪! 仲間を売ってまで生き延びようだなんて思わねえ!」
「あら、いい案だと思うのだけど」
「ふざけんな! とっとと問題を出しやがれ!」
「はいはい」
馬鹿にしやがって……!
震えの収まらない指先をがっちりと組み合わせた。
懸命に二人との思い出を思い出した。
そうすれば戦えると思った。
あ、早速嫌なこと思い出した、あいつらあの時のアイスの代金払ってねえじゃねえか……!
50円ぱぴこを二人で分け合って、何故か俺だけが我慢したのに、更にツケにされちまって父ちゃんカンムリだったよ!
「あら、雰囲気一変ね」
「あいつらは……俺が死なせねえ……!」
「ふふふ、良い想い出があったみたい」
どう考えても嫌な思い出だが、ここは自分が死んだときも考えて美しい話にしておくべきだとタケシは思った。
「最後の問題よ!」
どんと来やがれ……!
「月から来た天才、八意永琳が地球で開発したもので、次の三つの中から間違っているものを一つ選べ! 1.銘酒 月世界 2.胡蝶夢丸ナイトメアタイプ 3.同人誌:恋する妹紅はせつなくて輝夜と戦うとついリザレクションしちゃうの」
机に頭を打ち付けた。
ひっかけにしたって三番が浮きすぎている。
人が生き死にかけて勝負してんのに、こんな問題で終わらせる気かよ。
「制限時間、三分!」
それでもこれが最終問題に違いない。
心臓の音がばくばく煩くて、強く歯を噛んだ。
落ち着くために外を見ようとしたが、結露で真っ白な窓に遮られそれは出来なかった。
3でいいんだろうか? もし、3で間違うとかなり格好が悪いぞ。
ゆかりんを見た、薄気味悪い笑いを浮かべたまま動かない。
解っているのは、二番ではないということだけ、三で間違えると格好悪いが、一にしたって違ってりゃあ人生終了だ。
「残り二分!」
駄目だ、苦しい。
今までこんな重大な選択をしたことがなかった。
自分の選択に責任を持つと言うのは、こんなに苦しいことなのか。
強がってたけど、俺達はガキのまんまだった。
順調に大人へと進んでいく奴らを馬鹿にしながら、奴らが通り過ぎたレールの傍で遊んでいるうちに、たぶん、ずっとそこに止まっていたくなったんだろうなって今になって思う……。
慧音先生、変わらぬあんたについて行きたかった。
「残り一分!」
一度目を瞑ると、開かなくなった。
目脂でくっついてしまったみたいになった。
頑張れ、二分の一だ。
半分は生きてる。
昔、慧音先生が言ってた半分死んでるっぽい猫って話を聞いて、なんだよそれって思ったけど……。
「三十秒!」
声に出した瞬間、生死が決まるのか。
このまま何もしない方が楽なんじゃないかって思えてきた。
そんなわけないのに、半分は助かる道があるってのに……いや、そうか、そうとも限らないか、答え合わせなんてないんだっけな。
じゃあ、あいつの手心一つで、俺の命なんてどうにでもなるじゃねえか。
嫌だ、もう……。
『タケちゃん!』
タケシの目が反射的に開いた。
少し離れたところにサブとデコがいた。
坊主頭で……昔の姿のデコが虫取り網を持って立っていた。
『らしくないぜ、タケシ! 取り戻すんだろ!?』
泥んこの膝頭を見せて、サブが笑う。
汚れた白いシャツが、ひどく尊いものに思えてきた。
みんな……忘れてなかったんだな……温かい思いがタケシの胸いっぱいに広がった。
『諦めちゃ駄目だぜ、タケちゃん』
デコ……そうだったな。
『そうさ、タケシは一人じゃない』
サブ……ありがとう。
『いまじゃ、すべてのパワーをメテオに』
フ……お前誰だよっ!?
「答えは決まったぜ、ゆとり妖怪!!」
誰だか知らないが、パワーだけ貰っておく。
タケシは机の上に足をかけて登り、立ち上がり、人差し指を勢いよくストーブの方に向けた。
「答えは1だぁ!!」
最後の声は腹の底から絞った、せめて気迫だけは勝たなくてはいけなかった。
ゆかりんは相変わらず薄ら笑いを浮かべていたが、布団のまま立ち上がると、ぴょんぴょん跳ねてストーブの周りで踊りだした。
おい、どっちなんだよ。
不正解が嬉しいのか、それとも正解を讃えてくれてるのか。
早く決めてくれよっ……!
「正解よ。酒は輝夜が頑張って作ったものなの」
――え!?
「……正解……か?」
「ゆ~かり~、ゆ~かり~、たーっぷりゆーかりーん♪」
「いや、歌はいいよ、正解なの!?」
「残念だけど、そうね」
「や、やった……サブ! デコ! 俺はやったぞぉおおお!!」
男らしく吼えたつもりがタケシの喉は潰れていて、声が裏返って格好悪かった。
それでも喜びが止まらないから困る、このパワーをたくさん集めれば確かにメテオが撃てるかもなと思った。
「じゃあ、マヨヒガに連れてった二人にも帰ってきてもらいましょうか、ほい」
タケシが催促する前に、サブとタケシは黒い穴から二人揃って落ちてきた。
「サブ、デコ!?」
「タケシ!」
「大丈夫かお前ら!? 怪我とかしてないか!?」
タケシは二人の身体を心配した、しかし怪我はなかった。
それどころか、デコとサブは酔っ払った彼らの父ちゃんみたいに、右手にお土産をぶら下げていた。
「いなり寿司……!?」
「猫の相手して遊んでたら、なんかお土産までもらっちゃってよ」
「おい、ゆかりん! これはどういう――!?」
タケシは振り向いた、だけどストーブの周りを踊っていたはずの八雲 紫の姿は何処にも無かった。
狐につままれた思いだった。
何事もなかったように、ストーブの火がちらついている。
幸せそうに暖を取るゆかりんの姿を思い出すと、そんな悪い奴じゃなかったような気がして笑いがこみ上げてきた。
やれやれ、出来すぎた夢だ。
何を選んでも不正解で、最後だけどれを選んでも正解だったのだろう。
「ゆかりん、いや紫先生、俺、あんたから学べたことはたくさんあったような感じがしてる」
「……」
「あんたは最高の――」
右を見ると布団がつっかえて穴に潜れず苦しんでるゆかりんがいた。
「……反面教師だったぜ」
―――――
教室に戻った上白沢慧音は三人の顔を見て、すぐに更生は成功したのだと息を吐いた。
口々に「テンコーさんが来てくれて助かった」とか「テンコーさんがゆとりんのケツを押し込んでくれた」とか意味不明なことを喋っていたが、その瞳に情熱が戻ったのは解った。
慧音は八雲紫が行う授業の内容を一切知らない。
テンコーさんとゆとりんというキーワードが、八雲紫の授業にどの様に関わっているのかを慧音は夢想してみる。
きっと私が行き届いていない、完全なる教育の理想がそこにあるのだろう。
「慧音先生授業を頼みます!」「だらしない大人にはなりたくありません!」「俺達が里の未来を作るんだ!」
ゆっくりと頷き、そして微笑んだ慧音は教壇に立つ。
「では、補習を再開する! 全員起立!」
よく通る号令、ゴミのない教室、やる気のある生徒。
慧音は紫への感謝の気持ちを一杯にして、幻想郷史Ⅰを開きチョークを握った。
ここからは慧音の戦いだ。
頑張れ慧音、負けるな慧音、女教師という肩書きではあなたが一歩リードしているぞ!
「時代はゆとり教育だろ、先生」
「さっさと解放してくれませんかねぇ」
上白沢慧音が受け持つ教室に、三人の生徒の声が競うように響いた。
生徒の一人は机に足を乗せ、もう一人は頬杖を付き、最後の一人は机に身体を預けて今にも寝そうだった。
トリオザ馬鹿と揶揄されるこの悪ガキグループには、慧音もほとほと手を焼いていた。
今日も歴史の赤点の補習にと集めてみれば、来るだけは毎回来るのだが、授業が始まるとやる気のなさが牙を剥く。
リーダーは駄菓子屋のタケシと呼ばれていた。非常に解りやすい。
サブリーダーはトイレに入る前にズボンを脱ぐ男だったが、皆にも良心があったのでそれは渾名にしなかった。
「せんせーい、聞いてんのかー?」
「つまんねぇ授業、いつまで続けてるんだよー」
慧音がきっと睨んでチョークを向けると「おっ、暴力ですかい?」とにやにやしながら訊いてくる。
駄菓子屋のタケシが「はん、満月じゃねえと怖くねえよ!」と続けると周りもそうだそうだと囃し立てた。
「君達、今しかないんだぞ? 勉強が出来る期間なんてあっという間に過ぎるんだ。社会に出てからあの時もっとやっていればと思ってたって取り戻しようがない時間が今なんだ」
優しい呼びかけも厳しい説得も、彼らに効果なかった。
今回もそっぽを向いて、耳に指突っ込んで耳クソをほじっている。
鼻じゃないだけお上品で宜しい、なんていわなければ良かったのにと、慧音先生は激しい後悔を覚えていた。
何とかしてやりたい。
しかし、自分が必死になればなるほど彼らの方が逃げていくのは解っていた。
たぶん、これは彼らなりの意地の張り方なのだ。
「今日私の話を聞く態度があるならば……そう思っていたのだが……」
「あぁ?」
「すまない、私の力不足のようだ。今日は君達の為に伝説の教師にご足労願っている」
「伝説の教師だとぉ?」
「幻想郷最強の妖怪にして楽園最強の教師だ」
「妖怪だって……? お、おい、暴力かよ!? 俺達は暴力に膝を折ったりしねえぞ!」
「それにPTAが黙っちゃいねえ!!」
「手荒なことはしないよ、一時間もあれば終わる。君達はただ授業を見守っていればいい」
「うるせぇ、更生なんてするもんか!」
「無駄だ、フォーナインという名を聞いたことくらいあるだろう? 彼女の授業での更生率は99.99%を超えている! どんな生徒でも一時間でだ!」
更生率99.99%。
確かに聞いたことがあった。
伝説か、もしくは過去の人だと思っていたのに。
タケシは鼻血を出していた。
しかしそれは鼻を穿りすぎただけで話の流れとは関係なかった。耳で止めておけば……!
「ど、どうすんだよ、タケシ」
「ブルってんじゃねえぞサブ、この先生だって半分は妖怪じゃねえか。案外たいしたことねえよ!」
「そ、そうだよな、食われたりしねえよな?」
タケシは手の平のじっとりとした汗を隠すようにして握った。
もちろんサブも、それから、えーっと……影の薄い三番目の人も似たようなものだった。
一体どんな化け物が来るってんだ。
こんなはずでは……顔を上げると、慧音先生が教室のドアに手をかけてるのが見えた。
――待ってくれよ先生!
そんな喉元まで来た言葉をタケシは飲み込んだ。
恐怖だけじゃなかった。別の理由があった。
実はこの少年達がやりもしない補習に出てくるのには共通の理由がある。
悪いのは全て思春期だ、思春期がおっぱいの引力に勝てるわけないじゃないか、ああ、そうだとも。
ざわっ・・・
ざわっ・・・
別段誰かが話してるわけでもないのに、賭博漫画的なざわめきが教室に起こった。
先生のいなくなった教室にもう用なんてない……しかし、ここで帰ってしまえばチキン野郎と呼ばれてしまう。
チキン野郎――トイレのサブよりはましかもしれない、サブはサブでもスーパーサブとは本人談。
十分が経ち、授業開始の鐘が鳴った。
「おい……来ねぇぞ?」
誰も現れない、そういう影すらない。
不安になって窓から外をみたが、それらしき人物が近づいてくる気配もない。
更に五分が経過したとき――。
「巌流島だ」
と、サブが言った。
「巌流島だと?」
「知らねえのかタケシ、敢えて遅れてくることで主導権を握るんだぜ?」
反論してやりたかった。
てめぇ慧音先生に褒められたい為に歴史を勉強しやがったな! と。
しかし、それは自分もそうであったので言えなかった。
暇を持て余した三人は、教壇の右手にある鉄柵で囲ってる大きなストーブに身を寄せた。
ストーブはチンチンと真っ赤に燃えている。
蓋の部分に水滴を落とすと一瞬で蒸発する様が面白くて、小さい頃に良く遊んで怒られたのを思い出す。
「……帰ろうぜ、はったりだったんだよ」
単純なノスタルジーではなかった、慧音先生の笑顔が胸に痛かった。
タケシはかばんを持ち上げて、出口に足を向けた。
そのとき、何処かで音がした。
「あん?」
ずももも、とか、ぐごごご、という表現するのも苦しい変な音がした。
ブラックホールでも迫ってきてるみたいな……。
他の二人も耳に入ったみたいで、不安から三人の間の距離が狭まった。
「この音……こっちに、きてんじゃねえか?」
「よせよ……」
「来てるよ、これ近いよ! 最強の妖怪とやらがこっちに来てるんだ!」
「よせってデコ!」
音は怖いが、ここに居続けるのはもっと怖い。
タケシは半ばやけくそになって出口に向かって進んだ。
辿り着いた時には扉一枚挟んですぐ向こうから音が聞こえていた。ずもももも。
「は……はったりだ……そんなVIPが、こんなちんけな里に来るわけねえ!」
扉に手をかけた。
――ドーン
瞬間、タケシの身体がぽーんと弾かれた。
立派な放物線を描いて二人の立つ位置に戻ってきた。
ついでに上から一緒に飛ばされた扉が降ってきて、タライみたいな音を立てて追い討ちした。
「ち、ちきしょおお! なんだよ!?」
扉を両手で押しのける、前を見る。
――え、布団?
カタツムリみたいに見えた。
丸まった布団がごろごろと転がっていた。
「どうやら、間に合ったみたいね」
丸まった布団が縦に伸びると、簀巻きのようだった。
悪い妖怪に捕まると簀巻きにされて川に流されるとタケシ達は聞いていたが、それはまさに簀巻きだった。
その先からにょーんと出た顔が、時計を見て呟いたのが「どうやら、間に合ったみたいね」だ。
……全然間に合ってねえよ。
とは、怖くて誰も突っ込めなかった。
授業開始の鐘が鳴ってから、既に三十分は経っていた。
「お、おい、あんたは誰なんだ」
こんな最強の妖怪は聞いたことがない。
目の前にいるのはどう見てもモノグサな人間だった。
金色の髪はほつれ、目も半分くらいしか開いてない昼間っからすっぴんの人だった。
すっぴんだけどべっぴんだ。デラべっぴん。すげぇ美人ですという方言であり褒め言葉である。
タケシ達がどう対処していいか解らず悩んでいると、布団妖怪はもそもそと布団に包まれたまま動き始めた。
何処に向かっている……?
この方向は……教壇なのか? するとやっぱり先生?
「いや、違う、こいつは――!」
ストーブだ、ストーブを目指して進軍している!
一番温かい場所を目指して、本能的に前進しているのだ!
「タ、タケシ……!」
解ってる。ここを取られては、負けたも同然だ。
自己紹介も済んでない先生にいきなり地の利を奪われてたまるか!
三人は一致団結して防御の構えを見せた、しかしそれは睨みだけで特に攻撃したわけではなかったのだが、一方、布団妖怪は容赦ない物理攻撃をした。布団ドロップキック。
三人は後退を余儀なくされ、しぶしぶと教室の後ろの席に座った。
タケシ達がストーブに近づこうとするものなら、跳ねて威嚇するのでそれは出来ない……!
「あったかぁーん」
布団妖怪は幸せそうだった。
顔も紅茶に入れたバターのように溶けかかっている。
「あ、あの、ちょっといいか?」
「んふー、幸せぇ」
「あんた、慧音先生が呼んだ最強の先生であってるのか?」
「えー? そうよぉ?」
「だったら、ほら、まずは自己紹介とかあるだろ?」
「自己紹介かぁ…………八雲ゆかりん18歳でーす、よろしくー♪」
えぇ……という声が後ろから上がった。
瞬きする暇もなく、サブが謎の墓石につぶされていた。
「サ、サブゥーーー!!」
「人の痛みくらい考えて発言しなさい!!」
怒られた、怒られちまったよ、しかし、どう考えても精神的にも肉体的にもサブが一番痛いじゃん。
どうやらこの妖怪が強いのは間違いないらしいとタケシは気付いた。
にしたって幻想郷最強はさすがにねえだろ。
「あ、あんたの実力はよくわかった、ここは穏便にいこうじゃないか八雲先生」
「ゆかりんと呼びなさい。それと、あまり近くに寄らないで、熱効率が下がっちゃうわ」
効率って、今だって一人でストーブをがっちり抱え込んでるじゃないっすか……。
まだ満足いかないのか、どれだけゆとりのスペースを確保するつもりだ。
大体遅刻しといて、このゆとりっぷりである。
タケシ達は今まで女教師と言えば慧音先生しか知らなかった。
清潔で規律正しく大和撫子の慧音先生と、モノグサで自分勝手でパツ金のゆかりん。
これを同じ先生にカテゴライズするのは教育への冒涜じゃないかと彼らは思う。
時間を置いて、サブがなんとか復帰していた。
頑張る男だ、倒れていた方が楽だったかもしれないのに。
「藍が家を掃除中だから、一時間だけ授業をしてあげてもよくってよ」
……家を?
聞いた途端、三人の頭に暗雲が漂った。
まさかこの人、掃除中の家人に邪魔扱いされて家を追い出されてここに来たんじゃ……。
慌てて首を振ったのも三人同時だ。
おいおい、そんな先生がいるものか、聖職者だろ、いくらそうは見えなくても!
「信じてよ!」
信じられなくなった。
「それよりあなた達の自己紹介はどうしたのよ?」
それはその通りだと思う。
「俺は駄菓子屋のタケシ、後ろはサブリーダーのサブ、一番隅にいるのがデコだ」
「デコ? 覚えにくいから最後のはアブラって呼ぶわね」
「え、いやそれアブラの方が覚えにくいだろっていうか、もう少しましな名前なかったのかよっていうか、なんで?」
「鼻の頭がてかってるから」
「それだけで!!?」
「ええ」
――ゴシカァーン!
「ああっ、しっかりしろデコ! お、お前はデコだぁー! アブラじゃねえー!」
「アラブのアブラね」
「何が言いたいのかわかんないが、この先生デコの傷口だけは確実に広げやがった! 見ろよ! 乾燥したワカメみたいになってるじゃねえか! どうしてくれんだよ!」
「そんな気に病むことないわよぉ、トナカイの歌にあるでしょう? 暗い夜道は~てかてかの~、お前の鼻は~、やくにぃた~たない♪」
「そりゃあそうだろうけどさぁ!?」
デコはもう駄目だった。
口から紐の付いた白い煙みたいなのが昇っていた。
卵を持たぬシシャモ、ボギーも取れないくせにホールインワン保険、そんなレベルに成り下がってしまったのだ。
ちきしょお、使えないなんてもんじゃない……!
「じゃあ、そろそろ、はむっ、まむまむ、じゅぎょうを、んぐ、はじ、むしゃむしゃ、めましょうか、くちゃくちゃ」
全然始める気ねえじゃねえか、何で肉まん食ってんだコラ! 授業開始の合図と咀嚼音を同時に流すのがあんたの教育スタイルか!
あといい加減布団から出ろよ、布団から……ああっ、こんな、こんなゆとり妖怪のせいでデコが……!
「お前はゆかりんなんかじゃねえ! 断じて違う! ゆとり妖怪のゆとりんだ!!」
「いいけど?」
「いいのかよ!?」
「あ、辛子マスタード忘れたわ……」
「それこそどうでもいいよ!!」
「ええと、歴史でいいのよね? 幻想郷史と世界史あるけどどっちやるの?」
「……どっちでもいけるのか?」
「もちろん、私以上に歴史に詳しいものなんて世界中探してもいやしない」
ゆとりんからオーラが漂い出した。
なるほど、だらしないが大した自信だ、きちんとした知識はもってるらしい。
「それよりあなた達こそ、私の授業について来られるのかしら?」
「な、なんだと?」
「これから私は冬眠のために人間を蓄える必要があるの、もし私の質問に一問も答えられなかった、その時は……」
邪悪な笑みが顔一面に広まった。
「楽しみだわ、あなた達は骨が軋むとどんな声で泣くのかしら、くくく……」
「……く、食うのかよ?」
ゆとりんは答えなかった。
しかし、それこそが答えだった。
歴史を遡れば、里では何人もの人間が冬を前にして謎の失踪を遂げていた。
八雲 紫、タケシはその名前を思い出していた。
こいつが神隠しの主犯なんだ。
後ろにいるサブの顔は見れなかった、今見たらきっと酷い顔をしている、俺みたいに……。
「逃げるのは無理よ、あらゆる逃亡は結界の力に成立しない。さぁ、選びなさい、幻想郷史か世界史か」
「……どうする、サブ?」
「タケシ、俺なら幻想郷史だ。今まで黙ってたが、実は隠れて勉強はしてるんだ、テストは……わざと間違ってるだけで……」
「お前もか、実は俺もそうなんだ」
「……タケシぃ……」
「決まりだ! 授業は幻想郷史で頼む!」
八雲 紫がにぃと笑う。
アブラ、じゃなかったデコは完全に沈黙していたので無視された。
「第一問!」
張りのある声が響く、布団からは出てこない。
「次の三人の中から、最も古い人物を一人選べ。1.レミリア・スカーレット 2.西行寺 幽々子 3.八雲ゆかりん」
並び替えではないのか?
タケシは少しだけ安心した、どんな馬鹿でもこれなら三分の一は当たる。
しかもタケシは、稗田阿求が書く、幻想郷縁起第二巻(未完)を読んだことがあった。
死を操る白玉楼の亡霊、夜を支配する紅魔の王、それから――。
くそっ、他の二人の年代は解るのだが、八雲 紫の年齢だけは完璧なシークレットパイだ……!
だが逆に言えば、隠さないと困るような歳なのかもしれない。
大妖怪、最強、その言葉が正しいのならば、この二人を凌駕する数えるのも面倒くさい数字であってもおかしくない。
「待ってくれ、タケシ、サブ……!」
「ア、アブラ……」
「俺にやらせてくれないか?」
「しかし、お前、その身体じゃあ……」
「いいんだよ。正直なところ、お前らまで俺をアブラって呼び出したことの方が辛いよ……」
……アブラ、お前って奴は。
たった三文字の名が声に出すと意外にも清流のような響きがあった。
違和感はない、代わりに溢れ出る濃厚な肉汁、八雲 紫はなんて恐ろしい渾名をつけてしまったんだ。
「誰でもいいわ、早くなさいな」
「俺が答えるッ!」
「では何番?」
「答えは三番の八雲 紫。ゆかりん、お前が一番年長者だー!」
静けさは肌を刺すようだった。
部屋の温度が氷点下に引っ繰り返ったみたいだった。
アブラの頭上に大きな黒い何かが開いた。
そこから伸びた何本もの白い手が逃げるアブラを絡めとって、黒い隙間へと引っ張り上げていく。
顎を掴まれ歪んだ顔から、小さな悲鳴が聞こえた。
悲鳴だと思っていた、こんな状況だったから。
(負けるなよ、タケちゃん!)
彼はそう言っていたのだ。
懐かしい呼び方だった。
デコ、お前……。
タケシは唇を噛んだ、俺だって間違っていた、本当はそこに吸い込まれるのは俺のはずだった。
「……クソッ、正解は誰なんだよ!?」
八雲 紫は口笛を吹いていた。
もの悲しいフレーズの後に「ゆかりんはまだ18だから……」と付け加えた。
正解は解らなかった。
「問題は全部で三問。間違えば一人ずつ貰っていくわ」
後二人、後二問。
間違うわけにはいかない、デコの分まで……!
「第二問!」
澄んだ声が響くが、やっぱり布団から出てこない。
「タケシ、俺、これが終わったら――」
「やめろサブ、自分から死亡フラグなんて立てるもんじゃない……!」
「次の三つの出来事を年代順に並べ替えなさい! 1.ペタンコ大移民 2.上白沢慧音誕生 3.史上初、式が式を持った日」
今度も選択式かと思ったが、甘くなかった。
並び替えだ、これでは運任せにやった場合正解率は六分の一になってしまう。
「俺、ペタンコ大移民は知ってるぜ。紅魔館にペド吸血鬼が来た日だ『いよっ膨らんでない、1429年ペタンコ大移民』だ」
「ああ、それは俺も知ってる」
「慧音先生の歳はわからないが……確か里に迎えられたのが『いやーいいおっぱいですな 1811年』だからその少し前くらいじゃないか?」
「いい線いってると思うぜ」
「あとは……」
式が式を持った日、一体何のことだこれは。
「くそう、二つまで解ってるのに三分の一かよ!」
タケシとサブが頭を抱える。
ぺたんこの前か、それともおっぱいの後ろか、こっそり間に入るのか、これでは三択問題と変わらない。
「この際、おっぱいだから間に挟んじまうってのはどうだ!?」
サブの魅力的な提案に、タケシはうっと唸った。
しかし、それに従うのは早急すぎると思い直した。
考えるべきだ、漠然とした年代でも解れば、正解率は限りなく100%に近づく!
「あと、三十秒でーす」
「えぇ!? 時間制限!?」
そりゃねえだろぉ、と二人は情けない顔を作ったが敵がルールブックだからしょうがない。
身を焼くような焦りに耐え切れなくなったのか、脂汗を浮かべたサブが椅子を蹴り席から飛び出した。
「おい、サブッ!」
「あとがねぇ! タケシ、ここは、俺に任せろ、俺は俺の直感を信じてみたい!」
止められなかった。
テンカウントが教室に響きだす、サブがゆとりんに走りだす。
届かないサブに伸ばした片手は、タケシの優しさだったのか、それとも偽善だったのか。
「聞け、ゆとりん! 答えは1>3>2だー!」
ストーブの前の妖怪に対して、サブは拳を突きつけて叫んだ。
窓ガラスが震えるような絶叫の後、八雲 紫はにやにやしながら細い声でこう言った。
「ブー」
また回答者の頭上に黒い裂け目が出来る。
伸びる白い手がサブを捕まえていく、タケシは今度はその惨劇を見ていられなかった。
タケシは走った。
間近でもみくちゃにされてるサブが首を振った、タケシ、来るな、お前は残れと。
黒い隙間が閉じていく、サブを浚って閉じ込めてしまう。
サブ……。
倒れた椅子をそっと起こす。
さっきまで三人で粋がっていたのに、何でこんなことになってるんだろう……。
無性に悲しくなった、寂しくて嫌になった。
慧音先生よぉ、あんたは今何処にいるんだ……。
「ラストよ」
「俺、一人か……」
「あら、戦意喪失? ギブアップ?」
「冗談言うな、やれるだけやってやるぜ」
「まぁまぁ、強がっちゃって……救いの手も用意してあるんだけど……」
「え?」
「特別にあなたは助けてあげましょう、その代わり次の問題に答える権利を放棄しなさい」
「どういうことだそりゃ?」
「二人を生贄にしろってことよ。簡単でしょ?」
タケシはすぐに返答出来なかった。
頭が沸騰しそうだった、火にくべた石炭みたいに顔が真っ赤になった、ほんの一瞬でも揺れた自分の心が化け物に感じた。
「冗談じゃねえぞ、このゆとり妖怪! 仲間を売ってまで生き延びようだなんて思わねえ!」
「あら、いい案だと思うのだけど」
「ふざけんな! とっとと問題を出しやがれ!」
「はいはい」
馬鹿にしやがって……!
震えの収まらない指先をがっちりと組み合わせた。
懸命に二人との思い出を思い出した。
そうすれば戦えると思った。
あ、早速嫌なこと思い出した、あいつらあの時のアイスの代金払ってねえじゃねえか……!
50円ぱぴこを二人で分け合って、何故か俺だけが我慢したのに、更にツケにされちまって父ちゃんカンムリだったよ!
「あら、雰囲気一変ね」
「あいつらは……俺が死なせねえ……!」
「ふふふ、良い想い出があったみたい」
どう考えても嫌な思い出だが、ここは自分が死んだときも考えて美しい話にしておくべきだとタケシは思った。
「最後の問題よ!」
どんと来やがれ……!
「月から来た天才、八意永琳が地球で開発したもので、次の三つの中から間違っているものを一つ選べ! 1.銘酒 月世界 2.胡蝶夢丸ナイトメアタイプ 3.同人誌:恋する妹紅はせつなくて輝夜と戦うとついリザレクションしちゃうの」
机に頭を打ち付けた。
ひっかけにしたって三番が浮きすぎている。
人が生き死にかけて勝負してんのに、こんな問題で終わらせる気かよ。
「制限時間、三分!」
それでもこれが最終問題に違いない。
心臓の音がばくばく煩くて、強く歯を噛んだ。
落ち着くために外を見ようとしたが、結露で真っ白な窓に遮られそれは出来なかった。
3でいいんだろうか? もし、3で間違うとかなり格好が悪いぞ。
ゆかりんを見た、薄気味悪い笑いを浮かべたまま動かない。
解っているのは、二番ではないということだけ、三で間違えると格好悪いが、一にしたって違ってりゃあ人生終了だ。
「残り二分!」
駄目だ、苦しい。
今までこんな重大な選択をしたことがなかった。
自分の選択に責任を持つと言うのは、こんなに苦しいことなのか。
強がってたけど、俺達はガキのまんまだった。
順調に大人へと進んでいく奴らを馬鹿にしながら、奴らが通り過ぎたレールの傍で遊んでいるうちに、たぶん、ずっとそこに止まっていたくなったんだろうなって今になって思う……。
慧音先生、変わらぬあんたについて行きたかった。
「残り一分!」
一度目を瞑ると、開かなくなった。
目脂でくっついてしまったみたいになった。
頑張れ、二分の一だ。
半分は生きてる。
昔、慧音先生が言ってた半分死んでるっぽい猫って話を聞いて、なんだよそれって思ったけど……。
「三十秒!」
声に出した瞬間、生死が決まるのか。
このまま何もしない方が楽なんじゃないかって思えてきた。
そんなわけないのに、半分は助かる道があるってのに……いや、そうか、そうとも限らないか、答え合わせなんてないんだっけな。
じゃあ、あいつの手心一つで、俺の命なんてどうにでもなるじゃねえか。
嫌だ、もう……。
『タケちゃん!』
タケシの目が反射的に開いた。
少し離れたところにサブとデコがいた。
坊主頭で……昔の姿のデコが虫取り網を持って立っていた。
『らしくないぜ、タケシ! 取り戻すんだろ!?』
泥んこの膝頭を見せて、サブが笑う。
汚れた白いシャツが、ひどく尊いものに思えてきた。
みんな……忘れてなかったんだな……温かい思いがタケシの胸いっぱいに広がった。
『諦めちゃ駄目だぜ、タケちゃん』
デコ……そうだったな。
『そうさ、タケシは一人じゃない』
サブ……ありがとう。
『いまじゃ、すべてのパワーをメテオに』
フ……お前誰だよっ!?
「答えは決まったぜ、ゆとり妖怪!!」
誰だか知らないが、パワーだけ貰っておく。
タケシは机の上に足をかけて登り、立ち上がり、人差し指を勢いよくストーブの方に向けた。
「答えは1だぁ!!」
最後の声は腹の底から絞った、せめて気迫だけは勝たなくてはいけなかった。
ゆかりんは相変わらず薄ら笑いを浮かべていたが、布団のまま立ち上がると、ぴょんぴょん跳ねてストーブの周りで踊りだした。
おい、どっちなんだよ。
不正解が嬉しいのか、それとも正解を讃えてくれてるのか。
早く決めてくれよっ……!
「正解よ。酒は輝夜が頑張って作ったものなの」
――え!?
「……正解……か?」
「ゆ~かり~、ゆ~かり~、たーっぷりゆーかりーん♪」
「いや、歌はいいよ、正解なの!?」
「残念だけど、そうね」
「や、やった……サブ! デコ! 俺はやったぞぉおおお!!」
男らしく吼えたつもりがタケシの喉は潰れていて、声が裏返って格好悪かった。
それでも喜びが止まらないから困る、このパワーをたくさん集めれば確かにメテオが撃てるかもなと思った。
「じゃあ、マヨヒガに連れてった二人にも帰ってきてもらいましょうか、ほい」
タケシが催促する前に、サブとタケシは黒い穴から二人揃って落ちてきた。
「サブ、デコ!?」
「タケシ!」
「大丈夫かお前ら!? 怪我とかしてないか!?」
タケシは二人の身体を心配した、しかし怪我はなかった。
それどころか、デコとサブは酔っ払った彼らの父ちゃんみたいに、右手にお土産をぶら下げていた。
「いなり寿司……!?」
「猫の相手して遊んでたら、なんかお土産までもらっちゃってよ」
「おい、ゆかりん! これはどういう――!?」
タケシは振り向いた、だけどストーブの周りを踊っていたはずの八雲 紫の姿は何処にも無かった。
狐につままれた思いだった。
何事もなかったように、ストーブの火がちらついている。
幸せそうに暖を取るゆかりんの姿を思い出すと、そんな悪い奴じゃなかったような気がして笑いがこみ上げてきた。
やれやれ、出来すぎた夢だ。
何を選んでも不正解で、最後だけどれを選んでも正解だったのだろう。
「ゆかりん、いや紫先生、俺、あんたから学べたことはたくさんあったような感じがしてる」
「……」
「あんたは最高の――」
右を見ると布団がつっかえて穴に潜れず苦しんでるゆかりんがいた。
「……反面教師だったぜ」
―――――
教室に戻った上白沢慧音は三人の顔を見て、すぐに更生は成功したのだと息を吐いた。
口々に「テンコーさんが来てくれて助かった」とか「テンコーさんがゆとりんのケツを押し込んでくれた」とか意味不明なことを喋っていたが、その瞳に情熱が戻ったのは解った。
慧音は八雲紫が行う授業の内容を一切知らない。
テンコーさんとゆとりんというキーワードが、八雲紫の授業にどの様に関わっているのかを慧音は夢想してみる。
きっと私が行き届いていない、完全なる教育の理想がそこにあるのだろう。
「慧音先生授業を頼みます!」「だらしない大人にはなりたくありません!」「俺達が里の未来を作るんだ!」
ゆっくりと頷き、そして微笑んだ慧音は教壇に立つ。
「では、補習を再開する! 全員起立!」
よく通る号令、ゴミのない教室、やる気のある生徒。
慧音は紫への感謝の気持ちを一杯にして、幻想郷史Ⅰを開きチョークを握った。
ここからは慧音の戦いだ。
頑張れ慧音、負けるな慧音、女教師という肩書きではあなたが一歩リードしているぞ!
ゆかりん、クイズ三つ出しただけじゃねぇかw
無頼の日々、今はただ悔ゆるのみ。
今日ただいまよりゆかりんの講義をお受け致したく……。
マジお茶吹いた
ハメハメハ大王のメロディに合わせて♪
えーりんあんた何作ってんだw
これなら渡り合えるでしょう
少し甘えるぞ
そーだよなぁ……思春期の漢が少人数のクラスで目の前にあんなツインウェポンぶら下げられちゃあ……なぁ?
文科省にはこんな深謀深慮があったのですねww
ふーーんーーーふーーんふーーんふふふーーーーんふーーーーーん
ふーーんふんふんふんふんふんふんふーーーーーんふーー
(×2)
あ
これがゆあきんファンタジアwww
>更生しなかった0.01パーセントの学生
この生き方に憧れて、ゆかりん2号になったのかと。
ゆかりんかういいよ!
年号が頭から離れない。
と冷静になってしまった自分は負け組みorz
別の・・・いや、なんでもないです。