ふと、メイド長は思った。
「……美鈴に何かプレゼントしようかしら」
「え?」
「あ、ううん。こっちの話。それよりも、仕事はまだ山のようにあるのだから。サボらないように」
「あ、はーい」
いけないいけない、他人に聞かれるところだった。
自分は何より、現在、メイドとしての仕事中ではないか。どうして、そんなことを考えてしまったのだろう。
ふと、窓から外を見る。
寒風吹きすさぶ木枯らしの候を過ぎ、徐々に季節は白一色の世界へと移ろいゆく頃。ああ、だからなのかな、と彼女は思って。
ごめんなさい、と言ってその場を後にした。
「美鈴は――」
「はい?」
「……その……た、ただの参考だからね? その……美鈴は、今、何か欲しいものはある?」
「はい?」
全く同じ返答をしてくれる彼女を前に、じれったさと苛立ちと、同時に、ほんの少しの心の高揚を覚えながら、「だから、欲しいものよ!」と声を荒げる。
時刻、すでに夜中。結局、あの後は踏ん切りがつかず、当の送り相手が仕事を終えるまで時間がずれ込んでしまっていたのだ。
「欲しいもの……ですか」
「そ、そう。ほら、この前、お嬢様が、『たまには館のみんなをねぎらってやるのも悪くないわね』って言っていたから、私が聞いて回っているの」
とっさの嘘にしては、かなり上出来な類かもしれない。紅魔館トップを刻む、ちみっちゃいお嬢様の名前を出せば、大抵、この館の中では何でもオッケーだ。
それを受けて、美鈴は、ん~、と眉根を寄せた後、一言。
「咲夜さんの気持ちが欲しいですね~」
「……へっ?」
「プレゼント、くれるんですよね?」
「あ、ち、ちょっと!?」
「甘いですよ、咲夜さん。私にそんな嘘は通用しませんか・らっ」
「きゃっ……」
後のワーハクタクは語る。
美鈴殿、冒険しすぎだ、と。
「……昨日は失敗だったわ」
朝、目が覚めてみれば腰が痛かった。その張本人に治療をしてもらってから、彼女は、知識の集まる場所――ヴワル図書館へと足を運び、手当たり次第に『プレゼント』関連の本をあさる。ちなみにそのタイトルには、いずれも、『あの人に贈る』だの『あなたの気持ちを伝える』だの『愛故に』だのといった接頭語がつくのだが、果たして、今のメイド長にそのタイトルは目に入っているのだろうか。
「うーん……」
「何してるの?」
「ひゃっ!?」
背中からかかった声に振り向けば、この頃は、人差し指でメガネを直す仕草がすっかりお似合いとなった図書館の主がいた。「邪魔よ」とにべもなく言って、手にした本を書棚へと戻し、そして新たな一冊を取り出して歩いていく。
「あ、あの!」
「何?」
声を上げてしまってから、一瞬、言葉に詰まり――、
「そ、その……パチュリー様は、他人から贈られて嬉しい贈り物ってありますか?」
「本」
「……そ、そうですか……」
「私が見たこともないような知識を携えた、それこそ伝説に残るクラスの本ならなおよしね。
まぁ、それも嬉しいけれど、やはりこの時期、寒くなってくるから。あったかい、手編みのマフラーとかも嬉しいかしら」
「は、はい……」
「それが何か?」
「い、いいえ……」
そう、と答えて彼女は歩いていってしまった。さりげなく、彼女は咲夜にアドバイスを行ったのだが、やっぱりそれにも気づかず、咲夜は図書館を後にしてしまう。
「……全く。積極的なんだか鈍感なんだか」
「魔界にもいますよ、ああ言う人」
「いるの?」
「はい。私の知り合いには、淫魔なのに純情可憐で奥手なのとか」
「あなたにふさわしい友人ね」
「……それってほめられてる?」
そんな咲夜の様子を魔法で尾行していたパチュリーは「まぁ、じれったい恋愛ほど、きっかけがあったら一段飛ばしよね」とつぶやいたのだった。
さらにもう一日。
思えば、何で贈り物なんて考えたのかなと思いながら、咲夜は日がな一日仕事に励む。そんな中でも、視線は、ことある事に窓の向こうに向いたりするものだから、そういうことに興味津々の、主に年若いメイド達には注目の的だ。
「咲夜」
「あ、お嬢様……」
「相変わらずふぬけているようね。性根をたたき直して欲しい?」
「も、申しわけありません」
「ま、いいのだけど。
こら、そこの! 見てないで仕事なさい!」
『は、はいっ!』
ちみっちゃくてもお嬢様はお嬢様。館内におけるカリスマ……というか、ある意味での権力は圧倒的である。彼女に指示され、咲夜をだしに、何やら妄想を繰り広げていたメイド達が蜘蛛の子を散らすようにぱっと仕事の場に散っていく。
「秋はもう過ぎて、そろそろ冬に向かうのよ。これから冬を越すための用意を始めないといけないというのに。それなのに、率先して仕事をしなくてはいけないあなたがぼんやりしていてどうするの」
「はあ……どうにも……。いえ、これは私事ですから……」
「まぁ、いいわ。はいこれ」
「……これは?」
「グラスが足りなくなったの。買ってきなさい」
渡されたのはメモ用紙。そこにお使いリストが示されている。咲夜はそれを受け取り、かしこまりました、と紅魔館を飛び立った。
向かう先は、これまたいつもの如く香霖堂。
「けど……足りなくなった、にしては数が少ないわね」
ワイングラスを二つ。それが咲夜に言い渡されたお使いである。
ともあれ、それならそれでいいと判断したのか、それを不思議に思うことをやめて、彼女の視線は、やがて一軒の建物へ。
「ごめんください」
「やあ、いらっしゃい」
相変わらずの物好き店主は、またどこかから拾ってきたのだろう、よくわからないアイテムを前にためつすがめつをしているところだった。来客を見て、彼が顔を上げて笑みを浮かべる。
「この寒い中、その服で飛んでくるのは辛いだろう?」
「仕事ですので」
「大したものだ。
ちょっとコーヒーを用意しよう」
「い、いえ。お構いなく」
「そうかい? 珍しく、魔理沙が『お裾分けだ』って持ってきたから、君に飲んでもらおうと思ったんだが」
一瞬、『それって毒味?』と考えてしまい、ぶしつけな自分を叱咤する。
「それで、今日はどのような?」
「は、はい。こちらを……」
「ふむ」
渡されたメモ用紙を一瞥して「ちょうどいいのがあるよ」と彼は奥へと引っ込んでいった。
待つことしばし。どんがらがっしゃーん! というけたたましい騒音と「ぬおぉぉぉぉっ!?」というよくわからない悲鳴が響いてきて、咲夜が顔を引きつらせた頃、店の奥から店主が戻ってくる。何食わぬ顔をしているが、その事態を物語るのか、おでこが赤かった。
「……大丈夫ですか?」
「いや、問題ない。
ところで、これだ」
差し出されたのは、豪華なガラスケースの中に入ったワイングラスだった。普通のワイングラスとはひと味もふた味も違う、精緻な細工のなされたそれには、グラスの足に宝石まで埋め込まれている。紫と赤の宝石――アメシストとルビーだ。
「こんな高価なものを……? い、いえ、私は普段使っているもので……」
「逆だよ。こんな高価なものだからこそ、高貴な血筋のお嬢様が住まうお館に似合うと思ったんだ」
「ですが……」
「それに、こんな高価なワイングラスが似合うものなんて、君たち以外にはいないだろう?」
言われてみて、確かに、と思わずうなずいてしまう。
しかし、それでは図々しいと思ったのか「持ち合わせがありませんし」と穏便に、咲夜はそれを断ろうとする。だが、珍しく――あるいは、あり得ないことだが、店主は「お代はいらないよ」と笑った。
「えっ!?」
「僕は守銭奴じゃない。それに加えて、今回、これを仕入れたのには、何か運命的な不作為を感じてね。それで、これに似合う人間が誰か来ないかと、実は手ぐすね引いて待ちかまえていたのさ」
「しかし……」
「確かに、普通に売ったら十万……あるいは、三十万くらいでも売れるかもしれない。
ただね、何にだってそうなんだが、ものには魂が宿る。汚れなき魂を携えているであろうこの子達に、『金銭』という俗世の穢れを押し付けてしまうのはあまりに不憫だ。
そこで、僕は聖人君子の教えを持って、君たちに施しを行うことにした――それでいいだろう?」
取り方にとっては押しつけがましい、恩着せがましい物言いだが、それでも店主の心意気を理解するには十分だった。そこまで言われては咲夜も引き下がれないのか、ありがとうございます、と頭を下げる。
「どれ、待っていなさい。今、ラッピングしよう」
「はい」
その時、つと、店主の浮かべた小さな笑みに咲夜も笑みで返す。
もちろん、店主の笑みに、その笑み以上の意味合いがあったとは――その時の彼女は、気づきもしなかったのだが。
「何やっていたの」
「え?」
帰るなり、咲夜を待っていたのはちっちゃいお嬢様の叱責だった。
思わぬ収穫に、確かに浮かれ気味だったことは認めるが、それでも叱責を受けるいわれなどない。まさか、『その浮かれた顔を引き締めなさい』とでも言われるのだろうか。それはほぼ因縁づけではなかろうか。そんなことを思っている咲夜に「遅いのよ」とレミリア。
「あなたがなかなか帰ってこないものだから、代わりの子に別のものを買ってきてもらったのよ」
「ええっ!?」
「全く。のろまなんだから」
紅魔館を飛び立って、過ぎた時間は二時間ほど。ここからあの店への往復時間を考えれば、むしろ迅速な道行きだったと言っていいだろう。にも拘わらず、そんな言葉を投げかけられて、咲夜は意気消沈する。
「ともかく、それはもういらないわ。あなたの好きになさいな」
「ですが……それでも、やはり、これは紅魔館の備品です。私の至らなさについては、素直に叱責を受けます。ですが、これだけはお納め下さい」
「いらないわ」
「……そう……ですか」
「それに、咲夜。そんな、誰がどう見ても『特定の二人』でしか使えないようなもの、お客に出すわけにはいかないでしょ?」
「……え?」
「ほら、仕事に戻りなさい。あなたの仕事は、何もお使いだけじゃないのよ」
さりげなく、歩み去るお嬢様。もちろん、咲夜に背中を向ける彼女の横顔は、ちょっとだけ赤かった。
彼女の言葉の意味を吟味するのに要したのは、実に十分以上。ようやく、その言葉の意味を理解した時、咲夜は、もうすでに姿の見えない彼女に向かって『ありがとうございます!』と最敬礼を向けたのだった。
「――ということがあってね」
「そうですか」
「だから、美鈴。それ、あげるわ」
「で、もう一つが咲夜さんの、ですか」
そう、とうなずく彼女の手には、アメシストのはまったワイングラスがある。美鈴は、自分のものをじっと見つめ、「交換しましょ」と咲夜の許可も得ずにグラスを取り上げてしまった。あっ、と咲夜が声を上げた時には、二人のワイングラスには赤ワインが注がれ、アルコールの香りを放っている。
「……もう」
「咲夜さんにアメシストは似合いませんよ」
「何それ。私はルビーの方がいいっていうの? 宝石の女王だから」
「そう言う誤解が得意なのも、咲夜さんの特徴です」
どこか誇らしげに、どことなくレミリアを連想させるような口調で笑う彼女に、美鈴はストレートな笑みと共に言葉を投げた。首をかしげる咲夜に「お勉強が足りませんよ」と笑いかけ、彼女のグラスと自分のグラスを打ち合わせる。
「咲夜さんも、ようやく、色々わかってきたと思ったのに。ほんと、まだまだですね」
「……えっと?」
「ゆっくり教えてあげますよ。時間をかけて、じっくりと」
「……それ、ちょっと恥ずかしくない?」
そうですか? と彼女は微笑んで。
そうして、手に持ったグラスを傾けるのだった。
「……ねぇ、パチェ」
「何かしら、レミィ」
「この頃、ふと不安になるの」
「ふぅん」
「咲夜が美鈴に入れ込みすぎて、わたしのことを忘れちゃったらどうしよう、って」
「寂しいの?」
「べっ、別に寂しくはないわ! ただ、その……そ、外に出歩けなくなるじゃない!」
「一人で行けばいいじゃない」
「そんなのつまらないわよ!」
こちらはこちらで、小悪魔特製のティーをたしなんでいる二人。きゃんきゃん吼えるレミリアの口へと、パチュリーは、包み紙から取り出したチョコレートを放り込んだ。口の中にものが入っている時はそっちに専念すること、とレミリアは常日頃から自分の妹に言っているためか、とりあえず大人しくなる。
「大丈夫よ。あの子の、あなたに向ける情愛は、美鈴に向けるものとは違うから」
「だったらいいんだけど……。っていうか、パチェ、よくもこのわたしに道化を演じさせてくれたわね」
「大根だったけど」
「うぐ……」
「館の主として、のんびり見守ってあげなさい。どうせ、当分はこのままよ」
「それならそれで気になるのよね……」
「恋のイロハを知らないお子様が何言うの」
「誰がお子様ですって!?」
またきゃんきゃん吼える彼女の口の中に、今度はあめ玉を放り込む。さすがにあめ玉を投げ込まれてはしばらく喋ることも出来ないのか、レミリアが『う~……!』とうなりながらパチュリーをジト目でにらむ。もちろん、全く怖くない。
「まあ、それでも、自分から行動を起こしたのは及第点ね」
「……う~」
「安心しなさい。明日は雨にするから、一日、咲夜と遊んでもらえばいいわ」
「……う~……」
ころころと口の中であめ玉を転がしながら、微妙な声のイントネーションで感情を表現する友人の器用さに、パチュリーは思わず笑った。けほけほと咳き込むくらいまで笑ってから、ふと、息をつく。
「不器用な娘達に幸あれ」
開いていた本を閉じて、彼女は席を立つ。
ちなみに、パチュリーが読んでいた本のタイトルは、以下のようなものだった。
『Nella benedizione degli innamorati』
「……美鈴に何かプレゼントしようかしら」
「え?」
「あ、ううん。こっちの話。それよりも、仕事はまだ山のようにあるのだから。サボらないように」
「あ、はーい」
いけないいけない、他人に聞かれるところだった。
自分は何より、現在、メイドとしての仕事中ではないか。どうして、そんなことを考えてしまったのだろう。
ふと、窓から外を見る。
寒風吹きすさぶ木枯らしの候を過ぎ、徐々に季節は白一色の世界へと移ろいゆく頃。ああ、だからなのかな、と彼女は思って。
ごめんなさい、と言ってその場を後にした。
「美鈴は――」
「はい?」
「……その……た、ただの参考だからね? その……美鈴は、今、何か欲しいものはある?」
「はい?」
全く同じ返答をしてくれる彼女を前に、じれったさと苛立ちと、同時に、ほんの少しの心の高揚を覚えながら、「だから、欲しいものよ!」と声を荒げる。
時刻、すでに夜中。結局、あの後は踏ん切りがつかず、当の送り相手が仕事を終えるまで時間がずれ込んでしまっていたのだ。
「欲しいもの……ですか」
「そ、そう。ほら、この前、お嬢様が、『たまには館のみんなをねぎらってやるのも悪くないわね』って言っていたから、私が聞いて回っているの」
とっさの嘘にしては、かなり上出来な類かもしれない。紅魔館トップを刻む、ちみっちゃいお嬢様の名前を出せば、大抵、この館の中では何でもオッケーだ。
それを受けて、美鈴は、ん~、と眉根を寄せた後、一言。
「咲夜さんの気持ちが欲しいですね~」
「……へっ?」
「プレゼント、くれるんですよね?」
「あ、ち、ちょっと!?」
「甘いですよ、咲夜さん。私にそんな嘘は通用しませんか・らっ」
「きゃっ……」
後のワーハクタクは語る。
美鈴殿、冒険しすぎだ、と。
「……昨日は失敗だったわ」
朝、目が覚めてみれば腰が痛かった。その張本人に治療をしてもらってから、彼女は、知識の集まる場所――ヴワル図書館へと足を運び、手当たり次第に『プレゼント』関連の本をあさる。ちなみにそのタイトルには、いずれも、『あの人に贈る』だの『あなたの気持ちを伝える』だの『愛故に』だのといった接頭語がつくのだが、果たして、今のメイド長にそのタイトルは目に入っているのだろうか。
「うーん……」
「何してるの?」
「ひゃっ!?」
背中からかかった声に振り向けば、この頃は、人差し指でメガネを直す仕草がすっかりお似合いとなった図書館の主がいた。「邪魔よ」とにべもなく言って、手にした本を書棚へと戻し、そして新たな一冊を取り出して歩いていく。
「あ、あの!」
「何?」
声を上げてしまってから、一瞬、言葉に詰まり――、
「そ、その……パチュリー様は、他人から贈られて嬉しい贈り物ってありますか?」
「本」
「……そ、そうですか……」
「私が見たこともないような知識を携えた、それこそ伝説に残るクラスの本ならなおよしね。
まぁ、それも嬉しいけれど、やはりこの時期、寒くなってくるから。あったかい、手編みのマフラーとかも嬉しいかしら」
「は、はい……」
「それが何か?」
「い、いいえ……」
そう、と答えて彼女は歩いていってしまった。さりげなく、彼女は咲夜にアドバイスを行ったのだが、やっぱりそれにも気づかず、咲夜は図書館を後にしてしまう。
「……全く。積極的なんだか鈍感なんだか」
「魔界にもいますよ、ああ言う人」
「いるの?」
「はい。私の知り合いには、淫魔なのに純情可憐で奥手なのとか」
「あなたにふさわしい友人ね」
「……それってほめられてる?」
そんな咲夜の様子を魔法で尾行していたパチュリーは「まぁ、じれったい恋愛ほど、きっかけがあったら一段飛ばしよね」とつぶやいたのだった。
さらにもう一日。
思えば、何で贈り物なんて考えたのかなと思いながら、咲夜は日がな一日仕事に励む。そんな中でも、視線は、ことある事に窓の向こうに向いたりするものだから、そういうことに興味津々の、主に年若いメイド達には注目の的だ。
「咲夜」
「あ、お嬢様……」
「相変わらずふぬけているようね。性根をたたき直して欲しい?」
「も、申しわけありません」
「ま、いいのだけど。
こら、そこの! 見てないで仕事なさい!」
『は、はいっ!』
ちみっちゃくてもお嬢様はお嬢様。館内におけるカリスマ……というか、ある意味での権力は圧倒的である。彼女に指示され、咲夜をだしに、何やら妄想を繰り広げていたメイド達が蜘蛛の子を散らすようにぱっと仕事の場に散っていく。
「秋はもう過ぎて、そろそろ冬に向かうのよ。これから冬を越すための用意を始めないといけないというのに。それなのに、率先して仕事をしなくてはいけないあなたがぼんやりしていてどうするの」
「はあ……どうにも……。いえ、これは私事ですから……」
「まぁ、いいわ。はいこれ」
「……これは?」
「グラスが足りなくなったの。買ってきなさい」
渡されたのはメモ用紙。そこにお使いリストが示されている。咲夜はそれを受け取り、かしこまりました、と紅魔館を飛び立った。
向かう先は、これまたいつもの如く香霖堂。
「けど……足りなくなった、にしては数が少ないわね」
ワイングラスを二つ。それが咲夜に言い渡されたお使いである。
ともあれ、それならそれでいいと判断したのか、それを不思議に思うことをやめて、彼女の視線は、やがて一軒の建物へ。
「ごめんください」
「やあ、いらっしゃい」
相変わらずの物好き店主は、またどこかから拾ってきたのだろう、よくわからないアイテムを前にためつすがめつをしているところだった。来客を見て、彼が顔を上げて笑みを浮かべる。
「この寒い中、その服で飛んでくるのは辛いだろう?」
「仕事ですので」
「大したものだ。
ちょっとコーヒーを用意しよう」
「い、いえ。お構いなく」
「そうかい? 珍しく、魔理沙が『お裾分けだ』って持ってきたから、君に飲んでもらおうと思ったんだが」
一瞬、『それって毒味?』と考えてしまい、ぶしつけな自分を叱咤する。
「それで、今日はどのような?」
「は、はい。こちらを……」
「ふむ」
渡されたメモ用紙を一瞥して「ちょうどいいのがあるよ」と彼は奥へと引っ込んでいった。
待つことしばし。どんがらがっしゃーん! というけたたましい騒音と「ぬおぉぉぉぉっ!?」というよくわからない悲鳴が響いてきて、咲夜が顔を引きつらせた頃、店の奥から店主が戻ってくる。何食わぬ顔をしているが、その事態を物語るのか、おでこが赤かった。
「……大丈夫ですか?」
「いや、問題ない。
ところで、これだ」
差し出されたのは、豪華なガラスケースの中に入ったワイングラスだった。普通のワイングラスとはひと味もふた味も違う、精緻な細工のなされたそれには、グラスの足に宝石まで埋め込まれている。紫と赤の宝石――アメシストとルビーだ。
「こんな高価なものを……? い、いえ、私は普段使っているもので……」
「逆だよ。こんな高価なものだからこそ、高貴な血筋のお嬢様が住まうお館に似合うと思ったんだ」
「ですが……」
「それに、こんな高価なワイングラスが似合うものなんて、君たち以外にはいないだろう?」
言われてみて、確かに、と思わずうなずいてしまう。
しかし、それでは図々しいと思ったのか「持ち合わせがありませんし」と穏便に、咲夜はそれを断ろうとする。だが、珍しく――あるいは、あり得ないことだが、店主は「お代はいらないよ」と笑った。
「えっ!?」
「僕は守銭奴じゃない。それに加えて、今回、これを仕入れたのには、何か運命的な不作為を感じてね。それで、これに似合う人間が誰か来ないかと、実は手ぐすね引いて待ちかまえていたのさ」
「しかし……」
「確かに、普通に売ったら十万……あるいは、三十万くらいでも売れるかもしれない。
ただね、何にだってそうなんだが、ものには魂が宿る。汚れなき魂を携えているであろうこの子達に、『金銭』という俗世の穢れを押し付けてしまうのはあまりに不憫だ。
そこで、僕は聖人君子の教えを持って、君たちに施しを行うことにした――それでいいだろう?」
取り方にとっては押しつけがましい、恩着せがましい物言いだが、それでも店主の心意気を理解するには十分だった。そこまで言われては咲夜も引き下がれないのか、ありがとうございます、と頭を下げる。
「どれ、待っていなさい。今、ラッピングしよう」
「はい」
その時、つと、店主の浮かべた小さな笑みに咲夜も笑みで返す。
もちろん、店主の笑みに、その笑み以上の意味合いがあったとは――その時の彼女は、気づきもしなかったのだが。
「何やっていたの」
「え?」
帰るなり、咲夜を待っていたのはちっちゃいお嬢様の叱責だった。
思わぬ収穫に、確かに浮かれ気味だったことは認めるが、それでも叱責を受けるいわれなどない。まさか、『その浮かれた顔を引き締めなさい』とでも言われるのだろうか。それはほぼ因縁づけではなかろうか。そんなことを思っている咲夜に「遅いのよ」とレミリア。
「あなたがなかなか帰ってこないものだから、代わりの子に別のものを買ってきてもらったのよ」
「ええっ!?」
「全く。のろまなんだから」
紅魔館を飛び立って、過ぎた時間は二時間ほど。ここからあの店への往復時間を考えれば、むしろ迅速な道行きだったと言っていいだろう。にも拘わらず、そんな言葉を投げかけられて、咲夜は意気消沈する。
「ともかく、それはもういらないわ。あなたの好きになさいな」
「ですが……それでも、やはり、これは紅魔館の備品です。私の至らなさについては、素直に叱責を受けます。ですが、これだけはお納め下さい」
「いらないわ」
「……そう……ですか」
「それに、咲夜。そんな、誰がどう見ても『特定の二人』でしか使えないようなもの、お客に出すわけにはいかないでしょ?」
「……え?」
「ほら、仕事に戻りなさい。あなたの仕事は、何もお使いだけじゃないのよ」
さりげなく、歩み去るお嬢様。もちろん、咲夜に背中を向ける彼女の横顔は、ちょっとだけ赤かった。
彼女の言葉の意味を吟味するのに要したのは、実に十分以上。ようやく、その言葉の意味を理解した時、咲夜は、もうすでに姿の見えない彼女に向かって『ありがとうございます!』と最敬礼を向けたのだった。
「――ということがあってね」
「そうですか」
「だから、美鈴。それ、あげるわ」
「で、もう一つが咲夜さんの、ですか」
そう、とうなずく彼女の手には、アメシストのはまったワイングラスがある。美鈴は、自分のものをじっと見つめ、「交換しましょ」と咲夜の許可も得ずにグラスを取り上げてしまった。あっ、と咲夜が声を上げた時には、二人のワイングラスには赤ワインが注がれ、アルコールの香りを放っている。
「……もう」
「咲夜さんにアメシストは似合いませんよ」
「何それ。私はルビーの方がいいっていうの? 宝石の女王だから」
「そう言う誤解が得意なのも、咲夜さんの特徴です」
どこか誇らしげに、どことなくレミリアを連想させるような口調で笑う彼女に、美鈴はストレートな笑みと共に言葉を投げた。首をかしげる咲夜に「お勉強が足りませんよ」と笑いかけ、彼女のグラスと自分のグラスを打ち合わせる。
「咲夜さんも、ようやく、色々わかってきたと思ったのに。ほんと、まだまだですね」
「……えっと?」
「ゆっくり教えてあげますよ。時間をかけて、じっくりと」
「……それ、ちょっと恥ずかしくない?」
そうですか? と彼女は微笑んで。
そうして、手に持ったグラスを傾けるのだった。
「……ねぇ、パチェ」
「何かしら、レミィ」
「この頃、ふと不安になるの」
「ふぅん」
「咲夜が美鈴に入れ込みすぎて、わたしのことを忘れちゃったらどうしよう、って」
「寂しいの?」
「べっ、別に寂しくはないわ! ただ、その……そ、外に出歩けなくなるじゃない!」
「一人で行けばいいじゃない」
「そんなのつまらないわよ!」
こちらはこちらで、小悪魔特製のティーをたしなんでいる二人。きゃんきゃん吼えるレミリアの口へと、パチュリーは、包み紙から取り出したチョコレートを放り込んだ。口の中にものが入っている時はそっちに専念すること、とレミリアは常日頃から自分の妹に言っているためか、とりあえず大人しくなる。
「大丈夫よ。あの子の、あなたに向ける情愛は、美鈴に向けるものとは違うから」
「だったらいいんだけど……。っていうか、パチェ、よくもこのわたしに道化を演じさせてくれたわね」
「大根だったけど」
「うぐ……」
「館の主として、のんびり見守ってあげなさい。どうせ、当分はこのままよ」
「それならそれで気になるのよね……」
「恋のイロハを知らないお子様が何言うの」
「誰がお子様ですって!?」
またきゃんきゃん吼える彼女の口の中に、今度はあめ玉を放り込む。さすがにあめ玉を投げ込まれてはしばらく喋ることも出来ないのか、レミリアが『う~……!』とうなりながらパチュリーをジト目でにらむ。もちろん、全く怖くない。
「まあ、それでも、自分から行動を起こしたのは及第点ね」
「……う~」
「安心しなさい。明日は雨にするから、一日、咲夜と遊んでもらえばいいわ」
「……う~……」
ころころと口の中であめ玉を転がしながら、微妙な声のイントネーションで感情を表現する友人の器用さに、パチュリーは思わず笑った。けほけほと咳き込むくらいまで笑ってから、ふと、息をつく。
「不器用な娘達に幸あれ」
開いていた本を閉じて、彼女は席を立つ。
ちなみに、パチュリーが読んでいた本のタイトルは、以下のようなものだった。
『Nella benedizione degli innamorati』
だがそれがいい
其れに乙女を混ぜたら、甘い小説が出来上がってた!みたいなお話ですね