厄介事のきっかけは何時も此処から。紅魔館内にある図書館。
魔法の研究に余念がない我等が図書館長パチュリー・ノーレッジ。
その日はたまたま満月だったので、月符を中心に魔法改良のアイディアを練っていた。
喘息の調子も良好であった彼女は中庭に出て、サイレントセレナの式に手を加えた試作魔法を気前よく全力でぶっ放した。空へ。
本人としては、館を破壊しないようにという配慮だったそうだ。
空に向かって放たれる青白い弾幕――と、なるだろうと本人は思っていたという。
しかしながら、放たれたのはただの光だった。いや、ただの光に見える光だった、と言うべきか。
その光は月に吸い込まれ――心なしか、月が輝きを増したように見えたのだそうな。
月の光は紅魔館に降り注ぎ――
『咲夜さん』
と書かれた紙を、美鈴は咲夜の前に差し出した。
『何よ』
と書かれた紙を、咲夜は美鈴の前に突き出すように返す。
『不便ですねえ』
と書かれた紙を、また美鈴が咲夜の前に出した。
『そうね』
と書かれた――もういいか。
不便だと思うなら、つまらないことでペンを持たせないでくれと咲夜は思ったが、面倒だったので適当な相槌を打った。いや、書いた。
光は、紅魔館の住人達に沈黙をもたらした。
満月に浮かれて湖面スレスレを舞って遊ぶ氷精や、その仲間の妖精の楽しそうな声が聞こえることから、影響は紅魔館を中心とした極めて狭い範囲のようだ。
――これが幻想郷全体に影響を及ぼす異変でなくて本当に良かった。
紅魔館の誰もがそう思った。
痛いのだ。御幣でシバかれるのは。
『最悪月が沈めば元に戻ると思う』
図書館に突入した咲夜が見つけた紙切れに書いてあった。本人はスタコラサッサらしい。
いつか事故を装って目に物見せてくれる、と咲夜は静かに殺意を燃やした。
かくして、紅魔館の住人たちはことごとく筆談を余儀なくされた。
『でも、たまにはこういうのも楽しいかもしれませんね』
美鈴は矢鱈と呑気だ。メイドたちを取りまとめる咲夜には、それが羨ましくて仕方がない。
『どこがよ。指示を出すのは大変だし細かい説明は面倒だし微妙な齟齬が出るし』
齟齬という字が書けず、時間を止めて辞書を引いたのはヒミツだ。完全で瀟洒で居るというのはこうした涙ぐましい努力が必須なのだ。
『でも、いつもだったら消えていくはずの言葉が、こうして役目を果たした後も形が残るっていうのは面白いことだと思いませんか? いつも言ってる愛の言葉だって残っちゃうんですよ。 咲夜さん、愛してます キャー言っちゃった。いや書いちゃった』
咲夜は背骨を引き抜かれたかのような凶悪な脱力感に襲われた。
ロマンティックなんだか情熱的なんだか冷静なんだか。
(最近、お嬢様だけでなく美鈴も私への態度がおかしい)
そのうち、美鈴もお嬢様のように力ずくで自分をベッドに引きずり込むようになるのではないかと、なんだか恐怖に近い悪寒が背筋を走り抜けるのだった。
ともあれ、夜は忙しい時間帯だ。喋れなくなっても仕事は待ってはくれない。美鈴と筆談に花を咲かせている場合ではない。
『一応異常事態だから、持ち場についていなさい』
あらかじめ書いておいた紙を取り出して、美鈴に突き出した。ある程度汎用性の高そうな文章は準備しておいたのである。
こういう準備も瀟洒であるために必要だと割と真面目に思っているあたりが咲夜らしい。
話は終わりだとばかりに立ち去る咲夜の後姿を見ながら、美鈴は一つため息をついてから伸びをして、詰所に向かって歩き出した。
咲夜が館内を見回っていると、首にそっと幼い腕が巻きついてきた。
『咲夜。少しやってもらいたいことがあるのだけど』
満月で少し浮き足立っているレミリアの登場だ。
『なんなりと』
これもあらかじめ書いておいた紙だ。何かしら言いつけられるだろうという読みが的中して、少々悲しい咲夜だった。
しかし、満月の夜は毎回「手が滑った」だの「棒が疼く」だの言って、スカートの中に手を滑り込ませたり腰を擦り付けたりしてくるセクハラ吸血鬼だが、今日はそんなつもりは無いようだ。変則的満月光線を浴びて多少大人しくなっているのかもしれない。
『この本の、栞を挟んでおいたページを紙に書き写して欲しいのよ』
手近な部屋に入ると、レミリアは紙と本を差し出してきた。本は何かの小説のようだ。
栞が挟まれたページは、外の世界の魔術を主人公が行使するシーンのようで、読んでもよく分からなかった。
今すぐに欲しいとのことなので、時間を止めて素早く書き写す。
書き写した紙と、またまたあらかじめ書いておいた紙を一緒にレミリアに差し出した。
『ロードローラーだッ!』
咲夜さん、出す紙間違えてます。
レミリアが怪訝そうな表情で差し出された紙を指差すと、咲夜はミスに気付いて慌てて紙にペンを走らせた。
『申し訳ありません、間違えました。出来ましたわ』
本当は『どうぞ』と書かれた紙を差し出すつもりだったらしい。
『まあ、いいわ。ありがと』
急いでいたのか、レミリアは謎の台詞には言及せずにさっさと部屋を出て行った。
後には首を傾げる咲夜が残るばかり。
それからしばらく後。正面ホールでレミリアと美鈴が対峙していた。
一枚の紙を、レミリアが美鈴に突きつけた。
『私はメい鈴よりもレミりァサまがスキですワ』
どう見ても脅迫状です。
これを作る為に咲夜に本を書き写させたらしい。
やや斜めに文字が貼り付けられていて、作った者の不器用さが滲み出ているその紙を一目見るなり、美鈴の顔は驚愕に彩られた。
『これは確かに咲夜さんの筆跡』
筆跡なんて細かい所が分るなら切り貼りしている所にも気付きましょう。
『そういう訳で咲夜は私を選んだわ。まぁ当然かしら』
この2人、咲夜を巡って争っているのだ。あの手この手で咲夜を懐柔しようとしたり、相手の足を引っ張ったりしている。
それにしてもこの悪魔、やることがセコい。もう少しマシな手があるだろうに。
『そんな…』
だが効果はあったようだ。素直がウリの門番は騙され易いのが玉に瑕だ。
美鈴の青褪めた顔を見て、セコい悪魔はほくそ笑む。
紙に何事かを書くと、美鈴はフラフラとした足取りでホールから姿を消した
レミリアは残された紙を拾い上げる。
『こうなったら既成事実』
各所のメイドに一通り指示を出し終えて、少し肩の力を抜いて廊下を歩いていた咲夜は、背後から慌しい足音が近づいてくる事に気がついた。
(廊下は走ってはいけないとあれほど言っているのに)
瀟洒である事を信条とする彼女は、立ち居振る舞いに関しては少しうるさい。
注意をしようと振り返ると。
『咲夜さん一発ヤら※☆○×(筆跡が乱れて読めない)』
と書かれたプラカードを抱えて突進してくる門番が。
(――ッ!)
あまりの事に一瞬思考が停止する咲夜。
我に返って、咄嗟にナイフを投げようとしたその時、美鈴の後ろの廊下の角から
『私も混ぜなさい』
と書かれたプラカードを抱えた主人が出現し、妙な力が入ったナイフはあらぬ方向へと逸れていった。
突進してきた美鈴にそのまま床に押し倒される。
さらにその上にレミリアが乗っかる。
咲夜は力を振り絞って、
『アッー!!!!!』
と書かれたプラカードを取り出した。どこまでも準備がいい咲夜だった。
大爆笑。
予想していても決して覆らない。それが運命。
それが紅魔館クオリティ。
だって主人が運命操るからw
咲夜さんは
瀟洒だ
な 』
> と書かれたプラカードを取り出した。
つまり咲夜さんは何かされる事は期t・・・予測してたんではなかろうかと
『アッー!!!!!』(とプラカード)
しかも何も解決していないww
ごそごそ
つ『つまりは”いいぞもっとやれw”』