急に冷え込んできた、と妖夢は思う。
白玉楼は一年を通して涼しい。高度の高いところに存在するのと、幽霊たちから冷気が出ているせいだ。夏は涼しく過ごしやすいが、冬は涼しいを通り越して寒い。不思議なことに冬になると幽霊たちの行動は大人しくなる。香霖堂のストーブに寄り付いていったのがいい証拠だ。
涼しく過ごしやすい場所、それが白玉楼だ。
しかし――季節を越すというのは、直ぐにできることではない。
何事にも準備がある。いきなり夏から冬に変わるわけではない。ゆっくりと時間をかけて、衣替えなどを行っていく。四季のゆるやかな日本だからこそできることだ。
それが、今年は違った。暑い日が続いたかと思えば、いきなり冷え込む。季節が秋を忘れたかのようだった。
外の世界で、何かまた起きているのかも――妖夢はそう思うが、特に詳しいことは分からなかった。外と内は密接な関係がある、ということくらいしか彼女は知らない。知ることも、考えることも、彼女の仕事ではない。
魂魄 妖夢の仕事は――剣を振ることだ。
具体的に今は、剣を振って無駄な枝葉を切り落としている。明確な敵がいるわけでもないので、結構気は抜けている。敵と相対するときには鋭い妖夢の眼光は、今はぼへーっと糸眼になっている。
それなりに真剣ではあるが――その証拠に、まだ朝の六時を回ったばかりだというのに、彼女は自主的に働いている――命をかけているわけでもないので、リラックスして仕事ができた。
「とはいえ――師匠、難しいものです」
独り呟きながら、妖夢は今は居ない魂魄 妖忌に向かってぼやいた。剣の師匠であると同時に、彼は先代の庭師だった。
今妖夢がやっている仕事は、その庭師としての仕事である。白玉楼の樹木が無事に長い冬を越せるように、余計な枝を切り落としているのだ。形を整えると同時に、枝を減らすことによって幹本体に水や養分が回るようにする。長く厳しい冬を越すためには大切な仕事だった。
いつもならばゆっくりとやる仕事だが、今年は冬が早く来てしまったので急いでいるのだ。朝早くからやっているが、これほどまでに広大な庭をやるとなるとどうしても作業が雑になってしまう。
「いっそ二百由旬を一閃して……いや、そういうわけにもいかない」
スペルカードで丸ごと切り倒すか――などとぶっそうなことを呟きつつ、妖夢は仕事を続ける。
地味な仕事だが――地味な分だけ――大変なのだ。
ばっさばっさと、楼観剣で枝を落としていく。単純作業とは恐ろしいもので、半ばトランスした様子で妖夢は剣を振り続ける。端から見るとちょっと危ない人に見える。虚ろな目でぶつぶつと独り言を呟きながら剣を振う様は、まるで――
「まるで辻斬り魔みたいよ、妖夢」
のほほんと、穏やかな声が妖夢の背にかけられた。
急にかけられた声に、妖夢の身体が微くんとはねる。真夜中に幽霊に出あったとしてもそこまでは驚かないだろうというくらいに驚いて、妖夢は慌てて振り向いた。
襖に半身をもたれるように身体を崩して立っているのは、寝間着代わりの浴衣を着た白玉楼の主、西行寺 幽々子の姿だった。今起きたばかりなのか、浴衣がわずかに着崩れている。あられもなく覗く太腿を見遣りながら妖夢は、
「幽々子様、はしたないですよ」
じと目の妖夢の指摘に、幽々子は彼方の方向へと視線をさ迷わせ、
「見たい?」
いたずらっ娘のような笑みを浮かべて、浴衣の裾に手をかけた。ぺろり、とめくる振りをする。もっとも、めくるまでもなく、細く綺麗な足は見えていたが。
農作業に従事しない、歩かない者特有の、肉のない足。
生まれてから、文字通りに死ぬまで、彼女が西行寺の娘であったことを示す証だ。
が、今はただの綺麗な生足に過ぎない。妖夢は半眼で足を見つめ、「いえ、そんなことは」と首を振った。
「風邪ひきますよ、そんな格好していると」
「布団の中はあったかいわ」
言って、幽々子はにっこりと笑った。
満面の笑顔を見せられては、妖夢も何もいえない。抜いたままだった楼観剣の木屑を懐から取り出した紙で拭い取り、鞘の中へと収めた。鞘同士がぶつかってかちんと音をたてる。
「近頃は寒さも厳しいですから……体調を崩さないようにしてください」
「妖夢が心配してくれてるかぎり大丈夫よ」
笑ったまま幽々子が言う。それは、従者に対する信頼だ。
半人半霊の妖夢ならばともかく――亡霊が風邪をひくかどうかはともかくとして、心配をしてくれる従者に対して答えるのは、主として当然のことだった。
幽々子は名案を思いついた、とばかりにぽんと手を叩き、
「そうだ。妖夢、今日は鍋にしましょう、ね?」
「それはいいですね」
突然の提案に、妖夢は素直に頷いた。幽々子が食べ物関係でいきなり提案をしてくるのは珍しいことではない。そのたびに驚いていたらまず身体がもたない。それに、『何が食べたいか』と言われるのは、料理をする側からすれば楽なのだ。
これで夕飯を何にしようか悩む手間がはぶけた。
「伐採がひと段落ついたら、すぐにでも買出しにいってきますね」
何鍋にしようか、と思いながら妖夢は言う。何か目標があったほうが、単純作業にも張りが出る。
もうひとがんばりだ――心に渇をいれ、妖夢は作業に戻ろうと思い、
「あら妖夢。違うわよ」
踵を返しかけた妖夢の足を、幽々子の言葉が止めた。
「それより先に、やることがあるわ」
言って、幽々子はぴょんと縁側から降り、草履に足を突っ込んでゆっくりと妖夢へと寄ってくる。浴衣が着崩れているので、どうしても間延びした歩き方にならざるをえない。
時間をかけて近寄ってくる幽々子を見ながら、妖夢は考える。先にやることがあったか――と。
そこで、ようやく思い出した。
自分が起こすまでもなく、主人が起きてきているという事実に。
すなわち――朝の用意など、まったくしてない。
「あ――申し訳ありません、幽々子さま。着替えも湯も用意せずに、」
放っておけば頭を深々と下げそうな勢いの妖夢。
その唇に――幽々子が、人差し指をあてた。
しっ、と言葉を遮るように。
目を丸くする妖夢に幽々子は微笑み、
「そうじゃないのよ」
なら――? 妖夢の瞳が無言で問い返してくる。
幽々子は微笑んだまま、妖夢の唇に当てた手を下へと降ろした。平らな胸元をこえて、幽々子の手は、刀の柄に置かれた妖夢の手に覆いかぶさる。
妖夢の手より、ほんの少しだけ大きな、幽々子の手。
――温かい、と妖夢は思う。
幽々子は妖夢の手を、そっと両手で握り締め、微笑んだまま言った。
「こんなに手が冷たくなってるわ。今朝は寒いもの」
握った手を、幽々子はそっと持ち上げ、自分の頬に当てた。
自分の体温を、妖夢に与えるかのように。
温かい、と妖夢は思う。
その温かさは、きっと、体温だけではない。手に伝わる温もりは、幽々子の心の温かさだと思ってしまう。
その証拠に――冷え切った手だけではなく。
心にまで、ぽかぽかと温もりが伝わってくる。
照れるように赤くなった顔の妖夢を見て、幽々子は嬉しそうに笑った。
「だから、ね?」
笑って、妖夢の瞳を覗きこんだまま、幽々子は言う。
「――朝からお鍋にしましょ」
危うくずっこけそうになった。
「幽々子さま……それが目的ですか」
再び半眼になった妖夢に対して、幽々子はかんらかんらと笑い、
「あらあら。朝からお鍋というのも良いものよ」
言う間にも、幽々子は妖夢の手を離さない。優しく握りしめたまま、彼女は言う。
「とくに、こんな寒い朝には」
「…………」
妖夢は考える。
どっちが本音なのだろう、と。
朝から鍋が食べたいのか。
手を冷たくした従者を思い遣ったのか。
妖夢は思う。
――きっとその両方だ、と。
そんな主だからこそ、妖夢はここにいるのだから。
「……ありあわせのもので構いませんね?」
結局、妖夢はぽつりとそう答えた。朝から鍋を作りますよ――と言っているようなものだった。
幽々子は今にも飛び跳ねそうなほどに喜んで、「ええ、妖夢が作ってくれるなら構わないな」と頷いた。
「なら――」
今から作りますね。そう言って、妖夢は厨房へと駆けようとする。
その足を、再び幽々子が止めた。
今度は、言葉ではない。
駆けようとした妖夢の手を、幽々子は離さなかったのだ。振り向く妖夢に幽々子は微笑みかけ、
「一緒にいきましょう」
手をつないでね――そう言って、幽々子は、ゆっくりと歩き出す。
妖夢と、手をつないだままに。
いつも以上に、ゆっくりと、時間をかけて。
「…………」
その手を、妖夢は――おずおずと握り返した。
手のひらから伝わる体温が、何よりも心地よかった。
「――はい、幽々子様」
頷いて、妖夢も歩調をあわせて歩き出す。
いつもより、ゆっくりと。
いつもより、時間をかけて。
少しでも長く、手をつないで歩けるように。
この温かい時間が、いつまでも続くことを祈って。
暖めさせてもらうと同時に砂糖吐かせていただきました(笑)いいなあほんわか主従。
幽々妖夢は
和むな
あと
立った!立った!死亡フラグが立った!