「うわぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!!」
叫び声が木霊していると思って頂きたい。
声の主は鈴仙・優曇華院・イナバである。
彼女の声が上から下に、右から左に、ドップラー効果を利かせながら前後左右に木霊していると思って頂きたい。
『不思議の国アリス』の冒頭で、白兎を追いかけて穴を落下していくアリス(もちろん人形遣いではない元祖アリスだ)のイメージを思い浮かべると分かりやすいだろう。
鈴仙はあんな感じで、真っ黒闇の中を「落下」し続けていた。本当は上も下も無いのだが、便宜上、そういう風に描写するのが理に適ってるように思う。少なくとも彼女自身は「落ちてる」と感じていたのだから、嘘ではない。
兎に角、鈴仙は暗闇の中を落ちて落ちて――月まで落ちた。
ときかけうどん
「レイセン、編隊からずれてるぞ」
ヘルメット越しに聞きなれた男の声がした。後部座席に座る中尉の声だ。
レイセンは慌ててディスプレイに目を走らせ、自機の位置を確かめるとフォーメーションを立て直した。意識してやったのではない。体が勝手に動いたのだ。
「どうした。体の調子が悪いのか」
「だ、大丈夫です、中尉」
鈴仙はパニックに陥る直前で踏みとどまりながら、何とか冷静に状況を判断しようと努めた。
体は狭いコックピットに押し込められている。身を包んでいるのは普段着のブレザーなどではなく、ゴテゴテしたパイロットスーツとヘルメット。早い話が宇宙服だ。そして自分が操縦しているのはシャープな形をして銀色に光る――そして地上人がUFOなんて呼ぶ、月軍の戦闘機だった。
鈴仙はごくりと生唾を飲み込んだ。
自分は確か自室の布団で寝た筈なのだ。どうして戦闘機なんかに乗っているのだろう。
「レイセン、もうすぐ前線だ。情報収集を開始する。敵機との戦闘も考えられるから覚悟しておけ」
「は、はい。了解」
とんでもなくおかしい状況だというのに、体だけは何の迷いも無く作戦行動に従事しようとしている。グリップを握る手が汗ばむ。やっぱり変だ。変だけど落ち着け私、と鈴仙は乾く唇を舐めながら視線をあちらこちらにやった。
横目に見えるのは等間隔で飛行する友軍機が二機。自機を加えた三機は三角形を描くように編隊を組んでいる。そして鈴仙は右翼を担っていた。
何の変哲も無い、普段通りの策敵時のパターン。
頭の上には青く輝く惑星が見える。地上だ。
やっぱりここは月なんだと鈴仙は改めて思った。
下に見えるクレーターはジョルダノ・ブルーノだ。
ああ、地上人達の前線基地が近い。
鈴仙は記憶を辿った。
この作戦行動の事はよく憶えていた。
野蛮な地上人と侮っていた為に、思った以上の苦戦を強いられ、戦線が膠着状態に陥り、さらに地の利を以ってしても巻き返しも出来ず、前線の兵士達に厭戦ムードが漂い始めていた、丁度その頃だった。
その頃にもなると、真面目な鈴仙さえ戦争に心底嫌気が差していた。戦友が何人か死に、幾つかのメガロポリスが攻撃を受け市民が死んだ。明日死ぬのは自分かも知れないと恐れ慄いていた。
――これは夢だ。
鈴仙は自分を納得させようとした。
それ以外に説明は付かない。
昼間は永琳の命で、メディスンとてゐとで山に薬の材料を取りにいってたのだ。それから永遠亭に帰って、ご飯を作って、食べて、お風呂に入って、確かてゐと部屋で少し話をしたと思う。二人で人参ジュースを飲みながら、他愛も無い世間話を小一時間話し込んだ後、大人しく寝た。
何処にもおかしい事は無い。至って普通の日だった。
だから夢に違いないのだ。
一つ気掛かりがあるとすれば、夢にしては余りにもリアル過ぎるという事――それだけだった。
鈴仙の思考を妨げるようにレーダーが高い警告音を発する。
「9時方向に機影3――近い」
後方座席で情報ディスプレイを見張っていた中尉が唸り声を上げる。
「レーダーには映ってなかったぞ」
左翼を担っていた友軍機が爆発した。敵の攻撃だ。奇襲を受けたのだから止むを得まい。
――なんて厭な夢なんだろう。
その唐突な敵機の出現も、味方の墜落も過去の記憶の通りだった。
「エンゲージ」
遅まきながら火気管制システムを立ち上げる。さらにスロットルを全開にし、機体を加速させた。急加速に体が悲鳴を上げる。夢なのに、凄く苦しい。敵にロックオンされた事を告げる警告音。反射的にチャフをばら撒き、急回頭から反転する。
咄嗟に自分が取った行動も、過去のそれと同じだ。
自然、次に何が起こるかも予想できた。
敵が撃って来たミサイルはチャフに巻き込まれ爆発。間髪を入れず第二波が襲ってくる。鈴仙は二機に追い回され、残った一機は友軍を追いかける。そして友軍機は数十秒後に撃墜される。そして1対3という絶望的な状況。
夢とはいえ、追い込まれるのは楽しいモノではない。
喉がカラカラに乾き、額を冷や汗が伝った。なまじこれから何が起こるか分かるのが余計に怖い。
「レイセン、しっかりしろ!レイセン!」
中尉の声が聞こえる。何度も一緒に修羅場を潜った相棒の声だ。意識が少しはっきりする。唇を舐めながら答えた。
「大丈夫です。夢なんですから」
「何を言ってるんだ!?」
――確か真ん中のが一番弱かった。
鈴仙は記憶を頼りに展開を頭の中でシミュレートする。
勝機は少ない。だけど、やろう。
「中尉、私に命を預けて下さい」
鈴仙は落ち着きを取り戻した。自分の声が幻想郷に来て以来久しく発してなかった冷え冷えとしたものになっている事に気付き、薄く微笑む。体は火照り、逆に頭の中は冷える。戦うには理想的な状態だ。
敵の初弾がチャフに巻き込まれ四散する。続く、第二波。機体をロールさせて回避。相手の三機の内、一機が友軍機を追う。これで1対2。しかし依然不利に変わりは無い。逃げ回る振りをしつつ相手に真っ向する形に機体を持っていく。機動の鈍い方の機体にロックオン。ミサイルを発射。撃墜する。回頭。機体の動きに搭乗員が付いていけない。鈴仙は自分の骨が軋みを上げるのを感じた。目の前がブラックアウトする。衝撃。
「撃たれたッ」
「中尉!?」
「左のエンジンがやられた。止める」
鈴仙は首を曲げてキャノピー越しに目視で確認する。
機体の左部分がバルカン砲で撃たれていた。後部座席のキャノピーも割れている。
その光景も記憶の中のものと一致した。
――結局、勝てなかった。
「破片が腹に刺さりやがった。俺はもうダメだ」
明朗な声で中尉は告げた。鈴仙は無言で頷き、残った一発のエンジンを全開にさせる。残っていた味方も、健闘したようだが――結局やられたようだ。敵機が2機合流し、じわじわと背後に追いついてくる。
「レイセン、逃げろ」
電撃で撃たれたように体が竦んだ。
その科白も記憶のモノと同じだ。
「君は若い。こんな戦争で犬死してはいけない」
そうだ、だから私は逃げたんだ。
鈴仙は回想する。
逃げても良いと言われて嬉しかった。だからそのまま戦争の無い地上にまで逃げたんだ。
殺し合いは厭だった。友達が死ぬのも、自分が死ぬのも厭だった。
だから月から逃げ出した。前線の真っ只中からの逃走。敵も味方も追いかけてこなかった。
そうして私は生き延びた。
惨めだった。幻想郷に来てからもずっと、心の何処かに疚しい思いがあった。
罪の意識に苛まされ続けた。
「じゃあな、レイセン」
それが相棒の最後の言葉だった。後部座席が出射され、衝撃で機体が揺れた。死体を乗せたまま飛ばさずに済む――そんな彼なりの心遣いなのだろうか。
独りになった鈴仙はぽつりと呟いた。
「逃げろって、私――夢の中でまで逃げてどうするんだろう」
鈴仙は震える指でドッグファイトスイッチを入れる。
「逃げても、逃げても、過去を振り切るなんて出来ないんですよ」
一発だけになったベクターノズルが火を吹く。機体が旋回し、敵と再び相対する。
「逃げちゃダメなんです。もう逃げません――もう卑怯な真似はしたくないんです」
敵は二機。その内の一機をガンサイトの中心に捉える。お互いに真正面から全速で近づきあうチキンレース。
――ギリギリまで引き付けて撃ってやる。
発射トリガーを指先で絞り、コンマ秒以下で反応できるようにする。だけど例え、一機落とせても、もう一機の逆襲で生き残れはしまい。だけど良い。夢なんだし。
そんな鈴仙の捨て身の行動を嘲笑うかのように敵のミサイルが放たれた。
コックピットに警告音が鳴り響く。鈴仙は舌打ち一つして、ミサイルに向かって砲撃。何発かが空を切り、何発かが命中。その様子がスローモーに感じれた。爆発。破片が撒き散らされる。鈴仙は反射的に機種を上げコックピットを守る。機体の腹側に大きな衝撃があった。
「――あっちゃあ、やられた」
機体は完全にコントロールを失い、月の重力に引かれて落下していく。
悠々と上空を横切る敵影が見えた。
このまま墜落したら、今度こそ死ぬ。
「夢なのに中々目が覚めませんよ。どうしましょう、師匠ーッ!?」
「―――――ぅわぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ゴロゴロゴロと前転をしながら部屋の障子を突き破り、さらに廊下の壁にしこたま体を打ち付けて鈴仙は目を覚ました。
「はぁーっ、はぁーっ、――うわぁっ!」
自分がヘルメットを被っていることに気付き、慌てて脱ぐ。
服もパイロットスーツだ。あちらこちら破れたり、焦げたりしている。
まるで戦場から帰って来たばかりだ。
「アハハハハ、すんごい厭な夢だった」
汗だらけの顔を拭いながら立ち上がる。
何事かと永遠亭の兎達が顔を覗かせ、鈴仙の格好を不思議そうな表情で見ている。鈴仙は苦笑いしかできなかった。
「れいせーんッ!」
廊下の向こうからてゐが駆けて来て、ひしっと鈴仙に抱きついた。
「ごめんねごめんね、鈴仙、ごめんね」
「どうしたのよ、てゐ?そんな抱きついたら重いって――ああ、師匠」
永琳も姿を現し、安心した表情を見せた。
「ウドンゲ、貴方どこ行ってたのよ」
「寝てただけですよ」
ぐずるてゐをあやしながら鈴仙は首を捻る。
「昔の厭な思い出を夢に見てたました。月に居た頃の――」
「夢じゃないわ」
永琳は断言した。
「貴方がした体験は、夢などではなく現実なの。きっと過去の月に跳んでいたのね」
「冗談でしょう」
「貴方の格好の方がまるで冗談よ」
鈴仙は自分の姿を見て、確かにそうかもしれないと思った。
「――でも、どうして」
「昼間に薬の材料を取りに行って貰ったでしょ」
「ラベンダーとクロッカスですよね。唯の花じゃないですか」
「それを材料にある薬を調合したの」
「何の――まさか」
「そう!時間跳躍を可能とする薬――クロッカス・ジルヴィウスよ。タイム・リープとテレポーテーションが使えるようになるわ」
永琳はあらゆる薬を作る程度の能力は伊達じゃないと言わんばかりに、誇らしげに胸を張る。
「強くイメージした場所に飛ぶ傾向があるみたいだから、きっと過去の月に跳んじゃったのよ。でもその気になれば未来にだって、異世界にだって跳べるかも」
「い、いいいい、何時、私そんな薬飲みましたっけ!?」
「ごめんねぇ、鈴仙」
てゐがペロリと真っ赤な舌を出した。
「ほら、寝る前に一緒に人参ジュースなんでしょ?」
「一服盛られたのね」
ガクリと鈴仙はその場に膝を突いた。
これではいつもの人体実験と変わらないではないか。というか変わらないのだろう。
「まぁ、良いですよ。生きて帰って来られましたし」
鈴仙は寛大な心で同居人達の行いを許す事にした。
だって過去の月、あの瞬間に立ち戻る事は、必ずしも悪い事ではなかったのだから。
――レイセン、逃げろ。
あの言葉が蘇る。
逃げ出した事は卑怯だったし、二度としたくはないけども、やっぱり地上へ来なければ皆に会えなかったのだから。
重い業を背負いつつも私はやっていけるだろう。この先ずっと、死ぬまで。
感傷に浸る鈴仙の肩をぽんと叩き、永琳が厳かに告げた。
「ウドンゲ、良く聞いて。クロッカス・ジルヴィウスはその匂いを嗅いだだけでも、効果は数日持続するわ。ましてや貴方は経口摂取したんだもの――言わなくても分かるわよね」
「う、そ」
「ごめんねぇ、鈴仙。生きて帰って来てね」
「てゐぃぃぃぃぃいいいいいいッ!?」
「貴方の実験レポートを楽しみにしてるわ。大丈夫、永遠に待ってるから」
「師匠ぉぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!」
鈴仙の体は霞が掛かったようになり、すぐにその場から消えた。
「時をかけるウドンゲ。略して、ときかけうどん」
「美味しそうな名前ですね」
ニヘラとてゐが無垢な笑みを浮かべた。
永琳もつられて笑った。
二人ともいい笑顔だった。
「此処、どこッ!逃げたい!帰りたい!!」
幻想郷、マヨヒガ、冥界、魔界、顕郷、時限の狭間、時の最果て。
過去へ未来へ。未来から過去へ。
知らない場所に次々に転移し、ありとあらゆる時間を旅するトラベラーとなった鈴仙は、結局、薬を盛られる直前にまでタイム・リープして、それを阻止するという方法に気付くまで永遠亭に戻れなかったとさ。ちゃんちゃん。
ダメー!天からふりそそぐものにすべてを滅ぼされちゃう!
素晴らしい東方繋がりです