恋文、というものがある。
恋慕の情を抱いた誰かが、その相手に想いの丈を綴った文の事だ。
元々は内気な少女があまりの恥ずかしさにしたためた物が最初といわれているが、その真相は明らかでない。
とある月の美しい晩の事。
まぁるい満月のような機械時計を貼り付けた、大きな大きな紅いお城から、一人のお嬢様が月夜の空へと飛び出した。
いつも傍に控えている瀟洒なメイドは居ない。
折角月の綺麗な夜なのだ、偶には一人にさせなさいというお嬢様の鶴の一声により、完璧な従者はお城でお留守番である。
月夜の空を、お嬢様は飛んでいく。
風を切り裂き雲を突き破り音速の壁すら越えて、お嬢様は恋慕う者の元へと飛び進む。
そうしてたどり着いた先は小さな鳥居を構えた神社。
音速すら越えて飛んでいたのが嘘だったかのように、お嬢様が鳥居の下に足を着けた時、物音一つしなかった。
お嬢様は着地した場所から神社の方を見据えると、嬉しそうな、楽しそうな笑みを浮かべた。
神社に住まう者の私室。
和の空気漂う畳敷きの部屋には、今日もまた一人の少女が安らかな寝息を立てていた。
その部屋と外界とを隔てていた襖が、すぅーと静かに開かれていく。
襖を開けた人物は、静謐というよりは平穏な雰囲気が満ちた部屋の空気を吸い込むと、満足そうに笑みを浮かべて布団へと近づいた。
寝息を立てる少女の枕元に膝をつき、そのすぐ傍に両の手を着く。
少女にとっての闖入者はプチ――と、唇を噛み切った。
紅い紅い、芳醇な血がその美しい唇から溢れ出す。
これから行う行為に恍惚とした表情を浮かべ、闖入者は少女へと顔を落としていき――
「何してるのよ、レミリア」
――目を覚ましていた少女に御札を貼られた。
「きゃー!」
御札に何らかの力が篭められていたのか、闖入者であるレミリアは畳の上を転げまわった。
次の瞬間、ボンとお札が爆発し、転げまわっていたレミリアも動きを止める。
というより、止められたといった方が正しいか。
布団から起き出した霊夢は気だるそうに身体を起こすと、煙を上げて伏すレミリアに視線を向け、はぁとため息を吐いて言った。
「メイドも連れないで一体何をしに来たのよ。貴重な睡眠時間を奪うほどなんだから、それなりの理由がないとただじゃおかないわよ」
「ううー……霊夢は今日も連れないわ。折角私が目覚めの接吻をしてあげようと」
「誰もして欲しいとはいってないでしょこの吸血お嬢」
レミリアの発言を、ため息混じりに霊夢はぶった切った。
「で、本当に何をしに来たのよ」
レミリアはやっと回復したのか、畳に突っ伏していた顔を上げると額を擦りながら霊夢へと身体を向けた。
「うーん、まだ少し痛いわ」
「自業自得って知ってる?」
「で、何をしに来たのか、だったかしら?」
「ええそうよ」
言葉を無視されても全く気にした風もなく、霊夢は先を促した。
「恋文よ」
「恋文?」
「ええ。恋文は恋慕の情を文に綴ったものでしょう? でも私はもっといい方法を考えたの。吸血鬼の血はその吸血鬼の力を宿したもの。つまり血そのものが膨大な知を記した書物ってわけ。で、私の血は私の想いそのもの。だから私の血を霊夢に飲んでもらえば、少しは私の気持ちを分かってもらえると思ったのよ」
「へぇ」
「という訳だから、霊夢、飲みなさい」
「断るわ」
ズバッと、霊夢はレミリアの望みを断ち切った。
「相変わらず連れないわねぇ霊夢」
「あんたに付き合ってたら心身が持たないわ。それに吸血鬼の血なんて飲んだら身体に異常を来しそうだしね」
「あら大丈夫よ。ただ私の従属になるだ」
「帰れ」
御札が、レミリアの額へと張り付いた。
あれから霊夢に御札を貼られまたもや畳の上を転げ回ることになったレミリアはその後、粘り強い説得もとい我侭を貫き通し、その日は霊夢と同衾することに成功した。
霊夢は霊夢で、ため息混じりにレミリアを布団の中へと入れることにしたのだが、いざ布団の中でレミリアが霊夢の胸に抱きつき両腕を背中に回して抱きついて来たときは特に何も言うことも無く受け入れてやっていた。
何だかんだと嘆息しつつも、何者が闖入してこようとその全てを受け入れてやるのが博麗 霊夢という少女なのだ。
レミリアもそれを理解していたからこそ、しつこいほどに今宵の寝床を求めたのだから。
翌日の昼過ぎ。
簡単に昼食を済ませた霊夢は一応の日課である庭掃除を行っていた。
一応というのは、霊夢の気分次第によっては二日おき、もしくは三日おきで実行されることがあるからだ。
そこ、それ日課じゃないじゃんとか言わない。
片や霊夢の布団で快眠することのできたレミリアは、傘を持ってくるのを忘れていたので今は開放された部屋の中から霊夢の掃除姿を幸せそうに眺めている。
霊夢が気だるそうに掃除している姿を見ることももちろんレミリアの幸福度を上げているのだが、それ以上にレミリアを幸せにしているのはその身体に巻きついているものが原因だろう。
朝方まで霊夢と共に同衾していた掛け布団を、レミリアは今現在身体に巻きつけていた。
久しぶりのお泊りが余程楽しかったのか、まるでその余韻を掴んで放さないとばかりに、朝からレミリアはこの状態でごろごろしている。
無論の事霊夢は御札ショットで撃退を試みたのだが、レミリアの意思のほうが強かったのか、意外な程の早さで霊夢はレミリアを布団から引き剥がすのを諦めた。
正直どうでもよかったのかもしれない。
布団に顔を埋めると仄かに香ってくる霊夢の匂いがこの上ない幸せを運んでくる。
きっと今の自分以上に幸せな人間なんてこの世には存在しないに違いない。
人間じゃなくて吸血鬼だろって言った奴、後ろに咲夜が居るから気をつけなさいね。
どうでもいい突込みを入れつつ、レミリアは埋めて大きく呼吸していた布団から顔を離すと、視線を霊夢へと戻した。
――自分以上に幸福になっているモノがそこにはいた。
霊夢が気だるそうに掃除をほとんど惰性のような感覚で続けていると、足元に何かが擦り寄ってきた。
一体なんだと足元に目をやれば、そこには小さな子猫が自分の足に顔をこすり付けて甘えているではないか。
「あら……、また迷い猫? 最近多いのは気のせいかしら」
言いながらしゃがみこみ、箒を横に置くと霊夢は自分に甘え続ける子猫をひょいと両手で持ち上げた。
「に~」
子猫らしい声の持ち主は茶の下地に所々灰の斑(ぶち)が混じった毛並みをしている。
「あんたどっから来たの」
「に~」
「母親は?」
「に~」
霊夢の投げやりな質問に子猫は答えようとしない。
答えたら答えたで次の瞬間には夢想封印しなければならないのだが。
「さ~て……どうするかな。また魔理沙にでも押し付けるか」
ぶつぶつと対策を考えながら空を見上げる。
その隙を狙ったわけではないだろうが、子猫は霊夢の手の上に足を付けると、そのまま跳んだ。
――霊夢の服の中へ。
「きゃっ……もう、何なのよあんたは」
霊夢の服の中でごそごそと動き回る子猫は、しばらく動き回った後、ひょこと胸元から顔をのぞかせた。
「に~」
どことなく満足そうなのはそこが温かかったからだろう。
やはり子猫、まだまだ母の温もりが恋しいに違いない。
「ん~……これは母親を探したほうがいいかもね」
やれやれとため息を吐きながら子猫をそのままに箒をもって立ち上がると、
――飛んできた弾をその場から跳んで避けた。
全くもう。
そんなため息を吐きながら、霊夢は弾の出所へと顔を向けた。
「いきなり危ないでしょレミリア、するならすると言ってからにしなさい」
部屋の中、片手を突き出した状態で、涙目になったレミリアが佇んでいた。
「霊夢っ、そいつをこっちへ寄越しなさい!」
がーっと怒鳴りながら部屋の外へと飛び出す。
今日は日傘を忘れていたとか、外は憎らしいくらいにいい天気だとかはすっかり頭の中から吹っ飛んでいた。
だが、レミリアという存在はそんなことを心配する必要はない。
何故なら、そんなことはいらぬ杞憂であり、その傍には常に完璧なメイドが付き添っているのだから。
「お嬢様、傘を忘れていましたのでお届けに参りましたわ」
太陽の光が槍となりレミリアへと襲い掛かる前に、咲夜はレミリア愛用の日傘を差して隣を飛んでいた。
レミリアは咲夜の方をちらりと見ることもなく霊夢の前へとたどり着くと、ビシと指を指して叫んだ。
「霊夢っ、そいつを今すぐこっちへ寄越しなさい!」
「なに、母猫でも見つけてくれるの?」
「咲夜のナイフで微塵切りにしてやるわっ」
「ちゃんと食べるんなら別に渡してもいいんだけどね……無駄な殺生は厳禁ね」
霊夢が一瞬で取り出した御札を指先からレミリアへと飛ばす。
刹那の内に咲夜がそれを切り刻んだ。
「邪魔しないのメイド」
「お嬢様に危害を加えないのならなにも」
にこ、と咲夜はナイフを手に完璧な笑みを浮かべた。
「霊夢っ、いいから寄越しなさい寄越せっ!」
今にもラストスペルを発動しそうなレミリア。
ちらとレミリアを流し見、仕方が無いなぁと霊夢はため息を吐いて、胸元の子猫を手に取った。
「はい」
首根っこを掴んだ子猫を、レミリアではなく、咲夜へと渡す。
そして、突然の行動に一瞬動きが止まったレミリアを、霊夢は抱き寄せた。
「ほら、これでもう文句言わない」
左手をレミリアの背中に回し、右の手で頭を軽くぽんぽんと叩く。
「あ……ぅ……ぁ……」
何か言いたいことがあったはずなのに、レミリアの頭の中は真っ白に成っていた。
今まで喉にした血が全て凝縮してしまったかのように赤く染まった顔。
恥ずかしさで決して霊夢の胸から離すことはできないが、レミリアは確かにその瞬間、世界中のなにものよりも幸福だった。
そんなお嬢様を、一人の従者が瀟洒に見つめ、
そんなお嬢様を、一匹の子猫が自分もとばかりに鳴いた。
「にー」
レミリアに萌えて子猫に和んでなんだかんだ言って甘えさせる霊夢に微笑んでと忙しかった
久しぶりに霊夢らしい霊夢を読んだ気がします
和むなぁ