その日、レミリア・スカーレットは従者を連れていなかった。
「はぁ」
神社と紅魔館の半ばにある地蔵堂。レミリアは今、小さな体を更に小さく丸めてその中に潜り込んでいた。
堂内にはざぁざぁと、そしてコツコツと言う音が鳴り響いていた。そう、彼女は雨宿りの真っ最中なのだ。
「屋根があって助かった、と言うべきなんでしょうね」
ひとりごちるレミリア。例え迎えが来たところで、彼女は雨の中を歩く事が出来ない。それは即ち、雨が降り止むまでこの狭い地蔵堂にいなければならないと言う事を意味している。
「あら?」
狭いお堂の中にもう1つの影が飛び込んでくる。どうやら彼女も突然の雨に降られてしまったらしい。
「シャンハーイ」
「初めまして。確か人形遣いのとこの人形よね?」
その影の正体は上海人形。体全体を縦に揺らす様に首肯している彼女の手には、2冊の本を吊るした紐があった。
「おつかいかしら?」
「シャンハーイ」
「そう。でも、本が濡れてるわよ?」
「シャンハーイ!?」
わたわたと慌てる上海人形に苦笑しながら、レミリアはポケットからハンカチを取り出した。いつも出掛けに渡されるハンカチは、これが初めての活躍の場だった。
「暴れないの。・・・ほら、これでいいでしょ」
「シャンハーイ」
「うちに本の扱いに煩いのがいるから気になっただけよ」
「シャンハーイ」
「もう。そんなじゃないってば」
少し頬を赤らめたレミリアがそっぽ向こうとするが、如何せん堂内は狭く、レミリアの身長ですら頭を打つ程なのだ。動いた瞬間、コツッ、っと頭を打ってしまったレミリアは、気まずそうに視線だけを上海人形から逸らした。
「シャンハーイ」
「私? 私はレミリア・スカーレットよ」
「シャンハーイ」
「上海人形、ね。上海でいいかしら?」
「シャンハーイ」
お互いに自己紹介を終えた時、上海人形は不思議そうな表情――人形に表情はないので仕草と言うべきだろうか?――をしていた。
「シャンハーイ?」
「解るわよ。当たり前じゃない」
「シャンハーイ!?」
「私に不可能はないのよ」
狭いお堂の中で嬉しそうはしゃぐ上海人形。アリスと彼女の人形達以外と普通に会話をするのは、彼女にとって初めての体験なのだ。
「シャンハーイ」
「いいわよ。聞いてあげる」
「シャンハーイ」
「へぇ。あの人形遣いがねぇ」
弾む会話。強くなる雨音。
他者に話を聞いてもらえる事が嬉しい上海人形は絶える事なく話し続けているが、レミリアはそれを遮る事なく、興味深そうに聞き役に徹していた。
「シャンハーイ!」
「貴方も大変ねぇ」
「シャンハーイ!!」
「ふふ。咲夜も似たような事を言ってたような気がするわ」
咲夜、と口にしたレミリアは、彼女の事を思い浮かべていた。心配してくれているかしら? それとも神社にいるからと気にもかけていないのかしらね。神社には雨が降った時用のお泊りセットが常備してあるから後者の可能性が高そうだわ、と。
「シャンハーイ?」
「ん、あぁ、気にしないで。ちょっと考え事をしてただけよ」
「・・・シャンハーイ」
「そうかしら? 吸血鬼は鏡に映らないから、自分で見た事がな――」
レミリアの顔が苦痛に歪み、唐突に言葉が止まる。状況が理解出来ない上海人形が慌てて近づくと、彼女の頭に、ぽつり、と雫が垂れてきた。
「シャンハーイ?」
「吸血鬼は雨に弱いのよ。悪いけど、穴を塞いでくれないかしら?」
「シャンハーイ」
「あぁ、そうね」
レミリアに本を渡すと、上海人形は地蔵堂の主に手を合わせた。そしてお供え物の団子を1つ手に取り、穴へと向う。
「ふぅ。助かったわ」
「シャンハーイ?」
「そうね。お願い出来るかしら?」
「シャンハーイ!」
お団子を持ったまま屋根に張り付く上海。雨漏りしそうな何箇所かに団子を刷り込んだ上海人形は、一仕事終えた、と言わんばかりに腕で額を拭った。
「ありがとう。助かったわ」
「シャンハーイ」
「大丈夫よ。顔色が悪かったのも雨漏りのせいかもね」
「シャンハーイ・・・?」
「そう? 穴を塞いだくらいじゃ駄目なのかし・・・ら?」
ずっと上海人形の作業を見守っていたレミリアは、先程からずっと上を見上げていた。そんな彼女が上海人形に合わせて降ろした視線の先には、吸血鬼の弱点が横たわっていた。
「シャンハーイ?」
「私、流れ水も駄目なの。困ったわ」
お堂の床は石造りで、周りよりも数センチ高くなっている。そこに浸水し始める程、雨の勢いは強かった。
レミリアの態度は言葉とは裏腹にあまり困ってないように見える。しかし、かなり危険な状況である事は事実なのだ。
「シャンハーイ!!」
「そうね。ピンチね」
「シャンハーイ?」
「外に出ても結果は同じよ。むしろ外の方が酷いんじゃないかしら?」
「シャンハーイ!!」
「アリスの友達、ねぇ。私はあの人形遣いと友達になった覚えはないわよ?」
「シャンハーイ・・・」
「ほとんど話した事もないんだから仕方が無いでしょ? 貴方の友人だって言うならまだしも」
「・・・シャンハーイ?」
「関係ないわ。こうして対話する人格があれば、妖怪と大差ないもの」
「シャンハーイ・・・」
話をしている間にも水はどんどん堂内に侵入しており、それに比例する様にレミリアの顔色も悪化している。その様子を見ていた上海人形は、両手で頬を叩き、レミリアの正面へと躍り出た。
「シャンハーイ!」
「へ?」
「シャンハーイ!!」
「それはさすがに悪いわよ」
レミリアがなんと言おうと、上海人形の心は既に決まっていた。アリス以外で初めて自分を自分として認めてくれた彼女を助けようと。アリスに使役される人形の一体ではなく、上海人形と言う1つの存在として。
「あ、ちょっと待ちなさい」
雨の中へ飛び出して行く上海人形。彼女は幾つかの木切れを拾うと、それを使って堤防を作り始めた。もちろん、お堂の中に水が入らないように。
「ちょ、貴方。そんな事したら服がドロだらけに」
「シャンハーイ!」
木切れの堤防をドロで補強していく。更に水で流されてしまわないよう、大きな石で支えを作った。
「シャンハーイ」
「・・・貴方ねぇ」
水浸しの泥まみれ、ついでに洋服のレースがほつれている。そんな上海人形の姿に、レミリアは呆れた表情で溜息をついた。
「ほら、拭いてあげるからこっちきなさい」
「シャンハーイ」
「いいのよ。どうせ洗うのはメイドだし」
本日二度目の出番となったハンカチ。レミリアは自分の手や服にドロがつく事も気にせず、上海人形の体についたドロを拭っていく。
「シャンハーイ」
「こちらこそ、ありがとう」
彼女達が微笑みあう姿は、まるで幼い姉妹が寄り添っているような、そんな暖かな光景だった。
「シャンハーイ」
「はいはい」
上海人形を拭く為に膝と胸で挟んでいた本。レミリアは彼女の言葉に従い、それを手渡した。上海人形はそれを受取ると、楽しそうに体を揺らしながら地蔵の近くに滞空し続けた。
「シャンハーイ」
「ほんとね」
外を見つめる彼女達は、どちらからと言う事もなく他愛も無いおしゃべりを再開していた。おしゃべりをしている間に、お堂に響いていた音も次第に小さくなり始め、外の景色は小雨になっていた。
そして雨が大分弱まった頃、お堂の前に大きな影が現れた。
「ホラーイ」
「あら、お迎えが来たみたいね」
「シャンハーイ」
アリスが使役する人形の一体である、蓬莱人形。彼女の小さな体には不釣合いな大きな傘。それが大きな影の正体だった。
「シャンハーイ」
「私は平気よ。貴方のおかげで危険はなさそうだし」
「シャンハーイ?」
「心配性ねぇ。もうすぐ雨は止むわよ」
「ホラーイ」
「悪いけど、私は傘があっても外を歩けないの」
「シャンハーイ」
「いいから。折角迎えに来てもらったんだから早く帰りなさい」
しぶしぶと傘の中へと移動する上海人形。1mにも満たない距離を移動する間に4度も振り返った事が、彼女の心境をよく表している事だろう。それを見たレミリアは当然として、傘を持つ蓬莱人形ですら苦笑しているようだった。
「シャンハーイ!」
「じゃあね」
別れの挨拶を交わし、それでお別れと思った瞬間、それは起こった。
手を振ろうと片手を紐から放す上海人形。その時、まだ少し湿っていた手がすべり、水溜りの中へ本が吸い込まれた。
バシャン
呆然とする上海人形。やれやれと呆れ顔のレミリア。状況が掴めないのか、蓬莱人形は不思議そうな顔をしている。
「・・・シャンハーイ」
「はぁ」
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
上海人形の言葉から状況を察した蓬莱人形が、焦りながらもフォローを入れ始める。しかしそれは今にも泣き出しそうな上海人形には届いていなかった。いや、人形は涙を流せないのだが。
「ふぅ。仕方ないわね」
「シャンハーイ・・・?」
レミリアは目を瞑り、無数の中から目的のモノを探し始める。そして数秒もしないうちにそれを見つけ出し、手を伸ばした。
「はい」
「シャンハーイ!?」
レミリアが差し出したのは、紐で括られた2冊の本。もちろん2冊ともほとんど濡れていない。
彼女が探していたのは運命の糸。そして手繰り寄せたのは『上海人形に本を返していない』運命。雨に追い込まれた時ですら使おうとしなかった能力を、彼女は行使したのだ。
「今度は落とさないようにね」
「・・・シャンハーイ?」
「さぁね。もう忘れたわ」
呆然としている上海人形に本を手渡すと、少し頬を染めたレミリアは地蔵へと視線を逸らした。どうやら学習能力はあったらしい。
「シャンハーイ!」
「がっ」
嬉しさの余り全力で抱きつく上海人形。受取った本ごとつっこんだのはご愛嬌と言った所だろうか? 普通の人間であれば気絶している威力ではあったが。
「ホラーイ」
「けほっ、けほっ。大丈夫よ」
「ホラーイ」
「別に貴方の為にした訳じゃないわ。この子には借りがあったし、それに」
そう口にしたレミリアは、ふとジト目の居候の事を思い出していた。そして彼女とは似ても似つかない胸の中の彼女を見て、くすりと笑った。
「それに、友人が困っていたら助けるモノでしょう?」
上海人形を引き剥がす事が出来なかった蓬莱人形は、結局雨が止むまでその場に居続ける事になるのだった。
数日後、紅魔館内。
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
紅魔館で数少ない『客人』に指定された2体の人形。彼女達は現在、レミリアの私室にいた。
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
「あはははは」
「・・・」
ベッドの上でじゃれあう2体の人形。それ見て楽しそうに笑うレミリアと、その隣でお茶を淹れている咲夜。テーブルの上にはティーカップが3つ。
「シャンハーイ?」
「ホラーイ!」
「ふぅ。あら、中々いい紅茶ね」
「はい。本日は良質の物が手に入りましたので」
「そう。それにしても面白いわ。ねぇ?」
「え~っと」
どう返事を返していいか解らない咲夜は、とりあえずひきつった笑顔をその答えの代わりとした。主人の質問に答えないのは失礼だと理解していたが、どう答えていいのか検討がつかないのだ。
「人形が漫才だなんて。あの人形遣いが仕込んだのかしら?」
「さ、さぁ?」
どうやら漫才をしているらしい、と言う事は解ったのが、如何せん咲夜は人形の言語を理解出来ない。故に、彼女達が何を言っているのか理解出来ない。はっきり言ってしまえば、何が面白いのかさっぱり解らないのだ。
「シャンハーイ!」
「ホラーイ?」
「そうねぇ。咲夜、どう思う?」
「えっと、大変面白いかと」
漫才ならば面白いと言って置けば問題ないだろう。そんな無難な思考の招いた結果は、主人からの冷たい視線を受けると言うモノだった。
「はぁ、咲夜は駄目ね」
「す、すいません!」
「そうね。咲夜で、ってのはどうかしら?」
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
状況が理解出来ない咲夜を置いてけぼりに、2体はまたベッドの上でじゃれあい始めた。やたら胸に手をあてたり、相手の胸を腕で叩いたりしている様子に、咲夜はなんとなく不愉快な雰囲気を感じていた。後者はただのつっこみであるので、それはきっと彼女の被害妄想だろう。
「シャンハーイ」
「ホラーイ!!」
「ふむ」
楽しそう鑑賞するレミリアの様子に、2体の人形はとても満足しているようだった。落ち込むアリスを慰める為に覚えた漫才が友人を楽しませる事が出来て、とても嬉しかったのだろう。
「シャンハーイ」
「ホ・ラーイ!」
「あはは」
楽しそうな1匹と2体。そんな珍しい風景がいつもの風景になるに、さほど時間は掛からなかった。もちろん、彼女達を見つめる、引きつった笑みのメイド長の姿も。
「ホラーイ」
「シャンハーイ」
「ははは。そのオチいいわね」
咲夜の「今のでオチたの!?」と言う心の叫びこと、つっこみはさておき、今日も紅魔館は概ね平和だった。
ちなみに、門の方では『客人』に指定されていない彼女達の主人が門番と戦っていたりもするが、それはまた別のお話。
萌えた!可愛いなあもう!
しかし主人ヒドスwwww
これはとっても ステキなおはなし
また機会があれば彼女達の物語も綴りたいと思います。
最後になりましたが、作品へ感想、並びに私の質問へのステキなお答え、ありがとうございます。