Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

桜歌結界

2005/04/19 01:49:40
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 ―――願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃
                       西行法師





 その桜が花をつけたところを、西行寺幽々子は一度たりとも見たことがなかった。
 樹齢千年は優に経ている妖怪桜。
 記録によると、その桜は、それはもう見事な花をつけたそうである。
 けれども幽々子はそれを見たことがない。
 もう寿命が近く蕾をつけないのだろうと幽々子は思っていたし、それを見つけるまでは、その妖怪桜のことなど気にも留めてはいなかった。
 けれど見つけてしまったのである。
―――富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ、その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ……
「なるほど」
 ぱたん、と幽々子は手に持っていた扇子を閉じた。
 つまりは、その妖怪桜の封印をとけば某かが蘇るというわけである。
「でも、某かって誰なのかしら」
 疑問である。
 けれど、幽々子にとってそれは瑣末なことでもある。
 その者が何者にせよ、要は封印を解いてしまえばその答えもわかるのだから。
「面白そうね」
 小さく微笑んで幽々子はその場から立ち上がる。
 早速行動しなければ。
 そのために妖夢の名前を呼びながら、幽々子は書架を後にした。













 西行妖は、自らがその名で呼ばれているということも気にせず、ただ気の向くままに、その枝々に沢山の花を咲かせていた。
 その桜といえば、もう見事の一言に尽きた。
 西行寺幽々子もまた、その桜に魅入った人間の一人である。
「見事だわ。見事の一言よ」
 毎年春の季節。
 彼女は、桜の下、咲き誇るそれを見上げて、そう呟いた。
 そっと節くれ立つ幹に、白い掌が滑る。
「―――仏には桜の花を奉れ 我が後の世を人とぶらはば」
 かの法師の歌を詠み、ほぅと息を漏らす。
「よく言ったものだわ。確かに、この桜を見た後では、死した後でも、桜の花を手向けて欲しいと思うわね」
 事実、幽々子もそうして欲しいと思っていた。
 自分が死んだら、この、見事に咲き誇る桜の花を、手向けの花として欲しいと。
 いいや、別にこの桜の木でなくてもいい。
 ただ、私が死んだ後でも、桜に触れあえるのであれば、なんだっていいのである。
 どうにも桜は人を惹きつける力がある。
 それは、桜という花が、季節季節、悠々と力強く、けれど儚く咲き誇り散っていく。
 その姿が美しいと、そう思えるからなのだろう。
 そうありたいと、自分の姿を桜にうつすからなのかもしれない。
 自分も一度は、華麗に咲き誇り、そして散っていきたいと、そう、思うためなのかもしれない。
 それは個人個人が思うことであり、どれが正しいとも言えない問答である。
 幽々子は思う。
 人が桜に惹かれるのは、そこに縁があるからだと考える。
 桜と日本人。あまりにも身近すぎるのだ。
 春になれば、花見を行うのは当たり前の話であり、その花見を行う花が桜というのは疑いようもない現実となっている。
 幼い頃からそういう目で桜を見ていれば、それはもう、惹かれてしまうのも仕様がないとも思えた。
 つまるところ、どうしようもなく、桜という花が好きなのである。

 毎年春になれば、幽々子は何時であろうと何時間であろうと、桜を眺め続けた。
 快晴の空の下、時折吹く風に、青空へと舞い上がる桜吹雪の美しさに目を奪われ。
 月明かりの下、仄かな灯りに照らされ、白々と輝く花弁にほぅと感嘆の息を漏らす。
 食事はもっぱら桜の下で。
 眠るのも忘れ、ただただ桜の許に彼女はいた。
 その日。
 いよいよその桜は満開となった。
 春の清々しい光に照らされ、桜はそれはもう見事な花を、誇らしげに咲かせている。
 誰が見ても、感嘆の息を漏らすだろう。
 誰が見ても、この桜に魅了されてしまうだろう。
 それだけ、この桜の花は見事に咲き誇っていたのだ。
 そして、幽々子もまた、例外ではなかった。
 例年この桜を見てきた幽々子ではあったが、その日、その満開した桜を眺め、彼女は初めてこの桜を見たときの感動を思い出していた。
 知らず足は桜の下へ。
「あぁ。こんな桜が見れたのなら、私はもう、死んでも悔いはないわね」
 くすりと小さく微笑みまでこぼれる。
 願いは。
 叶った。

 その日、西行寺幽々子は桜の下、眠っていた。
 微笑みは絶やさず。
 愛した桜の花びらの装束に包まれて。







 ―――憂き世には留めおかじと春風の 散らすは花の惜しむなりけり
                            西行法師






 白玉楼。
 妖夢は幽々子の命を全うすべく、幻想郷の春度を集め奔走していた。
 その甲斐あってか、ここ白玉楼は、西行妖を除く全ての桜が満開と相成った。
「―――おかしな夢を見たわ」
 幽霊だから眠らずともよいのだが、どうやら、この陽気にうとうとと微睡んでしまったらしい。
 今考えてみても、一体どんな夢を見ていたのかはよくよく思い出すことは叶わない。
 けれど別に構わない。
 夢というのは泡沫であり、目が覚めれば忘れてしまうものなのだから。
 幽々子は首尾の具合はどうだろうと、散歩ついでに庭に出た。

「――――――――――――ああ」

 広がる桜並木。
 舞い散る桜吹雪。
 それは、まるで春に降る雪のように。
 桜は歓喜し、咲き誇る。
 春の訪れを祝って。
 その視界一杯に広がる桜木を目にして、幽々子は茫然自失となってしまった。
 滅多にありえないことである。
 けれども、実際にそうなってしまったのである。
 一言。
 感嘆の言葉を漏らして、彼女はすっかり固まってしまった。
 そして広がる桜の花々を見つめてしまった。
「…………なるほど」
 じわりと胸に熱いものが込み上げてくる。
 遠い昔、何かに願った気がする。
 死してなお、その花の傍にいたいと。
 死した身で、それを実感する。
 いつかは覚えていないけれど、いつか思ったであろう想いは、今ここに叶ったのだと。
 知らず、頬を伝うものがある。
 その一筋の泪。
 どうして流れたか、それは本人にも、わからないものだった。
 わからなくて、泪が流れた。






 結論から言おう。
 結局、西行妖は満開には至らなかった。
 おそらく、この桜が満開となるときは、幽々子自身がその正体に気づいた時であり。
 安息の終焉のときなのだろう。

「……結局某かは某だったのか不明のまま、か」
 西行妖の前に立ち、ぼんやりと幽々子が呟く。
 不思議である。
 自分はこの桜が咲き誇る様を見た覚えはないというのに、その姿を、遠い過去、見ていた気がするのだ。
 不思議なものである。
 この樹の傍は、心休まり、自然と落ち着くのである。
「私はあなたを知らないというのに、何故かしらね」
 そう、優しく樹に語りかける。
 この西行妖。
 見つめていると、まるで忘れたくても忘れられない、懐かしい想い出。セピア色に染まっても、胸に残る想い出。
 そんな、甘酸っぱいような、優しいような、そんな温かいものが込み上げてくるのである。
 このときも、幽々子は妖夢に初めて会ったときのことを思い出していた。
 ――くすり。
 思わず笑ってしまう。
「どうかなさいましたか、幽々子さま」
 そろそろ夕餉の時刻。妖夢は幽々子を迎えに来ていた。
「あら妖夢。いいえ、少し昔のことを思い出していただけよ」
 振り返る幽々子。
 その表情は、優しく微笑みに満たされており、妖夢は微かに首を傾げた。
「昔のこと?」
「ええ。あなたと初めて出会ったときのこと」
「な……」
 途端赤くなるのが妖夢。
 そんな彼女を見て、幽々子は再びくすくすと笑い出す。
「ふふ。懐かしいわね。妖夢」
「ゆ、幽々子さまっ。勘弁してくださいっ」
「あら。いいじゃないの」
「恥ずかしいんですよっ。笑ってますし……」
「あの頃の妖夢は可愛かったわねぇ」
「あぁ……っ」
「あぁ。勿論、今も可愛いわよ?」
「な……だ、だからっ」
 二人は邸内へと歩いていく。
 不意に。
 幽々子が足を止めた。
「幽々子さま?」
 突然足を止めた幽々子に、振り返る妖夢。
 幽々子の視線は、あの西行妖へと注がれていた。
「も、申し訳ありません。私の力が今ひとつ足りないが為にっ」
 幽々子が西行妖を見つめるのは、満開に出来なかったその悔いからだろうと、そしてその失態は自らにあると、妖夢は早口で頭を下げる。
「いいえ。それは、もういいのよ」
 そんな妖夢をやんわりと制して、それでもなお、幽々子の視線は西行妖に注がれる。
「は、はぁ……」
「私は、あの桜を知っている、のかしら?」
「はい?」
「いいえ、なんでもないわ。急ぎましょう。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
「あ、はいっ」
 再び歩き出した幽々子に付き従う妖夢。
 西行妖は、ただ静かにそんな彼女らを見守っていた。








 生前。
 幽々子が幽明境を分かつその直前。
 西行妖を前に願ったことがある。

『私は、この桜の花と共に生きて、そして死にたい』

 西行妖は、永遠にその花を咲かせることは、ない。





    
初めて書いた東方SSだったりします。
これからもよろしくお願いします。

今回三点ほど、西行法師の歌を乗せております。
―――願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃
こちらは最早説明はいりませんよね。
―――仏には桜の花を奉れ 我が後の世を人とぶらはば
西行が死んだら、大好きだった桜の花を手向けてくれと詠んでいる歌です。
―――憂き世には留めおかじと春風の 散らすは花の惜しむなりけり
春風が花を散らすのは、こんな綺麗な花をこの世に置いておくのはもったいないと、惜しんでいるからと詠んでいる歌です。
久遠恭介
[email protected]
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