空から星が落ちて、宇佐見蓮子が「一時二十八分十秒」と言った。
……もう少し、風情のある言い方が出来ないものかと私は思う。
「……というか、なんでこんな時間までうろちょろしてるのかしらね。私たちは」
「そりゃあ、うちの倶楽部はフィールドワークが基本だから……」
「にしたって、日付が変わるまで人気の無い山林を散策してようもんなら、お巡りさんに職務質問されてもおかしくないわよ」
「……人気が無いのに?」
「……だったら、山伏とか天狗とかでもいいけど」
「その場合、むしろそいつらに職務質問したい」
幸い、星詠みの才がある蓮子の活躍により、現在位置と時刻と目的地は判っている。
とりあえず必要なのは、この疲れきって棒になった足をどうにかこうにか動かす体力ぐらいだ。
木々もだいぶ少なくなってきて、天上には煌く星々が見え隠れしている。
「……蓮子ー。疲れたから、ちょっと休みましょうよ……。さっきから膝がみしみし言ってるのよ~」
「太った?」
前を歩く蓮子の背に、強烈なミドルを叩き込む。ぐはぁッ、と冗談めかしてたたらを踏む蓮子。
木の葉を踏みしめる音が遠ざかり、すぐにまた停止する。
こちらを振り返った蓮子は、薄暗い林の中でもハッキリと判るくらい爽やかな顔をしていた。
「はは、ごめんごめん……。いや、気にしてるんじゃないかとは思ってたけど、これで確信したわ」
「うるさいわねぇ……。いいのよ別に、うちの家系は安産型なんだから」
「負け惜しみぃ」
「うっさい黙れ」
その小憎らしい顔面目掛けて、帽子を投げ付けてやりたい。何度そう思って、幾度その行為が無駄だと自己完結しただろう。
――全く。
そんな楽しそうな表情をされたら、こっちは何も言えなくなるっていうのに。
蓮子はずるい、と思う。あっちから誘っておいて、待ち合わせの時間には遅れるし、怪しい場所に連れて行かれては結界を暴こうとする。主に働くのは私だし、そのくせ外れを引いても謝罪の言葉すらない。まあ、私も頭を下げてほしい訳じゃないけど。最終的に、行くと決めたのは私なのだし。
……知らず、私たちは歩みを止めていた。
「ねえ、メリー」
乾燥した木の幹に寄り添い、蓮子は木の葉に隠された天上を仰ぐ。つられて、私も曇りの無い空を見上げる。
私たちの住む場所とは異なり、天と地が随分と近い。
もし、地上と天上に境界線があるのだとしたら、此処の境界はかなり曖昧になっているんじゃないかと思う。
星があまりに地面に近付きすぎたから……あの星は、吸い寄せられるように地面へと落ちて来たのだろうか。
「……ん。なに」
「さっき、星が流れたでしょう。メリーはさ、どんな願い事を掛けた?」
「いやにロマンチックね……。でも実際、大気圏に突入して燃え尽きて見えなくなるまでの一瞬で自分の願いを三度繰り返すなんて高度な技が使えたら、それだけで一財産築けそうな気がするんだけど」
「茶化さないの。ああいうものは、この眼で『見た』っていう事実が大切なのよ。願いを口にすることじゃなくて、願いを掛ける――心に刻み付けることが大切なんだから。……で、メリーの願いは?」
流れ星は、あれきりで打ち止めになってしまったようだ。
問い掛ける蓮子の視線はいやに紳士的で、どうも上手くはぐらかせそうにない。あっちも相当疲れている筈なのに、そんな表情はちっとも顔に出さないし。
だから、今夜はもう二度と流れない星に向けて、私は嘘偽りのない純粋な願いを呟いた。
「早く……、家に帰りたい……」
――星がやたらと綺麗で、とても憎たらしい。
そのくらい、私的にマジだったことを理解していただきたい。
かといって、無理に理解する必要もないのだけど。
身内の恥だから。
後で聞いた話だが、蓮子があの一瞬で流れ星に掛けた願いはこんなものだった。
「願わくば、この素晴らしき人生が――少しでも、長々と続きますようにってね」
恥ずかしげもなく、彼女はそう言ってのけた。
……参った。私は蓮子という人物を心の底から羨ましく思う。なるほど、こういう思考回路を持っていればそりゃあ太らない訳だ。あれだけの苦労すらも素晴らしい日常として受け入れられるのなら、きっと悩みも何も無いに違いない。やってられっか。
そんな僻みモードに突入していた私に向けて、蓮子は少しだけ申し訳無さそうにある提案をした。
……まあ、なんとなく予想はついていたが。むしろ確信していたと言ってもいい。
ここはいつもの喫茶店。頼んだのはいつもの紅茶。
シチュエーションは完全に整っている。方程式ならば、蓮子から電話が掛かってきた時点で既に成立しているのだ。
「今度、三陸海岸の岬に行こうと思うんだけど……。メリーにも来て欲しいの」
「そりゃあ、自殺の名所に亡霊は憑き物だけど……。紅い靴が揃えられてたらどうするのよ。へたすりゃ証拠隠滅するわよ、私」
これはかなり本気だ。放っておくのも警察に連絡するのも、寝覚めが悪いったらありゃしない。証拠隠滅はもっと問題があるような気もするが。
しかし、私の危惧も蓮子は何事も無かったかのように受け流す。
「まあ、崖と海の間に結界の境目があったって、崖から突き落としたりはしないから。大丈夫大丈夫」
「……本当に?」
「ほんとほんと」
物凄く嘘臭かった。
しかも眼が笑ってないし。
――でも、そう遠くない未来に、私は首を縦に振ってしまうんだろう。仕様が無い、全く仕方の無い話だ。
だって、宇佐見蓮子と過ごす秘封倶楽部としての日々が、これ以上なく素晴らしいと思えてしまったから。
別に、そう考えることで宇佐見流健康術にあやかろうと企んでいる訳ではない。断じて。
「……訂正。流れ星に掛けた願いを、今ここで撤回するわ」
「もう時効なんじゃない?」
「あの願いは結局叶えられなかったんだからまだ有効よ」
というか、私がそう決めた。
なかば呆然としている蓮子に向けて、私は改めてあの瞬間に掛けるべきだった願いを宣言する。
「願わくば、この素晴らしい秘封倶楽部が――私たちが居なくなっても、延々と続いてくれますように」
力強く言い放って、私は蓮子の前に帽子を叩き付けた。
その宣戦布告を耳にして、蓮子は私の帽子を拾い上げる。そして、紅茶の残りを一気に煽った後、一言。
「よし、それじゃあ決まりね。……ああ、今のうちに遺書を書いておいた方がいいわよ? 三月とは言っても、東北の海は人間にはまだまだ冷たいからねぇ」
くすくすと、悪魔のように笑ってくれた。
……やっぱり、私は後悔するのかもしれない。
でも。
だとしても。
そんな秘封倶楽部が、私は大好きだ。
……あやかろうしよう?